第六章:灰の中から、未来への礎
カルヴァ領の軍勢が逃げ去った後、村は静寂に包まれた。しかしそれは、安堵の静けさではなく、激しい戦いの傷跡が生々しく残る、重苦しいものだった。あちこちで燻る煙、倒壊した家屋、そして何よりも、失われた命と流された血の臭いが、勝利の喜びを複雑なものにしていた。
「負傷者の手当てを急げ! 動ける者は、亡くなった者たちを丁重に弔う準備を!」
セイジの声が、呆然としていた村人たちに活を入れた。彼は自らも負傷者の介抱に加わり、的確な指示を出し続ける。前世で培った応急処置の知識は、この原始的な医療環境では貴重なものだった。マーサや他の女たちも、薬草を手に走り回り、必死に負傷者の看護にあたった。
数日をかけて、戦いの後始末は進められた。亡くなった村人たちは、ささやかながらも心のこもった葬儀で見送られた。彼らの死は、村人たちの胸に深い悲しみと共に、故郷を守り抜いたという誇りを刻みつけた。
しかし、感傷に浸っている暇はなかった。破壊された家屋の再建、荒らされた畑の修復、そして何よりも、カルヴァ領の再侵攻への備えが急務だった。
「カルヴァ領がこのまま黙っているとは思えない。おそらく、今回の敗北を雪辱するため、さらに大きな軍勢で攻めてくるだろう」
セイジは村の主だった者たちを集め、厳しい表情で語った。村人たちの間にも、先の勝利による高揚感は薄れ、新たな危機への緊張感が漂い始めていた。
「我々には時間がない。村の防衛体制をさらに強化し、食料と水の備蓄を増やす。そして……我々だけでこの村を守り抜くのは、いずれ限界が来るだろう」
セイジの言葉に、村人たちは顔を見合わせた。彼の言わんとすることは、皆、薄々感づいていた。
「他の領地との連携を考えるべきだ」
それは、この閉鎖的な辺境の村にとって、大きな転換を意味していた。これまで、他の領地は収奪者か、あるいは無関心な隣人でしかなかった。しかし、カルヴァ領という共通の脅威に対抗するためには、新たな関係を築く必要があった。
奇しくも、その機会は意外な形で訪れた。
カルヴァ領との戦いから数週間後、村に一人の旅の商人が訪れた。彼は、セイジたちの村がカルヴァ領の侵攻を撃退したという噂を耳にし、興味を持って立ち寄ったのだという。
「いやはや、驚きましたな。あの強欲なカルヴァ領を、こんな小さな村が打ち破ったと聞いた時には、にわかには信じられませんでしたよ」
商人は、セイジに深々と頭を下げた。彼の話によれば、近隣の弱小領地の多くは、カルヴァ領の圧政に苦しめられており、セイジたちの勝利は、彼らにとって大きな衝撃と、そして密かな希望を与えているらしかった。
「もしよろしければ、いくつかの領主様方に、貴殿の武勇伝をお伝えしてもよろしいですかな? きっと、興味を持つ方がいらっしゃるかと」
商人の申し出は、セイジにとって渡りに船だった。彼は商人に対し、カルヴァ領の脅威と、それに対抗するための連携の必要性を説いた。商人は、セイジの言葉に熱心に耳を傾け、協力を約束してくれた。
数日後、隣接する小さな領地、アークウッド領から、一人の使者が訪れた。アークウッド領もまた、カルヴァ領の圧力に苦しむ領地の一つだった。使者は、セイジに対し、正式な同盟の締結を申し入れてきた。
「貴村の勇気ある戦いは、我々アークウッドの民にも大きな希望を与えてくれました。どうか、我々と手を結び、共にカルヴァの暴虐に立ち向かっていただけないだろうか」
それは、セイジが望んでいた展開だった。しかし、彼は即断しなかった。
「同盟は、互いの信頼があってこそ成り立つもの。まずは、貴殿の主君と直接お会いし、お互いの考えを確かめ合いたい」
慎重なセイジの態度に、使者は少し戸惑ったが、すぐに理解を示した。こうして、セイジは初めて、他の領地の領主と公式な会談を持つことになった。
夜、セイジは一人、屋敷の自室で、この世界の未来について考えていた。彼の頭の中には、単なる領地の防衛や拡大だけではない、もっと大きな構想が広がりつつあった。
(民が安心して暮らせる国。搾取されることなく、努力が報われる社会。そして、異なる文化や価値観を持つ者たちが、互いに尊重し合い、共存できる世界……)
それは、前世の日本で彼が追い求め、そして挫折した理想の姿でもあった。しかし、この異世界でなら、一からそれを築き上げることができるかもしれない。
(そのためには、力が必要だ。だが、その力は、民を支配するためではなく、民を守り、民を豊かにするために使われなければならない)
彼の脳裏に浮かんだのは、日本の歴史の中で育まれてきた「和」の精神。そして、国民一人ひとりの幸福を追求する「民本主義」の思想。それらを、この異世界の現実に合わせてどのように実現していくか。
(まずは、この村を、そして同盟を結ぶであろう領地を、豊かで強い共同体にする。そして、その輪を少しずつ広げていく。武力だけでなく、文化や経済の力も使いながら……)
それは、途方もなく壮大な計画だった。しかし、セイジの心には、不思議な高揚感があった。カルヴァ領との戦いを乗り越え、村人たちの信頼を得た今、彼には確かな手応えがあった。
翌日、セイジはアークウッド領の領主との会談に臨んだ。それは、彼がこの異世界で築き上げる新たな国家の、外交における第一歩となるのだった。彼の胸には、前世の政治家としての経験と、この世界で得た新たな決意が宿っていた。
日本の伝統と精神を胸に、異世界の地で新たな国を創る。桐山誠司、いや、キリヤマ・セイジの真の戦いは、まだ始まったばかりだった。