第四話
少年を狙った銃口が火を噴いた時には、あらぬ方へと向いていた。発射された弾丸は天井や壁に穴を穿ち、コンクリートの破片が飛び散っていく。
そうさせたのは、少女による壁抜き攻撃。少年を狙って奥の部屋から現れた傀儡の腕は、銃撃によってひしゃげ、動作を停止した。
無感情な瞳で様子を眺める少年。その姿がふっと消える。入れ替わるようにして少女が飛び込んできて、驚愕に目を見開いたままのコウの眼前にサーベルを突き付けた。
「キミは本当に卑怯な手が大好きだね。――自分で破壊して。約束なんだから」
冷たく輝く少女の瞳に慈悲はなく、放つ言葉にも逆らうことを許さぬ強制力があった。
コウは無言で足元のアサルトライフルを拾う。少女に背を向け、動きを止めた本物の傀儡に突き付けた。
刹那、少女のサーベルがコウの身体を傀儡に縫い付ける。身を捻って再度の奇襲をしようと放ったコウの銃弾は、少女の足元に着弾していた。
「く、くそっ……」
怨嗟の声を気にも留めず、無言でサーベルを引き抜くと、少女はコウの腕を掴んで乱暴に放り投げた。そのまま傀儡の関節部を狙って切り刻む。電気のスパークが飛び、その身体が崩れ落ちていく。最後に、傀儡の腹部を上から刺し貫いた。
ブザーが鳴り、アナウンスが響く。
「エントリーナンバー十二番、傀儡稼働不能により敗北。残り五人」
コウは壁に叩きつけられ、そのまま地面に横たわっていた。床に流れ広がっていくのは、赤い血ではなく黒いオイル。事故にでも遭ったのだろうか、上半身の一部が擬似生体化されており、そこを狙って貫いた。
「殺されなかっただけ、ありがたく思って。最初からその気なら、何度も殺るチャンスはあった。でも信じてあげようとした」
少女は汚物でも見るような目付きでコウを見遣る。その視線を避けるかのように、コウは地面ばかりを見ていた。
「そもそもバレないと思ったの? 敗北のアナウンスは流れてなかったのに。相変わらず、浅知恵過ぎる」
興味を失ったように少女は視線を逸らし、奥の部屋へと向ける。一瞬の躊躇。瞼を伏せ、再び開くと、意を決したかのように奥の部屋へと進んだ。漂ってくるのだ、そこから。本物の血の匂いが。
(これは……)
少女の顔が悲痛に歪み、歯ぎしりの音が響く。目の前の凄惨な光景を見て。
二人、死んでいた。脈や呼吸を確認するまでもなく、確実に死んでいるとわかるような惨い状態で。側には破壊された傀儡が一体。最初はどうしたのかわからないが、少なくとも一人には、今のと同じ手を使ったのだろう。
他人の傀儡を使い、自ら破壊しリタイアしたふりをして騙し、誘い込んで殺したに違いない。
少女は鋭い動きで振り返り、手前の部屋に戻った。そこで黒いオイルを流し、倒れ伏したまま呻いているコウに詰め寄る。
「何故……何故殺したんだ! こんな騙し討ちをしてまで!」
殺してしまいたかった。こんな人間のクズなど、殺してしまいたいとシオンは思った。生き残れば賞金を受け取ることになる。そして味を占めたこの男は、次の試合でも同じことをやる。この戦い方は、さぞかし観客を悦ばせたことだろう。本物の殺し合いを見るために、金を払うような人間たちなのだから。
カシャリ。少女のサーベルが抜き放たれ、コウの眼前に再び突きつけられる。その蒼い瞳は深い哀しみと共に、怒りの炎を燃やしていた。コウはガタガタと震えだし、情けない声で命乞いを始めた。
「頼む……殺さないでくれ……知らない仲じゃないだろ? 頼むよ……なあ、頼むよ!」
少女がサーベルを振りかぶる。コウは目を見開き、そのまま凍り付いた。血走った眼球の直前を切っ先が通り過ぎる。コウはそれで気絶したのか、力を失い崩れ落ちていった。黒いオイルとは別の、異臭を放つ液体を床に染み渡らせながら。
少女は振り返り、入り口で待つ少年と視線を合わせる。頷き合うと、互いに手を取って通路を駆け出した。
(あと三人。なんとかして早く始末しないと)
ジンが危険と感じる。あんな子供騙しの手に引っかかる男とは思えない。だが結託されたら? 複数人で芝居を演じられたら? ジンでもどうなるかわからない。
誰かが今にも殺されようとしていたら、きっと迷わず助けに入るだろう。ジンならば、自分の生命を危険に晒してでも、他人を救おうとする。そう思えてならない。そしてそれが狂言だったら、ジンの実力でも……。
「ボクはここだ! 殺すなら、ボクからにしろ!」
シオンは叫ぶ。少女と少年両方の身体を使って。アサルトライフルを空撃ちし、自分の位置を音でアピールしながら、階下へと向かう。最も無防備と思える、開けた空間へと向かって。病院のロビー。一階に必ずあるはずだった。
「エントリーナンバー三番、九十一番、百二番、傀儡稼働不能により敗北。残り二人」
階段を駆け下りる途中の、突然のアナウンス。ブザーは一回だった。
(なんだ……? 同時破壊?)
これはリタイアではない。上位入賞が確定したからと、自己破壊してのリタイアではない。こんな同時のタイミングで行われるわけがない。そうすると……。
「よう、シオン。上にいるのか? お前、声デケーな」
階下から流れてきたのは、聞き慣れた声。また耳を傾けたいと思っていた、最大のライバルにして、最高の友人の声。
シオンの心の中に、喜びと希望の風が沸き起こる。それをNBデバイスが読み取り、少女と少年の顔が、共に歓喜に染まった。手を取り合って階段を駆け下りながら、少年が叫ぶ。
「ジン! 今のは、ジンがやったの?」
ハッキングして使役していたと考えるのが自然。叫んだことで、残っているのがシオンだけだと確定したから、不要になって破棄した。だから同時破壊。
「ああ、そうだ。流石にあれ使って勝っても、オレは嬉しくねーしな」
少女と少年の脚が止まる。共に愕然とした表情で、階段の途中に立ち尽くした。
ジンの今の言葉が意味することは、彼がまだやる気だということ。これで終わりにはしない。一対一での殺し合いを、彼が望んでいるということ。
(そんな馬鹿な……)
少女と少年両方が階段を駆け戻り、通路へと避難する。ジンの声はすぐ一つ下の階から聞こえた気がする。壁に背をつけ、射線が通っていないことを慎重に確認してから、再び言葉を発した。
「ジン、もう戦いは終わりにしよう。最初の説明聞いたでしょ? これは殺し合い。まともな戦いじゃないんだ」
返ってきた答えは予想通りで、それでいて期待を裏切るもの。
「だから面白いんじゃねーか。お前の本気の実力が、やっと見れる」
「キミは、自分が言ってることわかってるの!? ボクとキミが本気でやりあったら、きっとどっちかが死ぬ!」
「大丈夫だ。お前はそう簡単には死なねえ身体だ。脳みそだけは避けてやる」
どこまでもやる気のようだった。試合後のことを考えると危険かもしれないと思いつつ、シオンは最終手段となる提案を口にする。
「ならボクの負けでいい。降参する」
「認めねえ。ルールじゃ対戦相手が認めない限り、降参は成立しない」
「このわからず屋!」
少女と少年両方の口から叫びが漏れる。悲しみと怒りが綯い交ぜとなった不協和音が、廃墟の中に響き渡った。
「どうして、どうして戦わなきゃならないのさ!?」
「金のために決まってんだろ」
一番聞きたくない答えだった。そんなもののために戦っていたなんて、信じたくなかった。ここまでこの殺し合いを勝ち抜いたのは、そんなものが欲しかったからなのだろうか?
「降参なんてつまらねー提案受け入れたら、次の戦いじゃ使ってもらえないかもしれねー。オレはこの闇の大会、気に入ったぜ。どんどん参加して、稼ぎまくってやる」
「どうして……どうしてそこまでして、お金が欲しいの?」
「はっ、気付いてねーのか? お前他人の話、全然聞いてないんだな? オレがいつも妹の話してんの、何故だと思う? 同情を買うためさ。妹のことを気に入ってもらって、お前に金を出させるためさ」
意図が読めていなかった。ただのシスコンだと思っていた。確かに、ジンの妹とやらに対して、他人ではないような感情を抱き始めていた。それがすべてジンの策略。シオンから金を巻き上げるための、ただの心理誘導。
「そんな大金、何に使うの?」
「あいつのために決まってんだろ。救ってやるためには、金が必要なんだよ。それも膨大な金額が。いくらかかるか見当もつかねー。これは闇の大会とはいえ、勝ち残れば確かに金はもらえる。お前に勝って、次も使ってもらう。同情してくれるってんなら、オレと戦え」
シオンは、決断しなくてはならない。ジンはとても引き下がりそうにない。
彼の妹がどうなっているのかは知らない。何をしてあげるために大金が必要なのかはわからない。だが妹への愛は伝わってくる。こんな闇の殺し合いで金を稼いでまで救いたがっている。
(ジン……ボクは……ボクは、キミの過ちを正す!)
倒すしかない。そしてやめさせる、こんなことは。彼は間違っている。不正な殺し合いをして稼いだ金で、妹が喜ぶわけがない。次の試合になど出させない。ここから生きて帰って、ドクを経由して公安を動かし、共に叩き潰す。この闇の試合の主催者と、その組織を。
ジンの妹のことは、終わった後に考えるしかない。金が必要なら、稼ぐのを手伝えばいい。何をしてあげなくてはならないのかはわからない。だが、竜胆や公安、それらを通じて政府にだって伝手がある。きっと力になってあげることは出来る。
そのためには、まずはこの戦いを終わらせる必要がある。そしてジンを無事妹の元に帰すこと。今はそれこそが最も重要。
「わかった、やろう。本気のボクに勝てると思ってるのならね」
少女の瞳は凍り付くような蒼。その唇の端が吊り上がり、妖しく嗤う。
「殺しはしない。でも手加減もしない。擬似生体化の費用くらいは、ボクが負担してあげるよ」
その喉から可憐で、それでいて恐ろしい声が漏れた。階下から笑いが響く。
「てめー、オレを舐めすぎだぜ。お前の攻略法はもうわかってる。遠慮なく使わせてもらう。だがそれだけで勝てるとは思っちゃいねー。悪いが遠慮なく本体を狙う。余程当たりどころが悪くない限り、死なねー身体だしな。丁度いい」
ドクン。心臓の鼓動の音が聞こえた気がした。シオンの身体には、存在しないものなのに。生身の身体だった時の記憶なのだろうか。
少女と少年は互いに決意の籠もった眼差しを交換すると、同時に動き出した。