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鬼譚―陰陽記―  作者: こ~すけ
第一章 月神の少女
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二.

「だーかーらー! 私、そんなの聞いてないわよ」

 朝一の騒動などどこ吹く風といった様子で、綾奈は踊るように軽やかに歩いている。そのたびに肩下まであるポニーテールの先が右にヒラヒラ、左にヒラヒラと揺れていた。

「分かったよ。そのことはもういい」

 そんな綾奈の後を追って俺は歩いていた。服装は、制服だ。

 あの後、結局綾奈の意見を受け入れる形で、俺も一緒に学校に登校することにした。他にやることもなかったし、午前中にレポートを済ませばいいかと思ったのだ。

 俺が素直に聞き入れたせいもあってか、綾奈の機嫌はすごくよくなっていた。それは綾奈の歩き方を見ればすぐに分かる。

「綾奈、授業の方はどうだ?」

 朝の話題が、ちょうど終わったこともあり、俺は話題を変えて綾奈に聞いてみた。

 綾奈は、澪月院の一年生で、今年の四月に入学したばかりだ。年齢としては俺の二つ年下になる。

 入学から約二ヶ月が経つ。

 今日までは特に気にしていなかったが、綾奈がうまくやっていけているのか突然気になったのだ。

 すると、綾奈は口をとがらせて言った。

「つまんない。符術(ふじゅつ)の初歩とか今さらやってるんだもん」

「まぁ、お前にはつまらないよな」

 ……だと思った。

「そぉ! 今日から実習だけど、内容は『炎弾(えんだん)』だし……さぼろうかなー」

「やめとけ。単位取れなくなるぞ」

「テストで点取ればいいんでしょ?」

「出席日数ってのがあってだな。休みすぎると、いくらテストで点取ってもダメなんだよ」

「えー……めんどくさーい」

 綾奈は心底面倒臭そうに言いながら、クルリと体を回転させた。

 スカートがそれに倣ってフワッと浮く。

 ……危なっかしい。

 綾奈のスカートの丈は短い。当然、動くとその中が見えやすい。つまり俺の目に白い太ももが眩しく映るということだ。しかもその動きを警戒心なく何度も繰り返すものだから、俺としては目のやり場に困る。

 ……俺を警戒しろとは言わないが、そういうところには気を配ってほしい。一応、俺も男なんだから。まぁ、朝一に寝床を襲撃しに来るくらいだから、綾奈はそんなこと思ってもいないんだろうけどな。

 そんなことを思いながらしばらく歩く。

 綾奈の踊るような動きも治まってきて、いつの間にか俺の隣をおとなしく歩くようになった。

「ホント、総真はそういうとこは真面目だねー」

 唐突に綾奈が言い出した。

「なにが?」

「ほら、さっきの話。テストとか出席とか。全部ちゃんと出てるもんね。それで主席なんでしょ? ちょっとはやるじゃない」

「お、おう……ありがとう」

 いきなり笑顔で褒められて、俺は恥ずかしながら動揺してしまう。

 こいつの笑顔は悔しいけど可愛い。不意打ちでくらうとどうしても心臓が大きく脈打つことになる。

 ――にしても俺を突然褒めるなんて綾奈らしくないぞ。

「さすがは私の家来!」

 ……前言撤回。思いっきりいつもの綾奈だった。

 しかし、家来とか言われると、案外リアルだからやめてほしい。というかすでに一部からは言われているし。

 まぁ、綾奈の家が家だからしかたないのかもしれないけど……。

 綾奈の実家、「月神(つきがみ)家」は陰陽師の八大名家に数えられる家だ。その影響力は、関東地方全域に広がるほどもある。

 俺たちの学校の通称が『澪月院(れいげついん)』で、さらに制服に刺繍してある月の文字もここからきている。

 他の家もそれぞれが各地方の陰陽師を統率していて、その八つの名家は、総じて『八神(やつがみ)』と呼ばれていた。

 そんな名家の長女である綾奈は、幼い頃から陰陽師としての英才教育を受けていた。そのため、実力的には同世代の生徒たちを軽く凌駕している。初歩の「陰陽術(おんみょうじゅつ)」をつまらないというのも当然だ。

 俺も同じ屋根の下で生活していることもあり、陰陽師の訓練は幼い頃から受けていた。しかし、そこで痛感するのは才能の差だ。

 やはり八神の直系である綾奈の力はすごい。俺より生まれた分だけ遅く始めた訓練も気がつけば追い抜かれている。

 それに負けないように必死に食らいついた結果、今の俺がある。それは間違いない。

 学年首席はその副産物のようなものだ。

 俺は隣を歩く綾奈に目をやる。

 微笑みながら、なにやら鼻歌を口ずさんでいた。

 俺が月神家で居候をしているというのは、学校のほとんどの生徒が知っている。昨年度までは綾奈の兄である月神聖斗(つきがみまさと)さんが在学していたし、今年度からは綾奈自身が入学してきたからだ。

 そんな月神家の人たちと親しい間柄の俺を見て、「月神の下僕」だとか「月神の家来」だとかやっかみを言うやつらがいる。

 俺も取り合わないようにしているが、なかなか煩わしくもある。

 周りがなんと言おうと、俺自身は月神の人たちを家族のように思っている。とても大切な存在だ。

 特に綾奈は、俺にとって妹のようなものだし、実際そういう風に接している。――本人はどう思っているかは別としてだが。

 俺の大切な家族を守ること。

 それが俺の信念であり、守るべき誇りだ。

 ……まぁ、そのおかげでこっちは死にもの狂いだけどな。

 綾奈は今でも十分強い。その綾奈が危機に陥るような敵、そんな敵から綾奈を守るためには、当然だがそれ以上の力がいる。

 その力を求めて毎日鍛錬を続けているが、まだまだ甘い。

 登るべき山は高々とそびえ立ち、山頂には霞がかかっている状態だ。……ホント、ため息が出るよ。

「ねぇ、総真」

 そんなことを考えていると、綾奈が俺の名前を呼んだ。

「ん? どうした?」

「あれ」

 綾奈は立ち止まると、道路の端を指でさした。

 その方向に目をやると、電柱の前、地面からちょうど人の頭くらいの高さまでの範囲が白く霞んでいた。その場所だけ薄く霧がかかっているような状態だ。

 霧がかかっている電柱の足元に目を向けると、まだ真新しい花束や線香の燃えかすが置いてあった。

 ……やっぱりな。

 それを見て確信を持つ。

 一度目を瞑ってから、今度は視線を白い霧に合わせた。

 すると、白い霧は徐々に形を形成していく。霧状から人型へ、そしてその人型が輪郭を表す。最終的には、白い霧だったものは、若い成人男性へと変わっていた。

 この技術は、所謂(いわゆる)霊視(れいし)」というやつだ。

 一般人でも素質がある人は、霊を見ることができる。しかし、霊の姿を四六時中見続けるというのは、精神力を消耗してしまう危険がある。

 人は通常の生活をしている場合、その能力に無意識にフィルターをかけている。そのフィルターをかけた状態で見えるのが先ほどの白い霧だ。この状態であれば意識して見ない限り霊体に気づかないことさえ多い。

 しかし陰陽師たちは訓練を行い、そのフィルターを任意に取り除く(すべ)を学ぶ。

 その技術を陰陽師たちは霊視と呼んでいる。

 例えると、カメラのピントを合わせる感じに似ていた。コツを掴めば誰にでもすぐにできるものだ。

 澪月院では、入学後すぐに霊視を教えられ、四月の終わりにはテストされる。これができないと前に進めないからその辺はすごくシビアだ。

 俺は霊体を確認すると、綾奈の方を見た。当然、綾奈も同じものを見たはずだ。

「……一昨日あった事故の被害者かな。救急車が走っているのは見たけど、ダメだったみたいだな」

「自分が死んだこと気づいてないみたいね」

「あぁ、学校に着いたら市役所に連絡しておくよ。あとは下級陰陽師たちが来て処理してくれる」

 こういった霊魂の処理。つまり除霊や浄霊といった仕事は、下級陰陽師たちの仕事だ。

 『鬼』たちは人の霊魂を食べることで力を得ると考えられている。やつらにとってこういった浮遊霊は絶好の獲物だ。放置しておくと『鬼』に吸収されてしまう。それは阻止しないといけない。

 霊魂の処理も陰陽師にとってはとても大切な仕事の一つなのだ。

「あっ! おい!」

 しかし、俺の言ったことを無視して綾奈は霊に近づいていく。

 そして霊の目の前に立つと、まるで相手が生きている人間かのように話しかけた。

「ねぇ、あんたもう死んでるのよ」

 両手を胸の前で組み、態度はいつもの上から目線――実際の目線は下からだが――だ。いきなり声をかけられた霊は驚いた表情で綾奈を見つめている。

「あんたは死んだの! さっさと成仏しなさい!」

 もう少し言い方があるだろう……。

 俺は、道の反対側でブロック塀に背中をあずけてその様子を静観していた。が、綾奈のあんまりな言い方に心の中で霊に手を合わせる。

 綾奈は言葉を続ける。

「事故で死んじゃったのは……その……ビックリしたとは思うけど……。けど! いつまでもこの世に留まってちゃダメよ。天国って分かるわよね? きっといいところだから早く行きなさい! 私が送ってあげるから」

 綾奈の口調はきつい。

 しかし、その言葉に心がこもっていることは俺のも伝わってくる。

 あいつは本気で死んでしまった男性に向かい合っているんだ。

 その必死さが霊にも伝わったようだ。霊はゆっくりと頷いた。

 綾奈も同じように一度頷くと、右手を霊に向かってかざした。

「清らかなる炎よ、迷える霊魂に光の導きを! 『浄火(じょうか)』!」 

 澄んだ声が空気を震わす。その声に呼応し、かざした綾奈の右手から淡い青色の炎が出現した。

 出現した炎が霊を優しく包む。炎に巻かれた霊が目を閉じる。その表情はとても安らいでいた。

 そしてその体が炎とともに空へと昇っていく。それは美しい光景でまさに天へと繋がる光のトンネルだ。

 その最後の残光が消えゆく前に、霊は綾奈に向かって口を動かした。

 ――ア・リ・ガ・ト・ウ。

 霊の口はたしかにそう動いた。

 俺は最後の光が消えるのを見送った後、まだ空を見上げている綾奈に近づく。

「綾奈」

 後ろから声をかけると、綾奈はビクッと体を震わせる。俺に背を向けたまま顔をゴシゴシと両手で擦った。

「な、なによ!」

 まだ背を向けながら、綾奈が言葉だけ強気で答える。

「規約違反だぞ」

 俺は間を置かず言った。

 規約とは、陰陽師の間で定められた『陰陽師職務規約(おんみょうじしょくむきやく)』のことだ。陰陽師の存在が公になり、職業として定着するにあたってできたものだった。

 その規約の中に「陰陽師として行うあらゆる行為は、職務上でのみ行使することができる」というものがある。言い回しは難しく感じるが、要は陰陽師の仕事を個人が勝手にするなということだ。

 学生や霊能力を持つ一般人が好き勝手に除霊や浄霊を行うことを禁止するための規約だ。

「そんなの知らない! 私の勝手よ!」

 綾奈は振り返って俺を睨みつけてくる。

 とても名家のお嬢様の言葉とは思えない。が、綾奈のことだ。そう言うのもなんとなく予想はできていた。

「今回は大目に見てやるよ」

「それはどうも!」

 そう言うと、綾奈は不機嫌そうな顔を背けてた。

 俺は苦笑しながら綾奈の肩にそっと手を置く。

「よかったな。感謝してもらえて」

 同時に今の綾奈がもっとも喜ぶだろう言葉を言ってやる。

 規約だのなんだの一応常識的なことは言ったが、俺は綾奈のこういうところが好きだ。

 無鉄砲で口が悪いが、必要な時はしっかりと人と向き合う。それが霊でも態度は変わらない。

 そんな風に生きられる綾奈を俺は羨ましく思う。

 そして同時に、俺にも少しは優しくしてくれてもいいんじゃないかと思う。朝のあの行動とか。

「――っ! うるさい! 総真のバカ!」

 ぽわっとした顔で俺を見上げていた綾奈だったが、ハッと目が覚めたような動作の後、俺の手を思いっきり払った。

 ……こういうところなんだよな。せっかく褒めたのに……そんなに顔も真っ赤にして怒らなくてもいいだろ。

「い、いきなり触るな! バカ総真!」

 そして顔を真っ赤にしたまま、俺を置いて走り去ってしまった。

 ……かなり怒らしてしまったらしい。喜ぶと思ったんだが。

「……あとでメール入れとくか。はぁ……」

 昔はもっと兄妹らしく仲良く遊べたのに、と思う。一時は「お兄ちゃん」とさえ呼んでくれていたんだけどな。

 俺はため息をつき。謝罪するためのメールの文面を考えながら、ゆっくりと学校へと向かって歩き出した。


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