第十二章:巨龍の爪牙、連合の礎、そして魂の共鳴
エルデン帝国の沈黙は、嵐の前の静けさに過ぎなかった。セイジたちの辺境領主連合が、帝国の最初の揺さぶりを乗り越え、むしろ結束を強めつつあると見るや、帝国は次なる一手として、より本格的かつ多角的な外交攻勢を開始した。
まず仕掛けてきたのは、経済的な圧力だった。帝国は、連合との交易品に関税を一方的に引き上げ、さらには連合と交易を行っていた中立の商人たちに対し、帝国との取引停止をちらつかせて圧力をかけた。これにより、連合の主要な収入源であった木材や改良農具の輸出が滞り始め、連合経済に暗い影を落とし始めた。
「これは明らかに、我々の経済的自立を妨げ、内部から不満を増幅させようという魂胆だ」
セイジは連合会議で、厳しい表情で分析結果を報告した。一部の領主からは、早くも悲鳴に近い声が上がり始める。
さらに帝国は、連合に参加していない周辺の小領主たちに対し、甘言と脅迫を織り交ぜて取り込みを図り、連合を外交的に孤立させようと画策した。また、連合内部の不満を抱える領主や、野心を持つ有力者に対し、密かに使者を送り、地位や金銭を約束して内応を誘うという、露骨な分断工作も仕掛けてきた。
「エルデン帝国は、我々を力でねじ伏せるのではなく、じわじわと首を絞めるように追い詰めるつもりらしい。だが、我々はこの程度で屈するわけにはいかない」
セイジは、帝国の攻勢に対し、多方面で対抗策を打ち出した。経済制裁に対しては、連合内での内需拡大と、帝国への依存度を減らすための新たな交易ルートの開拓を指示。幸い、先の技術革新で生まれた新しい織物や工芸品は、帝国の影響力が比較的弱い南方地域で新たな市場を見つけつつあった。
外交的な孤立化に対しては、セイジ自らが積極的に周辺の未参加領地へ赴き、帝国の脅威と連合の理念を説いて回った。彼の誠実な人柄と、連合がもたらす具体的な利益は、いくつかの領地を新たに連合へと引き入れることに成功する。
しかし、最も困難だったのは、連合内部の結束を維持することだった。帝国の甘言に乗り、連合からの離脱や内応を画策する者が、残念ながら少数ながら現れ始めていた。
「もはや、議長の個人的な指導力だけに頼る時期は過ぎた。我々連合は、より強固で、公正なルールに基づいた統治システムを確立する必要がある」
セイジは連合会議で、大胆な提案を行った。それは、「連合憲章」とも呼べる基本法の制定、各領地の代表者で構成される常設の「連合議会」の設置、そして、連合内の紛争を調停し、法を執行するための「連合裁判所」の構想だった。それは、個々の領主の権限の一部を連合中央へ委譲し、より強力な中央集権体制を築くことを意味していた。
当然、各領主からは強い反発と懸念の声が上がった。
「我々の領地のことを、なぜ他の領地の者に決められねばならんのだ!」
「それは、キリヤマ議長による独裁への道ではないのか?」
「これは独裁ではない。法の支配だ」
セイジは毅然として答えた。
「個々の領主の善意や能力に頼るのではなく、明確なルールと手続きによって連合を運営することで、より公正で安定した統治が実現できる。そして、連合議会は、全ての領地の声が反映される場となる。連合裁判所は、力ではなく法によって紛争を解決する。これこそが、我々が帝国のような強大な存在に対抗し、内部の腐敗を防ぐための唯一の道だ」
セイジは、前世の日本や世界の歴史における立憲主義や議会制民主主義の知識を、この世界の状況に合わせて説明し、その利点を説いた。アルフォンス副議長も、セイジの構想を全面的に支持し、懐疑的な領主たちの説得に努めた。
議論は紛糾し、時には怒号が飛び交うこともあった。しかし、セイジの揺るぎない信念と、彼がこれまでに見せてきた実績、そして何よりも、エルデン帝国という共通の脅威が、最終的に多くの領主たちを納得させた。長い協議の末、連合憲章の草案が承認され、連合議会と連合裁判所の設置に向けた準備が開始されることになった。それは、この辺境の地に、近代的な国家システムが根付くための、大きな一歩だった。
このような政治的・経済的な緊張が続く中でも、セイジは人々の心の繋がりを育むことの重要性を忘れてはいなかった。彼は、連合設立一周年を記念して、大規模な「連合祭」の開催を提案した。
「異なる領地の民が一同に会し、互いの文化に触れ、共に楽しむ。それこそが、連合としての『一体感』を育むための最も良い方法だ」
祭りの準備は、連合全体で進められた。各領地からは、それぞれの特産品や伝統的な料理、歌や踊りが持ち寄られた。セイジの村では、ティムたちが中心となり、連合の成り立ちと英雄たちの活躍を描いた壮大な野外劇を企画した。アークウッド領からは、勇壮な騎馬行列が参加することになった。
祭り当日、連合の首都として定められたセイジの村には、かつてないほど多くの人々が集まった。異なる衣装を身に纏い、異なる言葉を話す人々が、同じ広場で笑い、語り合い、杯を交わす。子供たちは、領地の垣根を越えて一緒に遊び回り、若者たちは、互いの武勇や技を競い合う模擬戦や競技会に熱狂した。
祭りのクライマックスは、ティムたちが演じる野外劇だった。セイジやアルフォンス、そして先の戦いで活躍した村人たちが、実名で登場するその物語は、観客たちの心を強く揺さぶった。劇中で、連合の旗が力強く掲げられる場面では、広場全体から万雷の拍手が湧き起こり、多くの人々が涙を流した。それは、彼らが初めて「連合の一員である」という誇りと感動を、魂で共有した瞬間だった。
夜には、大きな焚き火が焚かれ、人々は輪になって踊り、歌った。異なる文化が混ざり合い、新たなハーモニーが生まれる。セイジは、その光景を満足げに眺めていた。
(これだ。これが、俺の目指す国の姿の一端だ。力や富だけではない。人々の心が繋がり、共に未来を語り合える国……)
しかし、その感動の裏で、エルデン帝国の影は依然として濃く、連合内部の課題も完全に解決したわけではなかった。祭りの賑わいの中、セイジは一瞬、遠く北の空を見つめた。巨龍の爪牙は、いつまた連合に襲いかかってくるかわからない。
連合の礎は築かれつつある。人々の魂は共鳴し始めた。だが、真の試練は、まだこれからなのかもしれない。セイジの戦いは、新たな段階へと突入しようとしていた。




