第五話
「シオン……シオン!! てめー、シオンを殺しやがって!」
目の前に転がってきた少年の頭部に縋り付いて、ジンが泣き叫んだ。嗜虐的な笑みを浮かべたスオウが、その様子を満足そうに眺める。
「培養可能な状態であれば問題ない」
「くそっ!」
ジンは少年の頭を拾って、足を引きずりながらも走り始める。攻撃を止めたスオウの視線が少女に向いた。動きを止め、少年の頭部があった場所を、無表情のまま見つめている。
その口から、機械的な響きの、感情が籠もっていない声が響いた。
「マスターの生命信号が途絶えました。命令系統消失。安全のため、自己シャットダウンします。現在、クールダウン中」
手首のブレードの発熱と振動が止まり、背中の放熱フィンをはばたかせるようにして、体内に溜まった熱を放出していく。それを横目に見ながら、スオウは腕の光ファイバーを外していった。
「おい、お前らあの男を確保しろ。殺すなよ。公安というのが本当なら、色々と情報を引き出せるかもしれない。実験材料としても優秀そうだ。ついでに、裏の奴らを叩き起こしてこい」
少女が始末し損ねた二体の傀儡を部下に引き渡し、スオウは自身の傀儡を側に寄せた。
「クールダウン完了。ただいまよりシャットダウンします」
少女の手首のブレードが引っ込み、背中の放熱フィンも折りたたまれて格納された。そのまま地面に膝をつき、ぴたりと停止する。姿勢が悪かったのか、ゆっくりと倒れていった。
しばし様子を探るように眺めていた後、スオウは好色そうな笑みを浮かべつつ少女に近寄った。肩を掴んでひっくり返し、天を仰いだ少女の顔を舐めるように視線を這わせる。
白銀の長い睫毛が生えた瞼は閉じられ、精気のない表情は、眠っているといった感じではなく、まるで死人のよう。顔にかかった青みを帯びた銀髪をスオウの指が避け、そのまま頬を撫でていく。
「奴が執着するだけあるな。かなり好みの造形だ。解析が済んだら、セクサロイドに改造して使うか。――いや、もうついているのか、その機能が?」
独り言と共に、卑猥な笑いを漏らすスオウ。誰もいない空間に下卑た声だけが響いた。
笑うのをやめ、スオウが視線を上げた直後、誰かがその言葉に応じた。
「気持ち悪い」
声を発したのは少女。いつの間にか瞼は開いており、凍てつかせるような蒼い瞳でスオウを見上げていた。飛び退るよりも前に、少女の右腕が跳ねあがる。当然その手首からは、赤熱するブレードが伸びていた。
「くっ……馬鹿な……」
左肩を押さえながらスオウが膝をついた。その先は一刀両断され、無くなっている。黒いオイルが止め処もなく溢れ落ち、ショートした電源ラインが火花を散らしていた。
少女が跳ね起きる。蒼い瞳には精気が宿っており、その表情は人間らしく戻っていた。スオウに向けるは、汚物でも見るような冷ややかな視線。桜色の唇が動き、吐き捨てるようにして言葉を発す。
「汚らわしい。これだから男って嫌い。あの時も、そういう目的のためだったの? ボクをすぐに殺さず、追いまわしたのは?」
「何を……言っている? 貴様、AIではないのか?」
状況が呑み込めていないらしいスオウは、恐怖ととれる色を表情に浮かべながら、後ずさりしていく。その様子を見て少女が嗤う。唇の端を吊り上げ、妖しく、そして美しく。
「キミが教えてくれたんだ。傀儡遣いと傀儡は二人で一人だと。そしてAIで動くロボットよりも、全身擬似生体の人間の方が強いってね」
「まさか――お前の方が、本体!?」
「キミも傀儡遣いとしては超優秀なようだけど、それ以外はからっきしだね?」
「小娘が、舐めるなあっ!」
スオウが吠えながら立ち上がる。それを見る少女――シオンの背後から、スオウの傀儡が襲い掛かった。後ろを見もせずにシオンはひょいと斬撃を躱す。くるりくるりと踊るように回って避けていく。辿り着いた先には、切断されたスオウの左腕。それを拾い上げて少女は嗤う。
「繋がってないよ? 吠えて注意を引いても、電波でバレバレ。光ファイバーがないと二流だね。もうちょっとAIを教育した上で、接続が切れたらすぐに自律モードに切り替わるようにした方がいい。さもないと、こうなる」
スオウの傀儡が攻撃をやめ、両手のサーベルを腰の鞘へとしまう。ハッキングは終わっていた。ジンの傀儡と比べると、おもちゃみたいなものだった。無線操作はあまり考慮していなかったのだろう。強すぎる故、使うことがなく。
先程の自律稼働傀儡遣いSUー0もそうだった。無線操作されているのがスオウの姿をした全身擬似生体の方だということさえわかれば、後は簡単だった。対ハッキング技術自体、あまり高くないのかもしれない。
「ジンを助けにいって」
スオウの傀儡にそう命じる。殺すなとは言っていたが、どんな目に遭わされているかわからない。
(いや、駄目だ)
先程ジンに負けた時と同じ轍を踏むところだった。スオウの表情は死んでいない。先程のSUー0は、レーザー通信で相方を操作していた。全身擬似生体のスオウなら、受信装置を正確に追尾して、レーザーを当て続けることは出来るはず。
「ごめんね。恨むなら、キミをそんな風に使ったスオウを恨んで」
シオンがブレードを振るう瞬間、スオウの傀儡は突如として反撃をしてきた。やはり予備回路はあったのだ。ハッキングが簡単すぎたのは、むしろ油断を誘うためだったのかもしれない。
予測はしていたので、難なく二本のサーベルの下をかいくぐり、胴を薙ぎ払って真っ二つにした。しかし、連携してスオウが動いている。
「前言撤回。AIはちゃんと教育してたようだ。それともレーザー通信? でもね、ジンはもっとうまく騙してきたよ」
スオウの腕に内蔵された重火器からの射撃を避けながら、シオンは挑発の言葉を口にした。舞うようにして華麗に、優雅に、的確に射線上から身体を逸らす。外れた弾丸が地面の舗装を吹き飛ばし、派手に抉っていった。
スオウの攻撃はまったく当たる気配はない。余裕で躱し続けるシオンが有利に見えるが、実際のところは焦っていた。
(当たったら一撃で吹き飛ばされそう)
完全な軍用全身擬似生体のようで、高出力かつ高火力。それもかなりカスタマイズされていると思われる。カルテルの技術の粋を集めて作った一品物といったところだろうか。
(まずい、水素の残りが少ない。ジンを助けにいけなくなる……)
近付けない。距離を詰めたら、きっと当てられてしまう。周囲を見回しても、遠距離から反撃出来る銃器の類は転がっていない。内蔵していた傀儡の残骸なら存在するが、撃たせることは出来ないだろう。
(何か……何か使えるものはないか?)
スオウの射撃を必死に躱しながら、シオンは視線を周囲に巡らす。ジンの傀儡が目に入った。その手が何かを掴む形になっているが、指が何本か見当たらない。破壊されて欠損しているのではなく、見えない何かに覆い隠されているように思える。
(そうか、ジン。ただでは逃げ出さないんだね)
恐らくジンの傀儡はまだ生きている。先程と同じく、停止したふりをして獲物がかかるのを待っている。その証拠に、倒れた胴体の肩には、射出孔が開いていた。そしてあの指が見えないのは――
「スオウ、遊びは終わりだ。もう公安がくるってさ。ボクは巻き込まれないよう撤退するよ!」
「ハッタリだ! その手には乗らない!」
スオウは逃げ出すことなく、シオンを攻撃し続ける。それでいい。シオンの言葉は、当然出まかせ。急に動きを変えても不自然と思われないための、心理誘導に過ぎない。
シオンは建物の方に向かって後退を始めた。斜め後ろへの不規則なステップで、スオウの銃撃を躱しつつジンの傀儡の元へ。側転で銃撃を避けるふりをして手に触れたのは、何らかの薄膜。
(やっぱり、さっきのやつ!)
これはジンが被っていた蜃気楼。あの状況で被り直しても意味がないから使わなかっただけで、まだ確保してあったのだ。シオンがこれに気付くように、僅かな手掛かりだけを残して置いていった。
拾った蜃気楼を、勢いよくスオウとの間に拡げた。こちら側からは単なる銀色の金属膜。だが向こう側からは、光も電磁波も捻じ曲げる、不可視の光学迷彩。
「そんなもので隠れられると思うなー!」
当然スオウもアクティブソナー搭載。どこに蜃気楼があるかは検出出来る。これを被っても逃げ切れない。
しかし、シオンは隠れたのではない。単に目隠しをしただけ。自分の正確な位置を知られないように。ジンの傀儡の向きを変えるところを見られないように。そして、攻撃を指示する電波を検出されないよう遮断した。暗号キーは、先程のままだった。
しゃがみ込んでいるシオンの頭上を掠めて、スオウの放った弾丸が飛んでいく。それに突き破られて、シオンが手を放し舞い落ちる途中だった蜃気楼が引き裂かれた。
完全に地面に落ちるよりも前に、反対側からも突き破って飛んでいく。ジンの傀儡の肩から飛び出した、回転する二本のボルトが。
「ちぃ!」
すぐに気付いたスオウが、それを避けつつ発射源に狙いを変える。その隙にシオンは走った。蜃気楼の切れ端を拾いながら。
「終わりだ!」
敢えてシオンは叫んだ。両腕を広げて、全身を回転させながらブレードを飛ばす。
「その程度、避け――」
られるわけがない。不可視なのだ、一本は。
蜃気楼を巻き付けたブレードがスオウの口から飛び込んで、物理的に言葉を遮った。
完全には隠せていなかった。音でも検出出来た。もっと余裕があれば、スオウは気付いただろう。しかし、意表を突いた攻撃を連続で畳みかけ、更に言葉や攻撃動作で行った心理誘導が、スオウの注意力を殺いだ。回避運動を見てから、二回転目に飛ばしたのも功を奏した。
ガクガクと全身を痙攣させながら、スオウは前のめりにゆっくりと倒れていく。恐らく延髄に接続された人工神経を破壊したはず。身体の方はもう動くわけがない。
(でも、傀儡操作用のBMIデバイス経由でも動かせるのかもしれない)
シオンは脚を止めず、いつスオウが動き出しても避けられる態勢を保ったまま、駐車スペース内を走る。先程のスオウの傀儡が転がっているところに行って、そのサーベルを拾った。
「借りるよ、これ」
電源の入れ方はわからないが、単なるサーベルとしては使える。今のスオウ相手に身を守る術としては充分だった。
「ぐっ……ぐぐっ……」
スオウの身体がぎこちなく動き出し、上半身を持ち上げようとする。やはり本人の身体にも予備の操作系統があったようだ。しかし、もう遅い。
「あの時ボクが味わった恐怖、キミにも教えてあげるよ」
シオンはサーベルを振るう。スオウの四肢の残った三つを腕から順に切り落とした。それから胴。首。最後に頭を転がして上を向かせ、眼前に切っ先を突き付けた。
「まだ死んでないんでしょ? 聴覚デバイスは生きてる?」
「き……貴様は……一体……」
頭だけになったスオウの口から、機械音声のようなものが流れ出る。軍用の全身擬似生体故、生存性は抜群のようだった。使いこなせる人間を育て直すのは難しい。脳とその周辺さえ無事なら、簡単には死なないように出来ている。自分もそうだからわかる。
「キミはさっき、最初から詰んでたと言ったね? それはキミの方さ。ボクの方が本体だと見抜けなかった時点で、キミの敗北は決まっていた。次に似たようなことをするときには、レギュレーションに追加した方がいい。傀儡遣いの方もきちんとスキャンして、人間かどうか確認するってね」
それだけ言い放つと、林へ向かって思い切り蹴り飛ばした。自爆されてはかなわない。今ので恐らく失神しただろうが、念のためスオウの身体や傀儡の残骸などがない位置まで退避した。
(あれは……)
周囲の安全を確認していて目に入ったのは、少年の残骸。シオンは側まで駆け寄り、しゃがみ込んで手を伸ばす。もう人の形を保っていないそれをそっと持ち上げ、抱きしめた。
(今まで守ってくれてありがとう、もう一人のボク)
きつく瞼を閉じ、頬を寄せて身を震わせる。涙を流す機能が欲しいと思った。自分には必要ないと考えていたから、つけていない。
傀儡遣い同士の殺し合いでは、操作している本人が優先的に狙われる。だから生存性を高め、囮にして敵を攪乱することも出来るように、少年の方を人間に見せかけていた。自身は少年が操る傀儡。少年はずっとシオンの影武者を演じて、守ってくれていたのだ。
いざとなれば、死んだふりも出来る。そうして隙を突き、逆転することも可能。今まさにスオウに対してやったように。その身を犠牲にして自分を守ってくれた傀儡を、シオンは感謝と哀しみの涙で葬送りたい。
そしてそれだけではない。この傀儡は、最期までシオンの期待に応えてくれた。あの場面で、ジンを守ることにその生命を捧げてくれた。
そういう命令は下していない。その前にジャミングで回線が切れた。それでも、この少年の中のAIは、ジンを守ることを選択してくれた。シオンの気持ちを、願いを、AIが理解してくれたのだろう。
(そうだ、ジンは?)
改めて周囲に注意を払うと、傀儡が二体歩く足音が聞こえてきた。
(まさか、ジンは……)
少年の残骸をそっとその場に横たえると、サーベルを構え直した。音が聞こえた建物の陰へと忍び寄り、タイミングを計ってから飛び出す。そこにいたのはジンだった。
「シオン、加勢に来たぜ!」
どうやら追いかけてきた傀儡遣いたちを返り討ちにして、傀儡を奪ったようだった。
(そうか、また麻酔ガス……)
狭いところに逃げ込んで、そこで使用したのだろう。全身擬似生体でなければ、大抵それで片が付く。あるいは、別館とやらを制圧したときに、そこにいたスオウの部下の傀儡をハッキングしておいたのかもしれない。
「もう終わったよ」
シオンの返答に、ジンの顔がわかりやすく歪む。出てきた言葉は、予想通りで、期待通りだった。
「てめー、なに一人で終わらせてんだよ? お姫様の仕事は、ナイトに助けられることだろ?」
「ボクはそういうタマじゃないんだ。――それよりも、ドクたちを助けにいかないと」
「ああ、それは大丈夫。もうすぐ来るはずだ」
「もうすぐ……?」
連絡があったとジンが言ってから、大分経っている。ドクたちの連れていかれた関連施設とやらの正確な位置は知らないが、そう遠くない場所のはず。時間がかかりすぎな気がする。
「さっきの、やっぱりハッタリ……?」
訝し気に半眼で見上げながら、首を傾げて問うシオン。返ってきた言葉は予想通りで、そして期待を裏切っていた。
「もちろん。スオウが出てくる前に指示出したら、無線の電波でバレて、逃げちまうかもしれないだろ?」
カシャリ。ジンの鼻先にサーベルが突き付けられる。シオンの蒼い瞳は冷たく凍り付いていた。
「なら、ドクたちは……」
ジンは慌てて首を横に振り、両手を広げて制止しつつ弁解を始める。
「待て待て、もちろん人命第一と指示しておいた。何かあったら、救出を最優先するように命令した。大丈夫、誰も死んでないから。オレのスタッフ全員公安の人間だし。……ちょっと、シオンちゃん? 信じてくれないかな?」
「どの口がそう言うんだか? ここまで散々ボクを騙し続けておいて、今更信じてもらえるとでも?」
半眼で睨み続けるシオン。その頬にすっとジンの手が伸びた。
「これだけは信じてくれ。オレはずっとお前のことを守ろうとしていた。それがオレの気持ちだ」
至って真面目な顔でジンは言ってのける。嘘とは思えなかった。
「……わかった。信じるよ」
じっと瞳を覗き込んでくるジンの視線を避けて、シオンは瞼を伏せた。そのシオンの頬をジンは撫で続ける。
「また傷一つついてないのな。残念至極」
「は?」
何を言っているのか理解出来ず、シオンは目を見開いた。ジンはいかにも残念そうに、溜め息を吐いている。
「生前の顔の方が好きだったのになあ……」
(あれ……? 待って、なんでジンは、こっちのボクと普通に話してるの?)
シオンは様子を探るように上目遣いになって、遠慮がちに問う。
「ね、ジンは昔のボクを知ってるの? この身体になる前を? こっちがボクの本体ってことまで、知ってたの?」
顔を上げたジンは、これでもかというくらい明るい笑顔をしていた。
「もちろん。お前をシオンって名付けたの、オレだぜ? 男の名前としても通用する、いい名前だろ?」
確かに、そういう理由でつけられた名前と聞いていた。漢字で書くと紫苑。自分と性別の違う、ダミーの傀儡遣いである少年の名前としても違和感がない。
「そうすると……もしかして、今まで顔を狙い続けてたのって……?」
「そうそう。修理の時に造形の変更提案して、生前の顔に戻せないかなって」
無邪気な顔で嬉しそうに頷くジン。
ガスっと音がして、そのジンの身体がくるりと回転して倒れ込んだ。うめき声も出せず、その目には涙が浮いている。シオンが蹴った。ジンの負傷している脚を。
「キミねえ、ここにはちゃんと脳みそ入ってるんだ。死んでたらどうすんの!」
シオンは自分の頭を指差しながら叫んだ。ジンはやっとの様子で声を絞り出すようにして反論する。
「ふ、深手にはならないように、してやってたんだけどな……。つか、お前、これ、マジで痛すぎ。この人でなしめ! 暴力女! その脳みそ、ちゃんと人間の心入ってんのかよ? 俺の妹ですら、ここまでのことはしなかったぜ?」
「自業自得。それとボクは死んでない。あくまでも記録上。なのに、生前とか言うな!」
ふんとばかりにそっぽを向くシオン。腕を組み、頬を膨らませた、とても人間らしい表情と仕草。停止した傀儡のふりをしていた先程とは大違いだった。
そのシオンの耳に、多数の車両のブレーキ音が聞こえてきた。
「来たぜ、オレの部下たちだ」
いまいちジンの言葉は信用出来ず、シオンは建物の陰から慎重に様子を窺った。視線の先には、機械部品丸見えの腕を振りながら濁声で叫ぶ老人の姿。
「おーい、シオン! 無事かー!?」
その隣には、険しい表情をしてどこかと通話中のサユリの姿もあった。
(よかった、ドク、サユリさん。でも、この姿じゃ出ていけないかな……)
周りには、公安の実力行使部隊と思われる、迷彩服を着た傀儡遣いが多数。彼らもシオンの秘密を知っているのかもしれないが、用心するに越したことはなかった。どこか人気のないところでドクと合流し、傀儡として回収してもらうしかない。
「ねえ、ジン」
「わーってるよ、伝えといてやらあ」
言葉にしなくても、言いたいことは理解してくれたようだった。ジンが合流の手配をしてくれる。シオンは小さく手を振ると、林の中へと足を踏み入れた。
ゆっくりと歩きながら考える。スオウへの復讐は済んだ。殺してやりたかったところだが、そのあとには何も残らない。公安に回収してもらい情報を引き出させ、スオウのやってきたことを台無しにしてやるのが、最も効果的な復讐。自分の手を汚さずとも、公安がスオウをただ生き延びさせるわけもない。
(これから何を目的に生きていこう。ボクは、何をすればいいんだろう?)
林を抜けたシオンが見上げる先には、いつか見たのと同じ、天高くまで透き通った青が広がっていた。巻雲が筋を引いて流れ、一刻として同じ形を保たない。
人に、似ていると思った。人の生に。強風に翻弄され、姿形を変えながら、どこへともなく流されていく様は、自分自身を見ているようだった。
作りものめいているのではなく、実際に作りものであるシオンの顔だったが、その表情は明らかに人のもの。延髄に接続された人工神経に流れるシオンの脳からの信号を読み取って、表情を制御する人工筋肉が生み出している。素材は違えど、生物とまったく同じ仕組み。
哀愁を帯びた蒼い瞳も、翳りのある面持ちも、すべてはシオンの心。
その美術品のような顔が突然引き攣る。身体も小さく飛び跳ねた。ポンと肩を叩かれたことによって。
「そんな悲痛な顔して悩むなよ。好きに生きればいいさ」
「キミはなんでいつもそうやって突然現れるのさ?」
まったく気付かなかった。脚を怪我している上に、道中枯れ葉も積もっていたのに。敵でなくて良かったと心底思う。
(いつもいつも、人の心を見透かしたようなこと言って、翻弄してきて)
頬を膨らませて不満顔のシオンに気付いているのかいないのか。ジンは底抜けに明るい笑顔で語り掛けてくる。
「なあ、やることないんなら、今度こそちゃんとしたデート行こうぜ。俺とお前の二人で」
キっとシオンが鋭い視線をジンに向ける。その口が開きかけて、すぐに閉じた。
『ラヴドールとでも行ってこい!』と返そうとしていた。だがその言葉を飲み込んだ。ジンは、美少女型の傀儡ではなく、シオン自身を誘っているのだ。この脳に宿っている人格を。あの時も、知らないふりをするためにおどけていただけで、本音は違ったのかもしれない。
(デート、か……。一度くらい、経験してもいいのかもしれない)
すべての記憶を失っている。した記憶がないのなら、新しく生み出せばいいだけ。
その時の光景を想像して、シオンは微笑む。一度も見せたことのない、愛らしい笑顔で。
ジンへの答えはもちろん――
了




