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プロローグ

元植物園職員の作者が書く異世界植物ファンタジーです

太一(たいち)くん、気分を切り替えてお風呂にでも入ってらっしゃい。今日は共同のじゃない個別のお風呂を自由に使って良いから」


 園長先生が見かねたように僕に言った。

 お風呂なんか全然入る気分じゃなかったけれど、背中をさすられて顔をのぞきこまれては入らないわけにはいかなかった。あきらかに心配されている。


「……はい。着替えをとってきます」


「そうしなさい。ゆっくり入って良いからね。時間を気にせず暖まっておいで。少しは気分も良くなるでしょう」


 ひどく優しい声で園長先生が言う。

 僕はぼんやりそれを聞きながらのろのろと風呂の支度(したく)を始める。

 あまり使われない個室のお風呂は施設の別棟にある。がらがらと脱衣所の扉を閉めると談笑(だんしょう)する人の声はかなり遠ざかってしんと静かになる。少しほっとした。一人になりたかった。そういう意味ではお風呂に入るのは悪くなかったかもしれない。

 

 個室風呂の湯船にはお湯がたっぷり張ってあった。園長先生が用意してくれたのかな。湯気がもうもうと立ちあがっている。

 僕は手足に少しだけかけ湯をしてお湯の温度を確かめると、そのままざぶんと湯船に飛び込んだ。ざざーとお湯が音を立てて流れていく。

 いつもなら体をきちんと洗ってからじゃないと入れないから、個室風呂ならではの贅沢(ぜいたく)だ。ただの横着(おうちゃく)とも言えるけど。

 思ったより体が冷えていたみたいで背中や爪先がビリビリしびれた。しばらく我慢しているとしびれも落ち着いてお湯の暖かさに体がゆるんでくる。


「――あ」


 ふいにポロリと涙がこぼれた。

 一度こぼれると後から後から涙がこみ上げてくる。僕は腹が立って顔をざぶっとお湯につけた。


 ……番号がなかった。そんなはずないと思って何度も何度もくり返し探した。でもなかった。付き添いに来てくれた先生も一緒に見てくれた。やっぱりなかった。ないものなない。

 

 僕は志望校に落ちた。

 それも後期受験だ。つまり終わりだ。もうこれ以上どうしようもない。僕の夢は終わった。

 僕は理科教師にはなれない。

 

 学校と施設で何度もした進路相談のことがまるで走馬灯(そうまとう)みたいに頭をよぎる。

 理科教師の資格がとれること。

 国公立の大学で学費が安いこと。

 寮があること。

 奨学金があること。その受給資格に該当していること。 

 受験料や交通費を施設から出してもらえるかどうか。

 いろんな条件を照らし合わせてここなら!という志望校だった。

 成績だって決して手が届かない高望みじゃなかった。可能性は十分あったんだ。だから施設のみんなが背中を推してくれた。 


施設(ここ)を出る時は、みんな就職して駆け出しの社会人になる子ばかりだったけど、初めて大学生になる子がでるのねぇ』


 しみじみと誇らしそうにつぶやく園長先生の言葉がフラッシュバックする。


「ぶはっ」


 苦しくなってお湯から顔を上げる。ぱたぱたと顔から(しずく)がしたたり落ちる。

  

「……こわい」

 

 気づいたらつぶやいていた。こわい。これからどうしよう。

 本当はどうしようもこうしようもないことがわかっていた。今は受験に集中しましょう。そんな周りの声もあって、受験に落ちたときのことは考えないようにしていた。受かる可能性が高かったからそうしていたのもある。だけど、本当はわかっている。

 園長先生は落ち着いたら今後の話をじっくりしましょうと言ってくれてたけど、僕の今後なんて……。

 今さらだって何だってまずは就活しなくちゃいけない。この施設は児童養護施設。ここにいられるのは原則18歳まで。僕はもう18歳だ。どんなに落ち込んでても出ていかなくちゃいけない。園長先生は理由があれば退所を延長できるし、その制度を利用できないか県にかけ合ってみるって言ってくれたけど……そんなのどうなるかわからない。駄目だったら予定どおりでていかなくちゃいけない。

 本当は落ち込んでるヒマなんてないんだ。とにかくバイトでもなんでもいいから探さなきゃ。早く自立しなきゃ食費さえない。学校の寮に入れなくなったから、家だって探さなくちゃ。僕を住ませてくれるところあるんだろうか……。

 もし、もしも、退所することになっても家が決まってなかったら? 仕事がなかったら? 間に合わなかったら? ……生活保護? それともホームレス? 借金しなきゃいけないのかな。どうなるかわからない。すごく、こわい。

 

 一般家庭の子が心の底からうらやましい。

 年齢制限がなくて、いつでも帰れる場所があるなんて、本当にうらやましい。

 家族の文句を言ってるクラスの友達のことをいつも聞き流していたけど、ずっとずっとうらやましく妬ましくてしょうがなかった。

 自分の家や家族がいるってどんなに安心なんだろう。

 施設育ちの自分がとてもうらめしくて悲しい。

 先生たちは優しいけど、家族じゃない。18歳を過ぎたらもうここにはもう帰ってこれない。

 ましてや浪人の費用なんか、出してくれる人はいない。


「大学、行きたかったぁ……!」


 オレはわんわん声をあげて泣いた。

 涙なのか鼻水なのかお湯なのかわからない。顔がべちゃべちゃだ。のどの奥がひっくり返ってものすごい声が出る。風呂場に泣き声が(ひび)いてうるさい。

 バカみたいだと思っている冷静な自分がいる。でも泣くのを止められなかった。


「わああぁっ、んぐ、うえっ」


 後から後から涙があふれてくる。

 どれくらい泣き続けたんだろう。長風呂していることもあって頭がボーッとしてくる。


「う、ひっく…………。いたっ!」

 

 泣き続けていたら急に(するど)い痛みが胸に走る。

 痛い。胸が苦しい。


「い、痛い。何? いたっ」


 痛い。苦しい。

 痛む胸を思わず押さえる。鋭い痛み。どんどん激しくなる。


「あ、う、わ…………」


 声が声にならない。身体がお湯に沈んでいく。もがこうとして手足をバタつかせたつもりが、ほんのちょっとお湯を揺らしただけで終わる。

 苦しい、苦しい、苦しい。痛い!


 ――――だれかたすけて


 最期の声は誰にも届かずに僕の意識は暗転した。

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