第三話
少女の周囲で、巨大なロボットアーム二本が回転する。四角い大きな構造物が取り付けられており、それで挟み込むような位置取りで、上から下までグルグルと回りつつ往復した。
レギュレーション準拠検査の一つ、傀儡内部のスキャニングである。使用禁止兵器を内蔵していないかどうかの確認。再組み立てには時間がかかるため、分解しての検査はしない。精密電子機器を破損させてしまわない程度の弱い放射線による、非破壊検査。
ブザー音が鳴り、アームが壁際まで下がっていくと、少女が瞼を上げる。蒼い瞳が見つめる先で、少年とドクがドアを開けて室内に入ってきた。
「さあ、行こう、シオン。部屋に戻って再チェックだ」
ドクに促され、少年が少女の背中に光ファイバーを繋ぐ。ドアの向こうの部屋からサユリの声が漏れてきた。
「検査合格証、確かに受領しました。控室に戻ります。――なんですか、これは!?」
突然、部屋の照明が消えた。サユリがいる方の部屋だけでなく、シオンやドクがいる部屋も。すべてのディスプレイやランプが消え、完全な暗闇に包まれる。
「なんでしょう、停電でしょうか? 確認します」
シオンは視覚デバイスの感度を最大まで上げてみたが、それでも余りよく見えない。光源がほとんどない状態になっている。奥の部屋で検査担当官が取り出した端末の明かりだけのようだった。
「外の通路へのドア、開けていい?」
「お願いします、傀儡を使えば簡単に開くでしょう」
検査担当官の許可を取ってから、少女が取っ手に指をかけ、ドアを横にスライドさせる。大した抵抗なく開いていった。停電時は自動的にロック解除される仕組みなのだろう。
外の通路は、非常灯が淡く照らしていた。混乱した様子の人々が、慌ただしく行き交う。
(これは電源系統のトラブル? 予備も稼働してないなんて、何かきな臭いな……)
NBRジャパンカップ本戦当日の、突然の出来事。注目を浴びており、多数の観客も集まっている故、テロなどの標的になってもおかしくはない。万全の警備をしているはずだが、それをかいくぐられた可能性がある。
特に振動などは感じなかった。外部の送電系統が攻撃された可能性はあるが、それならば内部の予備電源が稼働するはず。無音での攻撃となると、ソフトウェア的なもの。
「駄目じゃ、シオン。外には繋がらん」
自分の携帯端末を片手に、ドクが外へと出てきた。珍しく、焦りのようなものが表情に浮かんでいる。
「そりゃそうだよ。これじゃ中継器も止まってるでしょ」
「ふむぅ……」
ドクの唸り声を搔き消すようにして、聞き慣れた若い男の声が通路の奥から響いてくる。
「シオン! おーい、シオン!」
少女と少年が同時に振り返ると、今心配しようとしていた相手の顔がそこにあった。大きく手を振りながらこちらへと走ってくる。その後を慌てて追いかける黒服。主催側の監視だろう。
「よかった、無事だったんだ?」
「感動の再会!」
そう言って抱き付こうとしてくるジンの身体を、少女が乱暴に押し返す。
「だからなんでそっちなのさ!」
少年が口を尖らせて文句を言うと、ジンはなおも少女に手を伸ばしつつ主張する。
「野郎に抱き付く趣味はねーって言ったろ――って、イテテテテテ」
ジンの手首を掴み、後ろに回して捻り上げる少女。少年と同じく、ゴミでも見るような視線で、不埒な青年を見下ろしていた。
「ジン、お主事情は聞いたか?」
「いや、わからねーから、とりあえず愛しのお姫様を探しに来たってわけ」
少女の手に力が籠もる。凍り付いた瞳が突然ぱっと明るくなった。物理的に。
「お、回復したようだぜ」
通路の照明が一斉に点灯した。シオンは眩しさに眼を瞬かせつつ、視覚デバイスの感度調整をオートに戻した。
「コンピューターシステムのトラブルだったそうです。全システム一斉ダウンして、予備システムの起動に時間がかかったとか」
部屋から出てきたサユリが告げる。後ろには通話を続ける検査担当官と、シオンたちの監視員が立っていた。その監視員の方が追加説明をする。
「まだ部分稼働です。建物の制御システムだけ動き出しました。試合の方はどうなるかわかりません。とりあえず、控室の方へ移動しましょう」
シオンたち四人と一機が目を見合わせる。先導し始めた監視員の後を追って、皆歩き出した。
「なんか、雲行きが怪しくなってきたな……」
控室が並ぶ一角へ共に移動しつつ、ジンが耳元で囁く。少年も視線だけ向けて、小さな声で答えた。
「何か細工されてないといいけどね……」
「オレもそう思う。今日ここではやりたくないな」
シオンも全く同感だった。いや、同感以上。明確な敵のいないジンにとっては、公正な試合が望めないというだけだろう。何かの仕掛けがあったとしても、優勝を逃して賞金を受け取れなくなるだけに過ぎない。
しかし、シオンにとっては違う。竜胆の不正疑惑を解消させないために、主催者側が仕掛けたものである可能性がある。シオンの実力が偽物だから、あるいは竜胆の技術力や品質が劣るから負けた。そういう形を演出するために。
今朝発表されたトーナメント表を見て、既に疑義が生じていた。ジンとは決勝まで当たらない。ほぼ二分の一の確率だから、これはごく自然なことだろう。しかし、本戦に進んだうち、過去の大会での実績が特にない選手たちがすべて、シオンと同じ側。初出場の者までいる。細工を疑う根拠として充分である。
「上からの通達です。システムの回復が間に合わない場合、予備会場を使うそうです。最終決定が下されるまで、控室でお待ちいただきます」
「予備会場……?」
監視員の突然の説明に、全員が戸惑ったように視線を合わせる。聞いていないのだ、そんなものの存在は。
真っ先に動き出したのはジンだった。
「シオン、オレ部屋に戻るわ。しっかり傀儡チェックし直さないと。お前も臨戦態勢整えておけよ」
そう言ってさっさと通路を進んでいってしまう。ジンの監視役が慌てて後を追いかけた。
「では皆様はこちらへ」
シオンたちの監視員が手前の部屋のドアを開けて、中へと促す。検査の前にいた控室。
「致し方ありません。待ちましょう。こちらはそれしか出来ません」
サユリが先に部屋に入っていった。少女と少年は、ドクの表情を窺う。優し気に微笑んだのを確認すると、安心して後に続いた。
§
「これに……乗るの? みんなで?」
シオンたちの目の前にあるのは、三台の巨大なトレーラー。監視兼案内役に、やはり予備会場を使うことになったと告げられ、案内された先にあったもの。
「申し訳ございません。もう少し乗り心地が良いものを用意したかったのですが、何分、重量の問題がございますので……」
少女の蒼い瞳と、少年の焦げ茶色の瞳が周囲を見回す。確かに、乗用車などで運ぶのは無理な傀儡が多い。
「傀儡だけ載せていただいても構いません。手放すのがご不安であれば、ご同乗を」
その言葉に反応して、ジンが真っ先に荷台に飛び乗った。
「オレ、これに乗る。シオン、お前も一緒に来いよ」
傀儡も器用に動かして、後に続かせる。誰かに細工される可能性を心配しているのだろう。
「じゃあドク、サユリさん、ボクたちもこれにしよう」
「お待ちください、関係者の方々は、別の移動手段でお願いします」
少女と少年が、制止した案内役を不審そうに見上げる。
「修理用の機材などもあるでしょう。全選手の分を載せるだけの能力はございません。公平になるよう、同行者の方々は、自前の移動手段か、あちらのバスでお願いいたします」
指し示された先には、大型バスが二台。既に乗り込んでいる人物もいる。
(言ってることはわかるけど……)
「ボクたち自身も自前で移動するのは駄目なの?」
少年の口から問うと、案内役は首を横に振りつつ答える。
「少なくとも傀儡と外部兵装はトレーラーに載せていただきます。レギュレーション準拠検査をやり直すだけの設備は、予備会場にはございません。大変申し訳ありませんが、隔離する必要がございます」
ドクたちと離れるのはとても不安だった。シオンにはもう一つの敵が存在する。この試合で負けさせようとしているであろう主催者だけでなく、生命を狙っている敵。
少年の方はわからないが、少なくとも少女の方は闇の傀儡遣いに見られている。戦闘時の映像をリアルタイムに送信されたりもしているだろう。RRCに出て顔を晒している以上、この大会にも目をつけている可能性がある。
会場のシステム異常は、外部からのサイバー攻撃であったという。実行者からの声明などは特にない。愉快犯などであれば、犯行声明が出るのが普通。何もないとすると、別の意図があったと考えるのが自然である。
すなわち、この予備会場への移動をさせるためのもの。厳密には、このトレーラーに乗せるため。そして閉鎖空間でシオンを……。
「大丈夫じゃ、シオン。そう不安がるな。ジンも一緒じゃ。ワシらもすぐ後をつけていく」
少女と少年両方の顔が不安に染まっているのを見たのか、ドクがいつもの優しい笑顔で二人の頭を撫でる。ジンも早く来いとばかりに、トレーラーの荷台から手招きしていた。
(ボクの考えすぎなんだろうか……)
迷った末、経験豊富なドクの判断に従うことにした。
「わかった、あれで行くよ。ドクたちも気を付けて」
そう言ってシオンはトレーラーの方へと進む。少女に向かってジンが手を差し伸べた。それを見て、少年が口を尖らせて文句を言う。
「手助けが必要なのは、ボクの方なんだけど?」
少女はジンの手を払いのけると、ひょいと身軽に飛び乗った。
「だから、野郎には興味ないんだって、オレは」
少年がまだ乗っていないにもかかわらず、ジンは振り返って奥へと行ってしまう。少女が手を差し伸べ、仏頂面した少年を引き上げた。
(まったく、なんなの、アイツ?)
このところ特に、露骨に態度が違う気がする。
「こっち来いよ、シオン」
ジンは突き当たりの壁に寄りかかっていた。隣で傀儡に膝をつかせて、倒れにくい姿勢で固定している。シオンは少し距離を空けた位置の壁に寄りかからせるようにして、少女と少年を座らせた。
しばらくして、トレーラーの扉が閉められた。乗り込んだのは、他に七人とその傀儡。外部兵装の他に、弾薬も積み込んだ選手がいる。運ぶ手段を用意していなかったのかもしれない。
「ねえ、ジン。どう思う?」
「ん、何をだ?」
シオンが少年の口から話しかけると、ジンは手元の端末を見ていた視線を上げた。
「予備会場が用意してあるっていうのが、なんか引っかかるんだよね」
「理由は?」
「システムが攻撃されたこと自体は、さほど不思議でもない。これだけの大会なら、当然注目を浴びてる。愉快犯に攻撃されるってのは考えられる話。でもね、それに備えて予備会場が用意してあるというのは、聞いたことがない。普通なら単に延期だよね?」
その質問に、ジンは考える素振りもなく即答した。
「お前にとって不思議じゃないんなら、主催側も想定可能ってことだろ? 予備会場を用意してあっても、不思議じゃないんじゃないか?」
正論ではある。それくらいは考えた。だが、それでもなお引っかかる。
「大会の案内には、特に書いてなかったよね?」
「あったりまえだろ? 書いといたらそっちも攻撃される」
「そうなんだけどさ、もう結構な距離移動してるんだよ」
少年は、自身の端末に表示した現在位置の地図を、ジンに示す。電波は届いているし、位置情報も拾えていて、会場から続く幹線道路をそれなりの距離走ったことがわかる。
「近くなら、存在を伏せてただけと考えることが出来るよ? 直前発表でも移動が間に合うから。でもこれ、もう観客が歩いて移動可能な距離じゃない。一体どうするんだろう?」
今度はジンが自分の端末を少年に示す。大会の公式サイト。今起きている件についての速報が表示されている。
「まだ案内されてないだけじゃね? 移動手段の手配中かもしれない」
ジンが示した画面では、システムトラブルで開始時間延期、予備会場手配中としか案内されていない。場所については、具体的な記載はなし。少なくとも、観客が自前で移動をするわけではないようだ。
(ジンは何とも思ってないんだろうか? この異常事態で……)
やはりシオンとジンでは、背負っているものが違うのかもしれない。表の世界に住むジンが、生命の危機のようなものを感じるのは、逆に不自然ともいえる。
盗聴の危険があると思って避けていたが、シオンはドクへの通信を試みた。すぐに応答があって、ドクの顔が映る。
「ドク、今どこ?」
「すぐ後ろ。お主の乗ったトレーラーが見える位置をついていっとるぞ」
見える位置にいるのであれば、周囲の様子もきちんと監視しているということ。とりあえず、今すぐどうこうということはないだろう。
「ねえ、会場変更についてはどう案内されてる?」
「先程聞いた以上のことは、まだ何も教えてもらってない。この車も、そのトレーラーを追尾するよう設定してあるだけじゃ。会場はまだ内緒のようじゃのぅ……」
随伴車にも行き先を知らせていない。やはり何かおかしい。
「あらゆる手段を使って確認して。どこか問い合わせルートないの?」
「アマナイさんがやってくれとる。主催者の方は、皆が問い合わせ中なのか、繋がらない。スポンサー企業の方に竜胆経由で連絡を取って、確認をお願いしとるところじゃ」
当然の状態といえる。会場の観客たちはもちろん、ネット中継を待っている人たちも、どうなるのか知りたがり、各自問い合わせをするだろう。知りたい理由は、シオンとは違うかもしれないが。
「そう心配するな、シオン。上からも下からも、ちゃんと見守っとる」
(上からも下からも……? そういうことか)
上空の監視衛星。それから重量センサーや監視カメラ。ドクもこのトレーラーが襲撃されないか心配してくれている。その予兆があれば、すぐに知らせてくれることだろう。
「わかった、お願い――って、何をしてるの、キミは!?」
後半は少女と少年の悲鳴のハーモニー。ジンの顔が床に寝転がっている。
「いや、下からも見守れって、今聞こえたから」
少年がジンを足蹴にし、少女は慌ててスカートを押さえながら立ち上がる。
「試合開始前に負けたい……?」
少女の口から恐ろしい響きが漏れる。武器こそ構えていないものの、その蒼い瞳は今にもジンを射殺しそうな輝きを放っていた。
「見せたって減るもんじゃねーだろ、ケチ」
口を尖らせつつ元の位置に戻るジン。少女も少年も、汚物でも見るような視線を向ける。
(まったく、どんどんエスカレートしてる気がする)
小さく溜め息を吐いてから、少女を座り直らせる。それから、視線を反対側に向けた。トレーラーの入り口の方。
同乗している七人のうち三人は、各大会でよく上位に残っている知った顔。残りの四人は今回初めて見る。トーナメント表にあった、初参加の選手。
見知らぬ四人も含め、全員戦ったことがない相手である。しかし、予選の映像を見て動きは確認した。大した敵ではない。であれば、これが何かの罠で、この狭い車内で攻撃を受けたとしても、ジンと二人で簡単に制圧出来るはず。外からの攻撃は、ドクが警戒してくれている。
もちろん、罠を仕掛けた犯人がジン自身でなければ、の話である。
(それなりに長い付き合いだ。ないとは思うけど、一応――)
シオンは保険としてジンの側に移動した。ジンのすぐ隣に少年、更に隣に少女。ジンの油断を誘いつつ、すぐに反撃出来る位置。
「なんだ、不安なのか?」
先程まで距離を取っていたのに、急に身を寄せるようにして移動したからか、ジンが優し気な笑顔を向けつつ少年に問う。
「とても不安。次はキミが何をしてくるかね」
ダブルミーニング。次は少女にどんなセクハラを仕掛けてくるかという意味と、もしかしたら存在するジンの企みの意味。
ひょいっとジンの右手が伸びて、少女と少年が同時に首を引っ込める。
「よしよし、俺とお前が組めば、これが何かの陰謀でも簡単に打ち破れるさ」
ジンの手は少年の頭上を通り越し、何故か少女の頭に伸びていた。落ち着かせるように、優しく撫でまわす。少年が半眼になって睨み返しながら問う。
「なんで傀儡の頭撫でてるの?」
「だからショタ趣味はないって言っただろ。どうせ撫でるなら、美少女の方の頭」
ニカっと笑って返すジン。少女も少年も、大げさに肩を落として溜め息を吐いた。
(こんなのがカルテルの手先なわけないか……)
色々と心配して損をした気がする。やはりジンは味方だ。いざというときは頼りにしていい。
シオンは何故か妙な安心感を覚えた。ジンが助けてくれるなら、例え他の七人全員が突然襲い掛かってきても返り討ちに出来るという、戦力的な意味ではない。もっと本能的な何か。
少女の頭に埋め込まれた感覚デバイスが、心地良い触感を伝えてくる。ジンの手を振り払う気は不思議と起きなくて、そのまま大人しく撫でられていた。
(もしかして、ボクにも兄さんがいたのかな? こんな感じの、明るくて、いい加減で、それでいて頼りになる……)
少女と少年両方の瞳で、ジンの優し気な笑顔を見つめる。
張り詰めていた気持ちが少しだけ解れ、その先は比較的落ち着いて到着を待つことが出来た。