第三話
くるりと、少女が回転する。フリルのついたスカートがふわりと持ち上がり、白い脚が膝まで露になった。少年の視線がそれを追う。それから上を見ると、剥き出しの細い肩を注視した。
(うん、継ぎ目とかは見えない。大丈夫。でも……)
少年の眼の前に、少女が両手首を突き出す。二人の眉尻が同時に下がり、落胆を示した。
(やっぱり手袋は必要かな)
少女の身を包むのは、涼やかな水色のサマードレス。せっかく夏らしい格好にしてみたのに、手袋をすると台無しだとシオンは思う。しかし、暗器のブレードが飛び出てくる部分の継ぎ目が、どうしても気になる。こだわりすぎなのはわかるが、どうにかしたい。
少女と少年で手分けをして、自室のクローゼットの中を漁り出す。夏に着けても違和感のない手袋が、どこかになかっただろうかと。
ふいに、壁に埋め込まれた大型ディスプレイが点灯した。外部からの着信。自宅の連絡先を教えてある人間は、ごく限られている。裏の仕事関連か、大会関連か。どちらにしろ、ほぼ共通の関係者となる。
画面に映し出された相手の名前は、サユリ・アマナイ。スポンサーである竜胆ロボティクスの広報部の人間。流石に居留守を使うわけにはいかない。
楽しい気分に水を差されて不満に思いながらも、シオンは着信を許可した。すぐに見覚えのある若い女性の顔が画面に映る。
「ごきげんよう、我が社のエース。急で済まないけれど、折り入ってあなたに依頼があります」
ドクを経由しない直接依頼。しかも相手は広報部所属。裏事情は知っている人間だが、嫌な思い出のある相手でもある。
「CM出演の話ならお断り。道化を演じるのは嫌だし、アイドル探すなら他を当たって」
それだけ言って、問答無用で一方的に通信を切る。個人的には嫌いな人間ではないのだが、担当している仕事の内容が内容である。せっかく街に出る気になったのだ。どこで買い物をして、何を食べるかまで計画済み。その楽しみを、下らないことで邪魔されたくない。
直後に再び着信。画面に表示された名前は、今通信を切ったばかりの相手。シオンはステータスを留守に切り替えた。その刹那――
「こりゃ! 何故出ない!」
画面にドクの顔が大写しになると共に、大音声が響く。思わず少女と少年両方で耳を塞ぎながら、半眼になって睨み返しつつ言う。
「ドク、心臓に悪いからやめて」
「そんなもんついてないくせに何言っとる。今のはワシも承諾済みの依頼じゃ。受けないとワシごと切られる、重要案件じゃ」
「でもボク、CMなんて……」
「自意識過剰じゃのぅ……。イメージアップの仕事には違いないが、プラスにするのではなく、マイナスを取り戻すための依頼。やらんと、下手したら裏の仕事にも支障が出る。資金はもとより、非売品のパーツを回してもらえなくなったら、お主の身体の維持も出来ん」
マイナスを取り戻すための依頼。その言葉で、昨日のジンとの会話を思い出した。再び持ち上がっている不正疑惑。ネットで吹聴して回っている者たちの今回の主な標的は、シオン自身ではなく竜胆ロボティクスであるという話。
(竜胆の中でも問題になってきてるってことか。だから、広報部からの依頼)
「直接来てくれることになった。一時間後、ワシの店に来い。同席してやるから、話だけでも聞け」
「わかったよ。一時間後ね」
計画は全て台無し。話にどれくらい時間がかかるかもわからない。終わってから、練り直すしかない。シオンは少女と少年両方で溜め息を吐きながら、画面を消した。
§
きっちり一時間後。まるで外でタイミングを計っていたかのように一秒の狂いもなく、サユリ・アマナイが応接室に入ってきた。いかにもビジネスウーマンといった感じの、きっちりしたスーツ姿で、颯爽と歩いてシオンの前に立つ。
「直接会うのはお久しぶり。――ドクター、座ってもよろしいかしら?」
シオンへの挨拶はその一言とわずかな会釈だけ。ドクが自身の隣、シオンたちの向かいに当たるソファを指すと、サユリは優雅で、それでいてきびきびとした動作で着席する。ビジネスマナー本のお手本写真のような、完璧な座り方だった。
「さて、これを見て」
サユリは抱えていた大型携帯端末をローテーブルの上に置き、折り畳み式の画面を展開する。そこにはネットでの各種の発言をまとめたサイトが表示されていた。予想通り、シオンにまつわる竜胆ロボティクスの不正疑惑についてのもの。
「当然耳にしていると思うけれど、再び不正疑惑が持ち上がっています。今回は特に我々竜胆ロボティクスを狙い撃ちにしたもの」
画面をスクロールして、書かれている意見を次々と表示していく。様々な人間が、様々な憶測を、誹謗や中傷も交えて展開していた。特に面白おかしく見える発言には、目立つように装飾がなされている。サユリがやったのではなく、一部の意見を切り取って誇張することによって読者を獲得するのが、この手のサイトのやり口。
そのサユリの手が、ある発言のところで止まる。
「不買……運動?」
少女と少年が同時に呟く。予想もしない形の展開だった。サユリは一瞬視線を上げてシオンの反応を見たのち、再び画面に落として操作を続ける。
「急速に拡散されています。不正な手段で性能を誇張する竜胆製品を買うな、と」
「ちょっと待って。竜胆ロボティクスの製品って言っても、一般個人が買うようなものじゃ――」
そのシオンの言葉は、途中で掻き消えた。画面に表示されたネットの書き込みを見て。竜胆グループの企業一覧。かなりの数がまとめられている。販売している具体的な製品名まで。
始まりは、竜胆ロボティクスだった。世界で初めてNBRを実用化し、そのままトップを走り続けたベンチャー企業。しかし今は、関連パーツの製造から、技術を応用した多数の産業にも手を広げた、巨大複合企業。
挙げられている製品は、実際に一消費者でも手にすることが多いものだった。NBデバイスと繋がる製品すべてと言っても良い。
「まだ具体的な行動に移した人はほとんどいません。ですが、この拡散速度だと、近いうちに実効力を持つ可能性が高い。現状、理由はあなたの件だけです。他の理由を結合されて、どうにもならなくなる前に、手を打つ必要があります」
竜胆に対して不満を持つ人や企業は多いだろう。不買運動の種になりそうなものは、いくらでもある。大きな会社であれば、当然のことと言える。急成長したのだから、なおさら。少しでも叩けることを見つけたら、こじつけてねじ込んでくるに違いない。
「とりあえず、どうにかしないといけないのはわかった。でも先に質問させて。わからないことがあるんだ」
「答えられる範囲で答えましょう」
「ボクが出るようになる前、ジンは何年もチャンプになり続けてたんだよね? そのときには問題は起きなかったのに、どうしてボクのときだけ疑惑が持ち上がるの?」
シオンの素朴な質問。それに対して、少々言葉を選ぶような感じで、サユリはゆっくりと話し出す。
「これは、必ずしもあなたのせい、というわけではないのだけど……あなた方と我が社と、そして公安。この三者の裏事情によるもの。闇の傀儡遣いでもあるあなたの秘密を探られないよう、独占契約を結び、出場もRRCに限っていることから発生しています」
「つまり、ジンは他の大会にも出ているから?」
「それだけではありません。彼はもっと慎重に行動しています。複数社とスポンサー契約を結び、傀儡や兵装も組み合わせて使っています。定期的な入れ替えも行い、ボディなどの重要部分は、出場する大会の主催者のものは避けてもいます」
(ジンが傀儡を複数使いこなす理由は、メンテナンスや修理の問題だけじゃない……?)
いい加減でデリカシーのない人間、というジンに対するイメージは、シオンの中で百八十度変わっていった。むしろデリカシーの塊。スポンサー企業に対する最大限の配慮をしている。
「我々スポンサー企業にとっては、彼のようなやり方は、イメージアップ効果が薄くなります。その代わり、イメージダウンの危険性も低くなります。そして彼は、そこもうまくコントロールしている。発売直前の新製品を上手く使いこなして勝ち、その性能をアピールするなど、他社を貶めずに、イメージアップだけを出来るタイミングというのを熟知しています」
シオンはジンの言葉を思い出す。『オレとお前では、信用が違うってことだよ』と言っていた。確かに、全く違う。ジンは時間をかけて、そして計算尽くで、しっかりと信用を勝ち取っていたのだ。
(とはいえ、他所の大会に出るというのは、色々と無理がある。何より一番嫌がるのが竜胆のはず)
シオンはそう考え、依頼の内容というのを予測して訊ねる。
「つまりは、これからはジンのように他社製品も使えってこと? ボディはいじらせたくないし、そっちとしても困るだろうけど、外部兵装ならどこのでもいいよ」
無言で首を横に振るサユリ。それから、きっぱりとした調子で語り出す。
「それでは意味がありません。あなたにとって取り換えても構わないと思えるものは、不正主張派から見ても、取り換えても構わないものに過ぎません。不正の根拠とは関係ないものとなります」
「ということは、傀儡を取り換えろと? でもそれは無理。他社に手を入れさせるのも、とても困るよね、お互いに?」
「もちろんです。それだけは許可出来ません」
やや怒りの籠もった調子で、サユリが早口に言う。となると、残る答えは一つ。ここのところ考えていたことを実行するしかない。
「で、どこの大会に出ればいいの?」
どこか投げやりな調子で、少年の口から問う。少女の方は無感情な瞳でサユリを凝視したまま。少年の方ではなく、少女の方をまっすぐ見つめ返しながらサユリが口を開く。
「話が早い。僥倖というべきか、最適な大会が近く開催されます」
端末の画面を再び操作し、サユリはとある大会の開催告知サイトを表示した。
「NBRジャパンカップ……?」
聞いたことのない名称だった。史上最高賞金と大きく書いてある。その金額は、RRCで年間全勝優勝した場合よりも多い。
(そういえば、ジンが言っていた。史上最高賞金がどうとか……)
「今年、新しく開催されることになった大会です。ま、我が社への当てつけですね。RRCが最高峰の名を独占し続けているから、それを覆すべく他社が連合したようです。とにかく賞金額を吊り上げて人を集める。自然と優秀な選手が多くなり、少なくとも本戦はレベルの高い大会になる。そういう狙いでしょう」
確かに、人は集まりそうに思える。金のために戦っている傀儡遣いがほとんど。プロスポーツなのだから、当然のこと。既に出場登録済みの大会をキャンセルしてでも参加したがりそうに思えた。これで優勝するだけで、ジンを抜いて年間賞金王になれるのではないか。そういう夢さえ抱ける金額。
「RRCへの対抗ですから、当然我が社には声がかかっておらず、協賛しておりません。参加している企業は、どれも大手ライバル社ばかり。我が社が介入して不正を働くことが、最も困難な大会と言えます」
「なるほど。これに優勝すれば、間違いなく疑いは晴れる。そういうことだね?」
「そう簡単に収まるとも思えませんが、少なくとも不正主張派の唯一の根拠は潰せます。その先の収拾は私の仕事。あなたの仕事は、これに優勝することです」
シオンはサユリの様子を慎重に探った。少女と少年両方の眼を使って、つぶさに観察する。毅然とした表情を保ったまま。シオンを出場させることに迷いはないように見えた。
しかし、シオンの方にはいくつもの迷いがあった。まず一つ。
「ドク、本業の方に支障が出ないか心配なんだけど……」
急に話を振ったにもかかわらず、ドクはソファにふんぞり返ったまま余裕の表情で答える。
「なーにを言っとる。公安がどうにかしてくれる。お主が実戦をこなせるようになるまで、一体どうしてたと思っとるんじゃ? それくらいの協力体制は築けているし、向こうにも腕利きはたくさんおる。自分だけが戦えるなどと、思い上がるな」
(なら、昨日そう言ってくれれば良かったのに……)
その文句は声には出さずに、シオンは別の迷いを口にする。
「これさ、ボク、レギュレーション違反で出ることになるよね、多分? 書いてあるよね、ボクが出られなくなるような条項」
「書いてあります。ですが、発覚しなければ問題ありません」
きっぱりとサユリが言ってのける。ここは絶対安全と思える場所だが、それでも心配になる。具体的なことを口にしていなくても、これを盗聴でもされていたら、それこそ取り返しのつかないスキャンダルとなりかねない。
しかし、シオンにとっての焦点はそこではない。
「あのね、バレなきゃいいとかいう話じゃなくて、ボクの気持ちの問題なんだけど……?」
「あなたの気持ちなど関係ありません」
(な……なに、この人!? こんな人だったっけ?)
余りにも惨い言い分。以前CMの話を断った時は、こんな高圧的な態度には出てこなかった。むしろ、シオンの気持ちをよく汲み取って、上層部ではほぼ決定事項となっていたものを覆してくれたような女性である。
「これだけの賞金なら、我々にとっても有意義に使えます。ライバル企業の金など、どんどん巻き上げてしまえば良いのです。あなたはこれを仕事として受けるのです。賞金目当てで出場する他の選手とは違います。あなたの個人的感情を持ち込むべきではありません」
そう割り切って、RRCには出場している。しかしそれも、文字通りに解釈すれば、RRCではレギュレーション違反ではないから。
「け、けど!」
やはり納得がいかず、少女と少年両方で声を上げる。するとドクがニカっと笑って口をはさむ。
「シオン、賞金は全額ワシらに回してもらえるよう、確約を取ってあるぞ。それ使って人工皮膚、全部張り替えんか? もっとキメが細かくて、触感も自然な最新式のに」
(ドクまで……お金に目が眩んでるの……?)
少女と少年が、共に半眼となってドクを睨む。それに気付いたのか、慌てて手を振りながらドクが言う。
「冗談じゃよ。そんな眼でワシを見るな。気が進まんのなら、実質受け取らんことも出来る。用途は限定されておらん。お主のように全身擬似生体化せざるを得ない人々を支援する団体に、寄付してしまうというのはどうじゃ?」
(寄付……全身擬似生体に……それならいいかも)
費用が賄えず、已む無く処置を諦めて死んでいく人もいると聞く。シオンは前向きに考え、気持ちを固めた。
「わかった、ボク――」
そのシオンの言葉を遮るように、サユリが先手を取って口を開く。
「色々とご心配がおありのようですが、こちらの最大の懸念は、レギュレーション違反を見抜かれて、失格にならないかです」
出場する、と言おうとした矢先に、その気を失くすような発言。シオンは恐る恐る、少年の口から訊ねる。
「もしかして、発覚する可能性のあるような検査項目が……?」
「ありません。公開されている資料を見る限り、RRCと同じ内容です。というより、そんな検査が盛り込まれていたら、初めから出場依頼などしません」
それはそうだった。ならば、何を心配しているというのか。サユリの口から、続けてそれが語られる。
「我々が心配しているのは、試合内容です。あなたの戦いぶり、知っている人間にはバレバレと思えるような動きをするときがあります。今のところ部外者は誰も気付いていないようですが、この先はわかりません。場合によっては、確実に発覚してしまうこともあります。実際、この間のRRCでは、あわやという場面がありました」
(あわやという場面……? そんなのあっただろうか?)
シオンは全試合の内容を振り返ってみたが、特に思い当たることはなかった。
「もし発覚した場合、我々としてはあなたを切り捨てざるを得ません。今までの試合すべてについて、レギュレーション違反に近い状態で出場していたことが、明確になりますから」
「いや、でも、RRCの場合は――」
「レギュレーションを改定せざるを得ないということです。抜け道を塞ぎ、あなたが明確に出場出来なくなるように」
(出場出来なくなる……そうすると、もうジンとも……いや、それよりも!)
大会に出られなくなることはいい。しかし、ジンとの友情が失われるのは辛い。抜け道だったとはいえ、許してもらえるわけがない。
「ちなみに、我が社としては、あなたを訴えることを予定しています」
「はあっ!?」
少女と少年両方の口から、素っ頓狂な声が漏れる。何故そんなことを言われるのか、さっぱりわからない。
「抜け道を使っているとはいえ、詐欺行為に近いですからね。それくらいのことはしないと、あなたとの関係を疑われます。大会の信用失墜に関する損害賠償請求、賞金の返還請求、その他諸々の民事裁判が行われるでしょう」
(こ、この人は、一体何を考えているの? ボクを出場させたいのか、それとも出場させたくないのか……)
シオンが面食らって呆然と言葉を失っていると、陽気な調子のドクの声が響く。
「シオン、心配することないぞ。顔と身分を変えるだけでいい。RRCに出るのは難しくなるが、まあ、さして困らないじゃろ」
それもそうだ。また死んだことにすれば、裁判も何もない。竜胆も本気でシオンから賠償金をせしめたいわけではない。会社としての体裁を保つために、そうせざるを得ないだけ。
とはいえ、シオン個人にとっての焦点は、そこではない気がする。シオンという人間が消える。培ってきた人間関係が、ジンとの友情が消える。それはとても耐えがたいこと。
「サユリさん、あなたの意図はわからない。けど、ボクにとっては出場のリスクが大きすぎる気がする。その大会、ボクは――」
結論を言おうとすると、再びサユリがそれに被せて主張――というより暴論を展開し始める。
「そのリスクは、あなた個人のものに過ぎません。我々竜胆ロボティクスにとってのリスクではない。そして今回の依頼は、竜胆ロボティクスを守るためのものです。あなたを守るためのものではありません」
カシャリ。鋭い金属音が耳に届いた時にはもう、サユリの眼前に赤熱するブレードが突き付けられていた。それを見下ろす少女の蒼い瞳には、明らかな殺気が込められている。
「ボク、敵を殺すことには一切の躊躇いも感じないんだ。――闇の傀儡遣いだから」
すべてを凍てつかせるような声が、その細い喉から洩れる。少年の方は、路傍の石でも見るかの如き眼差しを、サユリに向けていた。
サユリは微動だにせず答える。睫毛や髪の毛が一部焦げ始め、異臭が漂ってきたにもかかわらず、顔を遠ざけようともしない。
「私も一切の躊躇いも感じません。竜胆ロボティクスの敵を排除することに。それが仕事ですから」
視線だけ上げて、サユリは答える。少女の冷たく輝く蒼い瞳と、サユリの明るい茶色の瞳の間に火花が飛び散る。
「二人とも、そこまでじゃ」
流石にドクが割って入り、少女はブレードの電源を切って、勢いよくソファに身を沈める。
「シオン、感情豊かになったのはいいが、少々過激すぎじゃ。アマナイさん、あんたもじゃ。敵じゃあなかろう、ワシらは。協力せんでどうする」
「竜胆の存在を脅かすというのなら、たとえあなたでも敵ですよ、ドクター」
腕を組みながらドクに視線を向けて、サユリが冷たく言い放つ。ドクはやれやれとばかりに機械の腕を左右に拡げると、ソファに座り直してから口を開いた。
「この場で決めなくてもいいじゃろ? 一日考える時間を与えてやってはくれまいか?」
「一日くらいなら構いませんが?」
サユリがそう返事をすると、ドクは少女と少年両方の様子を窺ってから優しげな声を出す。
「最悪、お主がRRCから引退すればいい。もしこの大会に出ないという選択をするのなら、次のRRCで致命的な損傷を演出し、傀儡の修理困難という形で引退にしよう」
「引退……? ボクが……?」
「お主はその少女型傀儡に並々ならぬ執着があると思われておる。もしそれが戦闘出来なくなるほどの損傷を受けたのなら、引退という決断をしたとしても、そう不自然ではないじゃろう」
(引退。その方法でなら、ジンに嫌われなくて済む。ライバルではいられなくなるけど、友達ではいられるかもしれない)
引退自体は考えたことがあった。もう半年近く前。ジンを五連敗させてしまったとき。不正に近い方法で、圧倒的有利な状況で勝っているため、申し訳なくなった。
それを止めたのは、当のジンだった。『攻略法を見つけた。次は勝つから逃げるなよ』。そう言われた。実際、次はジンが勝った。
「ドク、ボクは……」
「答えを言うのは明日じゃ。――アマナイさん、それでいいな?」
ドクが話題を振ると、サユリは目を伏せながら答えた。
「構いません。断られた場合に備えて、元々引退に至るプロセスは準備してあります。明日、最終回答を聞きに来ます。その時に、もっと説得力のある引退方法の資料を一応用意してきましょう。火消しのための演出と思われては、逆にダメージを受けますからね」
瞼を上げたサユリは、ドクと、少女と、少年と、三人を順番にまっすぐに見つめてから、席を立った。そのまま無言で退出していく。
その背中を見送り、ドアが閉まると、ドクが立ち上がって言う。
「明日の朝までに決めておけ。……そう心配しなくていい。RRCに出れなくなっても、ワシらはどうとでもなる。裏の仕事は、竜胆の思惑というわけではない。公安の意向だ。竜胆にとっては単なるビジネス。金さえ出せば、今まで通りのサポートが受けられる」
昨日と同じく、少女と少年両方の頭を左右の手で同時に撫でてから、ドクもドアの向こうへと消えていった。