12
もしかしたら、いつかは私を裏切るかもしれないという疑念が頭の隅にあった。
それは最早トラウマに近い感情。
それが私のとんだ幻覚だったと実感した。
だから、どうか。
どうか、これ以上大切なものを奪わないで。
「ライ!」
ずるずると私に凭れるライの背中を触ると、ぬるりと気持ち悪い感触がした。
その感触にゾッとしたけれど、気持ちを落ち着かせて治癒の魔法をかける。
すると、苦しそうに息をしていたライの呼吸が正常に戻った。
そのことにほっとしつつ、ライと私に結界を張る。
最初から防御じゃなくて結界を張れば良かったんだ。
魔力は感じるくらいに消耗しているけれど、何て言ったって聖女だ。やはり何てことはない。
傷の痛みがなくなったことに気が付いたライは、立ち上がろうとしてまた私に凭れていた。恐らく目眩だろう。
すぐに治癒をかけたとはいえ、貧血になるくらいは血が流れた。
「すみ、ませ、サラさ、」
「うん、いいよ。それより、庇ってくれてありがとう」
そう言ってへらりと笑った。
今の精一杯のお礼だったんだけど、何故かライは、泣きそうに顔を歪めた。
目眩と戦っているライに家に入っているように伝え、さっきから静かに立っている影と向き合う。
一瞬だけ見ると影のように見えるが、よく見ると真っ黒なローブに包まれている。
背は高いが、体格はあまり大きくなく、一見男女の区別もつかない。平民や低級貴族が見ても、誰かは判別がつかないだろう。
だけど、このローブは、ディアボロの王宮の者だけが着れる貴重なもの。
そして、こいつは、
「……アランでしょ」
クッと思わず出たという笑いのあと、影はローブのフードを取る。
金髪慧眼のシュッとしたスタイルの美男子。
ディアボロの第一王子、アランだ。
「驚きました。どうして分かったのです?このローブを着ているからといって、私とは限らないのに」
「匂いがしなかったからね」
さっき、アランが私に近づいた時に、匂いが全くなかったのだ。
人には何かと個人独特の匂いというものがあるだろう。
だが、王宮で関わっていた時から、アランにはそれがないのだ。
そう答えると、アランは目を見開いてさも驚いたという表情をとってみせる。
「驚きました。先程の状態からでも冷静に分析出来るのですね。流石今までの聖女とは違います」
うっざ。
こいつのわざとらしい、演技がかった言い方は生理的に受け付けない。
「私を殺しに来たんでしょ?でも、もう結界張ったから手出し出来ないはずだよ。さっさと帰ってくれる」
「まあ、そう追い出そうとしないでくださいよ。時間はたっぷりあるんですから」
「時間があるとかないとかじゃなくて、私が君と話したくないんだよ。分かったら帰って」
はっ。しまった、つい本音が。
まあいいや。どうせこいつとは関わりたくないし。
しっしっと犬を追い払うように手を振ると、アランは堪らずといった風に腹を抱えて笑いだした。
なんだ、こいつ。とうとう頭がおかしくなったか。元からかもしれないが。
私が不審者を見るような目で見ていると、それが更にツボに入ったようで膝から崩れ落ちて地面を叩いていた。
それには流石にぎょっとして後退りしていると、アランは待って、ひぃ、待ってくださ、う、げほげほっ、と私を引き留めた。
「あー、初めてかもしれません。こんなに笑ったのは。お礼といっては何ですが、王様には告げないでおきますよ」
何のことか分からないと眉を潜めると、アランは肩を竦めて説明した。
「私は、実際には王子ではなく、王宮専属の暗殺者なのですよ。この演技がかった喋り方も、演技だからこうなるのです。まあ、ずっとこれにしていましたら定着してしまって、これ以外で話すと違和感を感じてしまうようになってしまったのですがね」
困ったものですよ、と眉を下げるアラン。
「何で、そんな面倒くさいこと、」
「都合よく顔のいい王子がいると思います?貴方たち聖女に気に入って貰えるよう、手配した時に偶々理想の王子像に当てはまったのが私の容姿だったのですよ」
それに、偽っているのは私だけではないですしね。とアランは、悪戯が成功した時のように、にやりと笑った。
なるほど、役割というのは、そこから作られていたのか。
1ヶ月一緒に過ごしていたが、全く気が付かなかった。
なので、とアランが続ける。
「暗殺者として、貴女が生きていること。この森に住んでいること。そちらにいる、奴隷を飼っていることを報告しなければいけないのですが、今回は楽しませて貰ったお礼に黙っていることにしますよ」
そちら、とアランが指した方向を見ると、家に入っているはずのライが家の壁に凭れてこちらの話を聞いていた。
「ライ!」
入っていてって言ったでしょうと駆け寄ると、ライは、だってサラさんが連れていかれると思って……と顔をくしゃりと歪ませた。
くそ!ここでまさかのデレ!!
最近なかったデレをされて、思わず抱き締めてしまった。
「大丈夫。もう、あそこにいる金髪は1人で帰るから」
き、きんぱつ……と力の抜けた声が後ろから聞こえるが無視。
「じゃあ、サラさんはずっとここにいますか?」
「うん」
「自分と一緒に居てくれますか?」
「言ったでしょう。ずっといるって」
私が背中を擦ると、腕の中から「はい、」と小さな声が聞こえた。
顔だけ後ろを向けつつ、「ということだから、早く帰って」とアランに告げた。
「そうですね、私はお邪魔虫のようですし。………それにしても、本当に醜いですね。私達に靡かなかったところを見ても、貴女、もしかして醜い人が好きなのですか?」
ひゅっと風のような音がした後、アランのすぐ近くにある木が爆発した。
アランは飛び退いて珍しく焦った表情で私を見る。
翳していた手を元に戻して、私は答える。
「顔のいい人間が全員、あんたたちみたいに本心見えなくて気色悪いやつばっかだとしたら、私は素直な化け物の方が何倍も好きだね」
これ以上アランの顔を見るのも嫌で、私はライを抱えて家に入ると、力一杯扉を閉めた。
今ちょっと扉から、してはいけない音が聞こえた気がした。きっと気のせい。うん。
暫くすると、扉からアランの声が聞こえた。
「また(殺しに)来ますね」
……来ますねの前に副声音が聞こえたような気がするのだが、私の聞き間違いだろうか?
私は今度から、暗殺者予防のため、結界の範囲を広げようと固く誓ったのだった。