第58話 目覚め
ラストールはアダモスとオラバウル、ヨゼフを連れ、サクソン領兵団を迎え入れた。兵団は騎馬兵が三名、歩兵十二名、一頭立ての荷馬車を一台伴った小隊であった。全員が赤銅色の革防具を着込み、パイクと呼ばれる長槍で武装している。その兵装は頼もしく、厳しい訓練の賜物か、皆体格の良い偉丈夫であった。平時であれば気圧される者が出てもおかしくはない。
ラストールは中央の騎馬兵が隊長格であろうと当たりをつけて話しかけた。
「要請に応えていただき感謝する。私はカカラ鉱山監査官のラストール。支局長も兼任している。貴殿が代表でよろしいだろうか?」
ラストールの問いかけに騎馬兵はすぐに下馬した。手綱を一人の歩兵に預け、ラストールに目礼すると名乗りを上げる。
「サクソン領兵団所属、第八小隊長のシーロと申します。まずは魔物を一刻も早く」
小隊長らしく生真面目なシーロの言葉に、ラストールはいつもと変わらぬ頼もしさを感じ、ひとつ頷いた。
魔物の出現は今回が初めてではない。ウルラス山脈にほど近いここカカラ鉱山は、幾度か魔物の被害を受けたことがあった。ウサギやヘビなどの小型の魔物は鉱夫らでも倒すことができたが、シカやイノシシ、オオカミの魔物となるとなかなか対処ができない。そのため馬防柵を多数配置し、中型以上の魔物への対処は領兵に要請を出していた。
「その魔物だが……こちらでなんとか。だが、是非見ていただきたい」
ラストールは兵達を飯場宿舎の奥へ案内し、先にある魔物の死骸を見せた。
「これは……」
横たわるオオヒグマのその巨体と、落とされた首を見たシーロは言葉を失った。兵達もあまりの大きさに絶句し、息を呑む。
カカラ鉱山は言うまでもなく山中。クマも出没する地域である。そのため万が一に備えて局舎を頑強な総レンガ造りとしていたが、そのクマに助けられていた一面もあった。ウサギやヘビは魔物化しても所詮小物。クマに敵う訳が無い。ある程度クマが魔物を減らしているのではないかとの仮説を唱える者は大勢いた。ラストールとアダモスもその仮説を支持しており、被害が出ない限りクマの駆逐を要請することはなかった。
そのクマもけして知恵がない訳では無い。角や牙を持つシカやイノシシ、オオカミの魔物を相手にしたとき、敵わないと悟れば逃げる。他の獣もそうだ。逃げる先は彼ら獣の縄張り、自然豊かなウルラス。
しかし今回はそのクマが、それもオオヒグマが魔物化したのだ。
「ご覧の通り、ただのクマではなくオオヒグマ。シーロ殿、私はこの首を送って総局に馬の常備を掛け合うつもりだ。貴殿もサクソン公爵閣下に進言していただきたい」
ラストールの意見に頷きながらシーロが答える。
「そうさせていただきます。この死骸、使わせていただいても?」
ラストールが頷いたとき、ヨゼフが口を開いた。
「クマは縄張り意識が強いと聞いたことがあります。お運びになる前に腸の中身を少し頂きたいのですが」
獣の習性、マーキング。ヨゼフはその習性を利用し、今後行われる防護柵再建時の安全を確保する意図があった。シーロはその意図を理解し、すぐに同意を示した。
「匂いは良い案です。この体格なら恐らく雄。雄特有の下腹部の匂いを付けるのも良いでしょう。――エレトアの隊は各員でヨゼフ殿を手伝って差し上げろ! デリー、そっちの隊は防護柵の破損状況を確認。森の中では気を抜くなよ。終了したら野営の準備に取りかかれ」
「「はッ!」」
シーロに名を呼ばれた二名の騎馬兵が敬礼し、兵へ指示を出し始めた。シーロは兵達の動きを確認し、ラストールへと向き直る。
「支局長殿。先触れで部下を走らせますが……その前に、討伐時の状況を簡単にお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「それであれば局舎で。――オラバウル、タイガ君も呼ぼうか。アダモス、我々は先に下に降りておこう」
「そうしよう」
「あぁ、一緒に向かう」
アダモスとオラバウルがそれぞれラストールへ返答し、オラバウルは飯場宿舎の食堂へと戻る。周囲を見れば、領兵団が到着したことで局舎から戻って来る者の姿が増え始めていた。ラストールらが向かえば全員戻るだろう。オラバウルは食堂に入ると、すぐにタイガの姿を見つけて声をかけた。
「タイガ」
「あぁオラバウルさん。兵隊との話なら俺が」
椅子から立ち上がりながらそう告げるタイガに、オラバウルも頷きを見せた。
「支局長もタイガを呼べとさ。二人がまだ話せる状況じゃないのはわかってるってこったな。アインは部屋か?」
少し視線を彷徨わせたオラバウルに、タイガは台所を指差した。
「いや、だいぶ早いが少し台所を貸してもらってる。さすがに外でって訳にもいかなくてね。――声を掛けてくるよ」
タイガはアインに聴取に向かうと告げ、オラバウルと共に食堂を出た。外では領兵達がオオヒグマの死骸を天幕に包み、運び出そうとしているところだった。オラバウルは局舎への道を下りながらタイガに話しかけた。
「随分とまぁ無茶をしたもんだ。肝が冷えたんじゃないか?」
「そりゃあもう。あの慎重なガランがなぜって思ったよ」
「いつもはこうじゃないのか?」
「ガランもアッシュも、普段なら自分から危険に飛び込むようなことはしない。覚えてるだろう? 昨日俺が、こういう時に二人ならどうするって聞いた時のこと。『逃げられるなら逃げる』って、ね」
「ふむ。そうだったな」
「ガランは本当に慎重だよ。よく『自分は怖がりだから』って言うけどね。だが――言葉とは裏腹に、危険が避けられない時には前に出る。それこそ俺を押し退けてね。オラバウルさんの懐に入ってるその、根を見つけた時もそうだったよ」
タイガはオラバウルの懐を見たが、すぐに視線を戻した。先に局舎へ戻ったラストールから指示が出たのか、飯場へ戻るためにすれ違う鉱夫達が増えてきたからだ。
オラバウルも話を聞かれないよう、少し声色を落としてタイガへ問いかけた。
「タイガはガランの……北での話は聞いてるのか?」
「詳しくは」
オラバウルの問いかけにタイガは首を横に振った。
「そうか。お前さんにも……。きっとそのガランの慎重さは、北からひと――! タイガ」
オラバウルは何かに思い当たり、立ち止まってタイガに呼びかけた。呼ばれたタイガも足を止め、オラバウルを見つめて言葉を待つ。
「ガランが怖がってるのは……失うことかもしれん」
「失う……そうか……! ひとりになるのが……!」
タイガはそうつぶやくと、右の手のひらを額に当てて大きく息を吐き、絞り出すように言葉を続けた。
「ふう。――だから慎重に。しかし前に出るのか、守ろうとして」
「意識してかどうかわからんが……心がそうさせるんだろう。それを止めるのは――タイガ、難儀するぞ?」
オラバウルはそう言ってタイガの肩を叩くと、目前の局舎へと足を進める。タイガは額に当てていた右手でガシガシと頭を掻くと、もう一度息を吐いた。
「ハァ、確かに難儀だなぁ。だが――」
タイガは足を踏み出しながら、顔を上げてつぶやく。
「――俺達はパーティーだ。しっかり守ってやるよ、冒険者としてな」
タイガのそのつぶやきが聞こえたのか、局舎の扉に手をかけたオラバウルがタイガに告げる。
「俺も少し伝手を頼るとしよう。ガランは技も求めてる。それにタイガ、その棒っ切れじゃ心もとないだろ?」
オラバウルの言葉に、タイガは苦笑いで返事をした。
「まぁね」
「そンじゃあ後の話はこっちを済ませてからだ。力のことは伏せるぞ?」
「もちろん」
オラバウルはタイガの返事に頷き、局舎の扉を開けた。中のテーブルにはラストールとケインズ、アダモスとシーロが座っていた。既にある程度の状況説明は済んだのか、ケインズの手元には内容を書き記したであろう書付が置かれていた。
「待たせました」
オラバウルはそう告げると空いている席にタイガを座らせ、自身もその横に座った。それを見届けてシーロが口を開く。
「発見時の兆候は伺いました。対処に必要な物も。タイガ殿、討伐時の状況だけ簡単にお願いできるだろうか?」
「はい。まずオラバウルさんと手分けして避難を俺た、あ、いや、私達四人で呼びかけまして……ウチの二人が何とか足止めを、と先に向かいました。えぇっと……まぁ、武器を持ってたもんで。槍と弓ですがね。それで私も合流して運良く、ってとこです」
少し緊張しながら告げるタイガの話を、皆が頷きながら聞いている。そのタイガにシーロが問いかける。
「槍と弓……。タイガ殿、それがあれば魔物化したクマへの備えになるだろうか?」
「備えにはなるでしょうが……普通のクマならまだしも、魔物になったクマ相手に素人じゃ無理かと。今回はたまたま急所に当たったんで何とかなりましたが、それでもウチのは怪我しちまいましたし。私も突いてみましたが、歯が立ちませんでした」
それを聞いてアダモスが強く頷いてつぶやいた。
「木槍にゃ刃は付いてねぇしな」
「ガハハッ! 駄洒落か……あ、いや、すまん」
アダモスのつぶやきに、つい口を挟んだオラバウルだったが、皆の視線を受けてアダモスと共に姿勢を正した。
その二人の様子を気にも止めず、シーロは顎に手を当てて小さく頷いた。
「やはり甘くは無いようですね。今まで通り、我々で対処させていただきます」
「兵隊さんの常駐が良いんでしょうが……そもそも自衛用の武器が少ないんじゃ?」
タイガが尤もな意見を口にし、ラストールを見る。ラストールは困ったようにアダモスに一度視線を送り、口を開いた。
「タイガ君の言う通り、王家直轄鉱山に武器を置くのは構わない。しかし、そうなると酒を飲ませる訳にはいかなくなる。理由は……わかるだろう?」
酒か武装かの選択。タイガはすぐにその理由を理解した。
「酔っ払いに喧嘩は付きもの。殴り合うだけならともかく、刃傷沙汰は困る……ってことですね?」
「そうだ。安全のためとはいえ武器を置き、その代わりに現場で働く鉱夫達の、日々の疲れを癒す酒を取り上げるなんて……私はしたくないんだよ。かといって王家直轄の場を血で汚すこともできない。対外的には、アダモスが酒の提供を選んだことになっているけどね。衛兵がいたら良いんだろうが、今の採掘量じゃ衛兵を賄う余裕はないんだ」
「……なるほど。そうなんですね」
ラストールが話す内容を聞き、タイガはガラン達と廃坑で話した『鉱山の決まり事』の一端が見えた気がして、深く頷いた。
ケインズも書付の手を止めて考えを口にする。
「柵を強化できれば、今回よりも安全は確保できるでしょう。馬の手配もできれば伝達の脚になりますし、馬車馬と入れ替えて使えば、単純に荷馬車を往復させるより速く荷も運べるはずです。飼葉や厩舎の敷き藁は来るときに積めばいいだけですし、なんせ山ですからね。餌には困らないと思いますよ」
皆が頷くと、シーロが最終確認で口を開いた。
「では領主様への先触れとして、まずは斧と釘、鉄の手配が必要とお伝えいたします。それと明日、鉱山総局へ書簡と首を送ることも。付近の村への斧の臨時徴収、こちらも触れを出しておきます」
「ひとまずそれでお願いする。サクソン公爵閣下には宜しくお伝え願いたい」
ラストールの返答にシーロは頷いて立ち上がる。
「では先触れを走らせます。ひとまずこれにて」
シーロが席を立つと、ラストールは皆を見渡した。
「タイガ君、それからアダモスとオラバウルも。お疲れ様。まだ慌ただしいだろうが、飯場に戻ってくれて構わないよ。――あぁ、根の話はガラン君が起きてからにしようか」
「そうしよう。さってと、今日の酒は皆一杯だけだな」
アダモスはラストールに同意し、立ち上がるとオラバウルの肩を叩いた。
「ガハハッ! やはり屋台は休まん、か。タイガ、お前さん達は部屋でゆっくりしとけ」
オラバウルも立ち上がると、まるでバトンを渡すかのようにタイガの肩を叩く。
「言われなくてもそうさせてもらうよ。――では、これで」
タイガも立ち上がり、三人はラストールに目礼して局舎を後にした。
外はもう日が傾き、西の空を茜に染めていた。気疲れしたタイガを気にかけた訳ではないだろうが、三人は特に何も喋らず、飯場宿舎へと戻った。
アダモスとオラバウルは食堂へは入らず、そのまま脇を抜けて魔物の死骸があった場所へと向かった。色々確認しておきたいのだろう。
タイガが食堂に入ると、何人かの鉱夫達がテーブルに着いて話をしていた。アインを探そうと視線を彷徨わせたとき、丁度台所からアインが出てきた。
「タイガ、戻ったのか」
「あぁ、話は一旦終わったよ。――お、美味そうだな」
アインはスープが入った鍋を抱えており、どこかまろやかな匂いが湯気と共に立ち昇っていた。
「スープと一応、肉も焼いてある。済まないが肉の皿を持ってもらえないか?」
「もちろんさ」
二人は料理を運び、部屋の扉をノックした。返事を待たずに扉を開けると、左右の二段ベッドの下段で、ガランとアッシュがそれぞれ眠っていた。
「やはりアッシュも疲れていたな。心も休まっているといいのだが……」
アインがつぶやいて鍋をテーブルに置こうとしたとき、アッシュの目が開いた。
「ん……。ガラン、起きた?」
アッシュの問いかけに、タイガがテーブルに肉の皿を置きながら答える。
「いや、まだ――」
グー……
くぐもった音がどこからか聞こえた。誰かの腹の音が鳴ったようだ。
「フッ。やっぱりアッシュも腹減ってたのか」
タイガが含み笑いをアッシュに投げかける。
「今のはボクじゃ――」
「オレ……腹、減った……」
「「ガラン!」」
ベッドの上。眉尻の下がったガランの腹が、また鳴り響いた。
一部にオマージュを入れております。




