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第三章:最初の一歩、反発と理解の狭間で

屋敷に戻ったセイジは、休む間もなく行動を開始した。まずは、マーサの戸惑いをよそに、屋敷内の徹底的な清掃を命じた。

「マーサ、まずはこの屋敷からだ。窓を開けて空気を入れ替え、床も壁も徹底的に拭き清める。それから、不要なものは全て外に出してくれ」

「は、はあ……坊ちゃん、それは構いませんが、一体何を……?」

「病の多くは、不潔な環境から生まれる。まずは身の回りから清潔にすることが肝要だ」

セイジは自らも率先して動き、埃だらけの窓を開け放ち、蜘蛛の巣を払った。その姿に、最初は訝しげだったマーサも、次第に手を動かし始める。数時間後、屋敷は見違えるように風通しが良くなり、長年こびりついていた淀んだ空気が薄らいだ。

次にセイジが取り組んだのは、ゴミ処理の問題だった。

「マーサ、村人たちに伝えてほしい。屋敷の裏手、少し離れた場所に穴を掘り、そこをゴミ捨て場と定める、と。今後は、ゴミを無闇に捨てるのではなく、必ずそこに集めるように、と」

「ゴミ捨て場、でございますか……?」

「そうだ。そして、汚物は生活空間からできるだけ離れた場所に捨てる。これも徹底させる。食料を扱う前や、用を足した後には手を洗うこともだ」

セイジの言葉に、マーサは目を丸くした。ゴミをまとめて捨てたり、手を頻繁に洗うなど、この村では考えられない習慣だったからだ。

案の定、村人たちの反応は芳しくなかった。セイジの指示を伝え聞いた彼らは、遠巻きに様子を窺うばかりで、積極的に協力しようとする者はいない。中には、「貴族様がまた何か思いつきでくだらないことを始めた」と嘲笑する者さえいた。

「手を洗ったとて、腹が膨れるわけでもあるまいに」

「ゴミなんざ、その辺に捨てておけば獣が食うか、雨風でなくなるだろうよ」

そんな声が、セイジの耳にも届いてきた。しかし、彼は意に介さなかった。前世でも、新しい政策や改革には必ず抵抗がつきものだった。重要なのは、結果で示すことだ。

セイジはマーサと、そして屋敷に仕える数少ない使用人たちと共に、自らゴミ捨て場の穴を掘り始めた。黙々と土を掘り返すセイジの姿に、村人たちは奇異の目を向けた。領主の養子が、泥まみれになって働くなど、彼らの常識では考えられないことだった。

数日後、セイジは村の唯一の井戸へと向かった。そこでは、相変わらず水を求める村人たちが列を作り、不満の声を漏らしていた。

「この井戸だけでは、とても村全体の水を賄いきれんな」

セイジは井戸の構造を観察し、水の湧き具合を確かめた。そして、周囲の地形や植生に目を配る。自衛隊時代に叩き込まれたサバイバル技術が、こんなところで役立つとは思わなかった。

「マーサ、この辺りで他に水が湧きそうな場所を知らないか? あるいは、昔、井戸があった場所とか」

マーサはしばらく考え込み、やがておずおずと口を開いた。

「そういえば……森の少し奥まったところに、昔、小さな泉があったと聞いたことがありますだ。でも、もう何年も誰も近寄っておらんし、本当に水があるかどうか……」

「案内してくれ」

セイジの即断に、マーサは驚いたが、逆らうことはできなかった。

セイジは、数人の若い村人に声をかけた。

「おい、お前たち。少しばかり力を貸してほしい。新たな水源を見つけられれば、水汲みの苦労も減るはずだ」

しかし、彼らは顔を見合わせるばかりで、動こうとしない。

「泉なんて、本当にあるのかよ」

「森の奥は危ねえって話だぜ」

その時、列の後ろの方から、一人の少年が歩み出た。歳は十歳くらいだろうか。痩せてはいるが、その目にはまだ好奇心の光が残っていた。

「僕、知ってる! じいちゃんが言ってた。森のクヌギの大木の近くだって!」

少年――名をティムという――の言葉に、他の村人たちがざわめく。セイジはティムに優しく微笑みかけた。

「そうか、案内してくれるか?」

「うん!」

ティムの元気な返事に、若い男たちの中から、一人、また一人と、「まあ、見てみるくらいなら」と腰を上げる者が出てきた。反発や無関心の中に、ほんの少しだが、変化の兆しが見えた瞬間だった。

セイジはティムと数人の村人を引き連れ、マーサの記憶とティムの言葉を頼りに森へと入った。険しい道なき道を進むこと半刻ほど。鬱蒼とした木々の間に、古びたクヌギの大木が見えてきた。そして、その根元には、確かに小さな窪みがあり、そこから僅かながら水が染み出していた。

「これだ!」

セイジは確信した。周囲の土壌や植生から判断して、ここを掘り進めれば、まとまった量の水が得られる可能性が高い。

「皆、手伝ってくれ! ここを掘れば、新しい井戸ができるかもしれん!」

セイジの言葉に、最初は半信半疑だった村人たちも、実際に水が染み出しているのを見て、目の色を変えた。渇きは、彼らにとって死活問題だったからだ。彼らはセイジの指示に従い、持ち寄った粗末な鍬やシャベルで、懸命に土を掘り始めた。セイジもまた、彼らに混じって汗を流す。

数時間の作業の後、ついに窪地の底から、勢いよく水が湧き出した。

「おおっ! 水だ! 水が出たぞ!」

歓声が上がり、村人たちは湧き出す水を手に取り、顔を濡らして喜んだ。それは、この荒廃した村に生まれた、小さな、しかし確かな希望の光だった。

屋敷に戻ったセイジは、マーサに命じて、新しい井戸の水を煮沸して飲むように村人たちに伝えさせた。そして、ゴミ捨て場の運用と手洗いの励行も改めて指示する。

まだ多くの村人はセイジの行動を訝しんでいる。しかし、新しい井戸の成功は、彼らの中に小さな変化を生み出していた。少なくとも、「あの貴族の坊ちゃんは、口先だけではないらしい」という認識が広まりつつあった。

その夜、セイジは一人、自室で地図を広げていた。それは、彼が記憶を頼りに描いた、この領地とその周辺の粗末な地図だった。

(衛生改善と水の確保は、ほんの始まりに過ぎない。次は食糧増産だ。農業技術の改善、そして、組織的な食糧管理……やるべきことは山積みだ)

窓の外からは、虫の音が聞こえてくる。それは、前世の日本で聞いた音とは少し違う、異世界の響きだった。

(だが、どんな世界であれ、民が安心して暮らせる国を作る。そのために、俺はここにいる)

セイジは、静かに決意を新たにする。彼の異世界での国づくりは、まだ始まったばかりだった。

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