第67話 ディー
「…………ふん。年寄り扱いをするな」
老人はガランとアッシュをじろりと横目で睨んだ。ひと呼吸置いて視線を戻し、マントコートの首元を整えると、暴漢の剣から救うために引き倒した店主の男に顔を向ける。
「…………ふん。アストン、無事か?」
「ああ、ディーさん。ありがとよ、お陰で助かった――」
店主のアストンは自ら立ち上がり、服についた土埃を払いながら顔をしかめる。
「……やっちまったかもな」
そうつぶやいて、右拳を何度か握っては開く。ようやく衛兵二人が駆けつけてきた。往来の騒ぎを見た誰かが通報したのだろう。
「騒ぎを起こしたのはお前たちか?」
衛兵の詰問に、ガランが落ち着いた口調で答えた。
「揉めてたのは工房の人と、この六人だけど……この鼻血の男が剣を抜いたんだ」
そう言って、失神している男のひとりを指差す。タイガも頷きながら衛兵に伝えた。
「剣はほら、そこにある。男の腰に鞘もあるだろ? 俺たちは剣を抜くのを見て慌てて駆けつけたんだ。この爺さんは間に入って、危ないところを助けに入った。――この二人はまぁ、うちのが押し倒したんだが……」
タイガの言葉に、組み敷かれた男が喚く。
「押し倒しただぁ?! 蹴り飛ばし――」
だが、その言葉をアインが遮った。
「うるさい。――私もしっかり見た。卑怯にも六人でひとりを囲んでいたのはお前たちの方。仲裁しようとして、止めるのに足を使っただけだ」
「そうなると、当事者は店主とこの六人、だな? まずは当事者同士の話を聞くため、連行する。残りの者は店で待つように。――誰か、桶に水を頼む!」
「…………ふん。必要ない」
老人、ディーは懐から小さな木筒を取り出し、爪の先ほどの小さな栓を抜くと、失神した四人の上体を順に起こし、その中身を嗅がせた。
「……うッ!」
「おぇッ……!」
嗅いだ者はすぐに意識を取り戻し、同時に鼻を押さえる。さらに涙をこぼし、えずきだした。
「嗅ぎ薬か……」
衛兵はそれを知っているのか、すぐに自身の肘の内側で鼻と口を塞いだ。ガランとアッシュは、ディーの使う嗅ぎ薬に好奇心を刺激され、示し合わせたかのように鼻を突き出し、周囲に漏れる匂いを嗅いでみる。
「フンフ――ン〜〜……!」
強烈な臭気の衝撃。二人は同時に鼻をつまみ、顔の前を勢いよく手であおいだ。
「くっさい! オレの鼻、もげそう!」
「臭ッ! なにこれぇ……うわ、くっさ!」
あおぐだけでは足りないと見たアッシュが、こっそりと風を発動して臭気を飛ばす。それに気付いたガランもアッシュの背に隠れた。
鼻を潰された男には嗅ぎ薬は効かなかったが、衛兵は二人しかいない。連行するため、五人の男たちに指示を出し、伸びたままの男を担がせた。アストンも衛兵に促されて歩き始めたが、振り返ってディーに声をかける。
「ディーさん、それからあんたらも、すまん。中にマートンがいるから、茶でも飲んでてくれよ。――マートン! ディーさんたちに茶を出せよ! ――ほんとすまん。なるべく迷惑がかからんようにはするから」
詫びながら連行されるアストンに、ディーは無言で右手を軽く上げると、工房へと入っていった。ガランとアッシュも手を振り、四人はディーのあとに続く。
工房内には様々な武器が陳列されている。小さなカウンターの奥に間口があり、そこに棒を持った若い青年がいた。引けた腰で棒を両手で握りしめている。この青年がマートンなのだろう。ディーの姿を見てほっとしたのか、ひとつ息を吐いて身を起こした。
「…………ふん。マートン、武器屋がへっぴり腰でどうする」
「ディーさん、武器屋だからって、みんな腕っぷしが……って、お茶淹れてくるよ。あんたらも適当に――なんだったら、そこの空いた木箱にでも座ってくれていいよ」
ガランたちは、間口の奥へ下がったマートンを見送ると、並んでいる武器に気を奪われる。皆で様々な武器を見てみることにした。
「ちょっと見せてもらおうよ。……うん、良い腕の工房だと思う。さすが、オラバウルさんが勧めるだけはあるよ」
「ガラン、こういうのは持って選んでも良いのか?」
タイガはガランに尋ねたが、ガランが答える前に、ディーがつぶやくように告げた。
「…………ふん。手に取らねばわかるまいが、今は抜くな」
ディーの言葉の意図を、ガランはすぐに読み取った。購入する際に手に取り、剣身を鞘から抜くのは恐らく構わない。しかし、刃物の扱いに慣れていないと、怪我や破損の恐れがある。その原因が武器の出来にあるのか、扱う者の技量にあるのか、判断は難しい。万が一の揉め事を回避するためには、売り手と買い手の双方が揃った状態で、売り手に抜いてもらった方が良いと、ガランは瞬時に理解したのだ。
「うん。揉めたくないしね。――ありがとう、ディーさん」
ガランは素直に頷き、ディーに礼を言う。タイガとアインもそのやり取りで察し、武器に触れないよう、眺めるだけにとどめた。好奇心旺盛なアッシュでさえ、無闇に覗き込まず、大袈裟なほど距離を保つ。ソウジュの里で、ジローデンをはじめとした職人たちに口うるさく注意され、十分身に沁みていたのだ。
「…………ふん。愚か者ではないようだ」
鼻を鳴らすのが癖なのか、四人の様子を見ていたディーは、小さく鼻を鳴らしてつぶやいた。
しばらくして、マートンが間口から顔を出し、声をかける。
「お待たせ。お茶をどうぞ」
カウンターにトレイを置き、皆に茶を勧めた。
「ありがとう! ――ええと、マートンさん。オレたち槍を二本欲しいんだけど……」
礼を言って茶をひと口飲んだガランがそう言うと、マートンは上機嫌で頷く。
「毎度あり。好きなのを選びなよ」
「欲しいのは俺とアインなんだが、選び方がわからなくてね。合うやつをいくつか見繕って欲しいんだが……」
タイガが親指を立て、自身とアインを交互に差した。それを聞き、マートンは途端に動揺を見せた。
「え、あ、う……うん……そうなの? そうなのね?」
その様子にガランとアッシュが顔を見合わせた。明らかに挙動不審。そしてマートンは動揺しながら、茶を飲むディーに、なぜか視線を送っている。タイガとアインもその動揺の意味がわからず、眉間にしわを寄せた。
マートンは四人の視線を受け、眉尻を下げてディーに懇願する。
「ディーさぁん……ちょっと……このお客に助言を……ね? お願いッ!」
「…………ふん。マートン、武器屋ではない俺に頼むとは。親父のアストンが聞いたら泣くぞ。見立ても武器屋の仕事、アストンが元気なうちに学べ」
ディーはマートンをジロリと睨んだ。マートンは、怠けていた勉強を咎められた子どものように肩を縮こませ、上目遣いでバツが悪そうに頷いていた。挙動不審の原因はこれかと、ガランたち四人は苦笑いだ。恐らくマートンはまだ、店番しか任されていないのだろう。
ディーはカップを置くと、鼻息と共にタイガに視線を送った。
「…………ふん。手を見せろ。二人ともだ」
タイガとアインは一度視線を交わしたが、揃ってカップを置き、素直に手のひらをディーに見せた。ディーは、差し出された二人の手の厚みを測るようにつまみ、握る。指の長さを比べるように、自身の手のひらとも重ねた。それをガランとアッシュが興味深そうに覗き込む。
「まだこれからの手だが……ふむ」
ディーは頷くと、槍が立てかけられた槍掛けから二本を選び、それぞれタイガとアインに渡した。
「柄の太さはこれくらいか。…………ふん。試しにひとりずつ扱いてみせろ」
「これは……うん、握りやすい……。っと、じゃあ俺から」
タイガは店内の通路に立ち、誰もいない奥に向かって突いてみる。今まで使っていた木槍を超える重量感。だが右手突き、左手突きと槍を扱いても、重みはあまり感じることはなく、むしろ力が入るような感覚がある。タイガはその違いに驚いた。
「これは……! 良い……! 凄く良い!」
振り返ったタイガの表情は明るい。ガランはタイガの手元を見て、手指の厚み、長さと柄の太さを確かめた。
「…………ふん。太さと重さは良さそうだ。長さはどうだ?」
ディーの問いに、タイガはもう一度槍を構えた。
「今のものより少し長い……でも、これぐらいが良いようにも思う」
そう答えるタイガの声は、力強さを増した。
「次は私が……」
タイガは槍を降ろし、通路をアインに譲る。
アインも同じく槍を扱く。右、左と突いてみたが、やはりタイガと同じく、手応えを感じていた。
「うん……! 確かに、これならば……!」
アインの声も弾む。
しかし。
アインの動きを見ていたディーの目が細くなった。
「待て。左突きの動きが悪い。…………ふむ」
アインは振り向き、ディーと視線を交わす。ディーはその視線で、アインの左頬から首元を辿り、口を開いた。
「…………気を悪くするな。その火傷……左、引き攣るか?」
「――お察しの通り、左の二の腕、背中側の脇も焼けている」
アインはほんの少しだけ視線を落としたが、すぐにディーと視線を交わす。手練れの助言をもらう機会など早々ないと、アイン自身もわかっていた。その視線を受け、ディーも頷く。
「そうか。ならば――」
ディーは剣の並ぶ木箱から、一本の剣を選んだ。手にしたのは細身の長剣。ディーがマートンに問う。
「――マートン。これを抜く。構わんな?」
「どうぞ、どうぞ!」
返事を聞き、ディーはマートンを見ることなく、すぐにその剣を抜いた。
「…………この剣はエストック。本来は騎士の剣だが、それも今は昔」
ディーはアインと場所を変わり、両手刺突剣、エストックを片手で構えた。右手に持ち、身体は半身。腰の高さに下げた右腕の肘を軽く曲げ、腰をわずかに落とす。
「エストックは両手剣。だが細身ゆえ、片手でも扱える。――こうだ」
ディーは一歩踏み込み、切先の高さそのまま、一直線に空を突き刺す。
「両手で突くならば、左手で切先を動かし――」
ディーは半身のまま、引き戻したエストックを身体の前、へその位置で構える。左手は丸みを帯びた柄頭に添えられ、わずかに動かしてみせた。左手と呼応するように切先が揺れる。
「――そしてこう突く」
踏み込みと同時に、へそから伸びた剣はまたも一直線に空を貫いた。
「この剣であれば、突き伸ばす分、間合いも槍とそこまで変わらん。もちろん斬ることもできる。――しかし今、お前に合いそうな重さのものは見当たらんな。アストンに打ってもらうのも、良いかもしれん。先のお前、腰のものは?」
ディーはエストックを鞘に戻し、タイガに問いかけた。
「腰のもの? 俺の剣、という意味かい?」
タイガがディーを見ると、その横顔は頷きを見せた。
「いや、俺たち二人、剣までは考えてなかった」
エストックを木箱に戻したディーの背中にタイガはそう答えたが、アインの目は、ディーが戻したエストックをじっと見ていた。
「…………ふん。まあ近場なら、二人とも槍だけでもよかろう」
「いや、近場じゃないよ」
ディーに、ガランが告げた。ディーは少しだけ目を細めてガランを見、視線で問いかける。
「オレたち、遠くにも行く」
「うん。ボクら、旅の途中なんだ」
ガランの答えにアッシュも言葉を継いだ。
「…………ふん。ならば死ぬ、な」
「「え?」」
ガランたち四人の声が重なった。
ディーは改めて四人を見渡し、口を開いた。
「槍は確かに獣……いや、倒せるならば魔物にも有効。だが、狭い場所や室内では圧倒的に不利。そして――」
ディーは言葉を切った瞬間、その身体をくねらせ、タイガに密着した。いつの間に抜いたのか、その手には黒い十字刺突剣、スティレットが握られている。切先を向けてこそいないが、その柄頭はタイガの顎に触れていた。
足音すら立てぬ足さばき。動きすらわからぬ抜剣の速さ。そしてそのディーの眼光。圧倒する威圧と、冷たさを感じる冷静さが同居している。四人は息を呑んだ。
「…………ふん。槍は間合いの内側こそ死角。賊を相手にすれば、そこを突かれるぞ」
ディーの言葉に、ガランとアッシュはどこか悲しげな瞳で、ディーが持つスティレットの切先を見つめた。タイガとアインも同じ瞳であった。
「やっぱり悪さする人、いるんだよね……」
ガランはそうつぶやいたが、わかっていることであった。アーシア商連隊商ニコラスらと撃退した賊。トゥサーヌでエルフを攫った誘拐事件。それらを忘れたわけではない。
「人を相手にする戦いも、避けては通れないよねぇ……」
アッシュも声色を落としてささやいた。そのガランとアッシュの言葉に、タイガとアインも頷くしかなかった。タイガとアインもトゥサーヌで、堕ちてゆく者を何人も見ていた。
ディーはスティレットを下げ、改めて四人に向けて言葉を投げかけた。
「…………ふん。その表情、本当はわかっている表情だ。悪人はどこにでもいる。だからこそ、準備を怠るな。備えている、そう相手に思わせることで避けられることもある。――悪いことは言わん、アストンに打ってもらえ」
気つけの嗅ぎ薬。
近代ではスメリングソルトと呼ばれる気付け薬。歴史自体はかなり古く、中世ヨーロッパの錬金術師が発見したとも、古代ローマ時代まで遡れるとも言われる、塩のような粉。
その主成分は炭酸アンモニウムです。
古代中国では鹿角塩と言い、鹿の角を加熱乾留して、揮発するアンモニア化合物を得たそうです。英語でもそのまんま、ハーツホーンソルトと呼ばれていますね。重曹のように膨らし粉、ベーキングパウダーにも使われたことから、“パン屋のアンモニア”とも呼ばれています。
もし手に入れても直に嗅いではいけません。
理科の実験で、教わりましたよね?
そして二つの刺突剣。
両手剣エストックと短剣スティレット。
ゲームなどでもお馴染みの武器ですが、大剣にはないロマンを作者は感じます。




