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ホワイトデーには彼女にクッキーを。

作者: starsongbird

「どうして三月十四日っていうのは盛り上がりに欠けるんだろう」

「ふむ、鳴神はホワイトデーに心ときめかないのかね?」

 彼女の言葉に、僕はこくりと首を振る。

「そうか。私は楽しいイベントだと思うのだがな」

 彼女は苦笑しながら、金網に少し身を預ける。ホワイトデーを二週間後に控えたこの時期、校舎の屋上を流れる春の小さな嵐に、彼女の長い髪がそよいでいる。

「ふむ。私が思うに、鳴神が盛り上がらない理由は二つある」

 夜の帳が降り始める中、彼女は僕に指を二本立ててみせる。

「一つ。義理チョコに義理で返すものだから。心ときめく理由もないので盛り上がらない」

「そうだね。義理と義理じゃあ、甘みがまったくない」と僕は頷いてみせる。

「もう一つ」

 彼女はなぜか意地悪そうな笑みを浮かべる。

「本命チョコをもらったリア充なんて爆発すればいいと思っているから。そう思うからには、もちろん鳴神は本命チョコをもらっておらず、つまりはバレンタインに可愛い女子から告白もされていない。そうではないかね?」

「……相変わらずひどい言いぐさだ」

 僕の言葉に、彼女はくくっと笑ってみせる。

「いやはや、こんなことなら私が鳴神にチョコをプレゼントすれば良かったかな。屋上でチョコをもらう光景は、さぞや美しい青春の一ページになったことだろう」

「君からチョコをもらうなんて気はさらさらないけどね」

 僕の言葉に、彼女はまたもや笑ってみせる。今度は腹まで抱える始末だ。

「そうだな、君が望まないことを私がする訳もあるまい。それにしても、やはり君とこうして話すことは楽しい限りだ。この感謝を形にする意味で、君にチョコをあげても良かったかもしれんな」

「いやいや、本当にご遠慮させていただく」

 僕は両手を振って辞退する。

「まあいいとしよう……ふむ、日も落ちたことだし、今日はこのくらいとしておこう。鳴神、気が向いたら明日も訪ねてくれ。私はここで待っているからな」

「ああ、また明日」

 僕の言葉に、彼女は金網にもう少し体重をかける。


 と、そのまま彼女の姿は金網を突き抜け、そして、夕闇の中に溶けていった。


「さて、僕も帰るか」

 彼女の消えた空を少し見つめた後、僕も踵を返して屋上を後にする。


 そう。

 僕の青春の一ページとやらには、幽霊と話す放課後がある。



 初めて彼女と出会ったのは、もう一年以上前のことだ。

 その頃の僕は、高校になって入ってみた美術部で、やったこともない油絵を先輩に教えてもらいながら描いていた。その先輩はもう卒業してしまったけど、素人の僕に根気強く付き合ってくれた。おかげで今の僕は新入生に基本中の基本くらいは何とか教えることができる。

 そんなある日、一年生みんなに課題が出た。

「冬休み明けまでに、何か作品を仕上げてきてくださいね」

 ともすればずり落ちてしまいそうな眼鏡をかけた部長の言葉に、周囲のみんなは描きたい絵について話し合っていた。静物がいいとか、家の猫を描いてみるとか、誰々君をモデルにしたいとか。

 そんな中。

 秋の夕焼けを描いてみよう。何となく僕はそう思って、何となく校舎の屋上にイーゼルを立てた。

 校舎の屋上から見える夕焼けが見事だとか、夕焼けの中で練習に励むみんなの姿を描きたかったとか、別にそういう理由はない。

 そう、ただ何となく、一人でいるにはいい場所かなと単純に思って、僕はイーゼルとキャンバスを抱えて屋上に向かったわけだった。


 別に、人と話すことは苦ではない。

 みんなで馬鹿騒ぎしたり、遊びに出掛けることも嫌いなわけじゃない。

 だけど。

 楽しく喋っていたり、みんなと一緒に大笑いをしていたりしてる最中に、ふと僕に訪れる、『何かがずれてる』という感覚。楽しいのに、嬉しいのに、なぜかずれてると思ってしまう自分のいる感覚。

 その感覚が湧き起こるのが嫌で、僕は時々みんなから離れたくなる。その時もきっと、そんな時々の一つだったんだと思う。

 だから、夕陽が落ちていく方角を確かめ、イーゼルにキャンバスをセットし、金網の向こうに見える夕焼けを眺めた僕は、つい「あーあ」とため息をついてしまった。

 その時だった。

「ふむ。ここの夕焼けは、ため息が出るほど美しいものだったかな?」

 背後から聞こえたその声に、僕は思わず振り返っていた。

 僕よりも少し高いかもしれない、しなやかな影。

 腰まで垂らした長い黒髪。

 整った顔立ちと、吸い込まれるような深く澄んだ瞳。

「何かおかしなことを言ったかな?」

 彼女の声に僕は我に返る。

「あ、いや、人がいるとは思わなくて」と、僕はしどろもどろに返事をする。

「金網越しの夕陽なんて絵にならないな、と思って嘆息したといったところかな」

 僕の言葉に構わず、彼女は僕の方へと足を進める。こつこつ、と彼女のソールの音が屋上に響く。

「まあ、そうがっかりすることもないさ、絵描きの少年」と、彼女はくくっと笑ってみせた。その態度に、僕は少し我に返った。

「少年という言い方は、正直かちんと来ます」僕の言葉がようやく耳に入ったのか、彼女はああ、すまないと手を振る。

「これは申し訳ない。では、君のことは何と呼ばせてもらおうかな」

 上級生のように見えるけれど、彼女の言い方はあまりに上から目線に思えて、僕はむっとしながら応えた。

「……鳴神です。鳴神、明海」

「ふむ。神が鳴るとはいい名前だな。さしずめ今は腹を立てての唸り声、というわけか」

 またもや彼女はくくっと笑う。その態度に、さしもの僕も彼女に食ってかかろうとした。

 その時だった。

「……そろそろ頃合いだな。鳴神、お詫びに『いいもの』をお見せしよう」そう言って、彼女は僕の肩越しに指さした。

「何があるって―――――――」

 振り向き、そして僕は言葉を失った。


 そこに見えたのは、赤く紅く世界を染め上げる、燃え上がるような夕陽の色だった。

 遙か向こうのビルの谷間に沈もうとする夕映えが、校舎の華奢な金網を溶かし、世界を夕焼けの黄昏色に造り替えていく光景だった。

「なかなかのものだろう? 慇懃無礼な口調のお詫び代わりとでも思ってほしい」

 そう言った彼女の顔も姿も朱に照らされ、僕にはまるで輝くように見えた。

「見たところ美術部の部員といったところかな? 屋上を選ぶとは目の付け所は悪くはない」微笑む彼女に、僕はようやく口を開くことができた。

「……あなたは?」

 あなたの名前は? と問うはずだった僕に、彼女はこう返答した。

「わたしか? わたしは、『この街の守護者』だよ。以後よろしくな、鳴神」

 夕焼け空の校舎の屋上でぽかんと口を開ける僕の前で、『この街の守護者』はくく、と笑うと、茜色の世界の中にすっと消えていった。

 それが、僕と彼女――名前のない、この街の守護者との出会いだった。



「ほう、鳴神もチョコをもらっていたのか」

 彼女の言葉に、僕は大きくため息をついてみせる。

「そりゃあ、美術部には女子が多いからね。義理チョコのおこぼれに預かってるわけさ」

 次の日の話題も、一ヶ月は前になるバレンタインデーの話だった。

 幽霊(この呼び方をすると、彼女はちょっと不機嫌になる)とはいえ彼女も女の子というわけか、どうやらバレンタインやらホワイトデーといった話には興味津々らしい。そういえば、去年も「鳴神はどうだ、チョコはもらったのか」と何度も聞かれた。大きなお世話というやつだ。

 それが今年は義理でもチョコをもらったというのだから、彼女としては楽しくて仕方がないのだろう。

「義理とは言え、他人から何かもらうのは嬉しいことではないかな?」

「義理に心がこもっているとでも?」昨日のやり取りを思い出しながら、僕は苦々しい顔で答える。

「ああ、昨日のことを根に持っているのなら許してくれ。悪気があって言ったことではないよ」苦笑を浮かべながら、彼女は僕に謝るような仕草をしてみせた。

「しかしな、鳴神。君が義理だと思うがゆえに、そのチョコは義理チョコになる、そうは思わないかな」

 おかしなことを言い出した彼女に、僕はやれやれと首を横に振る。

「義理チョコは義理チョコだよ」

「ふむ。とはいうものの、世の中の男子全てが義理チョコをもらえるというものでもあるまい」

 そう言いながら、彼女は僕の前でくるくると回ってみせた。

「いいかな、君の社会には『袖振り合うも多生の縁』という言葉があるだろう。チョコをもらう自分と、チョコを渡す誰かがいれば、それだけで縁は生じているというわけだ」

「だからと言って、それが好意とは限らないだろう」

 何となく自分がみじめな気持ちになりそうな話題だ。そう思いながら僕は彼女に反論を試みる。

「それを好意だと感じてたら、そりゃストーカーだよ」

 僕の言葉に彼女は舞を止めると、いつもの意地悪な笑みを浮かべる。

「ストーカーと来たか。ああ、確かに君の言うとおりだな。これはいい」何が面白いのか、彼女はくくっと笑い出す。

「まあいいとしよう……そう言えば、今日は今から部室に向かうのだったな」

 ああ、と僕は彼女に答える。放課後は毎日ここで彼女と喋っているけど、美術部の定例会の日は部室に顔を出すことにしてるのだった。

「お別れするのは残念だが、まあ仕方があるまい」そう言うと、彼女は校舎の縁へと足を向ける。また明日というわけだ。

 と、彼女は途中で歩みを止めて振り返った。

「……ふむ、今日は鳴神に一つアドバイスをしてみることにしよう」

「?」

 怪訝そうな顔をする僕に、彼女は少し笑みを浮かべながら口を開く。

「義理チョコをくれた女子たちを、今日は部活の時に眺めてみるといい」

「……なんでだ?」

 僕の問いに答えることなく、彼女は再び僕に背を向けて歩き出す。

「長くも短い青春時代だ。愚にもつかんと思うようなこともやってみるといい。振り返れば楽しい想い出にもなるさ」

 軽く片手を上げると、バレンタインデーの話題が好きな『この街の守護者』は、いつものように消えていったのだった。



「―――ということで、本日は以上です。皆さん、おつかれさまでした」

 少しずり落ちた眼鏡を直しながら、おさげの部長が定例会の終わりを告げる。

 荷物を片付けて家路に向かうやつもいれば、描きかけの作品を仕上げようとキャンバスをセットしようとする部員もいる雑然とした部室の中で、僕は軽く伸びをする。

 彼女の言うとおりにしてみたけれど、別に何もないなと独りごちながら。

 部活の間中、とりあえず何とはなしに僕は義理チョコをくれた女子たちを眺めていた。もともと男子の少ない美術部の上に、今年はなぜか女子たちが盛り上がったらしく、友チョコやら義理チョコやらを一緒くたに振る舞っていた。おかげで部員のほとんどが対象だから、一人一人をじっと見つめてる時間も当然ない。もっとも、そんなことをすれば不審者扱いだ。

 いつも通りの賑やかな定例会がそこにはあって、女の子たちの変わらぬ元気な姿がそこにあっただけ。彼女の意図がつかめないまま、僕は途中から「みんなにお返しするのは大変だなあ」なんて別のことを考える体たらくだった。

『振り返れば楽しい想い出にもなるさ』

「……そうは思えないけどなあ」

 僕は一人呟くと、帰り支度を始めることにする。定例会も早く終わったことだし、もう一度屋上に戻ってみてもいいか。彼女の前で「守護者サマのお告げのおかげで、お返しを買うことを思い出しました」とため息混じりに呟くのも楽しいかもしれない。

「……せんぱーい。鳴神せんぱーい」

 その声に、僕のどうでもいい空想は中断される。

 振り返った先に立つ後輩に、僕は軽く手を振ってみせた。

「秋月、どうかした?」

「鳴神せんぱーい、暇だったらちょっと教えてほしいんですけどー」

 少し茶色がかったセミロングの髪をぼりぼりとかきながら、一年生の秋月悠が僕に話しかける。

「僕に描き方聞いたって仕方ないだろ。部長に聞け、部長に」

「だって、部長は忙しそうですもん。鳴神先輩はいつも通り暇そうだし」

 後輩のくせに随分なことを言ってくれるじゃないか。

「それに、人物画の描き方なら鳴神先輩に聞いた方がいいかなーと思って」

 うしし、という感じで手をする秋月に、僕はため息をついてみせる。

 見た目とは裏腹に元気な女子の多い美術部の中で、秋月は見た目どおりの元気な女の子だというのが僕の印象だった。軽くパーマをかけた髪に、薄めだけどしっかりとしたメイクなどは、美術部の中では目立つタイプだ。『この街の守護者』サマに言わせれば、「今時の女子高生は楽しみが多くて幸せだな」と苦笑することだろう。

「それに、この間チョコあげたじゃないですかー。そのお返しということで、お一つ」

 そう言ってぺこりと頭を下げる秋月に、僕は彼女からもチョコをもらっていたことを思い出す。

「義理には義理で。後輩に教えるのは先輩の義理というわけか。でも僕、お前に教えたことないと思うけど」

「そう言わずに、よろしくお願いしまーす」

 悪びれない彼女の言葉に、僕は苦笑しながら腰を上げた。



「いやー、ずいぶんと遅くなっちゃいましたねー」

 校舎の前で手を振る秋月に、僕は苦笑してみせる。いつの間にか随分と遅い時間になってしまったようだった。

 とはいうものの、秋月の作品作りが進んだというわけでもない。そもそも、今日はキャンバスすら用意してないという有様だ。

 にも関わらず、なぜこんな時間になったのやらと僕は夜空を仰ぐ。

「せんぱーい、あの絵ってどうやって描いたんですかー?」

 僕の横に腰掛けた秋月の第一声がそれだった。

 あの絵というのは、僕が美術部に入ってから描き上げた数少ない作品の一つで、まあその、人物画というやつだ。

「あたし、あの絵が大好きなんですよ」とは秋月の言葉。そういう絵が描いてみたくて、僕に色々と聞きたかったみたいだった。

「せんぱーい、あの絵の女の人って、モデルとかいるんですかー?」

「まあ、いるといえばいるかな」

「ひょっとして彼女さんですかー?」

「いやいや、それはない」

「髪の長くて、すごく綺麗な人ですよねー。いいなー、せんぱい。あたしもお友達になりたいなー」

 ……まあつまり、『この街の守護者』サマをモデルにした作品というわけだ。今思うと恥ずかしくて仕方がない。もちろん当の本人には見せてないし、見せられるわけもない。

 そんなこんなで、「えー、せんぱいの彼女だと思ってましたー」「せんぱい彼女いないんですねー」などと話が脱線していくうちに、こんな時間になってしまったのだった。

「日が落ちると冷えてきますねー」

「そうだな、早く帰ることにしよう。秋月は家どっち?」

「あ、駅から電車です」「じゃあ駅までは送るよ」

 その言葉に、秋月の表情がぱっと明るくなる。

「暗いんでちょっと心細かったんです。鳴神せんぱい、やさしー」

 そう言うと、秋月は手をぽん、と打つ。

「やさしいついでに、もう一つお願いしていいですか?」

 はいはい、という僕に彼女はぺこりと頭を下げる。

「明日もご指導お願いしたいですっ!」

「……秋月、ほんとに描く気ある?」「もちろんですっ!」

 ……やれやれだ。僕はため息をつきながら、分かったよと秋月に答える。

「ほんとですかっ! ありがとうございますっ!」ばんざーいと両手を挙げる秋月。僕はもう一度、やれやれと首を横に振る。

「それじゃ帰るか」「はーい。せんぱーい、買い食いとかしていきませんかー?」「しません」「ちぇー」

 他愛もない会話をしながら、僕らは二人、校門へと足を向ける。


『――女子と二人で下校とは、青春だな、鳴神』


 そんな声が聞こえたような気がして、僕は校舎を振り返る。

 そこには、夜の帳を飾り付ける星々の灯火が降り注ぐ、人気のない屋上の金網が見えるだけだった。



「女子と二人で下校とは、青春だな、鳴神」

 次の日の放課後。僕の目の前で、彼女はいつもの意地悪そうな笑みを浮かべていた。

「……見てたのか」「無論だ。わたしは『この街の守護者』なのだからな」

「覗きなんてせずに、街を守護してればいいのに」

 僕の下手な反論に、彼女はくくっと笑う。

「いやいや、鳴神が気を悪くしたのであれば謝るよ。すまないな、つい嬉しくて口が滑ってしまったようだ」

 そう言う彼女の表情は、確かに楽しそうだった。何がそんなに楽しいのかは僕には分からないけれどと思いつつ、僕は気になっていることを彼女に訊ねる。

「秋月との会話まで盗み聞きしていないだろうね?」

「当然だ。わたしは出歯亀ではないよ」彼女はそう答えた後、何かに気づいたかのように僕に聞き返す。

「ふむ。何か他人に聞かれては困るような会話を、鳴神はしていたのかな?」

『あの絵の人って、モデルとかいるんですかー?』

 秋月の言葉を思い出しながら、僕は彼女に「ないない、全然ない」と手を振ってみせた。

「ふむ、まあいいとしよう……どうだ鳴神、日常に少し変化があった気分は。そう悪いものでもなかろう」

 良くも悪くもないよ、と僕は答える。後輩に絵を教えるのは正直柄ではないけれど、別に今までもやったことがある。二人っきりで下校と彼女は茶化すけれど、部活の後輩と帰ることに、何の善し悪しもないだろう。

「――あ、そうだ」

「ほう、何か気づいたことでもあるのかね?」

 僕の言葉に、彼女は興味津々な表情をする。

「いや。そう言えば、今日も秋月に絵を教えることになってたんだ。そろそろ行かないといけない。悪いね」

 ちょっと申し訳なさそうに伝えると、彼女は少し驚いたような表情をしてみせた。

「……それは残念だが、後輩思いなことはいいことだ。ふむ、それでは今日も屋上から君の帰る姿を盗み見して楽しむことにしよう」

「それは本当に止めてくれ」

 苦虫を噛みつぶしたような表情の僕を見て、彼女はいつものようにくくっと笑う。

「そのくらいは我慢してほしいものだな。まあ、明日を楽しみにさせてもらうよ」彼女はくるりと回ってみせると、屋上の縁に足を向ける。

「鳴神、私が昨日言った言葉を覚えているかな?」

 背を向けたまま彼女が言う。

 怪訝そうな表情の僕を振り返ることなく、彼女は軽く片手を上げた。

「袖振り合うも多生の縁だよ、鳴神。縁を大切にすることだ。そうすれば、きっと君の願いもかなうだろう」

「僕の、願い?」

 僕の問いに答えることなく、彼女の姿は金網の向こうへと消えていった。。



 あれから一週間。部員たちがめいめい自分の作品に向き合っている部室の中で、僕は今日もまた秋月に絵を教えていた。

 隣には、キャンバスに向かって木炭片手にうんうんと唸る秋月がいる。ともすればすぐ雑談に入りがちな秋月に毎日辛抱強く付き合って、ようやくここに至ったわけだ。

「うーん」

「……」

「うーん」

「……秋月、僕にはまるで手が動いていないように見えるけど」

「大丈夫です! 構図を考えてるんですっ!」

 僕の言葉に、キャンバスをにらみながら答える秋月。眉間に皺を寄せたその横顔に、僕は今日もこれで一日終わりそうだなと心の中でため息をつく。

「鳴神くんは、今日も秋月さんの先生役?」

 手持ちぶさたにしてる僕に、部長が声をかけた。

「まあ、そんなところかな」

「せっかく部室に来てるんだから、鳴神くんも何か描いてみたらいいのに」

 部長の言葉に、僕は首を横に振ってみせる。秋月に頼まれて部室に来ているだけで、今は別に描きたいものもない。

 そんな僕の様子に、部長は少し頬をふくらませる。

「鳴神くんって、あの絵からほとんど描いてないでしょ? 駄目だよ、後輩に示しがつかないよ?」

「と言われてもなあ」

 僕は困って思わず頭をかく。彼女の絵を描いて以来、僕は実際のところ絵を仕上げた記憶がない。屋上で彼女と話すのが僕の日課で、美術部ではほとんど幽霊部員だ。後輩への示しなんてとうの昔についてないと思っていたけれど。

「鳴神くん、来月の『新歓祭』に出す作品、何も考えてないでしょ」「……はい」

 普段おっとりしている部長にこう迫られると、正直怖い。

 確かに、毎年春に行われる『新歓祭』――新人歓迎祭というやつで、要は部活の勧誘イベントだ――は、美術部にとって新入生を勧誘する最重要のイベントだ。作品がどれだけあっても困らないのだから、部長としては猫の手も借りたいところだろう。

「せんぱい、また人物画にしたらどうですか?」

 秋月が興味津々に話しかけてくる。どうやら唸るのに飽きたようだ。

「せんぱいの人物画、わたし大好きだし。わたしが美術部に入ろうと思ったのも、実は新歓祭でせんぱいの絵を見たからなんですよー」

 てへへーと頭をかく秋月に「そりゃどうも」と返事をして、僕はどうしたものかと腕を組む。秋月のお世辞はともかく、何かを題材にして一つ作品を描かないといけないよなあと、ちょっと考えてみる。

 ――――――――――――――――思いついた。

「うん、人物画でいこう」

「ほんとですか!? 誰です? 誰描くんです?」

「鳴神くん、誰かモチーフにするの?」

 同時に訪ねてくる二人に、僕は意地悪そうな笑みを浮かべて答えることにする。

「キャンバスに向かう秋月を描く」

「えええええええーーーーーーーーっ!」

 なぜか部室中から声が上がった。みんな聞いてたのか。

「あやややややや、せんぱい、わたし描くんですか!? そんな、困ります」と秋月。いや、そんなに顔を真っ赤にしないでくれ。こっちが恥ずかしくなる。

「へー、へー、へー、鳴神くん、そうなんですね」と部長。何がそうなのかは分からないが、とりあえず眼鏡をずらしながら頷くのは止めてほしい。

「いや、最近は秋月の手伝いしかしてないから、ほかに描くもの思いつかないし」と僕。ちょっとした悪戯のつもりで言ったのに、まさかこういう反応が湧き起こるとは。僕の頭の中に、『この街の守護者』サマが腹を抱えて笑っている様子が浮かぶ。慣れないことはするもんじゃない。

「まあでも、鳴神くんが新歓祭に出展してくれるようで良かった」

 うんうんと頷いていた部長はそう言うと、僕の肩を軽く叩いた。

「秋月さんもモデルで緊張するかもしれないけど、頑張ってね」

 それだけ言うと、部長は「ふむふむ」と何度も頷きながら、描きかけの自分の作品の前に戻っていった。

「そういうわけで、秋月、よろしく。あまり上手に描けなかったら悪いけど」

 僕の言葉に、秋月が「は、はいっ!」と立ち上がる。

「わたし、鳴神先輩のモデルとして頑張りますっ!」

 そう言った後、急に秋月がしょぼんとした顔になる。

「でも、わたしがモデルでいいんでしょうか……」

「大丈夫だって」と、僕は手を振ってみせる。

「女の子が一所懸命に何かに取り組んでる姿って絵になるから。だから、秋月は頑張って自分の絵を描いてくれればそれでいいよ」

「はいっ! 一生懸命に絵を描きますっ!」

 猛然とキャンバスに向かい始める秋月の姿に、僕は心の中で苦笑する。秋月もやる気になったし、僕も自分の絵を描くことが出来るし、結果的には一石二鳥になったかな。

 そんなことを思いながら、僕はキャンバスの材料を取りに席を立った。今日も遅くなりそうだと思いながら。



「そうか、部活の後輩を絵のモデルにしたか」

 僕の目の前で腹を抱えて笑う彼女に、僕は渋面をつくる。

「ちょっと笑いすぎだと思うんだけど」

「いやいや、すまないな、鳴神。悪気はないんだ。しかし、後輩をモデルにするとはな」

 そう言って、また彼女はくくっと笑い始める。悪気がないとは思えないのだが。

「……まあいいとしよう。それで、秋月という後輩は嫌がってないのかね? わたしなら絵のモデルなど勘弁願いたいものだがな」

 いや、すでにモデルにさせてもらってるけど、とはとても言えずに、僕は別のことを答える。

「別に。僕がデッサンしてるのも気にしないで、一所懸命キャンバスに向かってるよ」

「ふむ。彼女の絵の方も進んでいるのかね?」

 その言葉に、僕はため息をついてみせる。雑談は減ったものの、肝心の絵はちっとも進んでいなかったのだ。

 キャンバスに向かってうんうん唸ってみたり、時には何か下書きをしかけたりはしてるみたいだけど、すぐに「ちがーう」と言って消してしまう。

 そもそも、何を書きたいのか、今になっても教えてくれない。これで一体、僕は何を教えたらいいのやらだ。

「僕が教えられることなんてほとんどないけど、それにしても何も教えようがないんだよなあ」

 そう呟く僕に、彼女はまた、くくっと笑ってみせる。ん、何かおこしなことを言っただろうか。

 不審そうな顔をする僕の前で、彼女はくるりと一回りしてみせた。

「いや、何でもない。そうか、教えてくれないが、教えてくれというわけか」

 何がおかしいのか、彼女は笑いながら屋上をこつこつと歩き回った。

「そうだな、聞いても教えてくれなければ仕方あるまい。鳴神も自分の作品を進めるのがよかろう。美人に描けよ、鳴神。きっと彼女も喜んでくれることだろう」

「いや、別に彼女にあげるために描くわけでもないし」

 僕の言葉に、彼女は歩みを止めて僕を見る。

「?」

「……まあいいとしよう。ところで鳴神、今日も部活に行くのかね?」

「まあね。学年末試験も終わったし、しばらくは部活に通おうかと思ってるよ」

 僕の言葉に、彼女はいつも通り校舎の縁に向かって踵を返す。また明日というわけだ。

 それじゃあ、と声をかける僕に、彼女が片手をあげながら答える。

「鳴神、最近は楽しく過ごせているか?」

 さりげない彼女の言葉を理解するのに、僕は少し時間がかかってしまう。

「え?」

 そんな僕に構わず、彼女は何かに気づいたかのように振り向いた。

「そう言えば鳴神、来週はホワイトデーだな。わたしからチョコは贈っていないが、別にクッキーを持ってきても構わないぞ」

 彼女は笑みを浮かべながら手を振ってみせる。

「よかったら明日も来てくれ。わたしはいつも通り、ここで待っているよ」

 それだけ言うと、彼女は声をかける間もなく、いつものように金網の向こうへと姿を消していく。

 少し赤みの差し始めた屋上には、僕だけが一人、取り残されるばかりだった。



 それから十分後、僕の姿は美術部の部室にあった。

 今日は珍しく秋月がまだ来ていないようだったけど、僕はとりあえずイーゼルをいつも使うあたりに運び、自分の書きかけのキャンバスをセットする。

『鳴神、最近は楽しく過ごせているか?』

 キャンバスに描いた秋月の横顔を何とはなしに眺めながら、僕は彼女の言葉を思い返していた。

「楽しく、か」

 授業を受けて、屋上で彼女と話をする、僕の学校生活は一年半前から特に変わっていない。彼女と話す時間は、まあ、楽しいと言えば楽しいけれど、最近楽しくなった、というものではない。

 とすれば、変わったことといえば、部活のことだろうか。

「鳴神くん、作品進んでる?」

 部長の言葉に、僕は我に返る。

「ああ、部長? まだまだだよ」

 僕の言葉を聞いているのか聞いてないのか、部長は腕を組みながらキャンバスを眺める。その様子を見て、他の部員たちも僕の周りに集まってくる。

「いや、まだデッサンの途中だから」

「でも、鳴神くんの描く人物画って、なんか雰囲気あるよね」「うん、前の作品も良かったよね。夕焼けの中で女の人が佇んでるあれ、雰囲気よかったよね」

 部員のみんながキャンバスを前にめいめい話し出す。これもいいよね。うん、こんな凛々しい秋月さんの表情見たことないよ。真剣味が伝わってくるよね。

 急に始まった品評会に、僕は思わず苦笑した。

 その時だった。

 不意に、「それ」はやって来た。

「秋月さん、これ見たら喜ブヨ」

 だめだ。

「鳴神先輩の絵好きって言ってたもんなあ。秋月、キットマイアガッチャウダロウナ」

 何で、急に。

「ナルカミクンニ、ホレチャウカモネ、アキヅキサン」

 世界がみんなとずれていく。

 みんなの声は聞こえるのに、意味が聞き取れない。

 みんなの顔は見えているのに、表情が分からない。

 最近は訪れることのなかった「皆とずれていく」感覚。楽しいはずなのに、嬉しいはずなのに、皆とずれてしまうこの感覚が、僕を覆っていく。

 なのに。

「フザケタコトヲイウヤツニハ、コウダ、アマヌマ」

 そう言って、後輩の天沼をこづく「僕」。

「ゴメンナサーイ」

「ナルカミクン、ドウヨウシテルンジャナイ?」

 はやし立てる周囲に、首を振ってみせる「僕」。

 ずれた僕の代わりに動き、話す「僕」の姿。

 それは、僕にとってありふれた、僕の大嫌いな光景だった。



 こんなことがいつから起きるようになったのか覚えていない。

 級友と馬鹿な話をしている最中に。

 みんなと遊びに出掛けている最中に。

 失恋した友達が泣く、夕映えの注ぐ教室の中に。

 気がつけば、「それ」は普段の生活の中に急に浮かび上がっていた。

 僕が世界と切り離されて、僕の代わりの「僕」が、僕の言うつもりのないことを話して。

 何の予兆もなく不意に訪れる「それ」が、僕は本当に嫌で怖かった。

 そして、他の人も「それ」を抱えているかもしれない、そう思った時、僕は、人をできるだけ避けることにした。

 僕の前で笑っているその笑顔が、その人のものじゃなかったら。その人の心の中では、別の心が違う違うと叫んでいるとしたら。そんなことは、僕には耐えられなかった。

 それを避けるために、さみしくても、できるだけ一人でいるようにしていたのに。



「ソウイエバ、ライシュウ、ホワイトデーデショ」

 耳を押さえてうずくまる僕の周りで、なおも会話は進んでいく。

「ナルカミクン、ダレカニアゲタリスルノ?」

 興味深そうに「僕」を覗き込む他の部員。

「ギリチョコノオカエシヲセイキュウシテルナ」

「イヤア、バレマシタカ」

 賑やかな笑い声が、僕の心を一層苛む。

 笑い声の合間に、「僕」が続けて口を開く。

「スキナヒトモイナイシ、ボクカラモラッテウレシイヒトモイナイデショ。ヤレヤレ、サビシイホワイトデーダヨ」

 「僕」の言葉に、どっと笑い声が湧き起こる。

 その時だった。

「なになに、何の話をしてるんですかー?」


 その瞬間、ぱきぱき、と音を上げながら世界のひびが戻っていく。

 世界のずれが元の形に直っていく。

 そして、「そこ」から引きずり上げられた僕の前で。

「せんぱーい、遅くなってすみませんでしたー。今日もよろしくお願いしますっ!」

 そこには、僕にぺこりと頭を下げる、秋月悠の姿があった。



 夕陽に染め上げられた部室。

 僕は秋月と二人、それぞれ自分の作品に向かっていた。

 相も変わらずキャンバスを前にうんうん唸る秋月を前に、僕もキャンバスを描く手を止める。さっきのは何だったのだろうと思いながら。

 世界のひびが戻っていく音。

 部室に入ってきた秋月。

 世界のずれの中から、ひきずり上げられた僕。

 僕の前で頭を下げ、そして、にっこりと笑った秋月。

 それは、僕にとって、本当に初めての体験だった。いつもなら「僕」が適当に笑い、相槌を打って、みんなと離れてからしか僕は戻ることができなかった。一人になって初めて「そこ」から引き上げられて、僕は誰もいないところで顔を両手で覆うばかりだった。

 それが、みんなのいる前で僕は戻ってこれた。

 ……秋月のおかげ、なんだろうか。

 ふとそんなことを思いながら、、僕はぼんやりと秋月の横顔を見ていた。

「せんぱーい、どうかしましたか?」

 秋月の声に、僕は我に返る。なぜか慌ててしまって、手にしていた木炭を落とす始末だ。

「あ、ひょっとして居眠りですか? いけないなー」そう言いながら、秋月が足下に転がってきた木炭を拾う。

「はい、どうぞ」

 木炭を差し出した秋月の顔を見た瞬間。

 僕は、顔が真っ赤になるのを、感じた。

 なんだ? なんだこれ?

 秋月から木炭を受け取りながら、僕は慌てて顔を逸らす。「あ、ごめん。ちょっと寝ぼけてたかも」なんて馬鹿な返事をしながら。

 どうしたんだ? 何が起きたんだ?

「鳴神せんぱい、ちゃんと描いてくださいよー」と、ちょっと怒ったふうに秋月が言う。悪い悪いと片手を上げながら、僕はキャンバスで自分の顔を隠した。

 なんでだ? なんで顔が真っ赤になったんだ? キャンバスに描かれた秋月の横顔を前に、僕は必死になって考えた。顔が真っ赤になるくらい恥ずかしいことが今あったか? 別にない。急に風邪でもひいたのか? そんなわけがない。

 僕は少し視線を上げてみる。いつもどおりの、キャンバスを前にうーんと唸る秋月の横顔が見える。

 そして、僕の顔の温度がまた上がるのを感じる。

 どうして、急に、こんなことに。

 みんなが帰り、秋月と二人しかいない部室の中で、僕の頭はぐるぐるとただ回るばかりだった。



「いやー、今日もはかどらなかったですねー」

 夕闇の訪れた学校からの帰り道を、僕らは二人、駅へと歩いて行く。

 なんか頭の中のイメージがまとまらないんですよねーとぼやく秋月に、僕はああ、とか、うんとか答えながら歩く。ちらちらと秋月を見てはすぐに目を逸らしたりしながら。

 三月の上旬の、陽が落ちればまだまだ寒いはずなのに、熱くて仕方がない真っ赤な僕の顔を気取られやしないかと考えながら。

「鳴神せんぱい、どうやったら描きたいイメージってまとまるんですかねー」

「ん、ああ、うん」

 秋月の問いかけに、僕はなぜかうろたえる。

「?」

「いや、そうだね、そういう時は『自分が描きたいこと』をしっかりイメージするといいよ」

 しどろもどろの僕の返事に、秋月はちょっと不審そうな表情をする。

「んー、そういう言い方はプロっぽい人がしてるのを聞いたことがあるけど、素人には分かりません」

 そう言った後、秋月はぽん、と手を叩いた。

「あ、だったら、せんぱい、今描いてる絵で説明してくださいよー」

「今描いてる絵って、僕の描いてる絵?」

 頷く秋月。

「秋月の絵のこと?」

「はい、そうです! 先輩が描きたいことは何か、聞きたいです!」

 そう言ってにっこり笑う秋月に、僕の顔の温度がまた上がるのが分かる。僕は思わず頬を手でさすった。

「あー、そうだね」ちょっと目をそらしながら、僕は絵の説明を始める。

「前も言ったかも知れないけど、秋月がキャンバスに向かってる様子から、一所懸命さを描きたいな、って思ってる」

「はい。で、どうやってそれを表現するんですか?」

 にっこりからにやにやへと笑顔を変える秋月。

「えーと、まずは秋月の格好かな。腕を組んで唸ってる様子や、腕を真っ直ぐに伸ばしキャンバスに向き合ってる様子、下書きを消す様子、いろんな秋月の動きから、どれが一所懸命な感じが出てるかを考える。僕は、キャンバスを見てる時の真剣な目がいいかな、と思ってみたけど」

 僕の言葉に、秋月がふむふむと興味深そうに頷く。

「で、今度は構図。横、前、斜め、後ろ、上下。どこからが一所懸命な感じになるかとか、絵を描いてるって分かるかとかを考える。アップすぎると何してるか分からないとか、全身描こうとすると一所懸命な感じが薄れてしまわないかとか」

「へー……」

「あと、表情とかも気にしてるかな。目の開き具合や口元の様子とか、そういったことも気にしてるよ」

「……」

「身体の動きや向きも大切かな。やわらかい感じの方がいいのか、しゃきっとした感じの方がいいのかとか。動きの印象とかでも変わってくるから、そういったことも考えて秋月の様子を見てるかな」

 と、そこまで喋ったところで、僕は秋月が黙り込んでいることに気づいて、思わず秋月を見る。

 そこには、僕をじっと見る秋月の顔があった。

「……せんぱい、すごい細かいことまで考えて見てるんですね」

 秋月の言葉に、僕は思わず手を振る。

「あ、いや、気になりだすと、ついつい」

 しどろもどろな僕の様子に、秋月はにっこりと笑った。

「すごく参考になりましたっ! 明日からも頑張りますねっ!」

 その言葉に、僕は心の中で安堵のため息をつく。

「ということで、明日からもご指導お願いしますねー」

「……秋月、まだ何も描いてないよね」

「……明日から頑張りまーす」

「毎日同じ言葉を聞いてるような気がするけど」

「が、頑張ってはいるんですよ?」

 苦笑する僕に、食ってかかるふりをする秋月。そんな他愛もないやり取りをしながら、僕らは駅にたどりつく。

「それじゃあ秋月、気を付けてね」

「はーい。鳴神せんぱい、今日もありがとうございました」

 そう言って改札に向かう秋月。

 と、その足が止まり、秋月がこちらに振り返る。

「明日もよろしくお願いしますねー!」

 ぺこりと頭を下げる秋月に片手を上げてみせる僕。

 それを見てにこりと笑って、改札に再び向かう秋月。

 秋月の軽くパーマをかけたセミロングの髪が改札の向こうへと消えていく姿をしばらく眺めた後、僕は大きく息を吐いた。

 そう。

 どうやら僕は、一人の後輩のことが好きになってしまったようだった。



「いやはや、甘くてごちそうさまだ、鳴神」

 僕の目の前で、彼女は意地悪そうな笑みを浮かべたまま、両手を合わせてみせる。

「茶化すなら話さなければよかった」

 そう言って横を向く僕。その様子に彼女は苦笑しながら話す。

「人の恋の話など、茶化さなければ聞いてられんよ。それにしても、恋とはやはり急に落ちるものだな。鳴神の話を聞いてつくづくそう思うよ」

 重々しく頷きながらも、彼女の口の端にはいつもの笑みが浮かんでいる。楽しくてたまらない様子がありありだ。

「なあ、鳴神。秋月のどこに惚れたのだ?」

 僕の隣で、にやにやした彼女が訊ねる。そんなの分かるわけないだろうと、僕はそっぽを向いてみせる。

 そんな僕を見て、彼女は嬉しそうに口を開く。

「ふむ、どこに惚れたか分からぬほど惚れているというわけか。いいものだな、恋というものは。命短し恋せよ乙女とはよく言ったものだよ」

 そう言って、彼女は不意に僕の顔を覗き込んだ。思わぬ近さに、僕は思わず視線を逸らす。

「鳴神、恋はいいものだぞ」

「……そうかな」

 彼女の言葉に、僕はつい反論する。

「片想いなんてやつは、苦しいだけだよ」

 その言葉に、彼女は苦笑する。

「なるほど、それも一理あるな」

 腕を組み、僕の周りをこつこつと彼女は歩いてみせる。

「相手を想えば胸が苦しい。相手が自分をどう想っているのか、それを考えれば夜も眠れぬか。ふむ。それもまた恋のひとつの形ではあるな」

 それだけ言うと、彼女はまた僕の前で足を止めた。

「だがな、鳴神。それでも恋はいいものなのだよ」

 その言葉に答えようとする僕の前で、彼女は言葉を続ける。

「意中の相手の一挙手一投足だけが気になりだす。話すことができればそれだけで幸せで、他のことなど目に入らなくなる。それもまた恋のもたらすものだろう?」

 そこで言葉を一度切ると、彼女はくるりと回って背を向けた。

「よかったな、鳴神」

「……なにが?」

 僕を置いてきぼりにして上機嫌の彼女に、僕はぞんざいに返事をした。

「よかったではないか。恋をしたおかげで、秋月のことが好きになったおかげで、君はもはや世界の『ずれ』に悩まされることはないのだから」

 背を向けたまま、彼女はそう言った。


 世界のずれに、もう君は悩まされない、と。


 一瞬、世界が止まったような感覚に僕は襲われた。

「なんで、それを」

「そう」

 彼女は振り返り、今まで見たことのない嬉しそうな表情で言葉を続けた。

「鳴神、これで君の願いはかなった」

「な――――」

 僕の口からは何の言葉も続かなかった。

 なぜ彼女がそれを知っているのか。

 僕が世界の「ずれ」を恐れ、ずっとそれを避けて生きてきたことを。

 そして、それが消えますようにと、いつも一人で膝を抱えて願っていたことを。

 口を開け呆然としたままの僕に、彼女が微笑を浮かべる。

「知っていたよ、鳴神。君の願いのことは」

「……どうして?」

「それは、わたしが『この街の守護者』として機能しているからさ」

 そう呟くと、彼女はもう一度、僕に背を向けた。

「機能?」

「ああ、そうだ。わたしは『この街の守護者』。この街に満ちる願望を叶える、ちっぽけな装置なのだから」

 夕陽が沈んでいく校舎の屋上で、黄昏色に染まった『この街の守護者』は、僕に表情を隠したまま、そんなことを言ったのだった。



 夕映えの世界の中で、彼女は僕に話し始めた。

 自分は、皆の願いを叶えるためにここにいることを。

 皆の願いを世界に作用させ、願いを叶える「装置」だと。

 実際には、ほとんどの願いを叶えることのできない、がらくたのような「装置」だと。

 皆からの願いがいつも飛び込んでくるけれど、何もしてあげられない、ただのがらくただと。

「鳴神、わたしができるのは、校舎の屋上からこの街を眺めることくらいなのさ」

 金網にもたれかかりながら、彼女は小さく微笑んでみせる。

 人の願いは、そのほとんどが他の人に関わる。

 片方の願いだけを叶えようとしても、もう片方が願うことがなければ、その力を作用させることはほとんどできないのだ、と彼女は言う。

「だからな、鳴神」

 そう言って、彼女は呟いた。

「わたしが今まで叶えることのできた願いは、『死にたい』という願いだけなのだよ。死だけは、他人に妨げられることのない、自分だけの願いというわけだ」

 その言葉に、僕は何も答えられない。

 うつむく僕に気づいたのか、彼女は片手を振ってみせた。

「ああ、すまない。どうしてこんなことをわたしは話してしまったのかな。今日はせっかく君の楽しい恋の話を聞けたというのに、本当に申し訳ない」

 彼女は苦笑してみせる。

「ずいぶんと時間をくってしまったようだ。今日も部室に行くのだろう? 彼女のことを想えよ、鳴神。そうすれば二度と、君は世界の「ずれ」に足を踏み入れることなどないのだから」

 それだけ言うと、彼女は金網に少し体重をかけた。

「それではな、鳴神」

 彼女の姿が薄れていく。

 ―――違う。

 そうじゃない。

 僕はたまらず声を上げていた。

「がらくたなんかじゃないよ」

 その言葉に、彼女の姿が中空で止まった。

「人の願いを叶えられないなんて言ったけど、そんなことはない、あなたは、僕の願いを叶えてくれたじゃないか」

「それは違う。君の願いを叶えたのは君自身だよ、鳴神」

「違う、あなたなんだ」

 彼女の言葉に、僕は大きく頭を振る。

 あの日、イーゼルとキャンバスを抱えて部室から逃げ出したあの日。『この街の守護者』と初めて出会った夕焼け空の校舎の屋上を思い出しながら、僕は彼女にそのことを伝える。

「あなたとここで話す放課後の日々に、僕の願いはすでに叶えられていたんだ。どうでもいい無駄話ばかりで、何をしたというわけでもない。でも、あなたと喋っている時は、僕は世界の「ずれ」に一度も落ちたことはなかった。一度も落ちたことがなかったんだ。だから」

 だから、僕は彼女に言った。

「だから……ありがとう。僕の願いをずっと叶えていてくれて、本当にありがとう」と。

 宙に浮く彼女は、しばらく無言でいて、やがて、苦笑を浮かべた後に口を開いた。

「やはり君と話しているのは楽しいよ、鳴神」と。

 それだけ言うと、彼女の姿は少しずつ薄れていった。

「今日はそろそろお別れだ。早く部室に行くといい。……そうだな、ここに来るのはもうよした方がいい。わたしがいなくても、もはや君の願いは叶うのだから」

「……片想いなんてやつは、苦しいだけだよ」

 僕の見当違いな反論に、彼女は一瞬驚いたような顔をして、そして、いつものようにくくっと笑ってみせた。

「そうか。そうだな。片想いが続いては苦しいばかりか」

「そうだ。それが高じてストーカーになるかもしれない」

 僕の言葉に、彼女は腹を抱えて笑う。

「ストーカーと来たか。そうだな、鳴神がそうなるのはわたしも困る。・・・ふむ、今日は鳴神に二つアドバイスをしてみるとしよう」

 彼女は指を二本立ててみせた。

「一つ。ホワイトデーという言葉を秋月に使ってみるといい。その時に、これまでの秋月の様子を思い出すことだ。そうすれば、君がストーカーかどうか分かるだろう」

 そこで言葉を区切ると、彼女は少し微笑んだ。

「もう一つ。お返しには、マシュマロよりはクッキーがよかろう」

 それだけ言うと、彼女の姿は夕映えの中に溶けていった。


 こちらこそ、ありがとうだよ、鳴神―――。


 姿の消える直前、そんな言葉が聞こえたような気がして、僕はしばらくの間、『この街の守護者』が消えた空を、ただじっと眺めていた。



「いやー、今日もはかどりませんでしたー」

 夕闇の帳が下りる学校からの帰り道を、僕と秋月は歩いて行く。

 いつもどおりの他愛ない会話のやり取りを繰り返しながら、僕らは二人、駅の道を歩いていく。

「いや、その、描く気はあるんですよ?」そう言って頭をかく秋月の横顔を見ながら、僕は『街の守護者』の言葉を思い出す。

 ホワイトデーという言葉を、秋月に使ってみるといい。

 急に顔が熱くなってきて、僕は慌てて頭を振る。

「? 鳴神せんぱい、どうかしたんです?」

「あ、いや、何でもない」

「ふーん、何か考えごとをしてたんですかー?」

 秋月が僕の顔を見る。

 まずい、顔が赤くなってることが気づかれてしまう。

「あ、いや、もうすぐホワイトデーだなあと思って」

 あ。

 自分が何を口走ったかに気づいた瞬間、もっと顔が熱くなるのが分かった。これじゃあ、秋月に変なヤツだと思われてしまう。

「あ、そうですねー。鳴神せんぱい、お返し大変なんじゃないですか? たくさんもらいましたもんね」

 くすくすと笑う秋月。どうやら、そんなに気にしていないらしいと思い、僕はそれはそれで少しがっかりする。

 その時。

 くすくすと笑う秋月の顔に、赤みが差しているような気がした。

 さっきよりも、ほんのり紅く。

『これまでの秋月の様子を思い出すことだ』

 次の瞬間、僕の脳裏に彼女の言葉が思い浮かんだ。


 ああ、そうだったのか。


『せんぱーい、わたしあの絵が大好きなんです』

『彼女いるんですかー?』

『わたしが美術部に入ろうと思ったのも、実は新歓祭でせんぱいの絵を見たからなんですよー』

 その時々の秋月の表情を僕は思い出す。

 明るい口調で話す秋月。

 普段より、ちょっと明るい口調で話す秋月。

 そして、いつもより、ちょっと顔が紅くて、耳が真っ赤だった秋月。

 僕は心の中で大きく天を仰ぐ。自分は、どうしてこんなに馬鹿なんだろうと。

「せんぱーい、わたしもお返し楽しみにしてていいですかー? チョコあげましたよー」

 そう言って、てへへーと笑う秋月。顔よりも真っ赤な耳を見て、僕は苦笑する。

「ああ、もちろん。とっておきのお返しを用意しておくよ」

「え、ほんとに? ほんとですか!?」

 大喜びの秋月の表情に、僕の顔の熱がまた上がっていくのが分かる。秋月も同じなんだろうかなんて思いながら、僕は思いきって口を開いた。

「ああ、その、秋月」

「はい!」

 笑顔の秋月を前に、僕は一ヶ月前の秋月の姿を思い出す。

『鳴神せんぱい、よかったらチョコもらってくださいっ!』

 可愛らしいリボンで飾られ、小さな箱に入った、義理という言葉のつかないチョコレート。僕の前で、今の耳よりもっともっと真っ赤な顔をしていた秋月を僕は思い浮かべる。

「チョコレート、ありがとう。それで、ホワイトデーでもないのに、こんなこというのもヘンなんだけど」

 僕の言葉に、秋月の表情が固まる。顔も耳も真っ赤になった秋月に、僕は言葉を続ける。

「えーと、今度のホワイトデー、義理じゃないお返しを贈りたいんだけど、迷惑じゃないかなあ」

 そう言って、僕はちらりと秋月の顔を見る。

 固まったままの秋月。

 訪れる沈黙。

「あ、えーと……」

 沈黙に耐えきれなくなったその時だった。

 秋月の目から、ぽろぽろぽろと涙がこぼれた。

「あ、え、ごめん、ごめん、秋月」

「違うんです、せんぱい、違うんですっ!」

「あ、え、何が、なに?」

「わたし、うれしいんです、嬉しいんですけどっ……」

 うわーんと泣き出す秋月。

 そんな秋月に、どうしていいか分からずおろおろする僕。

「あ、そうだ、せっかくだから寄り道して買い食いしようか?」

「ぐすぐすっ」

「あ、えーと、秋月、もしよかったら」

 僕は思わず手を差し出す。

「て、手をつないで帰ろうか? あ、えーと、嫌ならいいんだけど」

 その瞬間。

「はいっ!」

 大きな声と一緒に、僕の手をぎゅーっと握る秋月。

「せんぱい、買い食いして帰りましょうっ! マックかな? ミスドかな?」

 そう言って、てへへーと笑う秋月。苦笑する僕。

「せんぱい、来週からもよろしくお願いしますね」

「こちらこそよろしく、秋月」

「ホワイトデーも楽しみですっ!」

 満面の笑みを浮かべる秋月に、僕は思わず宙を仰ぐ。

『マシュマロよりは、クッキーがいいと思うぞ』

 それは個人的な好みだろうと心の中で呟きながら、僕は秋月に任せておけと言わんばかりに親指を立ててみせる。

「あまり期待しないでね」「ちぇー」

 口をとがらせる秋月を見ながら、僕は思う。

 好みに合うかどうかは分からないけれど、心を込めて贈ってみよう。

 ホワイトデーには、彼女にクッキーを。














 世界が紅く染め上げられる夕暮れ時の校舎の屋上で、彼女はぼんやりとグラウンドを眺めている。

 部活動にいそしむ部員や帰宅の途につく生徒たちを、彼女は校舎の縁にある金網に身をもたげながら眺めている。

 そんな彼女の心に、次々と『声』が流れ込む。

『ああ、眠いなあ。家に帰りたいなあ』

『今日はホワイトデーだ。三倍返しでほしいなー』

『この人しつこいなあ、どっか行って。しっしっ』

『あーあ、こんなくだらない仕事、別の人がやればいいのに』

 街中で人々が何とはなしに思う『願い』が声になって、校舎の屋上に佇む『この街の守護者』の中に流れ込んでゆく。

 叶えられる願いは一つもない。

 なのに、次々と流れ込んでくる人々の剥き出しの願い。

 その一つひとつが、彼女の心を少しずつ削り去る。

「……ありがとうと言うべきはわたしの方だよ、鳴神」

 沈みゆく夕陽を見ながら彼女は呟く。放課後に毎日来ていた、一人の男子生徒を思い浮かべながら。

 誰もが普通にしていることに悩み苦しんでいた、彼女のたった一人の話し相手。

 鳴神と話している時間は、彼女にとってもかけがえのない時間だった。他愛のない会話であっても、その間は流れ込んでくる有象無象の『願い』が彼女の心を傷つけることがなかったのだ。

 しかし、そんなかけがえのない時間は失われてしまった。

「死にたいと願う者がいないだけ、まだマシというものだな」

 ため息混じりに彼女は呟くと、金網から身を起こした。


 その時だった。


「この、嘘つき『街の守護者』!」


 屋上に響き渡る声に、彼女は振り返る。

 そして、視線の先に馴染みの顔を見つける。

「鳴神? どうしてここに?」

「どうしてもこうしてもないっ!」

 ただならぬ様子で彼女を指さす鳴神。

「お前、言ったよな?」

「待て、何の話だ」

「言ったじゃないか!」

 鳴神はひときわ声を大きくして叫んだ。

「お前、『マシュマロよりクッキーだぞ』と言ったじゃないか。だけど、秋月はマシュマロが大好きだったぞ! この嘘つき守護者っ!!」

 鳴神の言葉に、ぽかんと口を開ける彼女。

 そのまま彼女をにらみつける鳴神。

 二人はしばらく見つめ合った後。

「……くくく」

「……はははっ」

 同時に腹を抱えて笑い出す。

「鳴神、わたしは秋月がクッキー好きだとは言っておらんぞ」

「いや、勘違いするような言い方だった」

「せんぱい、わたしクッキーも嫌いじゃないですよー」

 鳴神の背後から聞こえた声に、彼女は視線を移す。

「うわー、絵よりもキレイですっ!」

 視線の先には、彼女を見て大騒ぎしている一人の女子生徒がいた。

「……君が、秋月か?」

「あ、初めまして、『この街の守護者』さん。わたし、秋月悠ですー。でも、ほんとにキレイですっ!」

「そ、そうか。世辞でも嬉しいよ」とたじろぐ彼女に、鳴神が意地悪そうな笑みを浮かべる。

「こんなに動揺する姿を見るのは初めてだなあ」

「いや、別に、動揺などしておらんよ。……それより鳴神、『絵よりキレイ』とは、どういうことかな?」

 じろりと視線を送る彼女に、今度は鳴神が目を逸らす。

「頭の中でイメージしていた絵、という意味じゃないかな」

「それは苦しい回答だな、鳴神」

「あー、えーと、ごほん、ところで」

 彼女の追求にごほんと咳払いをして誤魔化しながら、鳴神が鞄を開ける。

「どうした、わたしに何かプレゼントか?」

「そうだよ」

 その言葉に、意地悪そうな笑みを浮かべようとした「この街の守護者」の表情が固まる。

「秋月にはマシュマロをプレゼントしたから、クッキーが余ってるんだ。だから」

 そう言って鞄の中から取りだしたクッキーの箱を鳴神は放ってみせた。

 慌てて手を伸ばして受け取ると、彼女はそれをしげしげと見つめた。

「……やはり君といると飽きないよ」

 そう呟く彼女に、秋月がにっこりと笑う。

「あ、『街の守護者さん』、顔が真っ赤になってますー」

「え? お、本当だ!」

「な、そ、そんなことはない!」

 二対の視線にたじろぐ彼女。「いやあ、守護者さんかわいいー」と続ける秋月の言葉に、彼女の顔はもっと赤く染まる。

 そして。

「あ、消えたっ! せんぱい、逃げられましたー」

「それより、秋月、クッキーの箱も一緒に消えてる! 幽霊なのにクッキーごと消えるなんて」

 その言葉に、

「わたしは幽霊ではないと言っているだろう!」

 思わず二人の前に姿を現す彼女。


「あ」

「あ」

「しまった」

 顔を見合わせ、一緒になって笑う三人。

「……もう来ない方が良いと言ったではないか」

「秋月が会いたいって言ったんだよ」

 鳴神の言葉に、大きく頷く秋月。

「はいっ! わたしの願いを叶えてくれた『この街の守護者』さんに、お礼が言いたかったんです」

「ということで、今日からまたよろしく」

 二人の言葉に、『この街の守護者』は何か言おうとして口を開きかけ、そして顔を伏せた。

 ―――こちらこそ、ありがとう。

 クッキーを抱える手に力を込めて、彼女は顔を上げる。

「……まあいいとしよう。クッキーもいただいたことだしな。こちらこそよろしく、鳴神、そして秋月」

 彼女の言葉に、頷きあう鳴神と秋月。

「じゃあ早速、みんなでマックに行きましょう!」

「ふむ、それは良い考えだ」

「あれ、校舎の外にも出られるのか?」

「当たり前だろう? わたしは『この街の守護者』だからな。ところで、むろん鳴神のおごりなのだろう?」

「せんぱい、素敵ですっ! 大好きですっ!」

「わたしもおごってくれる鳴神は好きだな」

「お前たち……」   


 夕陽に染め上げられた校舎の屋上。

 三人の笑い声は途切れることなく、いつまでも、いつまでも続いていく―――。

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