第14話:悪夢とホットミルク ハナナ視点
暗い宿の中を手提灯を下げて歩いていく。お客の少ない今日は特に静かだ。定時の見回りだけど、戸締まりも問題ないし、天気もいい今日は特に異常はなさそうだ。
私はタイチくんの泊まる部屋の近くに差しかかる。魔法事故で着の身着のままこの国に来たばかりだという少年。見るからに素直で、気丈にふるまってたけど、いろんなことを不安に思っていることが態度のはしばしから伝わって、とても助けてあげたくなるいい子だわ。
……よく眠れているかしら?
私はドア越しにそっと耳を済ませる。
「……う、うう…………いや………………」
え!? なんだか苦しそうじゃない……?
勘違いかしらと思いながら、私は両耳をぺたっとドアにくっつける。
「…………いたい……くるしい……先生……」
はっきりとタイチくんが苦しむ声が聞こえる!
これはいけないわ。
私はドアをノックすると管理鍵を取り出す。
「タイチくん、大丈夫? 私よ、ハナナよ。悪いけど、心配だから入らせてもらうわね」
返事を待たずにがちゃりと鍵を回してドアを開けると、びくんとタイチくんが飛び起きるのが見えた。
「だ、だ、誰?」
寝台の上でうずくまるタイチくんがひどくおびえた声で私に言う。じっとにらまれている気がする。たぶん、記憶が混乱しているんだろう。額が汗びっしょりで前髪がはりついてしまっている。よほどこわい夢を見たのね。かわいそうに。
私はなるべく優しい声をかける。
「タイチくん。私よ、ハナナよ。チロルの母さんで宿のおかみさん。
うなされてたみたいだから、様子を見に来たのよ」
タイチくんはまだ荒い息をはぁはぁとしているが、少し落ち着いてきたみたいだ。
「ハ、ナナさん? ……あ、そっか、ここ、野々花荘……」
「そうそう。思い出した? そっちにいってもいいかしら?」
こくんとタイチくんがうなずいたのを見て、私はタイチくんに近寄る。
あらまあ、おでこだけでなく全身汗びっしょりだわ。着替えなくちゃ。寝具も交換した方が良さそうね。
「タイチくん、起きられる? 汗をたくさんかいてしまっているから、着替えましょう。本当ならもう一度お風呂に入れてあげたいところなんだけど、もう今日は火を落としてしまっててね。食堂でお湯を沸かしてくるから、よかったら、熱いぬれ手拭で体をふいて。少しはすっきりすると思うんだけど」
「あ……はい。ありがとうございます」
のっそりと寝台から起き上がってきたタイチくんを私は椅子に座らせる。体が冷えるといけないので、毛布を肩からかけておく。
「じゃあ、替えの寝間着とお湯を持ってくるから少し待っててくれる? あと、寝具も換えるわね。灯りをつけてもいいかしら?」
「すみません、ありがとうございます……」
タイチくんがぼんやりした顔で頭を下げる。元々まだ庇護が必要な子どもだとは思っていたけれど、今はよりいっそう幼く見える。
……あとではちみつをいれた温かいミルクもいれてあげよう。私はそんなことを思いながら急いで準備に向かった。
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「はい、どうぞ。熱いから気をつけてね」
私ははちみつをたっぷりいれたホットミルクを、タイチくんへ差し出す。薫香酒をほんの少しだけ隠し味に入れてある。こうすると体がぽかぽか暖まってよく眠れるから。
「はい、ありがとうございます。すみませんでした、着替えとかシーツとかいろいろ……。もう夜遅いのに」
「気にしなくていいのよ。宿を営むっていうのはこういうもんよ。仕事のうちだから気にしないでちょうだい」
私はつとめて明るく答えるが、タイチくんの顔は暗くしずんだままだ。
まだ夢の内容をひきずっているのかしら……。
タイチくんが寝言で言っていた«先生»という言葉を思い出す。チロルからちらっと聞いた話だとタイチくんは孤児院のようなところで親御さんと離れて育ったそうだ。そこのことを思い出したのかしら……。
私が物思いにふけっていると、黙ってミルクを飲んだいたタイチくんが口を開いた。
「ハナナさんは……」
「うん? なぁに?」
「ハナナさんは、こんなに優しくて親切なのに……どうしてチロルとの約束を忘れちゃったんですか……?
本当の親でも、時間が立つと子どもとの約束ってやっぱり忘れちゃうのが普通なんですか……」
「え? 約束……?」
私は話が見えなくて聞き返す。
タイチくんはぼんやりとホットミルクを見つめたまま話し続ける。
「チロルの耳飾りです。将来ハナナさんから譲ってもらうはずだったけど、ガロンさんの紹介客のおじさんにあげちゃったって……。それで今日チロルは泣いてました」
私は驚く。まさか、チロルが泣いてたなんて。それもタイチくんが知ってるってことは人前で泣いたんでしょう。めったに泣かない子なのに……。
私はガロンさんが謝っていたことを思い出す。てっきり金銭的なことで謝られたと思ってたけど、あれは正確にはチロルのことだったのね。私は得心する。
「僕の……僕のお母さんは僕が生まれた時から病気で……僕は施設で育って……。でも何度か会いに来てくれたんです。それで……」
タイチくんはぼーっと話し続ける。私に話しているというより、ひとり言に近いようだ。私は黙って耳を傾ける。
「施設には僕とおんなじような子達がいっぱいいたんですけど……、その中のひとりがお母さんから誕生日プレゼントでぬいぐるみをもらってたんです。大きくてふわふわなウサギの……。みんなそれをうらやましがって……。
それで僕もちょうど会いに来てくれたお母さんに頼んだんです。次に来る時はウサギのぬいぐるみがほしいって……。お母さんも笑って、約束ねって言ってくれて。でも……」
タイチくんの顔がぐっとくもる。
「次に来た時、お母さんは何も持ってませんでした。それどころか約束自体を忘れちゃってるみたいでした。一緒に来てくれてた看護師さん……いや介護士さんかな。わからないけど、その人はお母さんは今病気が悪くなっちゃって調子が悪いから思い出せないんだよ、ごめんねって言ってくれたけど……。
僕はもうその時小学生だったからウサギのぬいぐるみは別に欲しくはなかったけど……。でも……きっとお母さんがウサギをくれたら僕は…………。
それでその後お母さんは死んじゃって…………」
そこまで話すとタイチくんの目からポロポロ涙がこぼれ始めた。
私はそっと手拭をタイチくんの前に差し出す。タイチくんはごしごしと涙をぬぐうと私に赤くなった目をむける。
「僕、ずっとお母さんは病気だから忘れてもしょうがないと思ってたんです。きっと病気じゃなかったら、ウサギのぬいぐるみのこと、覚えててくれたはずだって。
でも、ハナナさんは元気で明るくて優しくて健康で、きっととてもいいお母さんなのに、チロルとの約束を忘れてて……。
本当の親でも約束は忘れちゃうんですか? それはどうしてですか? 忙しいから? 他に子どもがいるから? それとも、本当はお母さんは僕のこと……」
どうでも……とタイチくんは言いかけて、言葉に詰まって泣き始めてしまう。私はタイチくんの隣に移動すると背中をトントンと叩いた。
「どうでもよくなんかないわ。タイチくんのお母さんはタイチくんのことを大事に思ってたはずよ。病気が悪化しちゃったのに、あなたに会いに来てくれたんでしょう? とっても愛してたってことだと思うわ。きっとお元気だったらとびきり大きな兎のぬいぐるみを持ってきてくれたと私は思うわ」
私は静かにタイチくんに言う。しゃくりあげる背中を優しく撫で続ける。
「タイチくんのね、質問だけど……。確かに親でも、本当の親でも子どもとの約束を忘れちゃうことはあるわ。どんなに愛してても生活に追われちゃうとどうしても、ね。そこは申し訳ないわ。
ただ、チロルとの約束のことは私はちゃんと覚えてるのよ。そこは訂正させてほしいわ」
「え? でも、チロルは……」
「うん。あの子は私が耳飾りをあげちゃったと思い込んでるってことよね? それは今まで知らなかったわ。傷つけてしまって申し訳ないわ。あとでちゃんと話して謝らないとね。
たしかに他の宝石はお客さんにあげちゃったんだけど、真珠の耳飾りだけはとっといたの。私も結婚式で身につけたし母の形見だしね。最初から渡すつもりはなくて大事にしまっておく予定だったんだけど……」
ふぅ、と私はため息をつく。
「そのお客さんが一番探していた宝石が真珠だって聞いてしまってね。なんでもその農村では、結婚式で海の宝石を身につけると一生ご飯に困らないって言う言い伝えがあるらしいの。娘さんもそのお客さんにぜひ真珠を身に付けたいとおねだりしてたそうでね。それで私も迷ったんだけど、絶対に傷つけないこと、きちんと期日までに私に返すことっていう条件で貸し出したの」
私は少し涙がおさまったタイチくんの顔を見る。
ミルクのカップをそっと勧めるとタイチくんは一口それを飲んだ。
……だいぶ落ち着いたみたいね。
タイチくんの様子を確認しながら私は話を続ける。
「もちろん、口約束じゃなくて、ギルドの支長に話を通してね。正式な貸し借りの契約文書を交わしたの。万が一に備えて転売防止届も商業ギルドの方にも提出して……。評判のいい魔導師様に頼んで追跡魔法までかけてもらったわ。貸し出すために結構なへそくりを使っちゃったくらいよ。だから夫のノエルには説明しづらくて、他の宝石と同じく無償で譲ったってことにしておいたの。ノエルは真珠の耳飾りのこと、それほど詳しく知らなかったしね。契約文書をかわすほど大事なものだと知らせちゃったら、逆にそんな大事なものは貸し出すなと止められてしまうからね。
でも、いま思えばそれが誤解の元ね」
「そ、そうだったんですか……。じゃあ、真珠の耳飾りはもう戻ってきてるんですか?」
「ああ、それがねぇ。ずっとしまってたものを貸し出したでしょう? だから金具が少しゆるんでたみたいで……。結婚式が終わった後に真珠がひとつとれてしまったみたいなの。
でも契約では«絶対に傷つけないこと»ってなってるでしょう? お客さんは真っ青になったらしくて……。腕利きの彫金師を探しだしてあわてて修繕してもらったそうよ。私としては取れた真珠ごと返してくれればそれで良かったんだけどね。お礼のお金や品物が多かったのは耳飾りを返すことが遅れるお詫びも含まれてたの。期日まではまだ余裕があるのに本当に律儀な方だわ。
それでちょうど明日返しに来てくれる予定なのよ」
「そうだったんですか……。良かった、じゃあチロルに教えてあげないと」
「ええ、そうね。明日戻ってきた耳飾りを見せてチロルにも事情を説明するわ。
……ありがとう、タイチくん。チロルのことを思いやってくれて。あの子は長女で聞き分けがよくて、ついつい私も頼っちゃってね。我慢しがちな子だから、あなたが教えてくれなかったらきっと私は気づけなかったわ」
「いえ、僕もいろいろ言っちゃって、泣いたりしてごめんなさい……」
謝りながらタイチくんの目はとろんとしている。ホットミルクはほとんど空っぽだ。だいぶ眠くなってきたみたいね。
「そろそろ寝台に戻りましょうか。明日も予定がつまってるんでしょう? もう寝ましょうね。
ああでも、うがいだけはした方がいいわ。はちみつをたっぷり入れたからね」
「はい……」
眠そうな目をこすりながらタイチくんが洗面台に向かう。私は空になったミルクのカップを片付けながらそれを見つめる。
タイチくんがうがいを済ませて横になったところで私は声をかける。
「さあ、今度こそゆっくりおやすみなさい」
「はい……おやすみなさい…………」
うとうとしているタイチくんに毛布をしっかりかけて私は灯りを消す。
……今度は良い夢を見れますように。
私は静かに扉を閉めて部屋を後にする。カップを抱えて暗い廊下を歩きながら、手が空いたら兎のぬいぐるみを作ってみようかしら、なんて考えていた。
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