第一話
少年が先に立って階段の前に飛び出した瞬間、目の前にはもうジンの傀儡がいた。
(いつの間に!?)
腕に内蔵されたブレードも展開済み。それが振るわれる直前、少年の手を強く引いて、共に後ろへと少女が飛び退る。追撃に備えて、アサルトライフルを構えながら通路を後退した。
会話をして注意を引きながら、こっそりと距離を詰めさせていたのだろう。足音は一切しなかった。アクティブソナーすら反応していなかった。
恐らくはソナーキャンセラー搭載機。位相を反転させた音波で相手のソナーを誤魔化す、音響迷彩とでもいったもの。RRCではソナーを使うような場面がないから、知る機会がなかったのだろう。ジンの他の大会での隠密戦闘は、これによって支えられていたのだ。
もう少し会話が長引いていたら、相手が動くのを待っていたら、きっと避けられない状況で奇襲されていた。先手を取ろうとして正解だったと言える。
(やっぱりジンは強い……)
本気でやりあったらどちらかが死ぬ。先程のその言葉は嘘ではない。シオンの方も、そう簡単にはジンの傀儡を無力化出来ない。今までの試合での負けは、確かに過剰に顔を庇ったことに主因がある。だがそれを差し引いても、実力の差は大きくはない。
シオンにとって圧倒的に有利なのは、ジンは殺し合いに慣れているわけがないということだけ。
(確実に勝つには、やはりジン本人を――!? ジンは、どこだ!?)
いない。傀儡は追いかけては来ず、再びソナーキャンセラーを使って隠れた様子。そのまま待ち伏せをしていると思っていた。しかし、ジン本人のものらしき反応があった場所に、今は何もない。
(傀儡遣いごと隠せる? いや、それはない。ならば、ジンはもう近くにはいない?)
階段は当然複数ある。ここは元々大きな医療施設だった場所。災害時の避難経路確保の意味も込めて、分散して多数設置されている。
正面の見張りは少年に任せて、少女は後ろを見た。ここまでの戦いを振り返り、階段の位置を思い出していく。少し戻った位置に、階段室があった。ドアなどはついていなかったが、ここからでは死角になっていて、上り下りを目視することは出来ない。詳細なマップがない状態で、アクティブソナーできちんと把握可能な距離でもない。
(回り込んでいる途中? なら、こっちから!)
少年を肩に担ぎ上げると、少女が全力で走り出す。階段へと一気に曲がろうとした瞬間に見えたのは、銃口から漏れ出る光。マズルフラッシュと判断し、慌てて身を捩るも、脇腹を損傷した。激しい痛みが脳裏に響く。
(くっ……手玉に取られてる……)
少女は少年と共に床を転がりつつ、痛みに顔を歪める。自動的にリミッターが働いていたが、身体を複数の銃弾が貫通する激痛は、リアルにこだわりすぎたこのボディではきつい。
危機察知能力が下がることを覚悟で、痛覚デバイスを完全にオフに切り替えた。痛みで思考を遮られたら、その隙をジンは逃さないだろう。
少年と共に起き上がり、壁に背を付けしゃがみ込む。階段の前は通り過ぎ、反対側の通路まで転がっていた。そのままそっと階段の様子を窺う。
先程、ジンの傀儡は踊り場に膝をついてこちらを狙っていた。既に隠れ直したのか、もう反応はない。ジンは恐らく、アクティブソナーの索敵範囲外から操作している。傀儡の内蔵カメラの映像を映し出せるディスプレイを持っているのか、それとも階段にファイバースコープを仕掛けてあるのか。
どちらにしろ、下り階段はジン本人からも見えているに違いない。無線の電波は飛んでいない。自律AI頼りで、傀儡だけ置いていくわけはない。
(いや、これこそ思考の落とし穴……?)
人間にも扱えるサイズと重量の外装兵器を使っていた傀儡は多かった。先程罠に嵌めようとしてきたコウのことを思い出す。自分の物か奪った物かはわからない。だが確かに傀儡遣い本人が、アサルトライフルを使っていた。
ジンは恐らくかなりの数の敵を倒したはずだ。奪った武器を持っていてもおかしくはない。そして傀儡で注意を引いている隙に、ジン本人だけが回り込んで、シオン本人を攻撃する。
殺さずとも、傀儡の操作が不能になる状態に持ち込めば、後は圧倒的にジンが有利。そういう作戦かもしれない。
シオンはジンの思考力に舌を巻いた。物理的な動きでは上回っていても、心理戦ではまったく敵わない。どの可能性もあり得る。
(でも、させない。防ぐ方法はあるんだ。純粋な戦闘力だけが物を言う場所に誘い込む!)
少年は身を低くしたまま、慎重に顔を出して、上り階段の様子を探る。そこにはジンの姿も傀儡の姿もない。この短時間で、こちらに気付かせずに上がれたわけはない。ならば、まだ下にいる。上り階段には、下からは射線が通らないはず。上がった先は四階。最初に戦った場所。
少年の手を引いて、少女は一気に駆け出した。ジンの傀儡が後を追って回り込んでくる前に、階段を上がりきって踊り場を曲がる。そのまま四階の通路へと飛び出た。流石にジンは先回りしていないようなのを確認すると、右手へと曲がっていく。
その先の十字路。曲がった先が、最初に立てこもった小部屋。あの場所であれば、ジン本人が武器を持とうと、傀儡がアクティブソナーから隠れて近寄ってこようと関係ない。
挟み撃ちは不可能。死角からの攻撃も出来ない。互いに正面切っての戦いになる。そして最初だけはシオンの方が有利。また天井の隅に張り付いて奇襲が出来る。
少年が先に部屋に飛び込み、先程と同じ位置に陣取る。続いて少女が身軽に飛び上がり、天井の隅に手足を突っ張って身を隠した。
(さて、うまく見つけてくれるだろうか……?)
ジンは必ず仕掛けてくる。シオンが待ち伏せていると理解していても、自分の方から仕掛けざるを得ない。この勝負は残り一人になるまで行われる。時間も無制限に変更すると言っていた。
ここに来ない限り、優勝するどころか、準優勝も出来ない。降参は相手が認めない限り成立しない。すなわち、少なくとも会話が出来る位置までは、近づかなくてはならない。
しんと静まり返ったまま、時間だけが過ぎる。ジンはシオンをロストしてしまったのだろうか。索敵範囲外から傀儡だけを近付かせている可能性はあるが、それにしても時間が経ちすぎている。
少女がアサルトライフルの弾倉を取り外し、残りの弾数を確認する。わかってはいたが、弾倉の中は空だった。残りは薬室に装填されている一発だけ。先程自分の位置を知らせるために、何発も無駄撃ちしたからだ。
(どこかで拾ってくれば良かったかな……)
部屋に転がったままの、最初に倒した傀儡たちの武器は使い物にならない。一つは銃身を叩き斬ってしまった。弾倉は無事だが、口径が異なり、少女の銃には使えない。もう一つは弾倉の方が破損している。弾丸を取り出して使えるかもしれないが、隙が大きすぎる。
悩んだ末、最後の一発を使ってしまうことにした。残したとしても大して役に立たない。この場所なら近接武器だけあれば充分。これを撃って位置を知らせる。流石のジンでも、最後の一発をそんなことのために使うとは思うまい。むしろ最も効果的な使い方と言える。
静まり返った廃墟内に銃声が響く。シオンは祈るような気持ちで待ち続けた。
やがて、傀儡の歩く金属的な足音が聞こえてきた。ゆっくりと、着実にこちらに近付いてくる。ジンの傀儡で間違いなかった。敢えて大きな足音を立てて歩かせている。
(誘ってるな……こっちが待ち伏せてるのは、お見通しってわけか。でも、乗らないよ)
ジンのことだ、傀儡を攻撃しに飛び出た瞬間を狙える位置に、本人が潜んでいるに違いない。意味もなく自分の位置を知らせるような男ではない。突入のタイミングを教えてしまうだけなのだから。
足音はそのまま十字路を曲がってきた。シオンはアクティブソナーで探る。そして愕然とした。
(なに、あれは……?)
壁。そう表現するしかない。通路を覆い尽くすような大きさの壁がある。
(そうきたか……)
反射音の周波数特性からすると、そう丈夫なものではない。だがソナーの超音波を遮り、向こう側の様子を悟らせないためには充分なものだった。どこかで板状の何かを拾ってきて、傀儡に持たせているのだ。ジン本人がどこにいるのか、ソナーで探らせないために。
(となると、すぐ裏にいると考えるのが自然だけど……)
そう思わせて奇襲を誘う算段かもしれない。敢えて大きな足音を立てているのは、傀儡の正確な位置を教えるため。そして、ジン本人の足音を搔き消すため。
シオンが勝ちにきているのなら、傀儡を無視してジン本人を狙うはずとの判断だろう。そしてこちらの思った場所に、ジンはいない。その隙を傀儡が突く。
惑わされてはならない。シオンにとってベストなのは、ジンが何を仕掛けてこようと、ここでじっと待ち伏せることだけ。
壁のようなものは、あとほんの二メートルという位置に固定された。足音も止まり、ジンの傀儡がその後どうしたのかはわからない。その気になれば、一瞬で部屋へと突入出来る位置。
神経をやすりで削りとられるような時間が続く。まだジンは動かない。汗を拭いたくなった。そんなものはかかない身体だが、生身だった時の記憶だろう。少女の身体が過熱してきている故、そう感じるのだ。
通常の戦闘用傀儡に比べると超軽量ではあるが、手足を突っ張って天井に隠れ続けるには、それなりの電力を消費する。人工筋肉に流された電気は、余分な熱エネルギーをも生み出す。燃料電池そのものも発熱する。体表からの放熱が間に合わなくなり、温度が上がってきているのだ。
(まさか、これを狙って……?)
いつまでも隠れ続けられるわけではないということを、シオンは悟った。
サーモグラフィー。ジンの傀儡も内蔵していないわけがない。部屋の上方の大気が、他より温度が高いということに気付かれてしまう。その事実で、隠れている位置が把握されてしまうかもしれない。あるいは、既に……。
(どうする? 先に仕掛けるか? いや、あの遮蔽物越しに、そこまでわかるわけない)
それならば、何故ジンは仕掛けてこないのか。
少女と少年の眼が、部屋の中を忙しく見まわす。何か見落としていることはないだろうか? 既にジンはあの向こうにはおらず、別経路から仕掛けてくる可能性はないだろうか?
視線が窓へと向く。ここも防弾ガラス。だが傀儡の近接武器であれば破壊可能。ジンはあくまでも戦う姿勢を見せていた。上階などから建物の外に出ても、逃亡のためとは看做されないのではないだろうか? ならば、外から仕掛けてくる可能性もある。
(ジンめ……何もかもを知ってるかのように、ボクを追い詰めてきて……)
足音を立てないように、少年が慎重に動き出す。窓から攻撃があった場合に、デスクが邪魔になって射線が通らない位置へと。その瞬間――
壁が一気にこちらへ押し出された。ジンの傀儡は足音も気にせず突進し、壁にしていた何かが通路の奥へと放り投げられる。そのまま一気に部屋へと突入してきた。
少女は飛び下りつつ、傀儡の頭部目掛けて斬撃を放つ。しかし、やはり予測済みだったのか。右腕内蔵のブレードによって、簡単に受け止められてしまった。少女の視線の先で、傀儡は左腕に内蔵された銃器を少年に向ける。
「させるかー!」
少女の喉から裂帛の気合が発せられた。部屋の壁を足場に、両手をジンの傀儡の頭部に掛けて押し倒す。銃撃は少年を逸れ、床に命中してコンクリートの破片を撒き散らした。
もつれあうようにして少女と傀儡が倒れ込んだ。その最中にも腰のアーミーナイフを抜いて、少女は相手の関節部を狙う。
少年がその隙に回り込んで、通路へと飛び出した。視線の先にはジンの姿。足元には、彼から伸びる光ファイバーが確かに見えた。
その瞬間、少女が動く。傀儡への攻撃をやめ、倒れ込むようにして通路の床のファイバーへとナイフを突き立てた。
ジンからの無線信号が発信される。それを受け、少女の中のハッキング用コンピューターがフル稼働を始めた。しかし元年間チャンプの傀儡。すぐには暗号キーを割り出せないだろう。
(時間稼ぎくらいなら、これでも!)
少女は素早く立ち上がり、十字路の方にいるジンに向かってアサルトライフルを突き付けた。残弾はない。しかし、ジンが把握しているわけがない。少年を背後に隠すようにして、少女は通路の行き止まりへと後ずさった。
「ジン、これでチェックだ」
生身のジンに、少女の射撃を避ける術はない。その銃口は正確に額を狙っていた。
「撃てよ。撃てるもんならな」
ジンはそう言って不敵に笑う。逃げるどころか、むしろゆっくりと歩み寄ってきた。
(ボクに人が殺せるわけないと、タカくくってるの?)
大した度胸だと言わざるを得ない。とても生命のやり取りが初めてとは思えない。元々の才覚なのだろうか。それとも、躊躇なく殺そうとしてくる相手を倒していくうちに、このバトルロイヤルだけで身に付けたのだろうか。
(そうか、狙いか……)
少女の銃口が僅かに動き、ジンの右胸に照準を変えた。即死する場所を狙っていたら、撃つ気がないと言っているようなものだった。
その効果だろうか、ジンの脚が止まる。少女は冷たく輝く氷のような瞳で見つめながら、静かに告げた。
「降参して。もうキミに勝ち目はない」
ジンの傀儡が少年を攻撃するよりも、少女がジンを撃ち抜くほうが早い。彼を守るものは何もない。少年のことは少女が守る。例え傀儡が自律AIで戦闘継続したとしても、シオンとその傀儡には敵わないのが明白。
「時間稼ぎか? どうせハッキングしかけてるんだろ?」
シオンは何も答えない。ジンの言っている通り。少女は無表情を保ったまま、もう一度同じ言葉を繰り返した。
「いいから降参して。もうキミには勝つ方法がない。ハッキングするまでもない状況だってわかるでしょ?」
嘲るようにニヤリと嗤うジン。追い詰められた人間の表情ではなかった。
「バーカ。お前、化かしあいでオレに勝てると思ってんのか? 当ててやろう。その銃にはもう残弾はない」
確信しているとしか思えない落ち着きぶり。先程のジンの挑発の台詞を思い出す。『撃てよ。撃てるもんならな』と言った。撃てないと言った理由が違っていたのだ。シオンにその度胸がないという意味ではなく、残弾がないから撃てない。それを初めから見抜いていた。
だが見た目でわかるはずはない。ボルトストップはきちんと解除してある。何かもっと別の根拠で、弾は入っていないとジンは考えたのだ。
「どうしてそう言い切れるの?」
表情は変えず、肯定も否定もしないまま少女は問う。ジンは自分の傀儡の方を指差しながら答えた。
「お前がハッキングで終わらせようとしているからだ。残弾があるのなら、お前のみみっちい正義に背いてオレを撃たずとも、傀儡の方を破壊すればいい」
正論だった。しかし落とし穴もある。そこにつけ込み、はったりをかます。
「一発しかないんだ。流石に傀儡は破壊出来ない」
「あ、そう。じゃあ、これならどうだ?」
(なっ……)
ジンの傀儡が背を向け、跪いた。メンテナンス用ハッチが開いて、燃料電池ユニットが剥き出しになる。これを撃ち抜かなければ、残弾がないという証明になってしまう。
(あと少しなのに……)
暗号キーの候補は、ある程度絞り込めている。しかし、ジンが傀儡を動かさないために、推論エンジンが出した候補の検証が出来ず、チャレンジするには確率が低い状態だった。
だが、今の動きで枝切りが進んだ。あともういくつかのコマンドを出させれば、いける可能性がある。
「じゃあ、遠慮なく」
剥き出しの燃料電池ユニットに銃口を向けた。少女の唇の端が吊り上がり、妖しく嗤う。
「これでボクの勝ちだ」
カチっ。少女が引き金を引くと、小さな動作音が響くだけで、弾丸は発射されなかった。
「やっぱり弾入ってねーじゃん。――続きやろーぜ」
ジンの傀儡の背中のハッチが閉じた。少女が手に持つアサルトライフルを、振り返りざまに下から切り上げて両断する。そのまま少女に向けて右腕のブレードが振り上げられた。
今にも斬り付けられる寸前なのに、少女は顔に張り付けた嗤いを崩すことなく言った。
「だから、ボクの勝ちだって」
振り上げられたブレードが下ろされる。少女に向かってではない。刃を格納しつつ、ただ腕を下げた。
ハッキングはギリギリで間に合った。今のジンの操作によって、残っていた候補は一つに絞り込めた。割り出した暗号キーで無事アクセス出来、権限を書き換えて制御を乗っ取れた。
「へっ、甘いね、お前は。さっさと破壊すりゃいいのに、ハッキングなんて穏やかな手段を使いやがって」
ジンは大げさに肩を竦めながら、そう感想を漏らした。
確かに甘いかもしれない。しかし、終わりになればそれでいい。シオンにとっては。
「キミに個人的な恨みはないんだ。さっきの話が本当なら、無駄な修理代を負担させたくないしね。ソフトウェア的にシャットダウンしても、ボクの勝ちになるはず」
シオンはシャットダウンの指示を傀儡に送った。どこかに仕込んであるスピーカーから、機械音声が響く。
「シャットダウンコマンドジュシン。アンテイシセイニイコウシ、デンゲンヲセツダンシマス」
傀儡が両膝と両手を床についた姿勢で停止する。冷却装置だろうか、内部からモーター音がして、止まった。そのままシンと静まり返る。
「さあ、殺し合いごっこはもう終わり。良かった、キミとは本物の生命のやり取りにならなくて」
少女と少年はジンの方を向いて、同時にそう言った。やっと終わった。この凄惨な死のゲームが。あとは主催者を上手く言いくるめて、無事外に出してもらうための方法を考えなくてはならない。口留めのため、何らかの制限が課せられるはず。情報を外に漏らさせないための仕掛け。それをどう躱すか。
(ん……なんだ……この、違和感……)
ジンはやってられないとばかりの表情で、地面に座り込んでいる。傀儡は確かに電源を切って停止した。ジンと傀儡の間の無線通信も、当然切れている。なのに、何かが足りない。
(――アナウンスが、まだない!)
少女がアーミーナイフを握り直し、振り向いた瞬間。傀儡の両肩に開いた射出孔から、何か棒状のものが飛び出す。それは、少女の顔面に向かって真っすぐに襲い掛かった。