僕らを繋ぐモノ
書斎の書き物机の引き出しを開けようと手を引っ掛けさせる直前で僕はその自身の動きを止めた。そして手を引っ込めしゃがみ、そっと引き出しの裏側を覗く。
引き出しの出っ張りの裏側には案の定、裁縫針のように細く長い、鋭利な針が何本もびっしりと取り付けられていた。その切先は当然ながら触れた者の指を突き刺すだろう。しかもこの針達にはきっと毒が塗ってあるため、痛いでは済まず一気に昇天するはめになるに違いない。
誰の仕業かはわかっている。相手は毎日、ありとあらゆる手段で僕を殺しにかかってくるのだから。
僕は革手袋をはめ、冷静かつ慎重に針を取り除き処分した。そして少しだけ書類を記入する作業をした後に一息吐いていると、ドアがノックされた。
「どうぞ」
「ご飯、できたわよ。お仕事の方はもう大丈夫?」
僕が許可するとすぐに扉を開き入ってきた彼女は言った。長い髪にぱっちりとした大きな目。カットーソーに膝丈のフレアスカートを履いた上品な出で立ちの彼女が自分よりも先に、その背後の引き出しの方へ視線を向けたのを僕は見逃さなかった。
「家でやる分がちょうど終わったところさ。今行くよ」
僕は妻であり、そして毒針を仕掛けた犯人でもある彼女にそう告げた。
妻である彼女は僕のことを憎んでいる。そして殺そうとしている。
なぜならば、僕は彼女の両親を自殺に追い込んだ張本人なのだから。彼女は自分の両親を殺したも同然な僕に復讐しようとしているのだ。
僕を殺すために僕に近づき、僕の妻とまでなった彼女は常にその機会を窺うために僕のことを見ている。彼女が僕の命を狙っていることは最初からわかっていた。しかしそれでもあえて娶ったのはそんな彼女が面白く、また興味深かったからだった。
「今日はビーフストロガノフにバターライスかい? そしてサラダにコンソメスープ。今日もおいしそうだね」
「一流のシェフとかに比べたら全然よ。あなたがもの好きなだけだわ」
「僕は仕事じゃなくて心を込めて作られた君の料理が好きなんだ。一流さは求めてないし、食べ飽きたしね」
「……そう」
にこやかに微笑み掛けるが、彼女は素っ気ない返事とともにそっぽを向いた。大抵の女は顔を赤らめるなり喜ぶなりするのだが、彼女はそんなことでは落ちなかった。
僕はテーブルに並べられているスプーンを手に取るが違和感を覚え、彼女に言う。
「これは銀のスプーンじゃないね。柄のデザインに出っ張りがないし、光沢も違う。僕は器やコップ以外銀しか認めないのは知っているだろう?」
「……ごめんなさい。取り替えてくるわ」
キッと悔しそうな目で僕を見つめ唇を確かに噛み締めた後、彼女はスプーンを取り替えにキッチンへと消えていった。僕が普段指定している銀のスプーンは世界でただ一つのオーダーメイドで、模造品が作れないように特殊な細工を施させてあるのだ。そして常人には難しいだろうが、僕にはすぐに本物か偽物かの区別がつくようにしてある。
「はい、これでいい?」
キッチンから戻ってきた彼女はそう言って僕に取り替えてきたスプーンを渡した。わずかな出っ張りのあるそれは、紛れもなく本物の銀のスプーンだった。
僕はそのスプーンを使い、スープを掬う。するとスプーンが黒く変色し始めた。
「おっと、このスープには毒が含まれているようだ。これでは食べられない。非常に残念だ」
僕が大仰に嘆いてみせると彼女は鋭い眼差しで睨みつけてきた。今日もまた実に悔しそうに、僕のことを見つめる。
彼女はよく毒も盛ってくるから、僕は銀食器でしか食事はしないのだ。本来だったら食事を作らせるべきではないのだが、あの手この手と露骨に僕を殺そうとして失敗し、悔しそうな顔をする彼女の姿が僕は好きだった。いや、僕を殺そうと僕のことだけを考え、そして失敗する度に僕だけを射抜くように睨みつけてくる瞳が好きだった。
彼女は僕を憎んでいるから、殺意を持っているからこそ僕の傍にいるし、僕のことだけを見ている。僕が彼女の両親の仇でなければ、彼女は僕に近づきもしなかっただろうし、結婚もしなかったに違いない。彼女が妻であるということを利用して、その身体を弄んだり奉仕させたりと色々することはできたが、そこに愛はなかった。
いつか僕を殺すことを諦めてしまったら、彼女は僕に何の興味も関心も示さなくなるに違いない。もしかしたら僕から離れていってしまうかもしれない。優しくしつつも煽り続けてはいるものの、その不安は常に僕につきまとっていた。
彼女にずっと僕だけを見ていてもらうには、常にその心に刻み込ませるにはどうすればいいか?
僕はそれをいつの日からかずっと考え出していた。そして思った。
「コーヒー、喉が渇いたりしていると思って淹れてきたわ」
ある時、書斎にてパソコンでの作業に追われていると、彼女がお盆を手にやってきて、ソーサー付きのそのカップを僕の横に置いた。
コーヒーはブラックを僕は好むのだが、スティックシュガーとスプーンがソーサーの上には乗っていた。
今日はあえてスティックシュガーの袋を開けコーヒーの中へ入れる。そしてスプーンを持ち、混ぜる。案の定、スプーンの柄に出っ張りはなかった。しかし僕はそれを彼女に指摘したりはしなかった。
彼女は誰かを殺したことなんてきっとないし、毒を盛ったりはするものの料理、掃除、洗濯等の家事はきちんとこなすし、こうやって僕に対して細かな気遣いを見せたりとなんだかんだで優しい。だからきっと僕が彼女が殺めた人間第一号になれば生涯、仇とはいえ罪悪感に苛まれてくれるだろう。一生僕のことをその心に刻み続けるのだ。僕のことを常に考えずにはいられない。それなら死んでも本望だ。
僕は砂糖を混ぜ終えるとカップを持ち上げ口元へ近づけた。
「駄目!」
口を付ける直前でそんな叫び声と一緒に思い切りカップをはたかれた。予想外のことに僕は自分の服にコーヒーをぶちまけ、カップを床に落としてしまった。
コーヒーの熱さを感じるよりも先に僕は彼女を凝視した。彼女も自身の行動に驚いたかのように目を見開いていた。
しかし僕の問うような眼差しに耐えられなくなったのか、唇をギュッと引き結ぶと背を向け、書斎から逃げ出していった。
僕は呆然とするしかなかった。けれどすぐに彼女の後を追いかけた。
その真意を知るために。
END.




