第一章 異邦の目覚め、そして決意
「……国民の皆様! この桐山誠司、身命を賭して、日本の誇りを取り戻す所存であります!」
割れんばかりの拍手と、レンズの放つ無数の光。選挙戦最終日、桐山誠司は声を嗄らしながら、最後の訴えを叫んでいた。陸上自衛隊一等陸佐から転身し、国会議員となった男の顔には、疲労の色こそあれ、揺るぎない信念の光が宿っていた。日本の伝統と文化を重んじ、真に国民のためとなる政治を目指す。その理想は、リベラルな風潮が主流の現代日本では、常に逆風に晒された。マスコミからは「時代錯誤」と揶揄され、政財界の重鎮からは「理想論者」と切り捨てられる。それでも、桐山は歯を食いしばり、己の信じる道を歩んできた。
その時だった。群衆の中から、何かが煌めいた。次の瞬間、腹部に灼けるような衝撃が走り、桐山は膝から崩れ落ちた。喧騒が遠のき、薄れゆく意識の中で、彼は日本の未来を案じていた。守るべきもの、そして、為すべきこと。志半ばで倒れる無念さが、胸を締め付ける。
次に意識が浮上した時、桐山を包んでいたのは、石造りの冷たい感触と、嗅いだことのない黴臭い空気だった。
「……ここは……?」
掠れた声で呟き、ゆっくりと目を開ける。薄暗い部屋の中、簡素な木製のベッドに横たわっていることに気づいた。窓からは弱々しい月光が差し込み、粗末な調度品をぼんやりと照らし出している。腹部の痛みは消えていたが、代わりに全身に言いようのない倦怠感がまとわりついていた。
混乱する頭で記憶を辿る。選挙応援中の凶弾。そうだ、自分は撃たれたはずだ。ならば、ここは病院なのか? しかし、この部屋の有様は、現代日本の医療施設とはかけ離れている。
その時、部屋の扉が軋む音を立てて開いた。現れたのは、粗末な麻布の服を纏った老婆だった。手には木の器を持ち、そこからは湯気が立ち上っている。
「おお、坊ちゃん。気が付かれたのかい」
老婆は桐山に近づき、皺だらけの手で彼の額に触れた。その温もりに、桐山は僅かな安堵を覚える。しかし、老婆の言葉は、桐山を更なる混乱へと突き落とした。
「熱も下がったようだねぇ。全く、あんな無茶をするから……。まあ、お貴族様とはいえ、まだお若いのだから、無理もないかねぇ」
坊ちゃん? お貴族様? 理解不能な言葉の連続に、桐山の眉間に皺が寄る。彼は起き上がろうとしたが、体に力が入らない。
「今は無理しなさるな。薬湯を持ってきたよ。これを飲んで、もう少しおやすみ」
老婆に促されるまま、桐山は木の器を受け取り、中身をゆっくりと口に含んだ。薬草の独特な苦みが舌に広がる。その味は、確かに現代のものではなかった。
数日間、桐山は高熱と悪夢にうなされながら、老婆の献身的な看病を受けた。その間、老婆から断片的に語られる情報を繋ぎ合わせ、そして、自らの置かれた状況を理解していく。
ここは、彼が知る日本ではない。魔法が存在し、剣が支配する異世界。そして自分は、何らかの理由でこの世界に転生し、辺境の小領地を治める没落貴族の養子、「キリヤマ・セイジ」として生きることになったらしい。元の領主であった養父は数年前に戦死し、領地は困窮を極めている。周囲の村々は飢餓に喘ぎ、野盗の略奪に怯える日々を送っていた。
「……そうか。俺は、死んで……そして、生まれ変わったのか」
鏡代わりに使われている水桶に映る自分の顔は、見覚えのない若い青年のものだった。歳は十代後半といったところか。しかし、その瞳の奥には、桐山誠司としての記憶と経験が、確かに宿っていた。
「日本の伝統文化、精神……民のための政治……」
前世で抱き続けた理想が、胸の内で再び熱を帯びるのを感じた。この異世界は、かつての日本がそうであったように、混乱と貧困の中にあった。民は希望を失い、ただ生きることに必死になっている。
「ならば、やることは変わらない」
桐山は、いや、キリヤマ・セイジは、ベッドからゆっくりと起き上がった。まだ本調子ではない体がふらつく。しかし、その足取りには、確かな力が込められていた。
自衛官として叩き込まれた組織運営のノウハウ。政治家として培った人心掌握術と政策立案能力。そして何よりも、日本の伝統に根差した「民を想う心」。それらが、この異世界でチート能力となるかは分からない。だが、彼には、この貧しい領地を、そして苦しむ民を救うための知識と経験があった。
「この世界で、もう一度……いや、今度こそ、理想を形にしてみせる」
窓の外に広がるのは、荒涼とした大地と、生気の感じられない村の姿。しかし、セイジの目には、そこに未来の豊かな国が映っていた。
まずは、この小さな村からだ。かつて自衛隊で学んだ危機管理、衛生管理、そして農業技術。それらを導入し、民の生活を安定させる。そして、彼らの信頼を勝ち取り、共にこの困難を乗り越える。
「見ていてくれ、この世界の民よ。そして……前世の日本よ」
セイジは、固く拳を握りしめた。彼の新たな戦いが、今、始まろうとしていた。