6.『帰る者 2』
舞の死亡報告を聞かされてから、京也はずっと任務を与えられず城に待機させられることになった。
あの後も城には火楽によって、いくつもの村が全滅させられたという報告が入ってきている。襲われた村の人間は、一人残らず焼き殺されていたらしい。
あまりにも強力な火楽の出現に、琳世以外の人間は情報収集やバックアップにまわるしかなくなっていた。砦には次々と、火楽に殺された村の情報が寄せられている。
そしていずれは琳世を越え夏国最強の掃火となるであろうと噂される京也は、もし琳世に何かあったときに京也まで同時に失うことは決してあってはならないとして任務から外されていた。今回の火楽はそれほど危険だと目されていた。
あの時もそうだった。舞が今回の神器持ちの火楽の討伐隊に選ばれたとき、同行したいと京也は申し入れた。しかし琳世が同行する以上、京也の同行が許されることはなかった。
火楽の凶行が城へと報告されるたびに、京也の胸に歯がゆい、いや胸が掻き毟られる思いが走る。
「舞…」
部屋にいても思い出されるのは舞のことばかりだった。
もう一週間以上、舞の顔は見ていない。任務で同じくらい離れていたことは何度かあった。
でも、それとは違う。
舞が帰ってくることはもう無い…。
信じられなかった。孤児院にいたころから、ずっと一緒にいた。孤児院を出る年齢になると京也は両親を殺した火車に復讐するため、掃火を目指した。千香も同じだった。舞は夏国に残る良家の奉公人に選ばれることができた。
そこで安全に暮らしてくれるものだと思ってた。自分が夏国を守れる掃火になれたなら、舞の暮らしも守っていけるのだと、そして時間があるときに会って笑顔で話せるのだと思ってた。
しかし、予想しなかったことに、舞は掃火の門戸を叩いた。京也も千香も驚いた。舞は体が弱かった。病弱というだけでなく、自分たちと一緒に暮らしても驚くほど筋力や体力がつかなかった。まるで体の作りそのものが違うように。だから、掃火になることを目指すなど夢にも思ってなかった。
舞は自分たちだけでなく、彼女の能力を測った訓練官たちにも止められたが、必死に首を振り掃火の訓練生として残った。
それから3年、やはり舞は掃火として失格の烙印をおされつつあった。
仕方ない…。すぐに怪我をする弱い体、筋肉の付かない四肢、霊力も人並み程度にしかない。舞は努力を重ねたが、それでも掃火と名乗るに足るだけの実力は付くことがなかった。
彼女の霊具は拳銃型。火車に対してほとんど有効ではないといえるそれが与えられたのは、とても単純な理由だった。火車に殺されるより、世が乱れて溢れている暴漢どもに殺されてしまう可能性のほうが高い。
だから彼女の身を案じるものたちから、人間相手には少なくとも有効な霊具を護身用として与えられていた。
旅立つ前の、舞の姿が思い浮かぶ。
ちょうど冬明けが近づき、京也が三年前に掃火としてもらった初めての報酬で買った厚衣をようやく脱いだ頃だった。新しいものを買えると言っていたのに、首を振ってその一枚を大事そうに着ていた。
「本当に行くのか…?」
「うん…。きっと私がこの任務に選んでもらえたのは理由があると思うの。じゃないと、こんなに弱い私が琳世さまの同行隊に選ばれるはずないもん」
「それでも危険だ。やめたほうがいい!」
それから舞は少しさびしそうに微笑んでいた。
「京ちゃんは本当に凄いよ…。この前は、あの琳世さま相手に、一本をとってしまったし」
「あれは…。訓練のことだし、たまたまだ」
掃火になった舞は、京也や千香のことを時々まぶしそうに眺めるようになった。
「ううん、今まで琳世さまから一本を取った人はいないって聞くよ。だからね、私も少しでも強くなりたいの。わずかでも強くなれる可能性があるなら。私にも何か可能性があるなら…。だから、行きたいの。京ちゃん、お願い」
あの時、強引にでも止めておけば…!
そのとき不意に、沈んでいた意識が気配を感知した。
(火車の気配!こんなところで!?)
霊具である刀を取り、部屋を出る。部屋を出ると、隊長や千香、仲間が同じように霊具を持って部屋から出てきていた。
「感じたか?」
「はい!」
掃火の砦であるこの場所に、何故火車が。そしてさらに気配を探り気づく。
(この場所は…!)
「待て、京也!一人で行くな!」
止まらなかった。何故、よりによって舞の部屋なのだ。舞の死までもが嬲られたような気がして、どす黒い憎しみがこみ上げる。
許せなかった。舞を殺した火楽が、それの傀儡たる火車たちが。
全力で廊下を走りぬけ、舞の部屋まで至る。気配を殺し部屋に突入すると、火車は気づいていないようだった。
間抜けな奴だ。
そのまま無言で切り捨てるつもりが、声をかけたのは薄暗い闇で見える姿が、あまりにも人間に近かったからかもしれない。
「こんな場所に何故、火車がいる。何が狙いか知らないが、掃火のアジトに進入したんだ消えてもらうぞ」
その胸に宿る幻炎が、京也の心を復讐に駈りたてる。そういって、その火車を一太刀にしようとしたとき、隊長の静止が入る。
「待て、こんなに人に近い火車みたことがない。行動も異様だ。何か聞きだせるかもしれん」
心の中で舌打ちする。
よりによって舞の部屋を荒らした火車なのだ。はやくこの世から消しさってしまいたかった。千香も同じ気持ちだったようだ。
どうあれ決して逃がすつもりはないと刀を突きつけ、火車を油断無く見る。火車は何故か一歩も動かない。普段なら暴れまわるか、逃げようとするに違いないのに、一度体を震わせただけで、あとはただ座り込んでいる。
妙な火車だった。そして何故か、その後姿に見覚えがある気がした。よくわからない何かが、胸に訴えかけてくる。
「化物よ。我らの言葉がわかるなら、こちらを向け」
本当に人間の言葉がわかるのだろうか。
その火車は、ゆっくりと体を回しこちらを振り返った。
***
舞は振り返った瞬間、京也たちの顔が驚愕に彩られたのを見た。
「ま…い…」
みんなの口が、茫然と舞の名を呟くのが聞こえる。
舞の目が、また涙で滲んだ。ひと粒、ふた粒、雫になったそれが頬からこぼれていく。
(ああ…、京ちゃんの顔だ…。みんなの顔だ…)
また見ることができた。
不思議だ。もう自分は死んだのに、目からはまだ涙は流れるのだ。
誰もが立ち尽くし動けない。
「京ちゃん、ちーちゃん、ごめん…。わたし…わたし」
舞も何を言えばいいのかわらかなかった。
何に謝ったのか…。死んでしまったことか。火車になってしまったことか。ただ、もう一度、声を聞きたくて、話をしたくて、声を出し続けたのかもしれない。
一番、はやく立ち直ったのは隊長だった。
「舞…。まさか、火車になってしまったとはな…」
苦しそうな顔でそう呟くと、一歩舞との距離をつめて刀を振り上げた。
「悪いが火車となったからには討伐させてもらうぞ」
薄暗い闇に、白刃がきらめく。京也も千香も、表情無く立ち尽くし動けない。
舞は振り上げられた刀を見て叫んだ。
「待って、待ってください…!わたし、何か何かを…」
何か…。何かを…。
そうだ。伝えなきゃいけないことがあるのだ。
京ちゃんに…。
京ちゃんに伝えなきゃいけない。
何か。何か大切なことを。
「わたし、伝えなきゃいけないことが」
必死に声を出す。思い出せない何かを探して。
「すまないが、火車となったものを放っておくことはできない。許せ!」
苦渋の顔と共に刀が振り下ろされ、舞は目をつぶった。
今度こそ終わりだと思った。
「あんまり、僕の小鳥(しえな)をいじめないで欲しいな」
声が響き、キンッと鉄がはじかれる音がした。振り下ろされたはずの隊長の一撃は、いつまで経っても舞に届いてこなかった。
恐る恐る目を開けた舞の目に映ったのは、京也たちの前に立ちふさがる氷煉の背中だった。
「氷煉さま…」
茫然と呟く舞に、氷煉は微笑みながら舞に手を差し伸べる。
「大丈夫だったかい?舞」
「は、はい…」
氷煉の腕に手を置き立ち上がろうとして、舞は腰が抜けてしまっていたことに気づいた。
突然の氷煉の出現で、隊長だけでなく京也たちも少し正気を取り戻す。
「火楽だと…」
隊長は驚愕の混じった呟きをもらした。
まさか火車だけでなく火楽までもが、掃火の砦たるこの城に侵入してるとは思っていなかった。
「そうだよ。僕がいたからよかったものを、あんなのを振り下ろしたら舞が壊れてしまうところだったじゃないか」
4人もの掃火が相手なのに、舞の主の口調はどこか余裕があった。
「貴様が、舞を火車にしたのか」
どこか怒りを含んだ声は、正気を取り戻した京也だった。目の前に現れた火楽を、眼光だけでも殺そうとするように睨みつけている。
そんな京也の言葉に、氷煉は余裕の笑みを返し、舞の体を抱き上げその腕に収めて見せた。
「そうだよ。舞は僕の大切な火車だ。乱暴にはあつかわないで欲しいね」
「きさま!」
どこか挑発するように舞の頭を胸元に引き寄せた氷煉に、鋭い横なぎが頭を狙い放たれた。
「おっと」
「氷煉さま!」
心配で声をあげてしまった舞だが、氷煉はそれより前に神速と呼ばれる京也の一撃を軽い調子で避けてしまった。
「あんたよくも舞を!」
今度は、千香の符術が発動しようとした。
「やれやれ、そんなの撃ったら舞の部屋が壊れてしまうじゃないか」
氷煉が手をかざすと、符術に集められた霊力が霧散する。
「なっ!?」
あっさり術をかき消され、千香は驚愕する。
「落ち着くんだ!かなりの力を持った火楽だ。連携して戦うぞ!」
そういいながら、隊長は軽い符術を放ち氷煉をけん制したあと、はじけ飛ばされた刀を取りながら、氷煉の後ろにまわる。
「氷煉さま、どうしましょう…」
本当に囲まれてしまった。心配そうに声をあげる舞に、氷煉はまだ余裕のある表情で言葉を返す。
「そうだね、ここは逃げるが勝ちかな」
「逃がすと思ってるのか!」
そう叫ぶ京也を無視するように、氷煉は舞を見ていった。
「舞、何かひとつ大切なものを取りなさい」
「え、は、はい!」
氷煉にそういわれ、舞は腕の中から手の届きそうな荷物をひとつ取る。
「さて、再会も済んだようだし、ここは一旦引かせてもらうよ」
氷煉はそう言って、空中に何か陣を描いた。すると、舞を腕に抱いた氷煉の体が、霞みはじめる。
「馬鹿な、これは。転移術だと!」
「くっ、待て!」
次の瞬間には、舞の姿も、氷煉の姿も部屋に無かった。
4人の掃火たちは、荷物の乱れた部屋で茫然と立ち尽くす。
「転移術をあんな一瞬で発動させるなんて…!」
「いったいどれだけ力をもった火楽なのだ」
火車となってしまった舞、そしてその主人を名乗る火楽の力。あまりにも驚愕の連続だった。
「舞…」
京也は氷煉たちの消え去った部屋で刀を握り締め、さっきまで舞のいた場所を見つめ呟いた。
***
転移の術で舞たちは、掃火たちの砦から一里ほど離れた場所に移動していた。
「ふう、危なかったねぇ」
言葉とは裏腹に、なんとも余裕そうな氷煉の姿に、舞はため息を漏らす。
「氷煉さまは、何か全然平気そうでしたね…」
そんな舞を愛でるように、氷煉は舞の頭を撫でる。
「それで何か持ってこれたかい?」
そういわれ、舞は手にもったものを見る。ひとつは京也たちに見つけられたときに持っていた厚手の着物だった。
そして…。
「ん、それはなんだい…?」
舞はが持ってきたもうひとつのもの。氷煉が首をかしげてそういうのを聞いて、自分の咄嗟にとったものを隠したくなった。しかし、見せないわけにはいかないのだろう。
舞が両手に持って氷煉の顔の前に出したのは、ぴらっとした一枚の紙。舞が少し恥ずかしそうに氷煉に表を見せたそれには、先ほど部屋にいた青年の姿が書かれている。
去年の花見の折に、京也の絵姿を書いてもらった時の紙。
「うーん、それは…」
恥ずかしそうにそれを見せている舞に、氷煉は苦笑を見せた。
「手がかりにはなりそうにないね」
「はい…」
舞はちょっと落ち込んだ。