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鬼譚―陰陽記―  作者: こ~すけ
第三章 真実
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七.

 綾奈が手を明華に向けて言う。あとは術を唱えるだけで、いつでも明華を攻撃できる。だが、綾奈はそれをしなかった。

 手を向けたまま、無言を貫く。俺のいるところから少しだけ見えるその口元は、心なしか震えているように見えた。

「……あんたはもう終わりよ。あんたに私は殺せないし、総真にも指一本触れさせないわ! 諦めなさい!」

 再度綾奈が、今度は強い口調で言う。自分の意志を改めて明華に示す。しかしその一方で、「降参しろ」と言っているように俺には聞こえた。……綾奈が躊躇っているのが分かる。

 ――仕方ない、と思う。

『鬼』を殺すのとはわけが違うのだ。明華の見た目はほぼ人間で、しかもほんの昨日まで友人、もしくは知人というカテゴリにあったのだから。

「……諦める? そんな道があると思ってるの? ここで諦めたら……ワタシはなんのためにすべてを捨てたの?」

 綾奈の言葉に反応したのか、今まで黙っていた明華が呟くように言った。

「え……?」

 思わず綾奈が聞き返す。しかし、それには答えずに、代わりに明華は一歩前へ踏み出した。

「あなたさえいなければ……あなたさえ……」

 明華がまた一歩踏み出す。

「――っ! 止まりなさい!」

「いえ……あなたが『八神』の家系でなければ……もっとずっと……」

 綾奈の制止も聞こえていないのか、明華は静かに呟きながら一歩、また一歩と近づいてくる。その歩き方はどこか不自然で、抵抗する体を無理やり動かしているかのように感じる。

「ずっと……みんな一緒にいられたのに」

 そう言った瞬間、明華は伏せていた顔を上げて綾奈を見た。そして、手に持つ刀の切っ先を綾奈に向ける。――明華の長く黒い髪がフワリと揺らめいた。

「くっ……『四式結界』!」

 その動きに綾奈も危険を感じ取ったようで、顔をしかめながらも迷うことなく術を唱えた。しかし、明華の動き出しは、『四式結界』が発現を上回った。

 ……速い!

 明華の動きに俺は驚いた。今まで見てきた明華とは比べ物にならないくらいに速い。その速さは、人間の動きを超えている。ほぼ立ち止まった状態から、トップスピードに入るまでのタイムラグがほとんど存在しないから、余計に速く感じるのだろう。

 明華は、空撃ちにさせた『四式結界』を置き去りにして、まだあった綾奈との距離を超絶なスピードですり潰す。刀は刺突の構えを取っている。

「『一式結界』!」

 綾奈が叫ぶ。その次の瞬間、ギンッという鋭い金属の衝突音が周囲に響いた。それは、綾奈が発現した『一式結界』、に明華の刀の切っ先が衝突した音だった。今度は、綾奈の術が明華の動きを上回ったのだ。

 結界越しに二人の視線が交錯している。

 ほぼ眼前に刀の切っ先が衝突したため、少し顔を背けるような形になった綾奈と、歯を食いしばり、結界に刀を突き立てる明華。明華は、その端整な顔を歪ませ、決死の形相をしている。しかし、その両頬には、光る筋が一つできていた。

「……あなた」

 綾奈がそれを見つけて目を大きく開く。

 明華の両眼からは、涙が止めどなく流れていた。その涙は、俺に真実を語ってくれているように感じた。それを見た時、鉛のように重かった俺の体がスッと軽くなった。

「……その涙……それに、ずっと一緒にいたいって言ったの?」

 綾奈が、明華に問いかける。明華の発した言葉が気になったのだろう。綾奈から戦意が失われるのを感じた。明華の心に歩み寄ろうとしているのだ。

 そして、俺もまた、その涙と言葉に目を覚まされた。

 今まで停止していた脳細胞が動き出す。それまでの遅れを取り戻すかのように高速でだ。いろいろな出来事が俺の中を駆け巡っていく。

 ――この二年間のことから始まって、記憶はドンドン今日に近づいてくる。その中で少しずつ引っ掛かりのある点が、俺の心を引っ掻いていく。そして、特にクローズアップされたのが、昨日のショッピングモールでの襲撃事件。それと、今日この場で俺と綾奈が明華と戦っていることだ。

 そのすべてが噛みあった時、俺の頭の中に一つの閃きが起きた。それは本当に鮮やかで、衝撃的な閃きだった。

 その可能性を確信した時、俺の体に改めて力が戻るのを感じた。結局俺は、この大事な場面でも振りまわされ、情けない姿をさらけ出してしまった。

 あれだけ明華を守ると誓ったのに……『鬼』の有無なんて関係ないと自分で思っていたのにな。

 そう、関係ないんだ。例え、明華自身が『鬼』だったとしても、明華を守ることには。

 先ほどまでは、どう頑張ったって立ち上がることは不可能だと思えた足に力を入れると、意外なほどあっさりと上体が持ち上がった。

 俺自身の迷いも、これで本当に断ち切れたみたいだ。――これは綾奈のおかげかな。

 俺は、明華と対峙する小さな背中を見る。あの時、心が切れかかっていた俺を繋ぎ止めてくれたのは綾奈だ。綾奈の手のひらの温かさがなければ……あの微笑みがなければ、今頃俺はどうなっていただろうか。綾奈は俺を守ってくれたのだ。――だったら、

 俺は綾奈も守らないといけない。あの笑顔を失うわけにはいかないんだ。

 俺は、明華も、綾奈も守ってみせる。俺にとって、二人とも大事な人なのだから。

 完全に力が戻ったことを確信した俺は、素早く立ち上がる。そして、手首に巻いた呪符に手をやる。手首には、昨日と同じく『封物(ふうぶつ)』の呪符が仕込んであった。

 だが、それと同時に明華も動いた。綾奈の言葉で、少しの間硬直していたようだったが、自分の心に歩み寄ろうとする綾奈を振り払うように叫んだ。

「――っ! もう全部! 全部なにもかも遅いの!」

 そして、刀から放した左の手のひらを結界の壁に押し当てる。――まずい!

「『封物(ふうぶつ)』!」

「『鬼哭(きこく)』!」

 そう感じた俺が、『封物』の呪符から刀を取り出すのと、明華が聞いたことのない術を唱えたのは、ほぼ同時だった。

 明華が唱えた『鬼哭』という術は、発現した瞬間、耳を塞ぎたくなるような不協和音を轟かせた。次いで、綾奈の張った結界の全体にひび割れが生じる。そして、ガラスが砕けるように結界が破壊された。

 その衝撃で、綾奈が後ろに跳ね飛ばされて倒れる。戦意を失っていたために、体が術に対応できなかったのだ。

「うああぁ!」

 倒れた綾奈に、明華が声を上げて斬りかかる。その絶叫と共に、自分の想いも断ち切ろうとするように。

 だが、その一撃が綾奈を襲うより速く、俺は二人の間に体を割り込ませることに成功したのだった。俺は、刀で明華の一撃を受ける。明華は、一瞬何が起こったのか分からないといった表情を見せた後、ハッと気づくと、目を見開いた。

「……そ、総真君」

「総真!?」

 目の前で明華が動揺したように呟くのと同時に、俺の背後から綾奈も驚きの色が混じった声をかけてきた。俺は綾奈の方を向いて、「大丈夫だ」という意味を込めて頷くと、すぐに視線を明華に戻した。

「明華、もうやめるんだ……。お前は、こんなこと望んでないんだろう?」

 刀を交えたまま、俺は明華に問いかける。明華の顔に、はっきりとした動揺が見られた。

「明華、お前はさっきずっと一緒にいたかったと言ったよな? そんなこと、本当に俺たちを殺すのだけが目的の人間が言うわけない。お前が演じていたような人間なら、そんな言葉は出てこないし、そんな風に涙を流したりなんてしないはずだ!」

 俺は畳みかけるように明華に言う。あえて「人間」という単語を使って、明華の心を揺さぶる。

「……もう遅いよ。もう遅いの! ワタシは、取り返しのつかないことをしたんだよ!?」

 明華が刀に力を込めてきた。俺は、それを受け止めながら言う。

「遅くなんてないさ。今からだって十分間に合う。――お前は、俺が守るよ」

「……ワタシを守る?」

 刀に込めた明華の力が弱まった。そして、自ら後ろに一歩二歩下がると、腕をだらりと下げる。

「あぁ、約束する。お前を縛っているやつからも必ず守る」

 明華は俺の言葉を聞いて、弾かれたように俺の顔を見ると、驚きのあまりか刀を手から取り落とした。明華はそれを拾おうともせず、俺を見つめる。そして、声を震わしながら言った。


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