26
「どうして、君が、……いや、君は、ライなのか?」
私の独り言のような呟きに、魔王はふっと笑って言った。
「そうだ、とでも言っておくか。この身体は紛れもなくお前の奴隷のものだからな。早く魔力を奪ってしまいたかったがな、時間がかかってしまった。少しずつ、少しずつこやつの精神を蝕む時間が必要だったからな。前ならばそんな苦労はいらなかったが」
ライが頭を抑えていたのは、もしかして。
はっとなる私に構わず、魔王は私に一歩近付く。
「誰も気付いてはおらんかったが、私の魔力はもうほとんど朽ちていた。見た目は変わらずとも、魔力は衰えていっていたのだろうな。さほど魔力を使わぬものなら出来るが、前ほどの国1つ潰せる力はもう残ってはいなかったのだ」
更に、一歩。
「私には力が必要だった。疑わぬ家来を使い、聖女を召喚した。初めは確かにまりあを探していた。まりあの見た目に近い者を条件とし、何度も召喚した。だが、まりあは現れなかった。分かっておったのだ。まりあは私が思い出した時点で死んだのだと。もうディアボロと共に朽ちてゆくだけだと諦めかけていた時、ふと、気付いたのだ。こやつらの魔力を奪えば、まりあは生き返るのではないか、とな」
私は、目の前に来た魔王を見て、身体中にぞわぞわとした気持ち悪いものが這うのを感じていた。
私の足が自然と後ろに下がる。
「もて余していた聖女を騙し、闇の念を増幅させ、私の心地よい魔力に変えた。私の使いやすいようにな。お前も、その闇の念に囚われればいい。お前の大好きな奴隷に裏切られて」
魔王は、背を壁につかせた私の首に手をかけた。
そうして、いつも私に向ける笑顔で言った。
「どうか、私の為に死んでください、ご主人様」
ぐっと首が締まった。
苦しい、と感じたのは一瞬だった。
瞬きをした間に魔王はいなくなっていた。
だって、私が吹き飛ばしたのだから。
壁にぶつかり咳き込む魔王に、私は告げた。
「君は、何か勘違いをしているね。私がライを傷付けないなんて、いつ言ったかな?」
「くそ、貴様、こやつが可愛くないのか!」
腹を抑えて叫ぶ魔王に、私は笑った。
「私はね、ライと出会ったときに言ったんだよ。"君だけは、私を絶対に裏切っては駄目だよ。裏切れば殺してしまうよ"とね」
私は手を真っ直ぐ伸ばして翳し、瞬間移動をして、魔王の前に立った。
それを見た魔王は目を見開き口元を震わせていた。
「馬鹿な!魔力は封じたはず……!」
「うん、さっきまで少ししか使えなかったよ。何でかな、不思議だね」
魔王にライの笑顔をされた時、ブチブチブチっと私の中で何かがちぎれる音がした。
たぶん、あれのせいかな?
あの時、私の頭の中はある感情で占められていた。
それは、怒りだ。
「私はね、怒っているんだよ?勝手にライを使って、私を裏切らせようとしたこと。君は、やりすぎた。私は、君を止めてみせるよ」
跨がる魔王に目線を合わせるように屈んだ私は、魔王に手を翳した。
目の前で、ライが苦しそうに息をしている。
だけど、これは魔王だ。
私が、魔王を止めなければいけないのだ。
早く、こいつを倒さなくちゃ、いけないのに。
私は震える手を抑えた。
「……なんだ、私は安心したぞ。私のご主人様は、可愛い可愛い奴隷を傷付けることが出来ないと知って」
ライを殺すなんて、出来る訳がない……!
私ははっと顔を上げ、咄嗟に結界をかける。
ガィン!と弾く音が響いた。
後ろを振り向いた私は茶番は終わったのだと知った。
そこには、闇に紛れて佇むケルベロスがこちらを見つめていた。
「さあ、魔力を奪うのだ、エヴィよ」
そう言った魔王は何かをエヴィに与えた。
黒い飴玉のようなそれをエヴィは鋭い歯で砕き、飲み込んだ。
1つ雄叫びを上げたと思ったら、腕を横凪ぎに払った。
壊されるはずのない結界が、ビキビキビキと嫌な音を立て始めた。
「嘘、でしょう……?!」
「ほう、流石だな。聖女よ、エヴィに与えたあれは、何だと思う?」
そんなこと、知るか……!
答える余裕のない私を嘲笑うように魔王は言った。
「あれはな、幾つかに分けた今までの聖女の魔力なのだよ」
耐えきれなくなった結界が音を立て弾け、私は身体を壁に叩きつけられた。
痛みに動けなくなった私に魔王は立ち上がり鼻を鳴らした。
「ふん、つまらぬ。もう動けないのか。エヴィ、やれ」
現代人のなよなよしさ舐めんなよ……!
睨み付ける私に構うことなく、エヴィは大きな口を開いた。
瞬間、ぞわっと何かが抜けた感じがしたと思ったら、立ち上がる気力さえもなくなっていることに気付いた。
口を閉じたエヴィは、ごくん、と何かを飲み込んだ。
「……どうした、エヴィ。まだこやつは息があるぞ。いつもみたいに老婆のようにカラカラになるまで奪うの、だ」
静かな洞窟に、ぽた、という音が響いた。
いつの間にか人間の姿に戻っていたエヴィが魔王と重なっているのが見えた。