第二話
「はあっ!? 出来るわけないでしょ、そんなこと!」
少女と少年の怒りのハーモニーが奏でられる。半眼で睨み付ける先には、きょとんとしたように見えるドクの顔。
「何をプンプンしとる。仕事に支障が出ない一番の方法といったら、それしかないじゃろ」
「いや……そりゃ、一番には違いないけど、不可能な方法提案しても仕方ないでしょ?」
先程のジンとの会話の後、シオンはドクに相談しにきていた。『RRC以外の大会にも出てみたいんだけど、仕事に支障が出ないようにするには、どうすればいいかな?』と聞いた。
ドクの答えは、『無傷で勝つ』。確かに支障は出ない。
「不可能なんてことはないじゃろ。選ぶ大会次第じゃ。実際、決勝でジンと当たるまで、かすり傷一つ負わなかったこともあったろう」
確かにあった。とはいえ、組み合わせの妙だったに過ぎない。
その程度の選手しか出てこないレベルの低い大会を選べば、可能かもしれない。しかし、それではシオンの目的は果たせない。むしろ悪手といえる。
きちんとレベルの高い大会に出て優勝、あるいはそれに準ずる結果を残さないとならない。竜胆が不正工作を行えない環境でも変わらぬ強さ、というのを証明する必要がある。レベルの低い大会を選んだら、疑惑を躱すために必ず勝てる戦いをしただけと受け止められてしまう。しかも、懸念はそれだけではない。
「ドク、少なくともジンとの戦いは避けられないんだよ。ボクがどの大会に出ようと、アイツは必ずエントリーする。『よ、盛り上げにきてやったぜ』とか言って」
「ふむ……ま、それも一理ある」
「ジン相手に無傷で勝てるのなら、最初から相談になんてきてないよ」
シオンはシオンなりに一応は考えた。答えが出ないから、ドクの力を借りるしかないと思った。それがこの仕打ち。腹を立てても致し方ないといえる。
少女と少年、両方がふくれっ面になっているのを見て、ドクは少々考える素振りをした後、手を振って壁のディスプレイを点灯する。そこには、過去のジンとの対決の映像が映し出された。二回目に負けた時のもの。
「シオン、これを見ろ。お前は顔を庇い過ぎる癖がある。ほらこれじゃ」
少女の頭部を狙って、ジンの傀儡が横薙ぎの斬撃を見舞ったシーン。シオンはのけぞる形で避けている。その時にも気付いていたが、微妙に間合いが遠い。避けなくても、せいぜい浅い傷がつく程度。
このあと、顔が上を向いて視界が限定されたことと、姿勢を崩したことで、脚部への銃撃を躱せなかった。片足損傷により、その後はあっという間に追い詰められた。押し倒されて固定され、内蔵火器を突き付けられることになる。当然、降伏せざるを得なかった。
「ジンはお主の癖を見抜いておる。この間合いでも大げさに避けると知っていて、意図的にやったように見える。これをやめれば……いや、逆に誘って罠に嵌めれば――」
ドクの言葉を遮るようにして、少女と少年が同時に叫ぶ。思い切り顔を近づけて、大音声に怒りを載せた。
「それこそ出来るわけないでしょ! 女性にとって顔は生命。傷つけられるなんて許せない。まして、意図的に攻撃を受けるなんて!!」
くるりと振り返った少女と少年の顔は、共にこれでもかというくらいに頬を膨らませていた。そのまま肩を怒らせるようにして部屋を出ていく。
(まったく、あんな剥き出しの機械の腕付けてる、デリカシーの欠片もない人間に相談したボクがバカだった)
通路を歩いて、自分の家に向かってのしのしと進んでいく。ジャンク集積場の地下にある秘密の通路。これでドクの店舗とシオンの住居は繋がっている。シオンの家は集積場の外れ。真新しい小さな一軒家に、一人で住んでいる。
それなりに距離がある通路を進んでいくが、シオンはまだ腹立ちが収まらない。
(ホント、ジンもドクもデリカシーがないんだから。なんで男ってみんなああなんだろ)
先程のジンの話を思い出す。いつも妹が無言で睨んでいたというもの。
(気持ちはよくわかる。同情するよ。それでいて、あんなシスコンみたいに構われたら、よっぽど迷惑だったに違いない)
そこまで考えて、ふと立ち止まった。少女と少年が、互いの瞳を見つめ合う。
(ボクは、どうだったんだろう? そういうこと、あったんだろうか?)
考えないようにしていた。スオウに殺されかけ、この全身擬似生体の身体になる前のことは。
しばらく見つめ合っていた後、同時に振り返ってドクの部屋の方へと戻っていく。気になって仕方なくなった。
「ドク……」
ドアの両脇から、少女と少年それぞれの顔だけ覗かせるようにして、シオンは中を見た。背を向けて何かをしていたドクが振り返る。
「ボクってさ、兄弟とかいた?」
「なんじゃ、今更。興味ないと言っておったのに」
(そう、興味ない。いや、持ってはいけない)
「ごめん、やっぱりいいや。忘れて」
そう言ってシオンは顔を引っ込める。その場を離れる前にドクが出てきた。
「どうした、シオン?」
心配げな表情でドクが問う。シオンは努めてなんでもないふりをして、世間話のように語る。
「いやさ、ジンがよく妹の話するんだよ。アイツ、ぜったいシスコンだよね? それでさ、ボクにも妹とか弟がいたら、あんな風に溺愛して迷惑がられてたのかなって思っただけ」
「ふむ……確かに奴はそういう印象受けるのぅ……」
「それだけ。別に過去のこと知りたくなったとか、そういうわけじゃないんだ」
シオンはそう少年の口から答えた。本音は違うかもしれないと、自分でも思いながら。
殺されかけた事件より前の記憶は一切ない。シオンの前にドクと組んで仕事をしていたという傀儡遣いと、あのスオウの戦いを目撃したのが、一番古い記憶。
公式には、シオンは死んだことになっている。姿形も、襲われる前とは異なる。DNAから戸籍を調べてドクは知っているだろうが、シオン自身は自分がどんな顔だったかも覚えていない。目が覚めた時にはもう、新しい顔と身分が与えられて、全身擬似生体の身体になっていた。
シオンを助けるために、致し方なく無許可での処置をドクは行った。だが、新しい身分を用意出来るくらいなのだから、公安を通じて政府に伝手を持っているのだろう。ドクに頼めば、先に許可が下りていたことにしてもらうのも、可能だったのかもしれない。家族と再会することも。しかし、シオン自身がそれを選択しなかった。
何も覚えていなかったから。本当の名前すらわからない。今でも知らないまま。
(今のボクはシオン。闇の傀儡遣い。今日死ぬかもしれないのだから、何かに愛着を持ったり、しがらみが出来たりはしない方がいい)
ドクもそう判断しているから、自分からシオンの過去や家族についての話はしてこないのだと思っている。代わりにドクは、まるで自分の孫のように扱ってくれていると、シオンは感じる。
いつの間にか、少女と少年両方が俯いて、じっと地面を見つめていた。遠くにある何かを見ているような、焦点の合わない眼差しで。
その思いつめたような表情を見たのだろう。ドクは少女と少年両方の頭を、左右の手で同時に撫でながら、優しげな声を出した。
「シオン、自分が何者だったかなんてのは、どうでもいいことじゃ。人は過去によって形作られるものかもしれないが、これから生きるのは過去ではなく未来。何をしてきたかではなくて、これから何をしようとするか、何を成し遂げるかが、未来のお前を決める。だから、今と未来を生きろ。振り返らなくていい」
「ドク……」
少女と少年両方が、同時にドクのアイセンサーを見つめる。蒼い瞳と焦げ茶色の瞳には、どちらも憐憫の色が浮かんでいた。
(この言葉はきっと、ドク自身の後悔。自分に向けた言葉でもあるんだ。カルテルのこと、やっぱり相当気に病んでる……)
シオンの当面の目的は、死んでしまった過去の自分の敵討ち。自分を殺したスオウを探し出し、倒すこと。カルテルのことは、そのついで。そう思ってきた。ドクや公安と利害が一致しているから、仕事を受けているだけ。
(でも、それだけじゃいけないんだ)
何かが吹っ切れたような気がした。過去のことはやはり知らなくていい。少なくとも今は。もし知るとしたら、それはすべてが終わった後。それまでは、闇の傀儡遣いシオンとして生きていく。スオウと、カルテルを倒すために。
「ドク、ありがとう。そうするよ」
少女と少年両方で笑顔を作って、シオンは答えた。優し気な響きのハーモニーを、ドクの耳へと届ける。
それを聞いて、ドクはにっこりと笑った。初めてドクを見た人でも、笑っているとわかるほど相好を崩して。
「お主、最近変わってきたのぅ」
「そ、そう?」
「最初はロボットのように命令に従うだけと感じることもあった。過去の記憶が一切ないのであれば、それもまた仕方ないとは思ったが」
(記憶のない人間は、ロボットと変わらない。……そうなのかもしれない。何も学習していない、作り立てのバイオコンピューターみたいなもの)
シオンのその思考を遮るようにして、ドクはわしゃわしゃと少女と少年の頭を撫で繰り回す。
「最近はずいぶんと感情豊かに、人間らしくなってきたもんじゃ。いい傾向だ。やはりRRCに出場させたのは正解じゃったの。外に出て、もっと人と触れ合った方が良い」
「わかったよ、そうする」
ドクが手を放すと、シオンは家の方へと歩き出しながら言った。
「ごめんね、何かしてたとこみたいなのに。また来るよ」
「いつでも来い。なんなら、ベッドに潜りこんできてもいいぞ?」
「それはお断り」
少女の方だけ振り返らせて、そう口を尖らせて言った。
それから再び歩き出しながら思う。
(やっぱりジンと似てる。実は親子だったり? 同じようなこと言ってたし)
ドクの方は顔の上半分がわからず、似ているかどうか判断がつかない。今度こっそりDNAを採取し、突き合わせてみようかなどと企んでしまう。
(人間らしく……か。過去を失い、全身擬似生体のロボットみたいな身体になって、心もロボットのようになってしまっていたのかもしれない)
少年が懐から端末を取り出すと、少女が横から画面を覗く。
閉じこもっていないで、明日は街に出てウィンドーショッピングでもしてみようと思った。新しい服でも買おうかと、良さそうな店のある場所を探しながら、家路についた。