18
少々厚みのある布をぎゅっと結び終えて、私は腰に手をあて鼻を鳴らす。
「よし、出来た」
脱走する為のロープが。
生きるもの全てが消えてしまったかのような静寂の中、私はカーテンを引きちぎり、黙々と編んだ。
誰が脱走してはいけないと言っただろうか。
私が大人しくライと離れ離れになるはずがないだろう。
私は初めから、皆が寝静まる時を狙いライに会いに行くつもりだったのだ。
今なんか、生活する為の最低限の魔力しか使えないし、まともに対向出来るとは思えない。
それならば、脱走すればいいじゃない。なんて簡単なことだろうか。
音が鳴らないよう、静かに窓をあけ、ロープを垂らした。
重しは、重量感たっぷりの天蓋つきベッドの足だ。これならば、そうそう外れまい。
さあ、ライの元へ!
踏み出そうと上げられた足は、悲しくも再び同じ場所へと下ろされた。
「おや、どうしましたか?どうぞ、そのまま進んでください」
ええ、私もそうしたいですよ。
首にぴりりとした皮の切れる感触がなければな!
私が知っている中でこの気色悪い喋り方をするやつは、1人しかいない。
「……何で君がここにいるのかな」
アラン。
自分でも分かるほどの不機嫌な声色で問うと、やつが肩を竦めるのが気配で分かった。うざい。
「何故と言われても。私はただ仕事をしに来ただけですよ」
先程よりも強く走った痛みに息を呑むと、アランは耳元で笑った。
「貴女はもう、私には勝てません。魔法の使えない魔法使いなんて、ただの石ころと同じです」
おいおい、石ころ呼ばわりかい。
宝石になったつもりはないけれど、こいつに石ころ呼ばわりされるのは、とてつもなく癪だ。
私は足を少しだけ動かし、アランの足がある場所を確認すると、そこを思いっきり踏んづけた。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
首に当たっていたものが離れた瞬間、後ろを振り向いて、しゃがみこんだアランの顔目掛けて音がするくらいの速さで足を回す。
ごん、というアランと地面が衝撃的な出会いを果たした音が辺りに響いた。
再び静かになった部屋で完全に伸びているアランを見下ろして深く息を吐く。
アランよ、石ころを馬鹿にしたけど、分かってんの?
「石ころだって、目に当たれば痛いだろうが」
当たったことないけどね。
それにしても、学校で痴漢撃退法習っといて良かったわあ。
わざわざ学校に来てくれた警察官のお兄さんお姉さんに感謝感謝。
私はロープを伝って降りながらそう思った。
奴隷用の首輪とは、何と便利な物だろうか。
魔力と繋がってでもいるのか、何となく奴隷の居場所が分かる仕組みになっているらしい。
つまり、ライのGPSと言える。
複雑だが、首輪を外してなくて良かったと思ってしまう。
誘導されるように歩いていくと、ここで過ごしていた時は滅多に通らなかった別の棟へと進んでいっていることに気付いた。
侍女や執事たちが住まう棟だ。
主に下っ端の人達が、始めの頃過ごす場所だとアランから聞いたことがある。
こんなところに、ライが?
馬小屋とかじゃなくて良かったと思うべきだろうか。
自分のひねくれた思考に呆れながらも進んでいっていると、行く先に佇む人影が見えた。
こう、何で君たちは私の邪魔をするかねえ?
「どうしたの、サーヴェン」
「白々しい。お前がとぼけても砂粒ほども可愛くないことは分かっているだろう」
石の次は砂かよ。君たち自然が好きだね。
心の中でツッコみながら、足を進める。
サーヴェンの真横に来た時、声がかかる。
「行って、どうするのだ」
「どうするって、ライを連れて逃げるに決まってる」
「前のように魔力を使ってか?魔力も録に使えないのに?」
「………」
確かに。
私は少し魔法に頼りすぎていたかもしれない。
「賢明とは言えないな。逃げる時にあの奴隷が死んでしまうとは考えないのか?」
その言葉に、しゅるしゅると今まで膨らんでいた希望が萎んでいくのが分かった。
そうだ。ライは、私に着いてきただけの聖女とは無関係の人。私のように利用価値のある存在とは違い、殺されないとは限らないのだ。
さっき殺されそうになったけど。
まあ、あれは一回目の襲撃の時の殺気というのだろうか、そんなものがなかったから、本気ではなかったのかもしれないが。
足の止まった私に、サーヴェンは少し驚いたようだ。
なんだ、と呟いて不思議そうに私に訊ねた。
「そんなに大切なのか、あんな奴隷が」
「大切だよ。私の絶対の味方だもの」
そう、この世界で唯一信じられるもの。
だから私は壊れないでいれる。
目を合わせてそう言うと、サーヴェンはふっと力が抜けた笑いをした。
そのまま近くのベンチへ腰を下ろした。
「いいな、お前は。信じられるものがあって」
俺にはないよ。俯いているその表情は読み取れない。
けれど、私はそんなものに興味はない。
信じられるものがあっていいな?それをあんたがいうの?
あんたが。あんたたちが裏切った癖に。
沸々と沸き起こる怒りにいつもなら言わない言葉を抑えられなかった。
「私は、作ったの。信じられるものを」
あんたたちが。
「あんたたちが、私の絶対を、奪ったから!」
お父さん。お母さん。ただいま。好きだよ。ありがとう。美味しかった。楽しかった。またね。いってきます。どれもいつも言っていた、ここに来てから言えなかった言葉たち。
それをどうして、奪われなければいけなかったの?
目から口から身体中から溢れる感情に、私は、ああ、帰りたいな、と心から思った。
サーヴェンの目を丸くした表情を見たけれど、そんなことどうでもよくて、とにかく私は今、ライに会いたくて仕方がなかった。
「ライーーー!出てきなさい!命令よーーー!」
いつもならこんなこと言わないのに。
今日の私はどうかしている。
暫くして目の前の棟から飛び出してきた影に、私は力一杯抱きついた。
いつかのススキのようだと思った髪が、まるで私を慰めるかのように頬を撫ぜている気がした。