第九章:鉄と血の協奏曲、そして夜明けの選択
カルヴァ領の軍勢は、怒涛の勢いでアークウッド領との境界線を突破し、セイジたちの村が目指す平原へと進軍してきた。その数、およそ五百。前回を遥かに凌ぐ兵力に加え、後方には不気味な姿の破城槌や移動式の射出台といった攻城兵器が数基、重々しく牽引されていた。
「予想以上の大軍だな……そして、あの兵器か」
セイジは、アークウッド領の援軍と共に丘陵地帯に布陣し、迫り来る敵軍を冷静に見据えていた。彼の隣には、アルフォンス領主が緊張した面持ちで立っている。
「キリヤマ殿、我々の策は……本当に通用するのだろうか」
アルフォンスの不安も無理はなかった。平原での会戦となれば、兵力と装備に劣るセイジたちに勝ち目はない。
「アルフォンス殿、我々の策は、敵を殲滅することではありません。敵の戦意を砕き、この地を諦めさせることです。そのためには、彼らの計算を狂わせ続ける必要があります」
セイジの戦略は、徹底した遊撃戦と、地形を利用した防御戦の組み合わせだった。主力は丘陵地帯の森に潜み、敵が攻城兵器を展開しにくい隘路へと誘い込む。そして、アークウッド領の弓兵と騎兵、セイジの村の自警団が連携し、波状的に奇襲を仕掛ける手筈だった。
戦端は、カルヴァ領の先遣隊が隘路に差し掛かったところで開かれた。森に潜んでいたアークウッド領の弓兵たちが一斉に矢を放ち、敵の先鋒に混乱をもたらす。すかさず、セイジ率いる自警団の一部が側面から突撃し、短時間で打撃を与えては後退するヒットアンドアウェイ戦法を繰り返した。
「怯むな! 前進せよ! 敵は少数だ!」
カルヴァ領の指揮官、勇猛だが猪突猛進の気がある将軍バルガスは、怒号を飛ばして兵士たちを鼓舞した。彼は、前回の敗戦の責任を負わされ、この戦いで汚名を返上しようと躍起になっていた。
しかし、セイジたちの抵抗は執拗だった。隘路の各所に仕掛けられた罠が敵の進軍を遅らせ、その隙に森の中から矢や投石が降り注ぐ。カルヴァ軍は、攻城兵器を有効に活用できないまま、じりじりと消耗していった。
「キリヤマ殿の読み通りだ! 敵は我々の術中にはまりつつある!」
アルフォンス領主が興奮した声を上げる。
だが、バルガス将軍も歴戦の勇士。彼はすぐにセイジたちの意図を察し、強引に隘路を突破しようと、精鋭部隊を前面に押し出してきた。数に劣るセイジたちは、徐々に圧迫され始める。
「ここが正念場だ! 全軍、持ちこたえろ!」
セイジは自らも剣を抜き、最前線で指揮を執った。彼の冷静沈着な指揮と、時折見せる鋭い剣技は、兵士たちの士気を鼓舞した。村の自警団員たちも、家族や故郷を守る一心で、必死に戦った。農具を改造した槍や盾を手に、訓練された兵士たちに食らいつく。
激しい戦闘が数時間にわたって続いた。双方に多くの死傷者が出、戦場は血と土埃にまみれた。セイジたちの奮戦にもかかわらず、カルヴァ軍の物量と攻城兵器の圧力は凄まじく、防衛線は少しずつ後退を余儀なくされる。
「もはやこれまでか……」
アルフォンス領主の顔に絶望の色が浮かび始めたその時、戦場の後方、カルヴァ軍の補給部隊がいる辺りから、突如として黒煙が上がった。
「何事だ!?」
バルガス将軍が驚愕の声を上げる。
それは、セイジが密かに別動隊として編成し、大きく迂回させていたティムを含む数名の足の速い若者たちによる奇襲だった。彼らは、カルヴァ軍の補給物資に火を放ち、敵の後方を大混乱に陥れたのだ。
「今だ! 全軍、反撃開始!」
セイジはこの機を逃さなかった。補給を絶たれることを恐れたカルヴァ軍に動揺が広がる。セイジとアルフォンスは、残された全兵力を投入し、最後の反撃に打って出た。
勢いは、完全にセイジたちへと傾いた。指揮系統が乱れ、食料や矢の補給も断たれたカルヴァ軍は、次第に戦意を喪失していく。そしてついに、バルガス将軍は苦渋の決断を下した。
「……撤退だ! 全軍、撤退せよ!」
夕闇が迫る頃、カルヴァ軍は多くの死傷者と装備を残し、潰走を始めた。セイジたちは深追いはせず、勝利の雄叫びを上げた。それは、二度目の、そしてより決定的な勝利だった。
しかし、その激戦の様子を、遠く離れた丘の上から静かに見つめる者たちがいた。エルデン帝国の紋章を付けた数騎の斥候だった。彼らは戦いの詳細を記録し、静かにその場を立ち去った。彼らの報告は、エルデン帝国の最高意思決定機関である「枢密院」へと届けられることになる。そこでは、この辺境の小領地で起きた「番狂わせ」が、帝国の今後の戦略にどのような影響を与えるか、冷徹な議論が交わされるだろう。漁夫の利を得るべきか、あるいは静観を続けるべきか、それとも……。
戦いが終わった後、セイジとアルフォンスは、勝利の代償の大きさを改めて痛感していた。多くの兵士が傷つき、命を落とした。しかし、彼らの犠牲によって、この地域の平和は、少なくとも一時的には守られたのだ。
「キリヤマ殿……貴殿がいなければ、我々は今頃……」
アルフォンス領主は、感極まった様子でセイジの手を握った。
「アルフォンス殿、これは我々全員の勝利です。しかし、本当の戦いはこれからかもしれません」
セイジの視線は、エルデン帝国が位置する北の空へと向けられていた。
この戦いの結果は、瞬く間に周辺地域へと広まった。二度にわたるカルヴァ領の敗北は、その権威を大きく失墜させた。一方で、キリヤマ・セイジの名と、彼が治める小さな村、そしてアークウッド領との同盟は、新たな勢力として急速に認知されることになる。
いくつかの弱小領地からは、祝福の使者と共に、同盟への参加を打診する声も届き始めた。彼らは、カルヴァ領の圧政から解放され、セイジたちの下に新たな秩序が築かれることを期待していた。
しかし、それは同時に、セイジたちがこの地域の安定に対して、より大きな責任を負うことを意味していた。そして、エルデン帝国という巨大な存在が、この新たな動きをどう捉えるのか。
戦勝の宴もそこそこに、セイジは今後の国家運営について、アルフォンス領主と深く語り合った。
「我々は、単なる軍事同盟を超えた、より強固な連合体を形成する必要があるかもしれません。経済的にも、文化的にも、そして将来的には政治的にも連携を深め、この地域全体の安定と発展を目指すのです」
それは、セイジが抱く「国家連合構想」の第一歩だった。彼の視線の先には、日本の歴史における「連邦制」や、あるいは欧州連合のような、緩やかな国家の集合体のイメージがあった。
「そのためには、まず我々の足元を固めなければなりません。内政の充実、民の生活の向上、そして、エルデン帝国に対する外交戦略……やるべきことは山積みです」
異世界の夜空の下、二人の指導者は、新たな時代の夜明けを見据えていた。それは、血と鉄によって切り開かれた、希望と試練に満ちた未来だった。