第51話 カカラ鉱山(中編)
ヨゼフを通して、ガラン達の目的がオラバウルの訪問と聞いたラストールはケインズに問いかけた。
「オラバウル組の作業は?」
ラストールの視線を受け、ケインズが右側の壁をちらと見る。釣られてガランも壁を見ると、右の壁には文字が書かれた大小の板がいくつも下げられていた。大きな板に作業内容が、小さな板に作業員の名前や数字が書かれている。日程表だと思われた。
「組は北第四で作業をしていますが、オラバウルは脈読みに同行しています」
「そうか。新規の脈は難しいかもしれんが……。やはりもっと調査範囲を広げるか」
ラストールは体を支えるようにテーブル上に両手をつき、広げられた紙を睨む。ガランとアッシュは首を伸ばしてそれを覗き見る。いくつかの図形と書き込み。内容はわからないが、どうやら周囲の略地図のようだ。タイガがガランの、アインがアッシュの脇を肘で突いて覗き見を窘める。
「ですね。北か西、いずれにしてもウルラスにもう少し近付いた、この辺りまで広げてもいいかもしれません。こちらからなら――」
ケインズも考えを示すように地図上を指差し始めたところでヨゼフがひとつ咳を払って注意を促す。
「オホン! ――ラストール支局長」
「キュ?」
ヨゼフの咳払いでクーが目を覚ました。
「ん? あぁ、顔見せ中だったな。まぁ事故にさえ気を付けてくれ――あと揉め事も困るぞ?」
「もちろんだよ、ね」
アッシュが右肩に移動してきたクーの頭を指で掻くように撫でながら告げるとガランも同意する。
「うんうん。オレ達、邪魔になることはしないよ」
ラストールはさっとガラン達を見渡すとヨゼフを見て頷き、ケインズと打ち合わせに戻ってしまった。ガランはヨゼフを見上げて問い掛ける。
「もういい、のかな?」
「あぁ。また帰りに声を掛けてくれればいいよ」
「わかった、そうするね。じゃあ皆、行こう」
ガラン達はヨゼフと共に局舎を出ると馬防柵を抜ける。
「迷うことはないだろうが飯場はもう少し先だよ。それと、奥には行けないよう飯場の先にも柵がある。くれぐれもおかしなことはしないように、な」
ヨゼフに手を振り、またも轍に沿って歩く。しかしその轍もすぐに薄くなってきた。草の丈は短くなり、剥き出しの土が増えていく。道の脇を見れば、見慣れたものが生えていた。香草類だ。端材で作られた小さな柵まで立てられている。香草や香辛料は乾燥して風味が増すものもあれば、新鮮さが好まれるものもある。これらはきっと彩りと楽しみを生むに違いない。
ガランはそれを見て、きっとここで働く者達は食べるということの重要性を理解している、と確信めいた思いが湧き上がった。ツルハシを振るって鉱石を砕き、掘り、運ぶのだ。間違いなく重労働であり、肉体を酷使するだろう。その疲れを癒すために飲み、体力を維持するために食べるのだ。
食べるために働くのか、働くために食べるのか、ガランにはわからない。わかってるのは飢えれば死ぬということと、食への欲がなくなった者から死ぬということ。集落の爺さん達がそうであったように。
ガランは足を止め、空を見上げる。見送った爺さん達が煙となって登った、あの時を思い出しながら。
ガランに釣られてアッシュも空を眺め、二人が立ち止まったことに気付いたタイガとアインも同じく足を止めて空を見た。
空を見上げたまま、アッシュがガランに問いかける。
「どしたの? 天気が気になる?」
四人が見上げた空は青く、幾つかの雲がたなびいていた。
「ううん。そうじゃなくて……。あ、ほらあの雲――」
ガランが空を指差した。
「――鹿の角みたいじゃない? オレ、鹿肉食べたくなった」
「鹿かぁ〜。里を出てから食べてないねぇ」
アッシュがつぶやけばタイガもつぶやく。
「鹿はなかなか山から降りてこないよな」
アインも同調するように頷き、珍しくはっきりと料理名を口にした。
「私も鹿のローストが好きだな。鹿肉とグレイビーソースの組み合わせはたまらない」
「……腹の減る話になっちゃった」
思わず告げたガランだが、視界の隅で三人の様子を感じ、自然と笑みを溢した。これなら大丈夫。なぜかそう思えたのだ。
カラン カラカラン
「キュッ!」
ベルの音とクーの鳴き声で皆が視線を戻す。すると丁度荷車が降りてくるところだった。そのベルの音とロバの姿はあの小さな女性が乗っていた荷車で間違いはない。しかしそのロバは荒ぶっており、首を振りながら耳障りなベルの音を響かせている。手綱を引きながら歩いているのも女性ではなく男性。その身なりから恐らく鉱夫の一人だと思われた。
「あれ? おばちゃんのロバ――なんか暴れてるね」
「どしたんだろ? 行ってみよ」
小走りで駆け出したアッシュにガランらも続く。
「おばちゃんのロバだよね? 何かあったの?」
物怖じせず男性に話しかけるアッシュ。
「あン? アンタら誰――こら大人しくしろ」
男性は手綱を絞ってロバを抑えながら、ガランらを誰何する。
「オレ達オラバウルさんに会いに来たんだよ。来る時にロバのおばちゃんと挨拶したんだけど……」
「カシラの客ね――っと! また暴れ……このっ! ……カシラは上、だ、よ……っとと! コイツが暴れて手に負え、ないから、下に繋いで――痛っ! あぁクソ! 悪いが俺ぁ行くよ」
男性の言葉にガランらは道を譲って見送った。
「ロバは気性が荒いってほんとだったんだね……」
ガランが荷車を見送りながらポツリとつぶやく。
「飼い主なら宥められそうだけど……でもあの様子じゃ、おばちゃんじゃ無理かもねぇ」
ガランとアッシュはロバが気になりながらも歩き出した。
「見えてきた」
タイガの言葉を合図に、緩やかな坂の終わりを告げる線がガランにも見えた。歩みを進める度にその線上に遠くの樹木が棘のように見え始め、それを追い抜くような速さで建物も見えてきた。
「生えてきたね。面白い」
ガランは線を境に見えてきた木々や建物が、まるで急速に地面から迫り上がってきたように感じ、生えた、と口にした。
「生えたって……。錯覚だろ?」
タイガが呆れたように言ったがアッシュは頷いた。
「日が沈むって言うし、ね……って。――あれ?」
アッシュの頭の中に天体が思い浮かぶ。『記憶』だ。宇宙のイメージ。そして海から昇る太陽が脳裏に浮かび、目を閉じた。浮かんできたのはそれだけにとどまらない。軌道を描く惑星、太陽のフレア、月の満ち欠け、天体周期を描く幾つもの輪、彗星、望遠鏡、星座、羅針盤、時計、暦など、天体に関わる物や事象が次々と脳内を駆け巡る。
アッシュはフラッシュバックのように現れた不規則なイメージの洪水に、思わず『記憶』を追いかけそうになる。
「どうかしたのか?」
それを見たアインの言葉で我に返った。
「海から――あ、いや! ……うん、なんでもないよ〜」
アッシュは軽く頭を振るとイメージを追い出し、傾きかけた太陽を一度見て、視線を東に移す。アッシュを見ていたガランも、釣られてちらと東を見て視線を戻し、アッシュと視線を交わす。アッシュが小さく頷いた気がして、ガランも小さく頷いたところでガランの腹が盛大に鳴った。
「あ」
思わず腹を押さえるガランと、笑い出したガラン以外の三人。
「腹鳴っちゃった……」
「ボクもお腹空いたかも。飯場の人に挨拶したら、隅っこで食事の準備、始めちゃおっか。――っと、クーも行っといで」
「キュキュー!」
アッシュはクーを放ち、四人は足取り軽く飯場へと急ぐ。飯場はL字型の一部二階建て。L字の短辺が平屋になっておりそこに大きな扉があるが、二階建ての方には扉は見当たらない。恐らく中で行き来するのだろう。
ガランはその大きな扉をノックした。
「こんにち――」
挨拶と共に扉に手をかけていたのだが、挨拶が終わらぬうちに中から扉が開かれた。
「わっと!」
「おぉ、びっくりした!」
扉を開けたのは手桶を持った若い青年である。丁度出ようとしたのと重なったようだ。
「あのオレ――」
「あぁ、中のやつに言ってくれ。悪いな」
青年は急いでいるのか、そのまま扉の横へ足を進める。見ればL字型の中央に井戸を囲む四阿があった。
「あ、井戸ね、どぞどぞ」
青年に進路を譲り、飯場の中へと入る四人。そこは食堂のようで、トゥサーヌにあった労役宿舎の食堂と瓜二つだ。こういう建物は構造も似るのだろう。
「えっと……誰に……」
ガランは周囲を見渡す。似たような身なりの男性ばかりで責任者がわからない。
「偉そうな人は……あれ? おばちゃん!」
ガランと同じく辺りを見渡していたアッシュが、ロバの荷車に乗っていた女性が奥の席に座っているのを見つけ、手を振って駆け寄っていく。女性の表情はどこか顔が険しく、周りで数人の男性が心配そうに様子を窺っていた。女性はアッシュに気付くと少し眉を上げた。
「おやおや、昼間に会ったお兄さん方にお嬢ちゃん」
「さっきおばちゃんのロバが――おばちゃん! 怪我してるじゃん!」
アッシュのその声でガラン達も女性へ近付く。
「どうして……! 乗ってる時に暴れちゃった?」
女性は顔や腕のあちこちに擦り傷があった。困った風に頷く女性は右手に手ぬぐいを当てているが、その手ぬぐいにも血が滲んでいる。先程井戸に向かった男性の目的が嫌な形で判明し、ガランは眉根に皺を寄せて荷を降ろすと木箱を取り出した。
「オレよく効く軟膏持ってるから――ちょっと待ってて!」
ガランは木箱をテーブルに広げると外の井戸へ向かった。薬を使う時は調理同様、清潔にしなければならないと教えられていたからだ。
「あらあら、薬なんて勿体ないねぇ。洗って冷やせば治るのにねぇ」
丁度ガランと入れ替わりのように水桶を持った青年が戻る。
「ガランの軟膏は効くよー? ボクが保証する!」
同性の方が良いと思ったのか、アッシュが水桶を受け取り、患部を洗いながら女性と話していると、すぐにガランが戻ってきた。
「――この軟膏はナンテーンの実で作った毒消しだよ。最初だけ少し染みるけど、ほんの少しコドクダミを煎じた痛み消しが入ってるから後が楽なんだ」
ガランは木箱から軟膏の入った枡を取り出し、薬効の説明をしながら洗浄が終わった患部に軟膏を塗る。手のひらで揉み込むように塗りながら異物が皮下に入り込んでいないかも入念に探っている。周りにいた男達も興味深そうに覗き込んでいた。
「おや、そうかい。ここいらじゃ調合できる者は少ないから、バラビワの葉を使うんだけどねぇ」
「バラビワもいいよね、練らなくても洗った葉を貼っておけば腫れも引くし――うん異物も入ってないし、こんなもんかな。あとこれ、そんなに残ってないけど良かったら使ってよ」
「そこまでしてもらっていいのかねぇ。返せるものがないよ」
ガランが使いかけの枡を渡すと申し訳無さそうに眉尻を下げる女性。その肩にアッシュが手を乗せ、にこりと笑う。
「いいのいいの」
「うんうん。もうひと枡あるしね。それにオレ達、今日は外の隅っこ借りようと思ってて……あ、場所代だと思って! ――オレ、ガランっていいます! オラバウルさんに会いに来たんだけど……」
ガランそう言いながら荷を背負い直し、周囲の男性達に聞こえるように名乗りを上げて様子を伺う。
「なんだ、カシラの客か。俺が呼んでこよう」
ひとりの若い鉱夫がすぐに外へ駆け出した。
「あ! その前に飯場頭さんに面会の許可を――」
ガランがその背に手を伸ばしたが既に若者は扉の外だ。ガランはそのまま、行き場のなくなった手を誤魔化すように頭をガシガシと掻いた。途端に周囲の空気が和む。
「ふふふっ。なんだい、知らなかったのかい。この飯場の頭はあたしの旦那、屋台は息子がやってンのさ。ふふっ。大丈夫、あたしが言っておくよぅ。悪い人じゃないってねぇ」
「「え〜!?」」
驚くガランとアッシュであったが、心配そうにしていた周囲の男達を見て納得である。飯場頭の伴侶が怪我をしたとなれば心配するのも無理はない。
「――ここを使ってもらってもいいと思うんだけど、まぁお兄さん方の良いようにしておくれな」
「ありがと、おばちゃん! ガラン、外見てみよ、外! オラバウルさんもきっとすぐだよ!」
「ちょ、待って、アッシュ! み、皆さん少し場所を借ります! ――待ってってば、ねぇ」
アッシュに手を引かれながらも皆に手を振り、断りを入れるガラン。アッシュも皆ににこやかな笑みを見せ、手を振って扉から出ていった。
「――いい子達だねぇ」
優しげな笑みを浮かべた女性にタイガとアインも頷く。
「逞しい二人だよ。――っと、俺達も行こう」
「あぁ」
二人が外に出ると、早速賑やかな声が聞こえてきた。




