第8話 幕間 ―レンフィールドという女―
「ここか」
ガランが突いたピッケルの痕跡を消しながら追い、容易に崖まで辿り着いたクラックスは、その崖の上を見つめていた。目視で約五メートル程の位置にピッケルが残されてるのも、当然視認している。
(追われた、というより滑り落ちた。偽装としても、あそこまで傷を追う必要は……ない、な)
崖上から下に目をやると、落ちた砂利、砕けた石の他、ガランが残した手ぬぐいが岩に挟まり、風にはためいている。
(上のアレとこれが目印……とも思えんが、回収だな。風)
――風――
風そのものを増幅させる基礎の精霊魔法。
動いている物体を加速させる、物体を押し上げる、物体に纏わせる等、基礎だけに応用範囲は広い。
ただし、対象の質量や表面積に対して相応の乱気流が発生するため、他の風精霊魔法の妨げになる場合が多い。
クラックスは跳躍と同時に風を発動し、崖下の滑落痕を吹き飛ばすと共に、自身の跳躍力を上げる。約三メートルほど跳躍し、崖に足が接地するとそのままピッケルの真下まで崖を走り、今度は己の力のみで跳躍してピッケルを飛び越えた。そのまま滞空、落下しながらピッケルとその周辺に罠がないか視認し、不自然さの痕跡を探した。その形跡は見当たらない。
クラックスはそれでも慎重さを崩さない。念の為、直接ピッケルには触らず岩の裂け目に指を引っ掛け、それを支点に崖に着地。改めて裂け目内とピッケルを目視確認し、仕掛けも不自然な点もないと判断。ようやくピッケルを手にし、抜いた。崖下を眺めても不自然な点は見当たらず、先程吹き飛ばした手ぬぐいがヒラヒラと舞っているのみである。
(里の皆の将来がかかってるからな。あとはあれを回収して西、いや下りやすい東が先だな。索敵しながら一旦戻るか)
クラックスは手ぬぐいに狙いを定め、崖を斜めに走った。手ぬぐいをピッケルに引っ掛け、大岩に着地。濡れた手ぬぐいを遠心力でピッケルの剣先に巻き付けると、東の索敵へと急いだ。
その頃。ガランはソウジュの里、北門にほど近い森の入り口まで運ばれていた。気は失ったままだ。傍らにジローデン、少し離れてマクレンが控えている。ガランの荷は、ジローデンの背後に置かれていた。
「……骨は折れてはいないようですね。ですがまさか……」
「まさか?」
聞き返したのはマクレンではない。
声の主はマクレンの背後に静かに立つ、紺色のローブを着た女性。レンフィールドである。
「え? いつの間に!?」
レンフィールドはニヤリと笑う。
「マクレンもまだまだね」
「族長が……普通に喋ってる……」
マクレンは驚愕を深め、レンフィールドは上機嫌で笑い出す。
「アハハハ。そりゃあ喋れますよ。私は族長になったとはいえ、あなた達と同じ、エルフ族の女ですよ?」
「そ、そりゃそうでしょうけど……」
本来であれば、マクレンは言葉遣いではなく、簡単に背後を取られたことを気にすべきである。しかしレンフィールドの気配遮断は『ベテラン狩人』を凌ぐ。当然ジローデンは気付いていた。
「……族長。あまりマクレンをからかわないようにお願いします。マクレン、族長が普段使っているのは『長老言葉』というんです。あなたやケビンのような若いエルフが使う、『若者言葉』と似たようなものだと思ってもらって結構ですよ」
見かねてジローデンが助け舟を出す。
「長老言葉……」
「そう。そしてジローデンやあなたの親、その世代が話してるのが『アーシア共通語』ね。簡単に言えば『大人言葉』かしら」
「アーシア語……大人言葉……」
マクレンは語彙力を失ってぶつぶつとつぶやく。
「それよりもジローデン。もうわかっているんでしょう? 恐らくその、まさかだと思うわ」
レンフィールドは既に何かを見抜いたようである。
「……まだ本人から直接聞いておりませんので。隠すようならそれこそ何かある、と考えていますが、いかがでしょう?」
ジローデンは堅実な提案をレンフィールドに伝える。
「……そうね。――ジローデン。今『狩人』の数は?」
「現役だけなら『ベテラン』が八人、『ひよっこ』が七人ですね」
「ひよっこって俺らですか?」
マクレンが狩人見習いとしてつい聞いてしまう。
「見習いは数に入れられないわ。『たまご』ですもの。――わかってはいたけど八人は厳しい数字ね……。もしこれが何らかの前兆だとしたら……」
「凶兆であれば、危ういかもしれません。――杞憂に終わると、良いのですが」
レンフィールドとジローデンが思案にふける中、マクレンは『たまご』扱いに気を落としかける。
「マクレン、よく聞いて」
レンフィールドはそれに気付かぬふりをして、マクレンの肩を抱き、語りかける。
「ひよこは殻を破って生まれるものよ。あなたは殻を破るだけの力を、もう持ってるわ。精霊に選ばれたことに誇りを持ちなさい」
マクレンは考え込むように足元を見ていた。レンフィールドは続ける。
「飛べないものもいる中、あなたにはもう翼があるの。足元を見てても飛べないわ。前を向くから飛べる。さあ、顔を上げなさい」
「はい」
マクレンは顔を上げ、レンフィールドに視線を合わせる。先程ベテランの域に至ると決めたではないか。そう思い出した。
レンフィールドは微笑む。そして伝える。
「マクレン。あなたもケビンも、いいえ、里の若者ら全員。私達の大事な大事な『たまご』なの。そして翼を持たぬ者、戦えぬ者も大事な者達。さあマクレン。共に翼なき者を護る者となりましょう」
「――はい!」
自ら殻を打ち破ってみせる。マクレンの返事にはそんな意志が宿っていた。
お読みいただいてありがとうございます。
いよいよ次回から本格的な出会いのシーンが続きます。