三.
「憩いの場」とは、このフロアの中心部、つまりショッピングモールの真ん中辺りにある場所で、買い物の途中に休憩ができるようになっている。
そこには自動販売機が並べられ、フルーツジュースやアイスクリームの店舗もいくつかある。
白い丸テーブルと四つのイスがセットで置かれ、そこに座って休める。テーブルやイスは二十セットくらいあるだろうか。かなり広いスペースが確保されている。
そのイスの一つに明華を座らせて、自動販売機でジュースを買う。
店舗のちゃんとしたやつを買ってあげたいが、今日だけは少し節約させてもらう。残念ながら俺の財布はかなり軽くなっていた。
ボタンを押すと、ガタン、ガタンと缶が落ちてくる。
明華にレモンティーを、そして自分用にブラックコーヒーを買って席に戻る。
見渡すと、他のテーブルの使用率は低い。昼が過ぎて時間として中途半端だからか。
「飲んだら? 落ち着くぞ」
「……ありがと」
明華にレモンティーを渡す。
その時、明華と目が合った。
……綺麗だな。
泣いている明華には悪いけど、涙とその奥の瞳に光が反射して宝石のように輝いていて、とても美しい。
このまま吸い込まれてしまいそうな。そんな魅力を感じる。
「総真君?」
「あぁ……いや、なんでもない」
明華に呼ばれて我に返る。
どうやら魅入っていたみたいだ。
俺は首を軽く振ると、明華の隣へ腰を下ろした。
――それからしばらく、俺たちはどちらから喋ることもなく無言で過ごした。
俺から喋りかけなかったのは、まだ涙が見える明華を無理に喋らせたくなかったからだ。
悪いことがあって泣いたわけじゃないし、落ち着いたら自分から喋りかけてくれるだろう。
だからそれまで待つことにした。
明華はレモンティーの缶に少し口をつけると、物憂げな様子でため息をついた。涙は収まったみたいだ。しかしその顔には、プレゼントを渡す前にも見た悲しげな表情が浮かんでいる。
「明華、なんかあったのか?」
「えっ?」
「なんだか悩みがあるように見えるから」
「…………」
俺の問いには答えず、明華は無言でスッと目を伏せる。
「……大丈夫。私は大丈夫だよ」
やがて明華が口にしたのは、一番当たり障りのない台詞だった。
それが本当に明華の真意なのか、それともその言葉の裏になにかを隠しているのかは俺には分からなかった。
ただ、具体的なことを話してもらえないのは悔しかった。
俺はまだそこまで信用されていないのだろうか。明華の悩みがなんであれ、少しでも力になれるなら俺はいくらでも協力するのに……。
「そうか。……もしなんかあったらいつでも相談してきてくれよ」
「……うん」
また俺たちの間に沈黙が訪れる。今度はどことなく重い沈黙だった。
とその時、どこからともなく音楽が聞こえてきた。
……携帯の着信音、か?
俺の予想は当たったようで、明華がその音楽に反応して自分のスマートフォンを取り出している。どうやらメールでも受信したようだ。
明華がスマートフォンを操作し始めると、俺は本当にすることがなくなってしまった。
……この空気から打開策を考えないとな。なにか話題になりそうなものでもあればいいけど。
ぐるぐると周囲を見る。話題になりそうな店や催しの情報を探す。しかし、都合よくそんなものはなさそうだ。
その時、視線の端で気になるものを見つけた。俺の視線から逃れるように物陰に隠れた人影があったのだ。
ん? あれって……。
体自体は隠れているが、商品棚の端から見慣れたポニーテールが揺れていた。「頭隠して尻隠さず」というが、その逆バージョンだ。いや、本来のポニーテールという意味で言えば合ってはいるが。
あのポニーテール、間違いない……綾奈だな。あいつ、俺を尾行したな。昨日の様子じゃ大丈夫そうだったのに。
ということは、今までの展開もすべて見られていたということか。俺たちが付き合っていることが完全にばれたと言っていいだろう。
まぁ、付き合っていることはばれてもいいんだが……面倒なのは綾奈の誘いを断って明華と買い物に来ていることがばれたことだ。
一般論でいえば相手が彼女だから優先したで済むかもしれないが、それが通じる相手じゃないのが問題だ。……帰ってから一勝負あることは覚悟しておくか。
それはそうとして、綾奈がいるのが分かった以上は放っておくわけいかない。いくら興味があったとはいえ、尾行がよくないのは明らかだ。
とにかく一旦帰るように言うしかない。話は帰ったら聞くと言えば、綾奈のやつもおとなしく帰るだろう。
俺が綾奈と話そうと、イスから腰を浮かしかけた。
「明華、ちょっと――」
「総真君」
だが、その前に明華の声が俺に制止をかけた。
「どうした?」
「……あのね」
俺が見た明華の瞳には覚悟がこもっていた。先ほどまでの雰囲気とは違って見える。
その瞳を見た瞬間、今まであった綾奈のことは頭から飛んでいた。
全神経を持って明華の言葉を聞かなければ。――そう感じた。
聞かなければなにか取り返しのつかないことになる。そういったある種の確信が俺の中にあった。
明華が大きく口を開く。そこから俺の求める言葉が紡がれる……はずだった。
しかし、明華の口からその言葉が出ることはなかった。
明華は、一瞬前までたしかにそこに宿っていた覚悟と共に瞳を閉じて、紡がれるはずだった言の葉を飲み込んだ口が震える声で呟いた。
「……ごめん、なさい」
それがなにに対しての謝罪なのか、俺が聞き返す間もなくそれは起きた。




