睦月
雪の下で新芽がひそやかに息をはじめる頃、白猫の喫茶店の扉に吊るされた鈴が微かに鳴った。
夕刻の光は淡く、磨かれた木の床に落ちる影は、まるで長い旅路の地図のように静かに伸びている。
その影を踏みしめるように、旅人は店へと入ってきた。
白猫のシロは、満面の笑みで旅人を迎え入れる。
「ようこそ。 どうか、このひとときを心ゆくまで」
返事はない。
けれど沈黙は拒絶ではなく、言葉を超えた世界から来た者の礼儀のようでもあった。
差し出された珈琲から立つ湯気は、琥珀の色を揺らしながら、旅人の胸の奥へと静かに染み込んでいく。
その香りは雪解けの川のように澄み、その温もりは春の初めにだけ訪れる柔らかな陽だまりのようだった。
街ではまだ新年飾りが風に揺れ、子供たちの笑い声が路地に弾んでいる。
その賑わいを見守ってきた者のまなざしが、ふと旅人の横顔に宿った。
飲み干されたカップの底で、小さな光がひとつ、そっと揺れる。
それは祝福の名残か、神気の欠片か、シロにはわからない。
ただ、胸の奥が温かくなるだけだった。
やがて旅人は立ち上がり、ふたたび僅かな鈴の音だけを残して姿を消した。
影も足跡も残さず、まるで最初から存在しなかったかのように。
けれど、シロの視線の先に何もなくとも、店内には不思議な温もりが漂い続けていた。
それは、神々がひととき休んでいった証のように――
静かで、優しく、長く残る余韻だった。
気にかけてくださり、本当にありがとうございます
※挿絵は Gemini Nano Banana Pro による生成画像です※




