第62話 領都へ
出発前日。到着した荷馬車には幌がかけられ、準備が進められていた。荷台ではガランとアッシュが、何やら作業をしている最中である。
「アッシュ、これが『くっしょん』?」
「そうそう! 固い板に直接座るからお尻が痛くなるんだよ!」
「だから毎回、獲物の羽根を残してたのかー。でも、あんなにぺったんこだったのに、こんなに膨らむってすごいね」
「でしょ? 寝具にも使えそうかなって考えてたんだけど……」
ガランとアッシュは領都グランサクソンまでの移動が荷馬車と聞き、キャラバンの移動時に感じた乗り心地の悪さをすぐに思い出していた。二人でそのことを話していた時、アッシュの『記憶』が閃き、『クッション』という言葉が口をついた。自分の口から出た言葉に誘われ、アッシュの『記憶』は鮮明になった。卵を手に入れた時のように緩衝材、クッションがあれば尻の痛みも和らぐはずだと考え、簡易的なクッションを作ることを提案したのだ。
「ならグランサクソンに着いたら仕立て直そ。オレも手伝う!」
「そだね。――じゃあ座り心地、試してみよっか」
二人は荷台の左右に取り付けた座板に敷き藁を敷き、上から毛皮を被せるとクッションをその上に乗せて座ってみた。車輪が拾う段差の突き上げを再現するかのように、やや乱暴に腰を落として体を揺する。
この荷馬車は鉄鉱石のような重量物を運ぶ用途で作られているため、荷馬車にしては珍しく四輪である。荷台を引く馬の負担を軽減するためにコロ軸受けの車輪が使われ、固定車軸と荷台は板ばねで連結されていた。快適とまではいかないが、ばねの効果も相まって、突き上げられても尻への衝撃は和らいだのが体感できた。ガランとアッシュの思惑通りである。
御者台用に緩く束ねた敷き藁と毛皮を準備していると、オラバウルがやってきた。工夫の跡を見て、感心したように二人に声を掛けた。
「ガランが器用なのは知ってたが、アッシュが加わると何かと捗るみたいだな。エルフの知恵ってやつか?」
「あ、オラバウルさん」
「今回ボクらがやったのは、単なる工夫かなぁ。知恵ってほどじゃないよ、ね」
アッシュは『記憶』を隠す癖が出たのか、謙遜気味にオラバウルに返し、ちらりとガランに目配せした。
「工夫だって立派な知恵の産物だ。そうやって少しずつ世の中便利になるんだろう。しかし、いよいよ明日か。寂しくなる――なぁんて、年寄り臭いこたぁ俺は言わんぞ。ガラン、アッシュ。いろいろ見てこいよ?」
「オレも言わない。きっとまた会えるからね」
「うんうん、ボクもだよ」
「ガハハッ! そんじゃ夕飯を食べに行こう!」
三人は笑みを浮かべながら食堂へと向かった。
翌日。ガランたち四人にラストールとヨゼフ、護衛の騎馬兵デリーと分隊領兵三人が加わった総勢十人の一行は、朝早くカカラ鉱山局舎を出発した。
荷馬車は御者を含めて六人乗れる。当然ながらラストールとヨゼフの乗車は最優先事項だ。御者は領兵が勤め、残りの者は交代で空いている席に乗り、徒歩で随伴する。
理由は単純だ。全員を乗せてしまうと重量がかさむ上、スペースが足りない。荷台には食料や野営の道具に加えて、それぞれのリュックや背負い袋も積まれているからだ。もうひとり乗っても馬が引けない重量ではないが、あまりに負担をかけると、緊急時に馬の脚が生かせない恐れもある。馬にも休憩は必要なので、こまめに小休止を挟まねばならない。疲れた者がその時に交代する方が合理的だろう。
そしてこの世界。街道とはいえ、現代の舗装道路には到底及ばない。無理に速度を上げても停車時の危険が増すだけなので、荷馬車の速度は徒歩よりやや速い程度。荷を背負っていなければ十分に随伴可能だった。
デリーの乗った馬を先頭に一行は進み、カカラ分岐からサクソン街道に入って北東へ。しばらくすると右手に小さな集落が見えてきた。村を囲むようにして植えられた樹木は、シードル作りで使うリンゴの木のようだ。少しだけ紅を引いたような、白く可憐な花が咲いている。
「あ、おばちゃんだ!」
御者の隣に座っていたアッシュが目敏くハンナの姿を見つけ、大きく手を振った。荷台にいたガランも同じく手を振る。
「おばちゃ〜ん! またね〜!」
「また会おうね! 元気でねー!」
気付いたハンナもゆっくりと手を振り、笑顔を見せた。
「気を付けてお行きなさいねぇ」
ハンナの周囲にいた数名の村人も同じく、手を上げて一行を見送る。ハンナが見知っているから、というのもあるのだろうが、魔物討伐や治安維持に励む領兵たちに労いを示すのは当然なのだろう。
随伴している領兵たち、タイガとアインも手を上げてハンナや村人に応えた。ふと気になったガランが隣に座る領兵に尋ねた。
「この村、なんて名前?」
「そのまんまだよ。カカラ村さ。元々は鉱山の飯場もここにあったらしいね」
「へぇー」
「飯場の近くに屋台やら食堂ができて、そこで働く者も増えたみたいだな。鉱夫たちの入れ替えがあったりするし、手狭になってきたから飯場を移したそうだ」
「そうなんだね」
ガランはそう言って頷いたものの、飯場を単に建て替えるのではなく、移転したことが少し気にかかった。何か理由があるのだろうかと考えたとき、荷馬車が大きく揺れた。考え事は良くないなと頭を軽く振って周囲に目を配る。
左手にウルラス山脈の山々がそびえていた。麓の森は静かで、時折吹く風が葉を揺らしている。その風を追うように視線を前に向ければ、街道の先の道端に紫色のイチリンソウが咲いていた。そう高くない空を、クーが風に乗って舞っている。長閑な景色だが、どこで魔物に出くわすかわからない。油断は禁物だ。
何度か小休止を挟み、一行は予定していた野営地へ到着した。街道沿いにいくつかある野営地だが、今回利用する場所は石垣が高く積まれている。領兵が巡回するたびに少しずつ積んだとのことであった。
「じゃあご飯の準備しようよ」
ガランはそう言うと、ピッケルで少し地面を掘った。イモを蒸し焼きにするためだ。アッシュは近くの茂みから大振りなオオバコの葉を採取し、その葉でイモをくるんでは穴へ入れていく。
タイガとアインは兵士たちとともに天幕を張っている。荷馬車を中央に、幌の左右の支柱に引っ掛けて張るのが領兵流のようだ。
ガランは穴の上に軽く土をかけ、焚き火を起こしていく。石垣のそばにあった少し煤の付いた石でかまどを組み、鍋を火にかけるとリュックから獣脂漬けの樽を取り出した。
「肉、だいぶ少なくなってきた……」
オオヒグマの魔物との戦闘以降、自身の怪我と、オオヒグマの魔物化で付近の森から獣が減ってしまったことが重なり、ガランたちは狩りができていなかった。
樽の中身を見ながらしょんぼりと眉を下げているガランの肩を、アッシュが慰めるように二度叩いた。
「領都には明日着くんだし、後で兵隊さんに狩りができる場所、聞いとこうよ! 用事が済んだら狩りに行こう!」
「うん。そうだね!」
気を持ち直したガランは鉄串数本をまとめて持ち、肉を取り出した。そのまま鍋で肉を焼きつつ、肉の繊維に沿って鉄串の束を滑らせ、その身を裂いていく。ほぐれた肉がラードに絡まったところでハーブソルトで味付けし、少しだけ水を入れてかまどから鍋をずらした。周囲には肉の脂が焼ける香ばしい匂いが立ち込めている。
その匂いにつられたラストールがやってきた。ヨゼフも一緒だ。
「リエットかな?」
ラストールはそう尋ねながらヨゼフが敷いた毛皮に座り、鍋のそばで香りを楽しむ。そのラストールの横にヨゼフも自身の毛皮を敷いて座った。
「人数が多いから、串に刺すより、ほぐし焼きの方が良いと思って! ほぐし焼きにすれば生焼けにならないし、焼き過ぎて肉が固くなることもない!」
「なるほど、ガラン君は食通だね」
「オレは美味しく食べたいだけだよ?」
「ボクも美味しい方が絶対いい! でもこれ、リエットって言うんだねぇ。ボクらは煮焼きって呼んでたよ。スープより味が濃くって、パンとかイモに乗せて食べるにはちょうどいいんだよねぇ」
「匂いからすると、材料はほとんど一緒だと思う。しかしそうか、地域で料理名が変わるのは面白いね。そういえば二人はガレットも作ったそうだね。――」
四人で料理談義をしているところにタイガとアイン、デリーと御者をしていた兵士が焚き火の前に集まった。残り二人の兵士は見張りをするとのことである。
しばらくしてイモが焼き上がり、ガランが皆に配った。食事を取りながら、タイガとデリーは食事や見張りについて話している。
「――なるほど。いっぺんに同じものを食って腹を壊したら、ですか」
タイガが納得して頷いた。アインも隣で頷きながら見張りの兵士の背に目をやる。
「けしてみんなを疑っている訳じゃない。だが万が一、の考えは常に捨てない。兵同士は特に」
デリーが告げた兵同士という言葉に、アッシュが眉をひそめて尋ねた。
「仲間同士なのに?」
デリーが息を吐きながら、アッシュのその疑問にヒントを出した。
「そう。兵役があるのは、知っているだろう?」
「……そっか、悪さした人もいるのかぁ。それだと信用は……難しいねぇ」
アッシュはそう言って口をへの字に曲げた。
ガランは皆の会話を聞きながら、昼間聞いた飯場宿舎移転の引っ掛かりを思い出していた。
「もしかして、鉱山での労役もある?」
ガランの問いにラストールも渋い顔で頷いた。
「あるよ。罪を犯したものはいないけれどね。衛兵にも犯罪者はいないはずだ。しかし、素性が分からない者が混じっていると――不安になるのは兵も民も同じだろうね」
その日、ガランたちは不規則な人の出入りで発生する大都市の闇の部分、大勢の中に紛れている悪人の不気味さを、真剣に話し合ったのだった。




