27
「き、さま…!裏切りおったな……!」
怒りを顕にした魔王とは反対に、エヴィは優しい口調で囁いた。
「ハーゲスト、もう、やめようぞ。一緒に、まりあのところに、いこう」
待って。
その身体はライのものなのに!
ライの身体からは抜かれたナイフと一緒に赤い液体が溢れていた。
「…ら、い」
私の必死に出した声は、魔王の雄叫びにかき消された。
「う、るさい、うるさいうるさいうるさい!まりあは生き返るのだ!だから魔力を集めたのだ!誰にも邪魔などさせぬぞ!!」
魔王は、懐から出した先程よりも大きな黒い塊を飲み込んだ。
そして、目の前のエヴィに手を翳した。
私は思わず目を閉じた。「ハー…ゲスト…」という声を最後に、エヴィの声は聞こえなくなった。
「…くそ、足りない、魔力が……エヴィのやつ、わざと魔力を薄くしたものを渡してきたな。エヴィが裏切るのは誤算だった。……おお、あるではないか、魔力が」
目を開けた先には、魔王が手を翳していた。
「まあ、まだこれだけ魔力があれば奪うことも出来よう。ものは試しだ」
あ、これ、死んだな。
まあ、抗うくらいは、出来たかな。
私は再び目を閉じた。
けれど、私は突然苦しみだす魔王の声を聞いて目を開けた。
「サラ、さん」
この、泣きそうな顔は。
「ライ……!」
どうして。
僅かにしか動かない手を必死に伸ばす私にライは膝をついてその手をとった。
「サラさん、少しの間だけ今は魔王を抑えています。だけど、自分の力じゃ、長くは持ちません。サラさん、その間にどうか、サラさんの手で自分を殺してください」
私の手にナイフを握らせたライはそう言って微笑んだ。
ここを、と自分の胸の中心を差した。
「ここに、ナイフを刺せば、」
「な、に、言って、んの」
カラン、とナイフを落として私はライを睨み付けた。
「殺す、訳が」
「これは、まだ奴隷になる前、熱した油を母親にかけられて出来ました」
ライはそう言って顔の左半分を手で示した。
これは、父親に岩に叩きつけられた時に出来たものです。
これは、最初の主人に殴られて凹みました。
これは、二番目の主人に骨を折られて癖がついたものです。
これは、その次の主人に蹴られて形が変わりました。
そう言って一通りの傷を示したライは、目を伏せて笑った。
「自分は、奴隷になる前もなっても、要らない存在でした。どこへいっても空気のように扱われるかストレスの捌け口になるかしかありませんでした。醜い、汚い、死んでしまえと言葉をかけられ続けて、自分は何で生きているんだろうと生きてきました。サラさんに出会った森で、捨てられそうになって死んじまえと言われた時は、もうこのまま動かず死ぬつもりだったんです」
でも、とライは私を見て笑顔を浮かべた。
「サラさんは、裏切れば殺すと言った。裏切るなんて、信じなければそれは成り立ちません。ああ、自分は必要とされているのだと、そう思いました」
「……そん、なの、ライが、奴隷、だったから、で」
「分かっています。きっとあそこにいたのが自分でなくても、サラさんはそうしたのだろうと、今なら分かります。それでも、サラさんは自分に名前をくれました。食事を与えてくださいました。暖かいベッドで眠らせてくれました。部屋をくださいました。自分のために、怒ってくれました」
ライは顔をくしゃりと歪めて、やっぱり笑った。
「嬉しかった……!」
ライはナイフを拾い、もう一度私に握らせた。
ぴたりと、自分の胸に刃をつきつけ、言った。
「私は初めて生きたいと、そう思いました。この人と、一緒にいたいと。けれど、サラさんを殺すというならば、私が死ぬ方が余程いい。死ぬならば、どうか、この身をこがす貴女の手で死にたいのです」
「ライ……」
「愛しています、サラさん。どうか、自分の最初で最後の願いを主人として、きいてはくれませんか?」
ライの言うことなんて、1つも分からなかったけれど、私がしなければいけないことは、分かった。
でも、だけど。
手を震わせ悩む私に、時間は待ってくれない。
「サラさん、もう、耐えきれません、早く……!」
ライ。
「ごめんね」
ずぶりと、嫌な感触が私の手に伝わった。
「ぎゃあああああああああ!!」
勢いよく頬を叩かれ、私は転がった。
ようやく止まって目線だけ上げた私は、結構な距離を転がされたのだと気付いた。
魔王は、胸を抑えてひゅーひゅーと苦しそうに呼吸をしていた。
「よ、ぐも。よぐもよぐも!私の邪魔ばかりしおっでえええええ!許ざぬ!ごほっ、お前など、死んでしまええええ!」
そう叫んだ魔王は、私に両手を翳そうとした。
「ハーゲスト」
その声を聴いた魔王は、目を見開いて辺りを見渡した。
なんだ?
静かな透き通るような女の人の声だった。
「どこだ?まりあ、まりあなのだろう?どこだ、どこにいるのだ!」
髪を振り乱し、ボロボロな姿の魔王は、最早狂っている獣のようだ。
私は自分の横が、少しだけ明るい気がしてそちらを向いた。
すると、そこにいたのは、微笑むハーネだった。
魔王もこちらに気付き、只のメイドでしかないはずのハーネに微笑んだ。
「ああ、そこにおったのか、まりあ…!」
どう見てもハーネでしかないのに、魔王はまりあまりあと呟いて近付いてきた。
目の前まで来た魔王に、ハーネは手を差し出した。
「いきましょう?」
「ああ、ああ……!お前とならどこへだって、どこまでだって行くぞ。もう、離したりはしないからな……」
抱き締められたハーネは、一度だけこちらに微笑み、すぅっと消えていった。
何が起きているのか頭を混乱させていた私は、ライの身体が地面に崩れ落ちた音を聞いて我に帰った。
「ライ!」
「大丈夫か、サラ!」
「おい、奴隷を助ける方が先だ!」
「僕の陣でも、この状態は難しいよ…!」
牢に閉じ込められていた3人が、駆け寄ってきた。
牢に使われていた魔力の魔力源がいなくなったと、そういうことなのだろう。
アランに寄りかかりながら、ライの元へと向かった。
胸から血を流すライの顔は真っ青だ。
「ああ、ライ……!」
頬を包み込んだ私はライの体温が冷たくなってきていることに、更に泣きたくなった。
「さ、ら。これ、を……」
後ろからかかる声に皆が振り向いた。
死んだと思っていたエヴィが、黒い球体をこちらに差し出していた。
「え、エヴィ、生きて……」
「はー、げすと、が、まりあ、を、生き返、らせる、ため、に、残して、いた、最後の、魔力、だ」
涙を流しながら受け取った私に、エヴィはふっと笑った。
「まだ、間に合、う。どうか、大切、な人、を、」
そう言ってエヴィは静かに目を閉じた。
ぎゅっと魔力の塊を握りしめ、それを口に放り込んだ。
そして私は、ライの胸に手を翳した。
辺りが光に包まれて、そして。