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究極の生命  作者: 彼岸花
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 ルアル文明の宇宙は、ネビオスの一種である祖先種にとってあまりにも『痩せた』世界だ。

 祖先種(ネビオス)が暮らしていた宇宙では、空間に無尽蔵の力を持つ生命が満ちていた。祖先種達はそれを呼吸の要領で取り込み、得られたエネルギーで大きな『量子ゆらぎ』を生み出し、更に強力な能力で生存競争を生き抜く。これが祖先種にとって、ごく普通の暮らし方である。

 しかしルアル文明には空間を満たす生物がいない。膨大な量の真空のエネルギーはあるが、祖先種からみればこんなのは()()()()ものだ。大体食べたらすぐになくなってしまう。このままでは生きていけない。

 どれほど強くとも、死んでしまうのなら意味はない。故に祖先が生んだ子孫達……侵入生物はどんどん力を衰えさせた。強大無比な力こそが膨大なエネルギー消費の原因なのだから。強い力で餌を奪い取れば良い? そんな考えはあまりにも甘い。そもそも餌が見付からないのが野生であり、奪う食べ物すらないのが普通。誰かの食事中に出会うなんて『幸運』は滅多になく、強い力を振るう余裕はない。

 同種間の競争により、今の侵入生物は大きく弱体化した。ネビオスだった頃とは比較にならない弱さだ。全知全能のヤントイッヒと戦う力なんて、全ての個体が集まっても得られないだろう。

 ――――だが、その非力な身体の奥底に、大多数の細胞にはない太古の『遺伝子』が残っていた。

 これは侵入生物達が無数の遺伝子を一つの身体に同居させているから出来た事。もしも強い肉体を作る遺伝子……ルアル文明宇宙だと不適応な遺伝子だけで作られた身体の場合、食べ物のない環境に耐えられず餓死していただろう。しかし複数の適応的な(貧弱な肉体の)遺伝子を持つ身体であれば、強い肉体を作る遺伝子を持つ細胞も、環境に適した細胞からエネルギーを分けてもらい、生き長らえる事が可能だ。非適応なので数はあまり増やせず、細胞同士の競争で減る事の方が多いが……個体の自然淘汰に比べれば遥かに長い時間存続し続ける。

 これは個体として見れば、或いは短期的に考えれば、『最適』な形質ではない。

 極めて単純に考えれば分かる。全身を形作る細胞のうち、百パーセント全てが今の環境に適応的な個体と、九十九パーセントが適応的な個体。その二体が争った時、どちらが勝つだろうか?

 当然、百パーセント適応的な個体だ。より環境に合っている体質という事は、より強く戦えるという事なのだから。実際には百と九十九ならそこまで差はなく、九十九パーセント適応的な個体が勝つ事もあるだろうが……戦う数が百回千回と増えれば、明確な差が付く。そして最後は百パーセント適応的な個体のみが生き残る。

 だが生物の世界は複雑であり、適応的であれば良いというものではない。気候が変化したり、獲物や天敵が絶滅したり、新種の生物が現れたり……様々な要因で『環境』は変化する。今日適応的だった形質が明日も有利に働くとは限らないし、不利だった能力が未来では生存に不可欠なものとなっているかも知れない。

 ネビオスの生態系は、一般的な生物の生態系と比べてあまりに変化が激しい。誰もが侵入生物(祖先種)と同じく急速に進化し、あちこちで新たな力が生まれ、競争に敗れた種が滅びていく。おまけに天敵やライバルが使う力は、時間操作や無限などなんでもあり状態。一つの新種が生まれただけで、環境が激変する可能性もある。たった一つの、今この瞬間最適な遺伝子だけでは、突然の変化に対応出来ないかも知れない。

 急変する環境への適応。ネビオスの世界で生き抜くため、祖先種の属する分類群が身に付けた性質。

 それが、ヤントイッヒとの戦いでも活きた。

 ヤントイッヒを観測した時点で、侵入生物達は本能的に理解した。普通に戦ってもコイツには勝てない、と。理解不能の力を無効化する体質であっても、この全知全能は様々な方法でこちらを消し去る。ある程度戦いにはなるし、計算上勝ち目もあるが、勝率はどう甘く見積もっても二パーセント未満でしかない。

 そこで彼女達は一つの塊になり、自分達の中に残っていたとある細胞に賭けた。

 祖先種の形質を色濃く残した、古い遺伝子を持つ細胞だ。残したといってもかなり退化しており、祖先種(ネビオス)と比べれば足下にも及ばない強さしかない。だが今の自分達と比べれば別次元の戦闘能力を持つ。宇宙数万個分の質量の個体が集まって、ようやく三個確認出来た程度の僅かな生き残りだが……()()()()()()()()()()

 この細胞を増殖させて新個体を形成。新個体の力でヤントイッヒを打倒する。

 知性はなくとも、優れた演算能力を用いて侵入生物達が導き出した打開策である。これならば五割以上の確率で勝てると、侵入生物達の本能は算出した。とはいえ一つ大きな問題がある。

 エネルギー消費の激しさだ。そもそもこの強力な細胞を何世代も掛けて退化させたのは、ルアル文明の環境ではエネルギーが賄えないから。古い遺伝子は古代の強みを残しているが、同時に弱点も残っている。考えなしに増殖・新個体を形成したところで、瞬く間に餓死してしまうのがオチだろう。

 そこで侵入生物達は、己の持つエネルギーをその細胞に注ぎ込んだ。宇宙数万個分の質量に匹敵する個体が、体内だけでなく量子ゆらぎをも使って力を分け与えた。

 巨大な肉塊状だった時の侵入生物達は、新個体の育成という『一大プロジェクト』の片手間にヤントイッヒの攻撃を耐えていたのだ。滅びの力に抗えなかったのも、片手間に加えて殆ど細胞にエネルギーが残っていなかった事が原因である。

 犠牲はあまりにも多い。数万もの宇宙に匹敵する個体群が、今や体長十センチ程度の一匹だけ。

 だが侵入生物、いや、ネビオスからすれば犠牲の数など些末な問題だ。ネビオスは自分本位の生命体であり、自分の遺伝子が増やせるなら他の事はどうでも良い。例え親が死のうが、兄弟姉妹が死滅しようが、種が絶滅の淵に落ち込まれようが……

 そして()()()()()()()()()()()()()()()()。自分の死で自分の遺伝子が増えるなら、なんの躊躇いもなく死を選ぶよう進化する。

 新個体が持つ遺伝子は、遥か古代のもの。今の侵入生物の細胞にある大多数の遺伝子とは七割程度しか一致せず、単純に『自分』の遺伝子を増やすなら子を生むのが最適だ。だが今の侵入生物の遺伝子ではヤントイッヒに勝てず、根絶やしにされてしまう。

 ほぼ百パーセント死滅する自分の遺伝子と、五割で勝てる七割程度同じ遺伝子。前者に賭けて全て失うより、後者に託して少しでも残す方が、()()()()()()()()()()()()()()()()》》。だから侵入生物達はなんの躊躇いもなく、命が枯渇するほどのエネルギーをこの一体に注ぎ込んだのだ。あくまでも自分のため。誕生した『彼女(新個体)』も仲間の犠牲なんか興味もない。自分のために死んだ個体であろうとも、有用な資源程度にしか思っていなかった。

 ただ、増えるためには目の前にいる奴が邪魔だというのは、死んでいった仲間達と同じ考えだ。


【……お前が、今まで私の力を阻害していたのか】


 ヤントイッヒが()()。全知全能の神が、知らぬ事があると述べる。

 彼女は答えない。答えるほどの知性はない。

 しかし答えられたならば、その回答は『肯定』を示すだろう。

 侵入生物達の先祖である祖先種。ルアル文明に入り込んだ一個体は、入り込んだ瞬間からヤントイッヒの存在を感知していた。

 ネビオスにとっては『全知』さえも、ある種の生物が使う程度の能力でしかない。ヤントイッヒの使う説明不能の全知ではなく、科学的及び数学的理論に則った論理上全知であるが、ともあれ祖先種達の天敵にも全知の使い手はいた。そして天敵達は能力を用い、自分達の行動や能力を見通し、襲ってくる。やろうとしている事を全て知られているのが如何に不利であるかは、言うまでもないだろう。

 このような天敵との生存競争で生き延びるのはどんな個体か? 言うまでもなく、全知から逃れる形質を持った個体だ。全知があれば、それから逃れる術が進化するのもネビオスとしては当然である。

 祖先種が獲得した対策は、情報遮断と呼ばれるものだ。これは自分という存在が持つ『情報』の流れを遮断してしまう、概念的能力の一つ。この遮断方法にも様々なものがあるが、祖先種の場合は『間接観測』……痕跡などから得られる情報が()()()()()ようにする性質を有していた。

 このため直接的な観測をしなければ、ヤントイッヒであろうとも祖先種、そこから進化した侵入生物の秘密を知る事が出来なかったのだ。祖先種の力であればヤントイッヒに一切観測させない事も可能だったろう。しかし退化したその細胞では妨害が精々。大多数の侵入生物に至っては、能力自体喪失している。

 とはいえ僅か数個の細胞の妨害で、ヤントイッヒの全知にズレを起こすほどの効果がある。そしてその細胞達は今、たった一個体とはいえ体長十センチもの新たな個体となった。

 もう、ヤントイッヒの全知では彼女の秘密は見通せない。


【成程。興味深い存在だ】


 自身の能力の半分を封じられ、しかしヤントイッヒは余裕を崩さない。確かに全知がなくなり、結果は予測出来なくなった。彼女が何をするかも分からない。

 されど彼女を倒すのは、結局のところもう半分の力だ。そちらが脅かされない限り、ヤントイッヒは戦える。


【ならば全力で滅ぼすしかない】


 そして全力を出さねばやられる事を、全知など使わずともヤントイッヒは理解しているようだ。それを告げる言葉を彼女に送る。

 彼女にヤントイッヒの言葉は分からない。分かる必要もない。認識している『目標』を果たすのみ。

 自らの繁栄に邪魔なモノを、全力で始末するだけだ!

 彼女は本能のままに飛び出す。四枚の翅を広げ、空間の流れを利用して真っ直ぐヤントイッヒ目指して突き進む。

 その速さは、光速の十の四十八乗倍。

 祖先種から見れば止まって見えるほどの遅さ。だが今までの侵入生物から見れば、認識すら不可能なスピードだ。

 あらゆる物理法則を置き去りする速度により、彼女が通った後には全ての法則が崩壊する。物理法則が破綻し、時空が粉砕された。後には何も残らない。即ちあらゆる存在が成立する『土台』がないという事。彼女の通った道を横切るだけで、自らがいるべき法則を生めないものは霧散してしまう。

 しかしその傷跡もプランク秒……一・八五五✕十のマイナス四十三乗秒後には消える。彼女が身に纏う情報遮断の効果だ。この場を光速以上の速さで駆け抜けた生き物がいたという『証拠』は残さない。

 今や彼女の存在を捉える事は、ルアル文明がどれだけ力を尽くそうと不可能だ。

 だが、全知全能の神は違う。例え光の速さを超えたところで、『見る』事も『判断』する事も可能。最小の時間単位であるプランク秒の間に思考し、するべき行動を起こす事も容易い。


【動くな、滅べ】


 向かってくる彼女に対し、二つの力を同時に繰り出してきた。

 全能であるヤントイッヒに限界などない。それこそ無限種の能力を無限回、無限に使い続ける事が可能だ。とはいえ今回二つに絞ったのは、むしろ適切な判断と言える。もしもヤントイッヒが全能をフル活用して無限種の能力を使えば、彼女はそれを『説明不能』な力に含んで無力化したのだから。

 しかし二種だけでは、まだネビオスにとっては『説明可能』な範疇。この攻撃には対策を行わねばならない。

 静止させる力については問題ない。今まで通り概念自体を改変し、真っ直ぐ進む状態を『止まっている』事にしておけば良いだけだ。だが肉塊に止めを刺した滅びの力は、その程度の小細工では防げない。しかも今回の力は宣言通りヤントイッヒの全力……幾千億の宇宙を瞬時に終わらせる出力だ。

 ならばどうする?

 彼女が選んだ方法は、小細工抜きの真っ向勝負――――その出鱈目で破滅的な能力を真正面から否定する。全ての存在が内包する『終わり』に作用する力に対し、()()()()()()()()()という概念をぶつけたのだ。

 無論ネビオスにも死はあり、彼女も何時か死ぬ生命である。祖先種には寿命こそないが、食べられたり攻撃されたりすればちゃんと死ぬ。永遠に生きる事はないだろう。

 だが今はまだ死んでいない。その時はまだ来ていない。

 だから、終わらない!


【なんと強引な……!】


 概念操作の力押し。あまりにも強引なやり方は、だがそれ故に強力だ。無限を拒む性質なども合わさり、ヤントイッヒでもこの改変を止められないのだろう。彼女が滅びの力を無効化すると、すぐにその力を止める。


【なら、直接攻撃はどうか】


 ヤントイッヒが次に繰り出したのは、小細工なしの攻撃――――『無限』のパワーによる滅却だった。

 全能の力により生み出された、無限出力の光を全方位に放つ。ルアル文明の宇宙を巻き込まないようにするためか、射程距離こそ抑えられているが……繰り出された力は正真正銘の無限大。無限の宇宙を破壊し、無限に歴史に残り続ける。無限故にあらゆる防御機能は意味を為さず、無限故に全てを飲み込む。

 更にこの無限は最も原始的な性質のものであり、数学的に説明が可能だ。これならば説明不能の力でなく、ネビオスにも届く。

 だが、彼女には効かない。

 『無限』はギガスとの戦いで経験済みなのだから。一定量以上の力をゼロ点エネルギー(空間を満たすエネルギー。総量は無限であるが、例えるなら無限の底を持つ海であり、海面に立つ通常の物質には影響を与えない)とする事で無力化する。余波だけで無限の宇宙を滅ぼし、残渣で無限に宇宙を作り出すエネルギーも、彼女には感じる事さえ出来ない。


【やはり、無限は通じないか。ならば有限はどうだ?】


 するとヤントイッヒが新たに繰り出したのは、無限にまでは至らない力だった。

 ()()()()()()()()個以上の宇宙を全てエネルギーに変換したような、超高出力エネルギーの攻撃だ。しかもこのエネルギーは『不変』の性質を付与されており、吸収しようとすれば性質との矛盾により消えてしまう。

 更に攻撃には『当てた』という結果も、予め与えておく。つまり発動した瞬間、彼女の身体に莫大なエネルギー攻撃が直撃する。回避も防ぐ事も出来ない。既に攻撃は命中しているのだから。

 この時点で十分過ぎるほどに強力だ。しかしこれだけでは無限への耐性で(ゼロ点エネルギー扱いされて)無効化される恐れがあるとヤントイッヒは考えたのだろう。エネルギーの性質を『反転』させてきた。

 これをマイナスエネルギーと呼ぶ。マイナスエネルギーは通常のエネルギーと真逆の性質を持つ。加わるほどに温度が下がり、速度は遅くなり、質量が低下する不可思議な力。通常の物質などプラスの存在と接すれば、互いに打ち消し合ってゼロ……即ち消滅へと向かう。

 十の一千の一千乗個分の宇宙が持つエネルギーに匹敵する、莫大なマイナスエネルギー。言い換えれば同じ数の宇宙と相殺し、何もかも消してしまう力だ。おまけに付与された不変の影響からか、『相殺』した後もマイナスエネルギーは残る。つまり一方的にプラスの質量を消していく理不尽な代物だ。

 それが彼女の身体に『命中』する。

 彼女は身体に満ちたマイナスエネルギーの性質を即座に理解。身体の中心にある神経束をフル稼働させ、今のままマイナスエネルギーに耐えられるか計算する。

 結果を述べれば、無理だと判明した。

 マイナスエネルギー自体は、祖先種がいたネビオスの宇宙にも存在していた。それを利用する生物種もいるほどで、存在自体は大して珍しくもない。故に量子ゆらぎによる物理法則の書き換えも、理解不能だとして無効化する事も出来ない。エネルギーに付与された不変の性質も、ネビオスの中には生み出せるものがいる。つまりこれも『説明可能』であり、無効化は出来ない。

 そして単純な性質だからこそ、小細工が効かない。数学的には「0を掛ける」「マイナスを掛ける」方法でも無力化出来、そういった手法を使うネビオスもいるが、祖先種には備わっていない手段だ。ならば正攻法……同量の正のエネルギーをぶつける以外にない。

 だがここまで大きな力となると、いくら祖先種でも相殺は無理だ。というより祖先種はネビオス生態系の最下層種であり、環境への適応や繁殖は得意だが、争い事は大の苦手。単純な『殴り合い』なんて一番勝ち目のない勝負である。

 しかも不変のため、常に相殺用のエネルギーを生み続ける必要がある。一時的なものならやりようもあるが、永続的に相殺なんて真似が出来るのは、ネビオスでも『最強格』である頂点捕食者ぐらいだろう。それにエネルギー自体は量子ゆらぎから生み出せるが、その量子ゆらぎを起こすエネルギーは、身体の細胞に貯め込んだものを使っている。何時までもやれる方法ではない。

 正攻法ではどうやっても敵わない。

 ……尤も、なんでもありならどうとでも出来るが。要は身体からマイナスエネルギーが消えれば良い。相殺だの0を掛けるだの、真正面から対応する必要はないのだ。

 まずは被害を抑えるため、エネルギーの拡散を止める。そこで彼女は体組織のエネルギー伝導率を変化させ、受けたマイナスエネルギーを体内で循環させた。マイナスエネルギー自体はただのエネルギーなので、細胞に接しなければ被害は生じない。単一の経路をぐるぐると回る分には無害なのだ。流石にエネルギーの通り道はダメージを受けるが、全身がボロボロになるよりはマシである。

 次いで彼女は四枚の翅を大きく広げ、更に翅を形作る細胞間に隙間を作り出した。

 そしてマイナスエネルギーを翅へと送り込む。エネルギーといえども高密度になれば、水や空気と同じくより流れやすい方へと向かう。隙間を開けてやれば、それだけでマイナスエネルギーは密度の薄い方……外へと溢れ出す。

 無尽蔵な数の宇宙を滅ぼす力が、無造作に撒き散らされる。だが彼女はそんな事など気にも留めない。重要なのは自身の生存と繁栄だ。吐き出したエネルギーが何処に行くかなどどうでも良い。

 そうしてエネルギー密度を下げつつ、並行して細胞分裂を実行。エネルギーを循環させている部分を少しずつ、身体の外側に向けて押し出す。最後は循環部位を垢のようにパージすれば、纏めてマイナスエネルギーを排出可能だ。

 放出とパージによって、遥か格上のエネルギーも受け流す。

 そしてこれを彼女は好機にする。噴射するマイナスエネルギーを、()()()()()()()に向けたのだ。マイナスエネルギーは運動方向さえ逆であるため、物体は噴射方向に向けて『牽引』される。これによりエネルギー消費なしで飛行速度を上げる事に成功した。


【――――っ】


 いよいよ距離が迫った時、光で出来たヤントイッヒの身体が()()

 全知全能の神が、迫りくる彼女を()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。例え無限の力だろうと、宇宙すら死なす力だろうと、ヤントイッヒに傷を与える事は出来ない。だが、それでもヤントイッヒは感じ取った筈だ。彼女がその全能を超えていると、これまでの戦いで嫌というほどに。

 直接攻撃されては不味いと思ったのだろう。


【飛べ】


 だからヤントイッヒは、彼女を彼方へと飛ばそうとした。

 それは物理的な距離の話ではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()。全知全能であるヤントイッヒは、世界の創生さえも一言語る程度の力で成し遂げる。今、この瞬間に新たな世界が一つ生まれた。

 そして彼女は、その新たな世界に送り込まれようとしている。

 彼女は即座に、新たな世界の『観測』を行う。祖先種が持っていた能力の一つ――――連続情報引用性を用いて。これは例えるならば「一桁目が3だと分かれば残り全ての円周率が引き出せる」ような能力。つまり一部でも観測出来れば他全ての情報を把握出来る。省エネルギーかつ得られる情報量の多さから、ネビオスの多くが持っている力の一つだ。

 新たな世界に送り込まれた身体の一部を通じ、そこで触れた世界の『全て』を彼女は把握する。

 どうやらその世界の中身は『空』らしい。生命や星はおろか、エネルギーすら含まれていない。宇宙として成り立つ必要最低限の物理法則があるだけの、あまりにも貧相な宇宙である。

 彼女に知性はないため、ヤントイッヒの目論見……餌のない場所で餓死させる作戦までは分からない。だが送り込まれたら、飢えが待っている事は分かる。

 しかも行く先の世界とヤントイッヒがいるこの次元には『繋がり』がない。ヤントイッヒは文字通りの『瞬間移動』で、彼女をその世界に送り込もうとしている。少なくとも侵入生物達が使っていた、宇宙間移動の痕跡を辿るやり方では抜け出せない場所だ。

 今の彼女であれば脱出方法はいくらでもあるが、エネルギーを多く使う事になるだろう。ヤントイッヒ相手に余計な消耗をしている余裕はない。

 そこで彼女は()()()()

 別世界に引き込もうとする力を、脱ぎ捨てた皮に押し付けたのである。皮と言っても、彼女の身体は臓器すらハッキリと分化していない、柔らかな肉の塊だ。脱ぎ捨てた皮さえも『一個体』として活動出来る。

 見方によっては瞬間的な分裂とも言えるだろう。そして皮の方を『本体』と定義する事で、引き込もうとする力から逃れた。皮の方は何もない世界で生きていく(どうにか生き延びて新たな生命となるかも知れない)事になり、本体はそのままヤントイッヒに突き進む。


【……!】


 送り込む事にも失敗。いよいよ間近にまで迫った彼女を前にしたヤントイッヒは、今までしていた発声すら止めて力を繰り出す。

 放たれた力は『並行可能性』。

 それは言うならば『もしも』を現実にする力。つまりこのルアル文明やヤントイッヒが辿る様々な可能性を瞬時に展開……無数のパラレルワールドを観測する。

 その中から、彼女を倒した可能性を探すのだ。

 ルアル文明にしろ、タナトスにしろ、そしてヤントイッヒにしろ。確かに彼女達の力に敗れた。だがやり方が違えば打倒出来たかも知れない。少なくともヤントイッヒについては、侵入生物を絶滅寸前まで追い込んでいる。『もしも』、最初の一撃で滅びの力を使っていたなら勝てていたかも知れない。

 それどころか侵入生物が現れなかった、即ち祖先がルアル文明にやってこなかった可能性の世界も作り出す。

 負けた、或いはいなかった。いずれにせよ『今此処に彼女がいない』可能性を発見したら、今の世界に統合。()()()()()()()()()()()()()()()事を正史とする。

 これは単なる事象の上書き能力と違い、最良可能性はパラレルワールドを作り出して観測し、そちらを正史とする方法だ。「今までやってきた事は全部夢オチでした」「ここまでの戦いは単なる妄想です」……これを実現してしまう。それが出来てしまうのが全知全能なのだ。

 このままでは、ここまでの勝負が最後の最後でひっくり返されてしまう。人であれば、知性があれば、あまりにも理不尽な力に心が折れるだろう。

 だが、彼女は臆さない。

 臆す知性がないのもあるが、何より彼女にとってそれは望むものだ。何しろパラレルワールドという、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 自らの繁栄しか考えないネビオスにとって、過去に失われた可能性さえも餌に過ぎない。

 パラレルワールドの統合を感知するや、彼女は即座にそのパラレルワールドに向けて自身の細胞を一つ送り込む。統合という事は、混ざり合う最中という事。繋がりがあるからこそ、感知した世界に身体の一部を送信するなど訳ない。

 送り込まれた細胞は、そのパラレルワールドが『開始』した時点から増殖を行う。例えばヤントイッヒが侵入生物を滅びの力で滅却するという可能性は、その滅びの力が放たれた直後に入り込む。そこにある餌――――今正に消えようとしている侵入生物を喰らい、繁殖を行う。

 そして増えた後は、そのままパラレルワールドを食い尽くして増える。

 展開されたパラレルワールドは十の二十乗個。彼女はそれらに片っ端から細胞を送り込み、繁殖していった。時にはそのまま殲滅される事もあったが、そんな事はどうでも良い。

 最終的に数が増やせるのなら、目の前のヤントイッヒにさえ拘らない。それがネビオスという存在だ。


【な、にぃ……!?】


 まさか可能性の統合を利用して増殖するとは思わなかったのだろう。ヤントイッヒが驚愕する。

 そして喰われた可能性も、このままでは統合されてしまう。つまり「彼女がやってきて最後の最後で喰われた」というのが正史になる。しかも統合されるという事は、繋がりが生まれるという事。行き来出来るようになった他のパラレルワールドにも、彼女の子孫はどんどん侵食していく。時には殲滅を成し遂げたが、勝率の方が高い。生み出されたパラレルワールドの過半数が彼女の『繁殖』した世界に成り果てる。

 これでは後出しの結果が、彼女の大繁栄だ。ヤントイッヒの目論見とは真逆の歴史になってしまう。


【くぅっ!】


 『悔しさ』を滲ませつつ、ヤントイッヒは力を止める。

 統合しようとしていたパラレルワールドは、まるで弾かれるようにこの世界から離れ、繋がりも絶たれた。これからは全く別の、平行世界の一つとして独立する。そのまま彼女の子孫が繁栄するか、或いはなんらかの理由で滅びるのか……少なくとも彼女には知りようもない。

 知ろうとも思わない。パラレルワールドでの繁殖が出来なくなった今の彼女にとって重要なのは、次の繁殖をこの世界で行うため、目の前のヤントイッヒを食い殺す事だ。

 餌であるパラレルワールドから、ヤントイッヒに照準を戻して彼女は迫る。間もなく接触する、というところでヤントイッヒはまたも力を使う。

 全能の力により、彼女とは『触れない』ようにしたのだ。

 即ち触れないという結果をもたらす。例えヤントイッヒが動かなくとも、彼女が進路を変えずとも、『触れない』という結果が生じる。全知全能だからこそ出来る究極の回避方法、理屈も理論もない滅茶苦茶なやり方である。

 だが、ヤントイッヒは勝ち誇らない。

 そんな『説明不能』な力は、彼女達ネビオスには通用しないのだから。

 ただの苦し紛れを感知する事もないまま、ついに彼女はヤントイッヒの身体に正面衝突――――体当たりを食らわせた!


【ぬ、ぐぅおおぉおお……!?】


 ヤントイッヒが唸る。彼女は声一つ上げず、体当たり時の衝撃を使って潰れるように拡散。光で出来た人型の身体の広範囲を多い、しがみつく。

 後はこのまま喰らうのみ。細胞一つ一つがヤントイッヒの身体である光を取り込み、自身の材料として利用する。

 だが全知全能であるヤントイッヒは、ここまで来ても寸分も恐怖した素振りを見ない。


【喰えるものなら、喰ってみろ!】


 それどころ喰われない自信があるようだ。

 ヤントイッヒは全知全能である。よってその身体はあらゆるもの、無限さえも内包していた。無限というのは、どれだけ引き算をしても減らない。割り算でも減らない。何故なら限りない数の情報だからである。

 つまり彼女がどれだけ貪り食っても、無限は何も変わらない。しかも無限を生み出して振るっていたギガスと違い、ヤントイッヒは存在自体が無限だ。どれだけ食べられてもヤントイッヒハ死なず、衰えない。むしろ膨大なエネルギーを逆流させ、消し飛ばす事も可能だろう。

 仮に彼女が力の逆流に耐え抜き、繁殖したとしても、ヤントイッヒは何一つ不利にはならない。今述べたようにヤントイッヒは全知全能故に無限なのだ。即ち、彼女が増えればその数だけ出力を高めれば良い。新たな対抗策だっていくらでも用意出来る。

 本来ならば攻撃されようが喰われようが、ヤントイッヒに何か影響を与える事はないのだ。

 だが――――


【っ!? な、なん、だ、力、が】


 ヤントイッヒはようやく気付いた。

 自身の力が低下している。

 全知全能が失われつつある。無限の力を含む全知全能が失われる事など、理論上あり得ない。食べられて減るのは有限であり、無限なのだから()()()()()()()()。それは無限ではなくなってしまう。だが彼女がヤントイッヒの身体を細胞全体で貪る度、その全知全能が確かに消えていく。

 そのあり得ない事は、勿論彼女が起こしている。

 確かに無限をいくら食べても減る事はない。祖先種よりも退化した彼女だけでなく、ネビオスでもそれは無理だ。しかし無限を成立させている『前提』は、また話が違う。

 ヤントイッヒはそもそも、知的生命体の信仰から生まれた存在だ。信仰が全知全能を望んだから、ヤントイッヒは存在している。

 彼女は、その信仰を消し去った。

 正しくは彼女のいる領域に『信仰』という法則がない結果だ。ネビオスの世界には心なんてない。あるのは化学物質の反応と、そこから生じるエネルギーのやり取りのみ。これを精神活動と呼ぶのは自由だが、実態はただの化学的・物理的反応である。

 ヤントイッヒの身体に張り付き、食べながら増殖する過程で彼女の身体は大きくなっている。潰れた身体は網目のように広がり、ヤントイッヒの全身に食い込む。そして侵食した領域は、量子ゆらぎ操作による物理法則改変と、説明不能の力を無効化する性質により『ネビオスの世界』と同じになる。

 ヤントイッヒの前提となる信仰は、そこでは存在すら許されない。自身の内側で自身を否定する世界が出来つつあるから、ヤントイッヒは消えつつあるのだ。

 もしも信仰者を直接全員殺すようなやり方であれば、ヤントイッヒの全能で、その事実を『なかった事』にしただろう。時系列や因果関係など全能の前では意味がなく、後出しで解決可能だ。だが彼女が貪るのはヤントイッヒの身体を形作る信仰心。前提なき身体は力を使えず、消滅へと向かっていく。


【こ、こんな、馬鹿な……!】


 ヤントイッヒは最悪の事態を理解する。当然彼女の行いを止めようともしてきた。

 だがどうにもならない。

 ヤントイッヒに接触した事で彼女は、無限に等しいエネルギーを何時でも食べられるのだ。エネルギーは補充し放題。ならば量子ゆらぎ操作もやり放題。ヤントイッヒの全知全能自体が、彼女の力に活力を与えている。

 全知全能が強ければ強いほど、彼女の力も強くなる。彼女の力が弱まる時は、全知全能が弱った時。張り付かれた時点で、ヤントイッヒにとって最悪の力関係が出来上がっていた。

 もう、ヤントイッヒは彼女に抗う術を持たない。

 ――――この結末は必然だ。少なくともネビオスがどんな生物なのかを知っていれば。

 ヤントイッヒの能力は全知全能だ。神というしかないほど万能かつ絶対の能力。だがネビオスには全知全能を使う種など、いくらでも生息している。いくらでもいるが、ネビオスの過半数を占めている訳ではない。むしろネビオス全体から見ればごく僅か、他の能力と大差ない比率である。個体数も種数相応といったところで、特別成功していない有り様。

 なんでも出来る力を持つ種が、何故繁栄出来ないのか。

 それは全能を使う種が()()()()()()()()()()()()()()()からだ。全能とはなんでもありの能力だが、そのなんでもありを実現するための『制約』がある。その制約とは「物理法則を逐一用意する」というもの。つまり力を発動する前に、必ずその力が機能する『世界』を作らねばならない。

 いわば力を振るう度に、基礎を作り直しているようなもの。無論全能にとってそれは難しい問題ではない。また全能以外の能力を持つネビオスも、自身の能力を最大限発揮するため同じような事はしている。

 しかし全能はあまりに力が多彩過ぎる。このため基礎を用意するだけでも、力の多くを割かねばならない。更に複数の能力を使おうとすれば、世界の基礎はどんどん複雑になり、脆く壊れやすくなっていく。

 普通ならばそんな事は問題にならないほど、全能の力は強大だ。あらゆる能力で敵を捻じ伏せてしまえば良い。だがネビオスはその根幹部分に作用する力を持つ。そして脆く壊れやすい基礎の上に成り立つ力なら、それを壊すのは容易い。

 ネビオスにとって全能の力は、少々()()()()()()()()なのだ。勿論全能を使った生き方をする種もいるので、使い方や生き方を工夫すれば十分ネビオス同士の生存競争も勝ち抜ける。だが決して無敵ではなく、特別有利でもない。ただ『互角』なだけ。野生生物として生存競争を繰り広げ、大半が死に、勝ち抜いたモノだけが子孫を残す。

 それは祖先種も変わらない。相手が全能だろうが、全能を討ち滅ぼした能力だろうが、競争して勝たねば子孫を残せない。今まで子孫を残せたのは、勝ち抜いてきたから。

 末裔たる彼女は祖先種(ネビオス)よりも力で劣る。されど先祖達が繰り広げた全能との生存競争、その過程や結果は遺伝子に刻み込まれている。生存競争一つ経験した事のないヤントイッヒ(ひよっ子)に、負ける道理などないのだ。

 ……だが、だからこそ一つだけ、彼女に対抗する術がある。

 本当の全知全能だからこそ、ヤントイッヒはそれを知る。実行出来る。そして全知全能であるがために、やらねばここで終わると知っている。

 ヤントイッヒは最後の抵抗を繰り出す。

 その抵抗の始まりは、人の形をしていた自らの姿を変化させるというものだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 超次元バトル過ぎて、頭が混乱ギリギリの状態です………(;^ω^) てか、もはや誰にも侵入生物を止められないし滅ぼせないじゃないですか!? たった一匹の外来種が侵入しただけでこんな風になると…
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