第7話 遭遇(前編)―ジローデンという男―
ソウジュの里、加工地区。
三人の狩人が話しをしながら歩いていた。
「はー。ないわー……やっぱアレはないわー」
ケビンがつい何度目かの愚痴をこぼす。
「いやいやいや、アレくらいで外すほうが悪いって。ねぇクラックスさん?」
「……俺に振られてもな。でもまぁケビンの気持ちもわかる。……まさか屁とはな」
「でしょー? しかも臭ーし。マクレンの腹には魔物が住んでるね」
男達は三人でチームを組んでいた。狩人はベテランが最低一人、チーム人数も最低三人以上で行動することが決められていた。今回はベテランのクラックスがリーダーを務めている。ケビンとマクレンは見習いを卒業するかどうかの時期に入っていた。今日も森に向かうべく、加工地区を北へと歩いていた。
「なんだよ二人して。そもそも『目をつぶっても当てれるー。だいぶ慣れてきたしー』とか言ったのケビンだろ! それを屁ぐらいで外すのが悪いじゃん」
「まぁ、マクレンが邪魔したのは事実だ」
「そうだそうだー。あんなに臭ぇ匂いは嗅いだことない」
「……匂いはともかくだ。ここはマクレン、謝っとけ」
「はいはいわかりました! どうせ俺が全部悪いんだよ! 謝りゃいいんでしょ謝りゃ。ごめんねごめんねー!」
「「なんだその変なイントネーション」」
地区内では雑談をしながら歩いていたが、北門を抜け、森が深くなる手前で全員警戒を開始する。森の中で無駄口を叩くことをクラックスは許さない。
「さっき決めた通り、勢子はケビンが先でいいな?」
「……はい」
「マクレン、一番弓はお前だ。よく狙え」
「了解」
「二人共指示を守れよ。俺が――待て」
「え? 何か――」
「しっ!」
クラックスが口元に指を当て、ハンドサインで静止を合図する。
『俺の風の波紋が何か捉えた。この感じは獣じゃない。何かいるぞ』
風の囁きでクラックスのささやく声が二人の耳に届く。
――風の波紋――
風を利用した音響探知である。動くモノが発する僅かな風でも、範囲内であれば動きを察知することができる。
ただし、遮蔽物があれば正確性が低くなり、高低差も基本的には誤差が生じてしまう。
――風の囁き――
風を利用した声の増幅である。どんなに小さなつぶやきでも、声に出せば範囲内の者に聞かせることができる。
ただし、聞かせたい相手を限定することは非常に困難であり、日常生活においては普通の会話に劣る。類似した能力に風の咆哮がある。こちらは主に声で威嚇する時に使うが、非常にうるさい。
こういった精霊の力を借りた能力を精霊魔法と言い、その能力を使う者を精霊使いと呼ぶ。精霊魔法の効果範囲とその精度は、個人の熟練度でそれぞれが変わる。クラックスのみ察知できた理由は、その熟練度と経験の差にあった。
『狩りは中止。気配の出どころを確かめる。ケビンはここで一旦警戒待機』
クラックスがケビンに目をやった。ケビンが頷く。
『俺が先行する。マクレンは俺の背中が見える位置から追って来い。もし俺に何かあったら引き返し、状況をケビンに伝達して待機。ケビンはジローデン団長に報告。その指示に従え。俺もまだ死にたくない、頼むぞ』
マクレンも頷く。
チームが三人以上なのは、こうして発見した危険や、発生した危機の伝達をスムーズに行うためでもあった。
クラックスは目でマクレンに合図し、風の波紋で探知した方角に向け、音もなく走り出す。マクレンもやや遅れて走り、クラックスの背を追う。ケビンは近くの木の幹の側でしゃがみ込み警戒だ。
クラックスは時折立ち止まり音を探る。二度目に立ち止まった時、はっきりと物音を聞いた。右手を高く上げ、マクレンに発見の合図を送る。
(あそこだな)
クラックスは動く影を捉えた。
(ヒト族……か? なぜ北から……。子供?)
視線の先には、荷を背負って歩く怪我をした少年がいた。ガランである。
(しかし、このまま進ませる訳には……警告だな)
「止まれ!」
声と同時に、ガランの足元に矢が突き立った。
「……ッ!」
慌ててガランが歩みを止める。
全く気付かなかった。声と矢で初めて自分以外の誰かの存在がわかった。相手がその気なら恐らく命はなかったと気付き、見えない誰かに向かって慌てて名を名乗る。
「ガ、ガランっていいます! へへ変なことはしま、しません!」
クラックスは木の陰に隠れたまま名乗りを聞いていた。
(北方訛り? ……よくわからんぞ。ガガランっていうのは……名か?)
「動くな! 何をしに来た!」
ガランも同じく、初めて聞くイントネーションでよく聞き取れずにいた。
「えっと、よ、よく、聞き取れません。ゆっくり、ゆっくりでお、お願いします」
そう言って害が無いこと示すためピッケルを手放し、両手を上げた。左腕は肩までしか上がらない。
クラックスはそれを確認し、弓を構えたまま、ガランにゆっくりと姿を見せた。
「弓はわかるな? そのままじっとしていろ。もう一度聞く。何をしに来た?」
「弓! わかります。えっと、ど、同族を探して、ます」
「ここにヒト族はいない。お前、どこから来た?」
ガランはウルラス山脈を指差さそうと振り向きかけ、思いとどまった。矢が放たれるかもと不安で緊張し、男から目を離せない。
「山から、です。ここにいないなら近くの集落か、道を教えて欲しい、です」
「――チッ……!」
「ご、ごめん、なさい」
舌打ちしてしまったクラックスは、ガランに怒っている訳では無い。ここソウジュの里は、シベル王国北西部の北の辺境であり、一番近い村まで徒歩で約八日、子供の足ならおそらく十日以上かかるのだ。しかも顔や腕の擦過傷を見るに、怪我をしていることは容易に判断できる。恐らく道を教えたとて、怪我をした者が魔物や獣がいる辺境を抜け、村へなど辿り着ける訳がないだろうと思い、それが舌打ちに出てしまったのだ。
「いや、謝らなくてもいいんだ。だが……」
クラックスは構えていた弓を下ろして、どうしたものかと思案する。
「ふう……」
ガランは弓が下げられたのを見て、気を緩めてしまった。途端に戻ってきた全身の痛みと共に気が遠くなる。
「あう……」
ドサリッ
手も足も動かせないまま、ガランは倒れ込んでしまった。
「おいおい……」
「……ご、ごめ……なさ……」
不覚にもガランはそのまま気を失ってしまう。
「おい! おい! ……はぁ、参ったな」
クラックスは頭を掻き搔き、背後に呼びかけた。
「マクレン! 見てたな? 怪我したヒト族のやつが倒れやがった」
すぐにマクレンも駆け寄ってくる。
「もちろん見てました。どうします?」
「こいつ一人とは限らんしな。こいつを追いかけて来るやつがいるかもわからん。はぁ……とりあえず俺はここで警戒する。ジローデン団長にそのまま報告だ」
「了解。紙に書いたんでケビンとリレーします」
そう言ってマクレンはケビンのいる方角に走り出した。
その後、マクレンからケビン、ケビンからジローデンへと渡された紙はアッシュへと続き、族長レンフィールドに届けれた。
そして今、ジローデンはケビンと共に加工地区の広場を歩いていた。不用意に、自警団の団長が槍を持って走ってしまうと、何事かと周囲を不安にさせ、混乱を招くからだ。
「こんな時、鳥であればと思いますよ」
「鳥っすか〜。喰われそうな気もしますが。俺らが鳥になっても美味いんすかね?」
「……美味いかどうかはわかりませんが、ケビン。あなたもアッシュと同――いえ、今はそんな場合ではないですね。少し急ぎましょう」
ジローデンはそう言って、ケビンと共に建物の陰や人目につかない場所をなるべく駆け足で進む。
「……おーい。……おーい、待って〜。ジローデン団長〜!」
そろそろ北門が見える、というところで、空気が読めないアッシュの声が聞こえてきた。
「策が台無し、でしょうか……」
思わず苦笑いのジローデン。
「……どうっすかね。『変わり者』なんで多分、みんな笑って流すんじゃないかと」
ケビンはジローデンにそう言って、アッシュに右手を上げる。アッシュは二人に駆け寄ると立ち止まり、膝に両手をついて乱れた呼吸を整える。
「ハァハァ……族長、からの、ハァハァ……伝言を」
「ありがとうございますアッシュ。歩きながらで結構ですので行きましょう」
「ハァハァ……はいぃ」
三人は並んで、もうすぐそこの北門に向け歩き出す。
「急がせてすみません。それでアッシュ。族長はなんとおっしゃいましたか?」
「族長は、あ、えっと……」
アッシュはレンフィールドの指示内容のひとつである『他言無用』にケビンが含まれているのかわからず、二人の顔を交互に見て口ごもってしまう。
それを見たジローデンはケビンに目を合わせて頷くと、慣れているのかケビンも頷き、大げさとも言えるポーズで両耳を塞ぐ。
「……ケ、ケビンが、あのケビンが目で会話した!」
アッシュは思わずケビンを凝視してしまった。ケビンは知らん顔で耳を塞いだままそっぽを向いている。
「ケビンもまだ見習いとはいえ狩人ですからね。では伝言を聞かせていただけますか?」
「あ、はい。えっと『族長が行くまで北門は誰も通すな、伝えたら家に帰れ、誰にも言うな』です!」
(なるほど……族長自らですか……。やはり『北から』が引っかかりましたか。極めてまれなことですしね)
「わかりました。ありがとうございますアッシュ。ちゃんと伝わりましたので、あなたは家に戻りなさい。もう伝言のことは忘れるように、ね」
ジローデンは優しく微笑み帰宅を促す。
「復唱して。……い、いえ、す、すいません。言ってみたかっただけ、です……でででは帰ります!」
アッシュは手を振り、自宅の方面に向け駆けて行った。
ジローデンは微笑みを苦笑いに変え、右手を上げてアッシュを見送る。そしてもう耳を塞いでいないケビンに視線を合わせる。
「さてケビン。仕事です。あなたはここで族長を待ってください。そうですね……」
ジローデンはしばし考え、ケビンに伝える。
「あなたは『倒れそうになった北門の柱を埋め戻す』ふりをして、誰も通さないようにしてください。これなら自警団の仕事です。アッシュの失言も不自然ではなくなります」
「いい考えっすね。仕事してるふりは得意っす!」
真面目な顔でケビンが答える。
「……。後日クラックスに、あなたの仕事ぶりを確認する必要がありそうです。とにかく、頼みましたよ」
ジローデンはケビンに指示を出すと走り出し、マクレンと合流する。
「こっちです!」
マクレンはジローデンの姿が見えると声をかけ、走り出す。数歩もしないうちにジローデンに追い越され、マクレンは思わず目を剥く。早い。風のように走るジローデン。足音すらたてずに駆け抜け、マクレンを置き去りにしながら、あっという間にクラックスがいる侵入者の発見現場に到着した。
「団長。早くて助かったよ」
クラックスは驚かない。
少し遅れて着いたマクレンは、これがベテランの狩人達かと、自身の肌が粟立つのを感じた。自身もこの境地に至りたい。いいや至る、と改めて己に誓う。
「この子ですか。現状変化はありましたか?」
ジローデンは息すら切らしていなかった。ジローデンの問いにクラックスが答える。
「今のところは何も。俺の風の波紋でも変なモノは察知してない」
「わかりました。ではクラックス、どこから来たのか痕跡を追ってください。あなたなら大丈夫でしょうが、くれぐれも注意を。不自然な点があれば報告を優先してください」
「了解」
クラックスは短く返し、森の奥に消えた。ジローデンはマクレンに伝える。
「ではマクレン。この子をこのままにしておくと獣が近付く恐れがあります。むざむざと餌をくれてやる必要もないでしょう。森の入り口まで運びます。手伝ってください。話を聞くのはそれからですね」
ジローデンはガランを支え起こそうと身体に触れる。
(熱い。傷から察するに恐らく打撲による発熱。折れてる箇所もありそうですね)
ガランを支えながら背負子を下ろす。
(この重量……。ヒト族の子がこれを背負って山からですか)
「マクレン。この荷を運んでください。見たところ武器になりそうなものは入ってなさそうですが、念のため離しておいたほうがいいでしょう。あと、これもお願いします」
ジローデンはそう言いながら、ガランのピッケルとザック、ベルトのナイフも鞘のフックを外し、マクレンに渡す。
「了解です」
マクレンは自身背中の矢筒を一旦外し、胸側に装着し直した。それから背負子の左肩紐にだけ腕を通し、ザックと一緒くたに担ぎ上げ、その意外な重量に驚く。
「重たっ!」
マクレンはナイフ二本も腹のベルトに挟み、自身の弓とピッケルを左手に持って万が一に備える。矢を掴む利き腕を空けておくのは基本として叩き込まれていた。
ジローデンは槍を背中側のベルトに差し、片膝立ちになるとガランの右腕が上になるよう腹の上で交差させてその右腕を左手で掴み、左腕と左足でガランの背を支える。ガランの右半身を自身に密着させると、揃えた両膝の下に右腕を差し込み持ち上げた。
こうすることで、恐らく痛めているガランの左半身の負担を減らすとともに、ガランの両腕を押さえることで自身への攻撃の可能性を減らしたのだ。
(さて、この子は何者でしょうか)
「では戻りましょう」
二人は歩き出し、森の入り口まで戻るのであった。
初登場の精霊魔法。
リプルスは波紋=ripplesリップルスの短縮。
ウィスパーはささやき=whisper、ラウドはうるさい=lowdです。
ここまでお読みいただいてありがとうございます。




