第一話
鋭い金属音。のち、破砕音。コンクリートの破片が弾け飛ぶ。少女が抜き放った銀色の刃が、少年に到達する寸前だった弾丸を斬り飛ばした。反対側の手で、アサルトライフルを撃ち込んで敵傀儡をよろめかせる。
その隙に、少年を抱えて少女が部屋へと飛び込んだ。再度アサルトライフルを構える。狙いは窓ガラス。透明度が低く、僅かに歪んだ外の景色を見て、引き金に掛けた少女の指が止まる。
(これは……防弾ガラス?)
建物の外観を思い出す。低層階はきちんとガラスが嵌まっていた。強度の高い防弾ガラスならば、割れずに残っていても不思議ではない。しかし、病院のリハビリ室にそんなものが使われていたわけがない。この試合に備えて、事前に交換したに違いない。
(まさか、閉じ込めるためのもの?)
先程のアナウンスの内容。傀儡遣いへの攻撃が許可されるということは、すなわち、本物の殺し合いとなることを意味している。頑丈な傀儡を破壊するよりも、傀儡遣いを殺す方が簡単。
(そういう……ことだったのか……)
シオンの中で、ここまでの疑問が解れ、一つの線として繋がっていく。
手の込んだやり方をしてまで、会場を変えた理由。まだ本来の会場のシステムが回復していなかったのに、もう試合を開始してしまう理由。公式サイトにアクセス出来なくなっている理由。問い合わせも繋がらない理由。
そこから導き出せる答えは、本物の主催者がやりたかったのは、最初からこの戦いだということ。たった一人だけが生き残る、文字通りの殺し合い。すべてがそのために仕組まれていたと考えると、辻褄が合う。
この戦いの映像は、一般に公開されるわけがない。殺しを許可しているのだ。ならば、闇の賭け試合として開催されていると考えるのが自然。優秀な傀儡遣いを使って、本物のバトルロイヤルを見せるために、入念な準備の下、企画された大会なのだろう。
皆が知らなかったのか、それともシオンだけが知らなかったのか。
(少なくともアイツは、殺し合いだと知っていた)
外にいた傀儡は、開始のアナウンスと同時に躊躇いもなく少年を狙った。承知の上での参加でなければ、すぐに傀儡遣い本人を攻撃するという発想に到るわけがない。
そうすると、他にもこのような試合が行われていると考えるべき。もしかしたらこの会場は、そのための場所なのかもしれない。だから地図には記載されていない。
シオンはかなり丈夫そうな窓ガラスを見ながら考える。これを破って逃げようとしたらどうなるかについて。その気になれば、破壊出来ないこともない。
逃げ出せそうな低層階は、すべてガラスが嵌まっていた。つまり、閉じ込めるために下準備されていたということになる。ならば、これを無理やり破っても、無事に逃げられないような仕掛けもあるはず。戦闘用ロボットや砲台が配置されていてもおかしくはない。この試合の内容を外に漏らされては困るのだから。
少年を地面に降ろして少女は振り返った。外の傀儡は、中にまでは入ってきていない。傀儡遣い本人からは、ここは死角となっているのだろう。十字路の陰に隠れているに違いない。
このままでは終わらない。いずれ移動して攻撃してくる。それまでの時間を使って決めなくてはならない。この先の行動指針について。
逃げ出すことが許されないのなら、勝ち抜いて試合を終わらせるしかない。この闇の試合に乗り、勝者として堂々と外に出るしかない。
見たことのない選手は、以前から他の闇の試合に参加していた者たちと考えるのが妥当。今攻撃してきた傀儡も、そのうちの一人のものだった。
前回の生き残りがいる。それは、闇の選手に徹すれば、ここから生きて帰してもらえるということを示している。この殺し合いを受け入れれば、次の試合でまた使われる。そのために生かしてもらえる。
すべては推測に過ぎない。しかし、現時点で確定情報を得る術はない。最悪を想定し、それに対応しなくてはならない。
(これが本当に闇の試合だとしたら、主催者や観客の機嫌を損ねては駄目だ。逃げ出そうとするのは最悪手)
少女と少年が、共に深呼吸をする。全身擬似生体には必要ない行動だが、人間の本能がそうさせるのだろう。それでも、蒼い瞳と焦げ茶の瞳には、まだ迷いの色が浮かんでいた。
シオンは、人の生命を直接奪ったことはない。闇の傀儡遣いたちと戦っても、情報を得るために捕縛するのが基本。自爆などで相手が死んだことはあるが、間接的なものに過ぎない。自らの手でとどめを刺したことは、一度もない。
(殺さなくても、許してもらえるだろうか……?)
ルールは何でもありとしか言わなかった。傀儡遣いへの攻撃も許可されるという表現。他の傀儡遣いを全員殺さない限り勝利にはならない、というアナウンスではなかった。勝利条件変更の通達もない。
であれば、予選と同じく、傀儡を破壊するか、乗っ取って制御を奪えば、勝利判定が下される可能性がある。必ずしも傀儡遣いを殺す必要はない。本人が武装しているかもしれないが、隠し持てる武器で殺されるほど自分は弱くない。
これも仮定に過ぎない。しかし、試してみればわかること。もし駄目だったら、そのときはそのとき。
少女と少年が互いに視線を交わす。共に迷いは消え、強い決意が漲っていた。
すらり、と金属がこすれる音がして、少女が右手でサーベルを抜き直す。左手でアサルトライフルを抱え、一気に出口に向かって駆け出した。そして跳躍。通路に飛び出る寸前に身を反転し、天井に着地する形で躍り出る。
視界の先には先程の傀儡。両手にそれぞれアサルトライフルを構え、照準を少女に向けてきた。その引き金が引かれる前に、少女は銃口に向かって弾丸を撃ち込む。薬室内で弾丸同士が衝突し、小さな爆発が起こった。
その衝撃にもめげず傀儡は撃ち返してきたが、誰もいない天井に穴を穿っただけだった。既に少女は地面に飛び下りていて、再び単発で射撃した。相手傀儡の、残るアサルトライフルを持つ手が撃ち抜かれる。
ライフルが弾け飛んで宙を舞う。それが地面に落ちるよりも前に少女が距離を詰め、狙いすました斬撃を首筋に叩き込んだ。火花が飛び散り、超硬合金の装甲とサーベルがこすれ合う。研ぎ澄まされた刃とそれを震わす高周波振動が、頸部の薄い装甲板を引き裂いて両断した。
電気のスパークと共に黒いオイルが噴き出す。少女はそのまま肩の関節部を狙って、両腕を斬り落とした。
その少女の背後から、重量を感じさせる足音が響く。振り返りもせず背中の光ファイバーを取り外すと、手前の入り口から元のリハビリ室へと飛び込んだ。
転がるようにして着地した時には、少女のいた場所に多数の弾丸が飛んできていた。今対峙していた傀儡を蜂の巣にしていく。重量物が倒れ込む金属音。ややあってブザーが鳴り響いた。
「エントリーナンバー百五十四番、傀儡稼働不能により敗北。残り二十五人」
続けて流れたアナウンス。敗因は傀儡稼働不能。つまり、殺さずともいいことが確定した。
(これならば、やれる。でも――)
今、背後から別の選手が攻撃してきていた。既に囲まれている可能性がある。あの的にしか見えない素人くさい動きは、シオンを誘う囮だったのかもしれない。あれに気を取られている隙に別の階から回り込み、包囲するための。
少年が光ファイバーを巻き取っている間に、少女は駆け寄りながらアクティブソナーを最大出力で稼働した。先程見えていた範囲くらいは、エコーロケーションで索敵可能。
(五体!? そんなに?)
認識が甘かったのかもしれない。そんな大人数の同盟が組まれていた様子はなかった。だがそもそも、あの場で相談する必要がなかったのだ。この大会に出場する前から既に組んでいたのならば。初出場の選手たち。彼らは皆、闇の大会で活躍していたチームに違いない。
少年が少女の背中に光ファイバーを接続する。少女の蒼い瞳は三つの入り口を見ていた。逃げ道は多い方が良いと思って選んだこの場所は失敗だった。対多数の場合、守るべき場所が多すぎる。
外の通路も既に挟み撃ち状態。だが、ここに籠もるよりは、どちらかを突破して有利な場所に移動した方が良い。入り口が一つしかない部屋。できれば、通路の行き止まりにあるところ。
バトルロイヤルは想定しておらず、弾倉はいくつも用意していなかった。詰め替え用の弾薬は余分にあるが、今手元に持っているわけではない。なるべく近接戦闘で仕留める必要がある。
そういう戦いに持ち込むなら、出来るだけ狭い場所。そして見通しが悪ければなお良い。丸ごと吹き飛ばすような威力の榴弾などは、誰も持っていないはず。部屋に籠もるのがベスト。
敵がなだれ込んでくる前に、少女と少年が同時に動く。外に出る寸前に、少女だけが一瞬速度を緩めた。少年が先に通路に飛び出る。前後から容赦なく銃弾が襲い掛かった。
少女がその少年の手を引き、入れ替わるようにして廊下に躍り出る。深く身を沈め、銃弾をやり過ごしながら、三体いる側にアサルトライフルを連射した。
その背後に少年が飛び出しなおす。後ろにいた敵たちは、少女を狙おうとしていた銃口の向きを変え、少年に照準を切り替えた。その手を再び少女が引く。
まるでダンスを踊るが如く。少女と少年が息の合った動きで互いの位置を入れ替えながら、敵の狙いを攪乱していく。華麗に、優雅に。流れるようにして戦い、そして舞う。
裏稼業で本物の殺し合いをして育ったシオンには、造作もないことだった。闇の戦いでは傀儡遣いを優先的に狙う。そこに、敵にとっての落とし穴がある。生命を惜しまず、身体を張って囮を務める傀儡遣いがどこにいるだろうか?
実力と経験の差は、すぐに表れた。意表を突いたシオンの動きに敵チームは追従出来ず、すべての弾丸は少女にも少年にも、かすることすらない。そして挟み撃ちのこの位置。シオンの目論見は的中した。
同士討ち。敵傀儡たちの放った弾は、反対側から狙っている仲間の傀儡に次々と命中していっている。
闇の賭け試合の選手たちといえど、殺しそのものが目的の戦いをしてきた者たちではない。自らの生命は惜しいらしく、全員が通路の陰に隠れていた。恐らくそこからファイバースコープを使って様子を窺いつつ、かなりの部分をAIに頼って攻撃しているだけ。
AIには人間ほど柔軟な判断は出来ない。故に、光ファイバーや無線通信での傀儡遣いの命令が重要となる。少女と少年どちらにも当たらないのは、AIの射撃精度が悪過ぎるせいでも二人の動きが速過ぎるせいでもない。どちらでもいいからとにかく当てるという思考に、AI単独ではすぐに切り替わらないから。
同様に、同士討ちを回避するという思考にも、すぐには切り替わらない。恐らく多少の味方の損害は許容してでも、シオンを始末するよう命令されている。そうして味方の流れ弾が当たっていくうちに、関節などの装甲が薄く、それでいて重要な部分が損傷し、動きが悪化していった。
光ファイバーを取り外しつつ、少年が部屋に飛び込む。少女は右手にサーベル、左手はアーミーナイフに持ち替えて、二体だけが待ち構える方向へと突進した。
一体はアサルトライフルを使っていたが、弾切れで弾倉交換中。もう一体が内蔵火器を向けてくるが、壁や天井も使って高速に飛び跳ねる少女には狙いがつけられないようで、射撃してこない。正確には、射撃出来ない状態になっている。
過学習状態。同士討ちを避けるため、必要以上に慎重になっている。優先ターゲットである少年が消えたことで、なおさら消極的になってしまった。結果として、背後からもまともな狙いの攻撃はなかった。
AIが射撃を諦めたのか、それとも傀儡遣いが指示を変えたのか。近接武器を取り出したときには、既に少女が間を駆け抜け、傀儡たちの光ファイバー接続部を破壊していた。
少女の中のハッキング用コンピューターがフル稼働を始める。敵傀儡たちは一度少女を攻撃しようと振り返ったが、反転し直して前方へと進みだした。そして反対側にいる味方の傀儡を攻撃し始める。
(今なら行ける)
敵であった傀儡たちに守られるようにして、少年が飛び出してくる。少女が素早く抱え上げると、そのまま十字路を曲がった。
すぐのところに、敵傀儡遣いが隠れていた。少女を認めると、恐怖に表情を歪めて凍り付く。少女の蒼い瞳がちらりとそれを見た。唇の端が吊り上がり、妖しく嗤う。
殺されると思ったのか、傀儡遣いは頭を抱えて地面に伏せた。
(臆病者)
シオンは心の中で罵る。詳しいルールについて訊き出したいが、今その余裕はない。手を出すことなく、通路の先へと進んだ。
突き当たりに部屋があるのが見える。入り口は一つ。周囲のドアの配置から見ると、それほど大きくはないはず。条件に合致する。少女はその手前で立ち止まった。
サーモグラフィーを稼働しても、内部に熱源らしきものはない。人も傀儡もいないはず。再び少年の方が囮となり、開け放たれたままのドアの前に立つ。中はやはり誰もおらず、古びたワーキングデスクがいくつか積み重ねてあった。
少年に続いて少女が滑り込む。先程ハッキングした傀儡のうち一体が破壊されたのか、重量物が倒れ込んでいく音が、背後から聞こえてきていた。
ブザーが鳴り、また一人の敗北を告げる。他でも戦闘が行われているのだろう。あの後アナウンスを聞いている余裕はなかったが、残りは既に二十人になっていた。
(こいつらを倒せば、あと十六人。ボクとジンを引けば、十四人。そのうち一体どれだけが、本気で殺し合うつもりなんだろう……)
願わくは、初めから知っていて参加したと思われるこのグループを除き、皆が殺さない道を選んでくれるように。シオンは心の中で祈る。もう一台のハッキング済み傀儡が破壊される音と、再び流れるアナウンスを聞きながら。
残り、十九人。ジンのエントリーナンバーを聞いていなかったことを、悔やむ。