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鬼譚―陰陽記―  作者: こ~すけ
第四章 守るべきもの
22/26

二.

 鬼打(おにうち)の原型である日本刀「(うち)(かたな)」より刀身が少し短い。一般的に「脇差(わきざし)」と呼ばれる分類の刀だ。逆にもう一本の刀は、「打刀」より刀身が長く、「太刀(たち)」と呼ばれる部類のものだ。

 わざわざ短い刀を抜くあたり、なにかあると考えるのが妥当だ。俺は手に持った自分の刀の握りと感触を確かめながら、意識を智也に集中する。

「では、申し遅れたが自己紹介だ。俺の名前はチヤ。『鬼人』の名に苗字はないからな。立花智也は偽名だ。とはいえ、今さら呼びにくかったら智也でかまわないぜ。……俺にとってもなんだかんだなじみ深い名前になったからな」

 智也――本名はチヤらしいが――が、丁寧に、そしてわざとらしくお辞儀をした。その前、頭を下げるまでの一瞬だけ、智也の表情にどこか寂しげな影がさしたような気がした。だが、次に頭を上げた時には、すでにいつもの笑みが顔に戻っていて、もう分からなくなっていた。

 俺は油断なく智也の動きを目で追った。

 ここはまず、じっくり動きを見極めていかないといけないな。

 俺がそう思った矢先だった。

「――この、裏切者ー!」

 俺も一瞬竦んでしまうくらいの絶叫と共に、沈黙していた綾奈が突進した。

 しまった! 綾奈のやつ、激昂してやがる!

 俺と智也が話す間に、混乱した頭の整理をしてくれれば……と考えていたのだが、それは逆効果だったらしい。綾奈は、頭を整理して冷やすなんてことはせず、整理できない問題をすべて怒りで燃やしてしまったらしい。

 疾走する馬のように、銀色のポニーテールをなびかして綾奈が智也に向かう。同時に右手も智也に向けている。

「『四式けっ――』!」

 『月の眼』を使った詠唱破棄からの結界の術。だが、綾奈がその術名を唱え切る前に、智也が動いた。持っていた脇差を、綾奈に投げつけたのだ。いきなりの投擲に、綾奈は体を必死に捻じってそれを避けた。脇差の刃が制服の裾を掠り、布地の一部が宙へと舞う。あの浅さでは身体的にダメージはないと思う。が、その代わり、術名は言い切ることができなかったため、術は発現しない。

 術名を唱えさせない――は、対人戦闘で有効な手段だ。特に、術が得意な陰陽師相手でこれができれば、相手を圧倒することが可能だ。しかし、実際にはそうそう上手くいかないのだが……それを智也は実践してみせた。

「――っ!」

 綾奈が、避けた拍子に崩した体勢の立て直しを図る。横方向へ流れた体を、片足でグッと支える。そして、その足を軸足にして、地面を蹴ると、再び智也に向かおうとする。

 しかし、それより速く、智也は綾奈の眼前に迫っていた。綾奈と智也の体が交錯する。

「綾奈!」

 俺が叫んだ時には、智也の拳が綾奈の腹部にめり込んでいた。

「かはっ……」

 苦悶の息を吐いて、綾奈の体が、智也に寄り掛かるようにして崩れ落ちる。

「しばらく大人しくしておいてくれよ、お嬢様」

「……あ、あん……た……やっぱり……さい……て……」

 綾奈は、智也へ悪態をつくと、ガクッと力尽きた。意識を失ったようだ。

 発現させていた『月の眼』が解けたために、髪の色が銀から元の栗色に戻っていく。

「……今頃気づいたのかい? ホントお人好しだな、お嬢様」

 智也は、意識を失った綾奈を片手で支えると、残った右手で腰のもう一本の刀をスラリと抜いた。夜の微かな光を反射して輝く刀身を見た瞬間、俺は背筋に冷たいものが走った。刀身は八十センチくらいだろうか。思った通りあれは「太刀」だ。しかし、あの刀から発せられる威圧感は、あの刀が通常の刀より長いからだけではないように感じる。……あれにはなにかある。

 しかし、それがなんなのかを考えている余裕はない。智也の手の中に綾奈がいる。気を失って、抵抗もできない状態でだ。智也の第一目標は、間違いなく綾奈なのだから、いつ殺されてもおかしくない。事態は切迫している。

 俺は、グッと足に力を込めた。智也の手から綾奈を奪い返すうまい手は、あまり思いつかない。しかし、諦めるわけにはいかない。最悪、相打ちでもいいから止めるしかないだろう。

 ……使うか。

 俺は左の手首に目をやる。そこには一枚の呪符が残っている。『封物』以外に仕込んでおいたもう一枚の呪符だ。しかし、使えるのは一回限り。外したり、さっきの綾奈みたいに妨害されたら終わりだ。残念ながら、俺には『月の眼』のような万能の力はない。とっておきがあることはあるが……あれは少し時間がかかる。

 呪符を使用するのはいいが、その初動を抑えられるわけにはいかない。智也に気づかれないようにしないと……。

 智也の動きを目で追いながら、ゆっくりと左の手首へ右手を伸ばす。しかし、

「おっと、二人とも動かないでくれるか? 動くと、俺の手が滑るかもしれない」 

 智也は、そんな俺の考えを見透かしたように太刀を綾奈の首元に持っていく。

 ……くっ、これで軽々しく動けなくなった。

 俺は唇を噛んだ。

 だが、智也も綾奈を簡単に殺す気はないようだ。まだ、奪還のチャンスはある。

「……アスカ、『鬼門(きもん)』を開け。お前は先に『鬼ヶ(おにがしま)』に帰るといい」

 智也が、明華に視線を向ける。突き刺さるような視線を受けて、明華はビクッと体を震わせる。

「聞こえなかったのかな? 『鬼門』を開けと言っているんだが」

 智也が口にする『鬼門』という言葉。あれは一般的に、方角を示す際に用いられる。北東、または丑寅(うしとら)の方角のことだが……そういう意味で言ったのではないだろう。智也は、「『鬼門』を開け」と言ったのだから。

 それにもう一つ、気になる言葉があった。

 ――『鬼ヶ島』。日本人なら誰もが知っている昔話の中に出てくる島の名前だ。それを今聞かされるとは思わなかった。いったいどういう意味なんだ?

 言葉の意味を探るように、俺は二人へ交互に視線を向ける。智也は、高圧的な視線を明華へ、明華はその視線に必死に抗おうとしていた。

 二人は、しばらく見合っていたが、やがて智也がため息をつく。

「アスカ……強情になったな」

 そしてニヤリと笑う。

「その強情さに敬意を表してやる。一つ取引と行こうじゃないか。お前が『鬼ヶ島』に帰還すれば、今日はこの二人を見逃そう」

「え?」

「見逃す。つまり殺さないと言ったんだ」

 ……見逃す、だと?

 智也の発言に俺は驚愕した。この襲撃のすべてである俺と綾奈を見逃すと言ったのだから当然だ。

「今日は、という条件付きではあるけど……いい条件じゃないか?」

 明華も驚いた様子だった。

「明華、止めろ。こいつの言うことは信用するな」

「おいおい、それは酷い言い草だな。お前を根本的には騙していたが、学校生活でお前を裏切ったことはないはずだぜ?」

「黙れ。今さら信じろって方が無理だ」

「……たしかにお前は無理かもしれないな。だがアスカ、お前なら分かるだろう。俺の性格をよく知っているお前ならな」

 智也が明華に語りかける。明華の眼が揺らいでいるのが分かった。

「明華、ダメだ。智也の条件を受けるな」

「アスカ、どうする? お前が『鬼ヶ島』に帰り、裏切りの報いを受ければ二人は助かる。それとも、ここで俺と戦うか? 俺はどっちでもいいぞ」

「…………」

 明華は 俺にゆっくりと視線を向けた。明華と目が合う。燃えるように紅く染まった瞳を見た瞬間、明華の考えていることが俺にも分かった。

「総真君……ありがとう」

 そう言うと、明華はスッと立ち上がった。

「……裏切りの報いは受けます。約束、守ってくださいますね?」

「明華!」

 俺は明華の名前を呼ぶ。しかし、明華はそれを無視して手をかざす。

「『鬼門(きもん)』!」

 明華が術を唱える。すると、地面から紫色の炎が立ち上がる。その炎は、横幅三メートルほどに広がると、ブワッと大きく燃え上がった。

 そして炎が消えた後には、鋼鉄でできたような重厚感のある両門扉が出現していた。門の両端には、紫色の炎が、台座で松明のようにして燃えている。門には、渦を巻く禍々しい装飾と共に『鬼』の姿が象られていた。

「約束は守る」

「……分かりました」

 智也の言葉に、明華が頷く。俺は、明華を引き留めようと一歩踏み出すが、智也から「動くな、総真」と制止をかけられる。綾奈を人質にされているため、逆らえない。

「『開門(かいもん)』!」

 明華が再び叫ぶと、扉がゆっくりと中へ開いていく。扉の向こうには、こことは違うまったく別の世界が広がっていた。

 その世界を一文字で表すと、『赤』だ。

 夕焼けのように赤い空、それに照らされているからだろうか、少しだけ見える海の色も赤だ。そして、ごつごつした岩が転がる陸地も赤く、そして荒涼としている。見える範囲では、草木の姿は見えない。

 ――これが『鬼ヶ島』か。こんなところに明華は帰ると言っているのか。

「明華!」

 俺は明華を見て、もう一度名前を呼んだ。すると、門の向こうに広がる世界を見ていた明華が、俺の方を向く。

「……総真君」

 その瞳は、これから起こることをすべて覚悟したかのようで、ある意味で達観している。

「ダメだ……行くな、明華。行けば酷いことになるんだろ? そんなこと……」

「ううん、いいの。これはワタシの意志だから」

「けど……!」

「いいの。ワタシは、もう自分の気持ちに嘘はつきたくない。ワタシは、片桐明華(、、、、)として向こうに帰る。あなたが愛してくれた『私』として生きる。だから……もうなにも怖くないよ」

 そう言って明華が微笑む。そして、自分の心からの想いを語ってくれている。

「ワタシ、あきらめない。どんなことがあっても、ワタシはもう一度あなたに会うために生きる。だから……だから総真君、あなたも生きて。生きてまた、きっといつか……会おうよ」

 俺の目頭が熱くなる。明華は、自分の人生を賭けて俺を生かそうとしてくれている。それなのに俺は……俺は、ほんの三メートル先にいる愛する人のそばに行ってやることすらできない。歯を食いしばって見つめることしかできないのだ。

「それに約束してくれたよね? このペンダントに誓ってくれたでしょ? 守ってくれるって」

 明華がペンダントを愛おしそうに手で包み込む。

 ……あぁ、約束した。なのに、今の俺はまるで無力だ。この状況でなにもできない。

「ううん、それは違うよ」

 そんな俺の考えを見透かしたよう、明華が首を横に振る。

「あなたのおかげで、ワタシは生まれて初めて、自分の気持ちのままに行動できているの。総真君、あなたがワタシに勇気を与えてくれる。今、この瞬間も、あなたはワタシを守ってくれている」

「明華……」

 明華が開かれた扉に向かう。

「あと、一つだけお願い。綾奈さんに謝っておいてくれる? 一晩待てなくてごめんなさいって……でも、できれば友達にしてくださいって言ってほしいな」

 扉の直前で歩みを止めて、顔だけ振り返った明華は、ちょっと失敗しちゃったな……という感じで、少しだけ舌を出して微笑んだ。

 ――そして、扉をくぐる。 

「明華!」

 俺は叫んだ。扉が徐々に閉まり始める。明華が俺の方を向く。

「必ず助けに行く! 俺が必ず! だから待っていてくれ! お前は、絶対に俺が守るから!」  

 明華が、目を閉じて頷く。閉じられた目蓋に押し出されるように、光の雫が明華の頬を伝う。

「また会おう! 絶対にだ!」

「うん、またね」

 明華が手を小さく振った。それは、下校の際に別れる時と同じ仕種だ。いつもの日常と同じ言葉と同じ仕種。……だから俺も、

「おう、またな」

 いつもと同じ言葉を告げる。「さよなら」は言わない。また会う、絶対に。

 そう心に決めた俺の目の前で、扉が完全に閉まった。そして、扉は再び紫の炎に包まれると、空間から消失した。


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