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第二章:荒廃の村、希望の萌芽

老婆――名をマーサというらしい――に支えられながら、セイジは初めて屋敷の外へ足を踏み出した。屋敷と言っても、石造りの小さな砦のようなもので、あちこちが傷み、手入れが行き届いていないのは明らかだった。それでも、村の家々よりはいくらかマシなのだろうと、セイジは直感的に理解した。

村は、屋敷を取り囲むように点在していた。しかし、そのどれもが粗末な木造か、土壁の小屋で、屋根には穴が開き、壁は傾きかけている。道と呼べるものはなく、雨が降れば泥濘と化すであろう裸の土が広がっているだけだ。

「これが……我が領地か」

セイジの口から、思わず呻きに近い声が漏れた。前世で訪れた発展途上国の貧しい村々よりも、さらに深刻な状況に見えた。

「……ひどいもんだろう、坊ちゃん。前の領主様が亡くなられてから、ここの暮らしは坂道を転がり落ちる一方さね」

マーサが諦めたような、それでいてどこかセイジの反応を窺うような目で呟いた。

村の中をゆっくりと歩き始めると、さらに厳しい現実がセイジの目に飛び込んできた。

まず鼻をついたのは、汚物と腐敗の臭いだった。生活排水は垂れ流しにされ、家畜の糞尿も処理されていない。ところどころにゴミが山積みにされ、ハエが群がっている。衛生観念というものが、この村には存在しないかのようだった。

「これでは病が蔓延するのも時間の問題だ……いや、既に蔓延しているのかもしれない」

セイジは元自衛官として、PKO活動などで劣悪な衛生環境が引き起こす悲劇を目の当たりにしてきた。この状況は看過できない。

村人たちの姿も痛々しかった。痩せこけた体にぼろをまとい、その表情は一様に暗く、生気がない。子供たちは土埃にまみれて遊びもせず、ただ空腹に耐えるようにうずくまっている。セイジの姿を見ても、怯えるか、あるいは無関心な視線を向けるだけで、領主の養子に対する敬意や期待のようなものは感じられなかった。彼らは、希望を持つことすら忘れてしまったかのようだった。

畑に目をやれば、作物はまばらで、明らかに手入れが不足している。痩せた土地に、知識もないまま種を蒔いているだけなのだろう。これでは十分な収穫など望むべくもない。

「マーサ、この村の主な食料は何だ? 畑の作物はあれだけか?」

セイジの問いに、マーサは力なく首を振った。

「麦や芋を少しばかり作ってはいるがね。ほとんどは森での狩りや採集さ。だが、それも最近じゃ獲物が減ってしまってねぇ……。冬を越せるかどうか、皆、不安なんだよ」

狩猟採集に頼る不安定な食糧事情。セイジは眉をひそめた。これでは計画的な生活など不可能だ。

ふと、村の一角で数人の男たちが言い争っているのが見えた。聞き耳を立てると、どうやら残り少ない飲み水を巡って揉めているらしい。井戸は一つしかないようで、しかも水量が乏しいのか、順番待ちの列ができていた。

「水か……これも深刻だな」

組織的なインフラ整備の必要性を痛感する。

一通り村を見て回ったセイジは、屋敷に戻る道すがら、重い沈黙を続けていた。彼の脳裏には、自衛隊時代に叩き込まれた災害派遣や復興支援の知識が蘇っていた。そして、政治家として学んだ、民衆の心を掴み、組織を動かすための手法が。

「マーサ、一つ聞きたい。この村に、村長のようなまとめ役はいるのか?」

「村長かい? 前の領主様がいらっしゃった頃にはいたがねぇ。もうずいぶん前に病で亡くなって、それっきりさ。今は皆、自分のことで精一杯で、誰かをまとめようなんて考える余裕のある者はおらんよ」

やはり、リーダーシップの不在も大きな問題だった。烏合の衆では、どんな改革も進まない。

屋敷に戻り、粗末な椅子に腰を下ろしたセイジは、目を閉じて深く息を吸い込んだ。目の前に広がるのは絶望的な光景ばかりだった。しかし、彼の心は不思議と折れていなかった。むしろ、やるべきことが明確になったことで、静かな闘志が湧き上がってくるのを感じていた。

(まずは衛生改善と水の確保だ。そして、食糧生産の安定。そのためには、民を組織し、動かす必要がある)

前世で培った知識と経験が、この異世界で通用するかは未知数だ。しかし、民を想う心、国を良くしたいという願いに、世界の壁などないと信じたい。

(俺がやらねば、誰がやる)

セイジは、ゆっくりと目を開いた。その瞳には、先ほどまでの青年らしい頼りなさとは違う、強い意志の光が宿っていた。

「マーサ、少し手伝ってほしいことがある。まずは、この屋敷の周りからだ」

セイジは、具体的な指示を出し始めた。それは、この荒廃した土地に、彼が築き上げる新たな国家の、最初の一歩となるのだった。

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