新たな生活
地平線の先まで続く、広大な草原があった。
大地を埋め尽くすのは、緑一色の植物達。細長く伸びた姿は、人間が生まれた星に生息していた『イネ科』によく似ている。この世界と人間がいた星に今まで繋がりはない筈なので、形態が似ているのは収斂進化の結果だろう。他の植物も、細かな特徴は人間生誕の星に生えていたものと異なるが、全体的な雰囲気はよく似ている。
だからだろうか。人間にとってこの光景が美しく、そして懐かしく思えるのは。
「……凄い、綺麗」
人間であるユミルは、胸の中を満たす想いを無意識に声に出した。
決して、嘘なんかではない。
彼女は本心からそう思っている。人間誕生の星云々と理由は付けられるだろうが、そんな事は些末な話だ。心から湧き立つ衝動は、自分の意思では止められない。何時までも、何処までも眺めていたく、その場に立ち尽くす。
「気持ちは分からなくもないですが、現実逃避は後にしませんか?」
ダーテルフスから声を掛けられなければ、あと三十分は棒立ちしていただろう。
……感動を現実逃避呼ばわりされたが、それも仕方なしと思う。
「……ええ、はい。そうですね」
片手に持った大きさ五十センチほどの鳥カゴ。その中にいる靄のように揺らめく小さなダーテルフスに答えつつ、ユミルは今まで見ていたのとは逆の方向へと振り向く。
そこにあったのは、全長五十メートルの小型宇宙船だった。
ただし大地に機首から突っ込んで船体の五分の一ほどが埋まり、四枚ある翼が全部へし折れ、あちこちから黒煙を上げている状態の。
何処からどう見ても墜落している。実際厳密な定義……パイロットが制御出来なかったという意味でも、宇宙船は墜落していた。ユミル含めた『乗組員』は全員生きているが、この宇宙船の直し方が分かる者はいない。
この船はもう、二度と宇宙へ飛び立つ事は出来ないだろう。
「いやー、あの時はほんと死ぬかと思いましたよ」
「想定されている死に方の一つではありましたがね。いずれにせよ、本当に運が良い。或いは悪いのかも知れませんが」
壊れた宇宙船を見ても、ユミルはけらけらと笑うばかり。ダーテルフスはその反応に呆れつつも、同意するような言葉を返す。
――――ルアル文明脱出作戦。
侵入生物では触れる事も出来ない説明不能の力を用い、宇宙間の痕跡を残さないマジックリングによって宇宙間移動を行う。これによりルアル文明の支配域から抜け出しつつ、侵入生物の追跡を振り切る。
ユミルが考案した脱出作戦は成功した。マジックリングは思惑通りルアル文明の宇宙船だけを通し、侵入生物は通さなかったのだ。厳密には想定通り侵入生物の接近で繋がりが絶たれたため、ルアル文明の様子は窺い知れないが……宇宙船を追跡してきた侵入生物が未だ現れていない事から、そう考えて良いだろう。
かくしてルアル文明は崩壊したものの、僅かな生存者はなんとか避難出来た。これから新しい宇宙での生活が始まる……
と言いたいところだが、事はそう単純ではない。このマジックリングによる脱出作戦は、数え切れないほどの『リスク』を抱えていた。
まず、転移先の宇宙がどんな場所が分からない点。侵入生物はゲート使用時の痕跡を辿り、別宇宙に移動してきた。ゲートというのは何も人や物が行き来する時だけ使うものではない。『観測』にもゲートは使われるのだ……侵入生物の祖先種が入ってきた時のように。実際ルアル文明崩壊直前には、観察しかしていなかった要観察対象宇宙にも侵入生物は入り込んでいる。
そのためマジックリングの接続先は、未調査宇宙の中からランダムに選ばれた。観測をしていない以上、その先がどうなっているかは全く分からない。
宇宙の法則は様々だ。時間がない宇宙、重力が外に向かう宇宙、物質が全てエネルギーに変わる宇宙、全てが引き伸ばされる宇宙……ルアル文明の力で『開拓』しなければ使い物にならない宇宙などいくらでも存在する。仮に安全な場所に辿り着けても、真空のエネルギーの濃淡が激しく、一メートル進めば地獄のような物理法則に見舞われる事もあるだろう。そんな中に飛び込めば、宇宙船が跡形もなく消えて『終わり』だ。当然中にいる市民も消えてしまう。
もう一つの問題は、生命の住める星があるかどうか分からない事。危険な環境ではなくとも、もしかすると星一つない、ただ暗黒が広がるだけの宇宙かも知れない。全長数十〜数百キロの大型植民船であればそのまま生活も出来るが、ユミル達が乗ってきた小型宇宙船ではほぼ不可能。出来なくはないが、循環装置が機能する物理法則がなくては飢えや窒息で死ぬのを待つだけ。仮に生き長らえても、たった数十メートルの『世界』で残りの一生を過ごす羽目になる。
他にも侵入生物以上に凶悪な生命の世界に辿り着いてしまう可能性や、文明に拿捕され異世界生物として見世物になる可能性など、『もしも』はいくらでも思い付く。そして無限の多様性を持つ宇宙に、あり得ない事など存在しない。未調査宇宙に飛び込むのは、自殺行為と称しても過言ではない。
しかし最早死地に活路を見出さねばならないほどに、ルアル文明は追い込まれた。脱出作戦はあくまで『自己責任』で行うよう通達されたが、生き残っていた住人の殆どが参加している。その中には自らの決断を後悔するほど、未知の世界で悲惨な目に遭っている者達もいるだろう。
それを思えば、ユミル達は極めて幸運だ。恐ろしい物理法則に襲われるどころか、人間が生身で呼吸が行える惑星に到着出来たのだから。
幸運過ぎて、マジックリングを通った宇宙船が出たのは惑星の大気圏内だったが。
「(実際ラッキーではあったけど。いきなりエンストしてたし)」
ルアル文明が用いるテクノロジーは、大半が数多の宇宙で編み出されたものの複合品だ。つまり様々な宇宙固有の、特異な法則に依存している。
ルアル文明では真空のエネルギーを操る事で、それらテクノロジーをどの宇宙でも使えるように調整していた。しかし言い換えれば、調整しなければ動かないテクノロジーが多数使われているという事でもある。ルアル文明外の宇宙で必ずしも使えるとは限らない、というより確実に使えないものが大多数だろう。
マジックリングの技術は元々召喚魔法であるため、出入口を意図した環境に設定する事は可能だ。だがリング同士を繋ぐなど『調整』なしではかなり精度が低く、リングが大型化するほどズレも大きくなる。ユミル達が使ったマジックリングであれば、数万キロ程度の誤差が出ると予想されていた。そもそも意図した環境に出られるかどうかも、目標座標を設定していない(未調査なのだから設定しようがない)状態では割と賭け。このため自力での移動能力がないと、理想的な惑星を前にして人工衛星が如く漂う羽目になりかねない。
その事を想定して、脱出に使った宇宙船には様々な推進装置が載せられた。ユミル達の宇宙船も様々な推進装置を備えている。が、全てを載せられない以上結局は運試し。宇宙船は一メートルと進まずにエンストしてしまった。どうにか動かそうとしてみたが……墜落してボロボロになった船を見れば結果はお察しである。出てきた場所がこの星の大気圏内でなかったら、何も出来ないまま宇宙空間を彷徨う羽目になっただろう。
宇宙船の体たらくを見るに、この世界でルアル文明の技術の多くは機能しない。
ダーテルフスも『生身』でいたら、さっと消えてしまった可能性が高い。
「ところで先輩。居心地は悪くないですか? ちゃんと『ケージ』の機能は働いてます?」
「はい、問題はありません。まぁ、機能が上手く作動しなかったら、一瞬で消えて楽な死に方が出来たでしょうが」
ユミルが持つ、鳥籠に似た容器の中にいる小さや揺らめき――――ダーテルフスは、能天気な口振りで縁起でもない事を言う。
ダーテルフス達創始種族は情報生命体……情報が形を得た存在だ。生きていくには、そのような存在を許す物理法則が必要である。しかしその物理法則を内包する宇宙は、あまり頻繁には見られない。このため創始種族はルアル文明から脱出しても、高確率で消滅するという危惧があった。
このため即席で製造されたのがケージと呼ばれる道具だ。正式名称は『小型物理法則保管容器』。カゴの中では真空のエネルギーが一定に保たれ、外界と異なる物理法則が維持されている。この中でなら情報が形を持てない世界でも、ダーテルフスは存続出来るという訳だ。
ケージの根幹技術が作用しない可能性があるので、これもやはり賭けではあったが、生身のまま別宇宙に向かうのに比べれば遥かにマシ。ダーテルフスが今此処に生きているのは、備えのお陰と言えるだろう。
難点としてはケージ内でしか物理法則は保たれていないため、一生外に出られないという事か。悲しい状態だとユミルは思ってしまうが、ダーテルフスは特段気にした素振りもない。合理的な彼は、生きている事そのものに価値を見出しているようだった。
実際生きるだけなら、ダーテルフスはケージの外に出る必要はない。情報生命体である創始種族は、情報を代謝する事で生存に必要なエネルギーを捻出出来る。誰かと他愛ないお喋りでもして、それを忘れれば何時までも生きられるのだから。
「まぁ、私の事は良いでしょう。それよりも、あなたの方が心配です。生身の身体を持つ生き物は、食べていかなければ生きていけないでしょう?」
むしろユミルの方が心配されてしまう。人間であるユミルが生きていくには、適切な大気に加えて水と食べ物が必要だ。物理法則さえ合えば、お喋りだけでも生きていける情報生命体よりも、生存条件は厳しい。
何も手を打たなければ、この星の環境次第ではあるが、ユミルは三日もすれば生命の危機に瀕するだろう。
しかしユミルはなんの迷いもない、屈託のない笑みを浮かべてみせる。恐れる事なんて何もないと言わんばかりに。
「大丈夫です! そのためにあの船には、色んなテクノロジーを積んできたんですからね!」
そして元気よく、不安などまるで感じられない声でそう答えた。
……………
………
…
というのが今からざっと(この惑星の自転周期で)五日前の事。
「ふひゅうぅぅうう……」
五日経ったユミルは、すっかり疲れ果てた声を漏らした。
宇宙船の一室こと操舵室にて。座席の一つに背中をもたれさせ、へろへろになった姿を晒している。服は捲れてお腹を出し、履いている靴は泥だらけ。挙句顔は腑抜けそのもの。
極めてだらしない。
「ユミル。せめて背筋ぐらいは伸ばしなさい」
傍に憧れの先輩がいるのにそうなってしまうほど、今の彼女は疲弊しているのだ。
「うへぅ!? はひ、すみません……」
「……いえ、少し考えればそれだけ疲労している事は簡単に想像出来ます。私の方こそ配慮のない言葉でした」
「そ、そんな事ないです! 先輩の言う通り、だらしなかったですし! ……はふ」
気を抜くと口から出てくるため息。慌てて口を閉じるが、それさえ疲れに感じてしまい、すぐに止めてしまう。
ユミルがここまで疲れている理由は、単純に激しい『肉体労働』をしているため。
その肉体労働の名を、畑作という。
……本来、ルアル文明脱出後といえども畑作などやる予定はなかった。宇宙船内にはレプリケーターと呼ばれる合成マシンが置かれており、これが大気分子から固形食糧を合成してくれるからである。
レプリケーターに使われている技術は極めて原始的で、故に大抵の宇宙で使える筈のものだった。念には念を入れて、仕組みの違うものを三種類用意している。これで何もせずとも、それなりに豊かな食生活は送れる筈だった。
しかし残念な事が起きた。
墜落時の衝撃で、レプリケーターが二台大破してしまったのである。一台は残っていて稼働もしたが、こちらも無事ではなく合成物のデータが破損。よりにもよって食料品がごっそり消失(他には兵器データなどが消えている)していて、医薬品や衣服ぐらいしか作れなかった。壊れた二台を直そうにも、宇宙船のエネルギー生産システムが停止していて、工具すらまともに動かない。
こんな緊急事態にも備えはあり、微生物培養層とそれをレーション加工する装置がある。こちらは無事動いたのだが……このレーション、ハッキリ言ってかなり味が酷い。例えるならば吐瀉物のような、苦みとえぐ味と酸味のオンパレード。咀嚼は勿論、飲み込むのも辛い。
これはあらゆる技術が使用不可能に陥った時の本当の奥の手であり、兎にも角にも「乗組員が生きていればOK」を追求した結果である。ぶっちゃけてしまえば使われる機会がなさ過ぎて、殆ど改良されなかった超ローテクノロジー。だからこそ何処の宇宙でも動くだろうという信用があり、それでもなお感謝の念が湧かないぐらい酷い代物だった。
このままでは幸福な生活は送れない。生きてるだけで丸儲けとは言うが、ただ生きてるだけなら培養槽の細菌と同じだ。知的種族は己の幸福を追求するからこそ、繁栄してきたと言える。
そのためユミルは農作業による食糧生産を始めた。美味しい野菜を食べる事が出来れば、幸せな生活に一歩近付く。
……嘗めていたつもりはないのだが、デスクワーク系科学者に肉体労働が務まる訳もない。ましてや農薬どころか農業機械もない、古代農法なら尚更である。
「うう……せめて手伝ってくれる方がいればよかったのに……」
「すまんね。俺等は自分の生活水準維持で手いっぱいなもんでな。何分手作業での地下掘りは何億年ぶりって感じだからな」
ユミルが漏らした愚痴に、背後から答えたのは水晶で出来た生命体――――ベーィムだった。
ユミル達がルアル文明宇宙から脱出するのに使った宇宙船には、ユミルとダーテルフスを含めて二十人が乗っていた。
その二十人のうち十八人が特殊な生命体……水晶生命体であるベーィムの一族だったのである。そもそもこの宇宙船はベーィムの私物で、彼の親族や友人が一緒に乗っていた。ダーテルフスが乗れたのも友人だからであり、ユミルなどダーテルフスのおまけに過ぎない。
一応大型移民船などは空きがあったので、脱出計画には参加出来ただろう。しかし脱出前に襲撃してきた侵入生物は、大型船を好んで襲っていた。エネルギー量の大きいものを優先していたと思われる。ベーィムの私物宇宙船でなければ、今頃侵入生物の餌になっていたかも知れない。
さて。そんな命の恩人である水晶生命体は、野菜を食べるだろうか?
勿論、一口も食べない。彼等が好むのは土壌や岩など、イメージ通りの代物だ。野菜なんて育てた事すらない。情報生命体であるダーテルフスも(そもそもケージの外に出られないが)農作業なんてしないし出来ない。そのため野菜栽培はユミル一人で行うしかなかった。
命の恩人に加え、彼等には野菜を得るメリットがない。それで手伝わなくて文句を言うのは、筋違いにも程がある。
それにベーィム達は今、地下掘り作業で手いっぱいだ。どうやらルアル文明参加の遥か以前、惑星文明だった頃の彼等は地下空間で暮らしていたらしい。ベーィムが言う通りもう何億年も前の話であり、果たして種として同じなのかという疑問もあるが、種族本来の暮らしを再現する事で新天地に馴染もうとしている。
みんな、それぞれ必死なのだ。
「……すみません。失言でした」
「いや、こっちも意地の悪い言い方をしたな。野菜の美味さは分からんが、美味しいものを食べられない辛さは分かるつもりだ。こちらに余裕が出来た時には、ま、俺ぐらいは手伝ってやるよ」
優しく声を掛けてくれたベーィムに、ユミルは笑みを返そうとする。しかし疲れから上手く表情筋が動かない。
自分の情けなさに、ユミルの気分はますます沈む。
されどその気分は、すぐに浮上する事となった。
「おっと、そうそう言い忘れていた――――エルフ達が来ているぞ。会いに行ったらどうだ?」
ベーィムが語った、この名前一つで。
「エルフさん達が来たんですか! 分かりました、ちょっと行ってきます!」
「おう、いってらっしゃい」
「いってらっしゃい。しかし仲良くするのは結構ですが、彼等は性別の把握が困難な種です。あまり気を許し過ぎると男性がこれにかこつけて卑猥な行為に」
「このくどくど鬱陶しい保護者は俺が相手しとくから、存分に仲良くしてこい。個人組織共々な」
ベーィムとダーテルフスに見送られながら、ユミルは操舵室から出ていく。ダーテルフスが何を心配しているのかは、よく分からなかったが。
――――大規模な移民を想定している大型宇宙船なら兎も角、生産設備で食糧難を逃れようとしている私物宇宙船に、農業作物の種子など積まれていない。ましてや水晶生命体の所有する船なら尚更だ。
ではユミルが栽培中の作物は何処のものか? それはこの星に生えていたものだ。されど自生していた種ではない。一般的に自力で動けない植物系生物は、身を守るために毒を持つ。この星に来た時に見た草原の植物も、致死的かどうかはさておき、なんらかの毒があると考えるのが無難だ。おまけに野生種は実りが小さく、ハッキリ言って苦労に見合わないほど生産効率が悪い。そして食べられるにしても大して美味しくない。
農業に適しているのは、やはり農業用に品種改良された『作物』なのだ。そしてこの星の植物に対し品種改良を行うのは、やはりこの星の『先人』に他ならない。
ユミルは先人から作物の種子を分けてもらった。
その先人こそがエルフという種族である。
「こんにちはー!」
宇宙船の外に出てたユミルが、手を振りながら呼び掛ける。
そこにいたのは、身長百五十〜百八十センチほどの人型生物だった。数は三人。いずれも長いローブを身に纏い、魔法使いに似た出で立ちをしている。尤もこの服装は彼等にとって一般的なものらしいが。ローブの下には金属製の鎧を着込み、彼等が武術に秀でた者達だと印象付ける。
顔立ちは極めて人間にそっくりで、皮膚も肌色で人間とほぼ同じ。強いて特徴を挙げるなら、人間基準で恐ろしいほどの美形である事と、そして男と女の差が小さい顔の作りである事か。胸が小さな女と、華奢な男が並ぶと、声質以外ではほぼ判別不可能だ。
彼等がエルフ。この星唯一の知的生命体であり、そして先住種族である。
ユミルの呼び掛けに反応し、彼等はにこりと微笑んだ。その微笑んだエルフ達の中の一人、性差が分かり難い彼等の中で最も男らしい、(美形の中年男性的な顔だ)身長も百八十センチある者が一歩前に出てくる。ガチャガチャと鳴らす鎧は無骨で重々しく、大きな身体は相応に鍛え上げられていると分かる。
しかし優しい声と表情に、威圧感は一切感じられない。
「やぁ、ユミル。今日も元気そうだね」
「はい! アステアさん達もお元気そうで何よりです!」
男らしいエルフ――――アステアはにこりと微笑み、ユミルも元気に笑う。
彼等の言葉は問題なく理解出来る。耳に掛けているアクセサリー型の翻訳機のお陰だ。エルフ達の思考は比較的人間に近いのもあって、会話に大きな支障はない。こちらの言葉も問題なくエルフ達に伝わっている筈だ。
「良かったわねぇ、アステア。こんなに元気で」
その証拠とばかりに、女エルフがおちょくるようにアステアの耳許で話す。
びっくりするほど麗しい彼女は、イリアナという。一見してか弱い女性であるが、着ているのはこちらも金属の鎧。アステアのものよりは軽装だが、それでもユミルのような軟弱者が着ればろくに動けなくなるだろう。
背負っている大きな弓矢も、素人では持ち運びすら一苦労に違いない。表情も勝ち気で、軽い気持ちで手を出せば痛い目を見るだろう。
「だな。気になってたもんなぁ?」
アステアの反対側の耳に近付いたのは、小柄で若々しくて華奢な、一見すると女性にも見える男エルフ。
名をゾアック。身体は小さいが、背負う武器は一本槍と非常に攻撃的だ。身に着ける鎧は胸と手足を覆うだけの軽装だが、武器と合わせて考えればさぞや素早い身のこなしで敵を翻弄するのだろう。
「え、ええい、五月蝿いな。気になってるも何も、彼女達はこう、難しい立場であってだな……」
「良いじゃん良いじゃん、お前こういう純朴そうな子が好きなんだろ? イリアナみたいに、元気が有り余ってるのは恋愛対象じゃないって言ってたしな」
「そうよねぇ? 前そんな事言ってたわよねぇ? もしかしてあれから趣味、変わったりしてる?」
「うぎぎぎ……」
おちょくられるアステアは、顔を真っ赤にしている。ユミルはそんなアステア達を「みんな仲良いなー」と思いながら微笑み、その微笑みを見たイリアナとゾアックは「コイツなんも分かってねぇ」という顔をした。
彼等との出会いは四日前の事。
宇宙船の墜落は、エルフの王国でも観察されていた。科学技術があまり発達していない(戦争では未だ剣や弓が主流らしい)彼等には、流星がなんらかの吉凶を示すのではと予想。調査のため騎士団の精鋭が派遣された。
それがアステア達三人組だ。じゃれ合う彼等はエルフの国でも特に優秀な騎士で、初めて会った時はその覇気に当てられただけで殺されるかもとユミルは思ったほどである。
とはいえ彼等は武力に物を言わすタイプではなく、偏見も持たずにこちらの話……星の外から来た事、故郷を追われた事、この地で暮らしたい事を聞いてくれた。更にその話を王国に持ち帰り、貴族や国王と調整。
様々な技術提供と引き換えではあるが、この土地で生活するための許可、そして作物の種を得る事が出来た。今はまだベーィム達やダーテルフスなどの『人外』は紹介出来ていないが、いずれは全員で交流を持ちたいとユミルは思っている。
「ん、んんっ……話が逸れたが、今日は君達の技術について聞かせてほしい。要するに、此処の滞在許可と、渡した種に見合う知識の提供を頼みたい」
「あ、はい。そういう約束なので勿論構いません。でも、何から話しましょう? こういうのも難ですが、我々の技術水準はこの世界と比べるとちょっと逸脱気味なので……」
「まぁ、それはそうだよな。この船とか見ただけで分かる」
ゾアックが視線を送るのは、ユミル達の乗ってきた宇宙船。
遠方まで移動する時にも、徒歩や大型動物(海なら帆船)に頼るというこの星の文明レベルからすれば、宇宙を移動する船など『理解不能』の一品だろう。この船があったお陰で、ユミル達の生い立ちを信じてもらえたとも言える。
「それを貴族や王族に納得させるためにも、ちょっと派手か、短期的な実益のある知識が良いかもね」
しかしイリアナが言うように、全ての関係者がユミル達の立場を理解した訳ではない。国から出ず、話だけ聞いた者の多くは半信半疑だという。
ちなみに滞在許可を得た時は、『王国騎士団精鋭部隊からの報告』という、ある種のブランド価値で話を通した。しかしこれは一時のもの。時間が経てば、何か証拠を見せろとなるのは当然である。
……正直なところ、ユミルやダーテルフスは技術提供に乗り気ではない。
ルアル文明の高度な科学知識は、この星の文明を歪める可能性があるからだ。いや、ルアル文明水準でなくとも十分問題はある。例えば糞尿から硝酸を生産し、そこから黒色火薬の精製方法を伝えれば、剣と弓の世界に銃火器をもたらす。それはアステア達の国を、強大な軍事大国に変えるだろう。もしくは、民衆の反乱を促し民主主義社会にするかも知れない。
無論、科学知識というのは与えれば使えるという簡単なものではない。技術を継続的に使うには相応の生産基盤が必要であり、それには社会体制や他資源の生産などが必要だ。しかし黒色火薬程度の、自然由来の産物を利用するものなら、恐らく剣と弓の世界でも生産は容易い。
ならば病気に対する正しい治療法はどうか。これは人道的でとても良い……と言いたいが、人類史を振り返ればそうもいかない。剣や弓が主力の時代は、子供も労働力として扱っていた。病などで死ぬ子も多かったので、確実に跡継ぎを残すためにもたくさん子を産むのが普通である。
ここで医療を劇的に改善した場合、生まれる子は減らないのに死ぬ子供だけが急速に減る。このため次世代が爆発的に増えてしまう。所謂人口爆発だ。増えた分だけ食料も必要なので、森林などを次々と伐採。環境破壊が急速に進行していく。
これによって洪水が頻発する程度ならまだマシだ。ルアル文明が観測した文明の中には、一地域の環境破壊を起因とした悪循環によって破局的環境破壊が起こり、知的生命体が滅びたものもあった。おまけに突貫工事的に作った畑は、農業に適していない事も多い。気候次第では簡単に不作となり、人口が多い分苛烈な食糧難を引き起こす。
善意でさえも滅びを招く事もある。与える技術は慎重に選ぶべきだ。
……というのがユミルとダーテルフスの考えだが、ベーィムは呆れていた。「俺達ゃ今日からこの世界の住人だぜ? そういう上から目線は良くないと思うね」との事。確かにそういう部分はあるかも知れない。この考えは見方を変えれば、自分達がこの文明を管理してやろうという傲慢でもあるのだ。
それでもやはり、急激な変化は良くないとユミルは思う。思想信条的にも死人が出そうなものは避け、どうせならみんなが幸せになるものにしたい。尚且つこちらに疑惑の目を向ける貴族が気に入りそうで、何よりこの星の文明で無理なく再現可能なものを選ばねばなるまい。
管理AIがあれば、検索して候補を出してくれただろう。しかしこの地にそんな便利なものはない。自分の頭にある知識で、自分で考えねばならない。
様々なプレッシャーと重圧と使命感を感じながら、ユミルが辿り着いたのは――――
「ま、マヨネーズの作り方とかどうでしょう……とても美味しい調味料です、はい」
進んだ現代料理技術で遅れた異世界料理を圧倒。
最早何億年の歴史があるかも分からない異世界転移小説のテンプレの一つ。「現地文化に失礼じゃない?」との考えから、自分が主人公の立場になっても絶対するまいと決めていた幼い頃の誓い。それを正に現地文化の健全な発展(と自分の保身)のために、ユミルは破り捨てるのだった。