第38話 事件
「――そうか。それでセミュエンから山を」
「うん。何回も爺ちゃんに言われたんだ、『独りになったら山を越えて隣国へ行け、そして同胞を探して秘伝を学べ』って」
ブラウドは時折頷きながらガランの話を聞いていた。
ガランら四人は『西果て』という酒場に来ていた。迂闊に飯場で話し、誰かにセミュエンや辺境に関することを聞かれでもしたら、要らぬ誤解や勘繰りを生むだろうとブラウドが提案したのだ。
本来であれば、まだ開店前の仕込みの時間だがブラウドの顔馴染みの店であり、ニコラスの好意で席料としてオリーブの塩漬けを安く譲ったことで話が付いている。厨房から一番離れた席を確保したので、余程の大声でなければ外にも厨房にも会話は漏れない。職人通りに同行していた他のメンバーに伝言も頼み、店が開く頃に飲みたい者がここに来る手筈も整えてある。
「その髪は――もしかしてヒト族に姿を似せるためか?」
「ううん。えっと髪は……爺さん達の元に置いてきたんだ。一緒の場所にオレも何か残したくって」
ガランはうなじに手を当て、伸びてきた後ろ髪を指で摘みながら微笑みを見せた。
「洒落者のドワーフが髪を、か……」
仕事柄ドワーフ族とも取引をするニコラスは、ドワーフ族が三つ編みや髭の手入れに拘ることを知っており、思わず唸る。髭が生えてきたドワーフが真っ先に作る物が銀や錫で作った板を丁寧に丁寧に磨き上げた手鏡。それだけ三つ編みと髭に拘る種族なのだ。
その声を聞き、アッシュは改めてブラウドを見る。身長はガランより僅かに高いだけだが、体格は全体がひと回りほど太く見える。燃えるような赤髪も硬い毛質なのか、腰まで編んだ三つ編みも太い。眉も額を狭く見せるほど太いが灰色の瞳はとても丸く、ポケットの沢山付いた薄茶色の作業着と相まって愛嬌さえ感じる。
そして髭。顔下半分を覆っているが、鼻の下で切り分けられるのではと思うほど水平に整えられている。そして長さも揃えられ、口を開かねばどこに唇があるのかもわからない。四角に切った猪の毛皮を貼ったようだと伝えたら怒るだろうか、と頭に浮かぶ。
そんな考えを頭から追い出し、アッシュはガランに伝える。
「きっと皆ガランの気持ち、嬉しかったと思うよ。ボクはそう思う」
「ありがと、アッシュ」
二人は視線を交わし、頷き合った。そんな二人にブラウドが問う。
「山を下りてから二人は知り合った訳だな?」
その問いにアッシュが答える。
「うん。去年の夏の終わりにね。冬を越してから発って、それで最近ボス達キャラバンと縁があって一緒に此処へ」
「『辺境の隠れ里』か。いや、その話は聞かないでおこう。――それで、手掛かりはあるのか?」
「ほんの少しだけ。爺ちゃんのお弟子さんが二人わかってるのと形見で魔鉄と魔鋼、聖銀を持ってる。これはその形見で作ったんだ」
ガランは首飾りを外してブラウドに見せてみた。
「ほう。どれどれ――うん、良い出来だな」
「またとんでもない値打ち物を……」
ブラウドはその細工の腕を褒め、ニコラスはその素材の価値に目を丸くする。
「オレ、ずっと爺ちゃん達と比べっこしてたんだ。二十年……いやもっとかなぁ。最初は泥団子をどれだけピカピカにできるかって」
「ボクもやったことある! ――あ、いや、何でもない」
アッシュは『記憶』の何かを思い出し、口走ってしまった。すぐに誤魔化したが、ニコラスもブラウドもそれに気付かない。
「恥ずかしがるこたぁないさ。子供なら誰でもやるもんだ」
ニコラスの言葉にブラウドも頷く。
「あぁ。磨いて顔がはっきり見えた時なんて、飛び上がるほど嬉しかった」
「そうそう! そこに模様を彫って、ね」
ドワーフ二人の言葉にニコラスが呆れたように告げる。
「泥玉を鏡みたいに磨いて、その上模様まで彫るってのはドワーフだけだぁ」
「プッ」
ニコラスの言葉についアッシュが吹き出し、皆が笑い出す。
その笑い声が聞こえたのか、奥の厨房から酒場の主人が顔を出して声をかけてきた。
「そろそろ開けるよ。いいかい?」
「あぁ、助かった。ドアを開けるんだろ? 俺がやろう」
ブラウドがそう言って席を立ち、酒場のドアを開ける。既に開店を待っていた常連が数組入って来た。ブラウドは席に戻ると座りながらガランに告げる。
「ガラン。今日は語ろう。それにきっと俺以外のドワーフも――」
ブラウドが話し切る前に、三つ編みの男たちが店に入って来るなり、ブラウドに声を掛けた。
「おうブラウド。今日も早いじゃねぇか」
「後からウチのモンも来るからよ」
そう言ってカウンター席に座り、三つ編みを揺らす男達。
「な? 来ただろ?」
嬉しそうに頷くガラン。もう独りぼっちのドワーフはいない。
いや――。元から独りではなかった。爺さんたちの想い出も一緒だ。そして、隣に友がいる。
ガランはアッシュに視線を送ると、右手を顔の横に掲げた。きっとこういう時に叩くのだと勘が働く。
アッシュはにやりと笑い、右手をその手に打ちつけた。
パンッ!
加減を覚えたアッシュの顔は、少し自慢げに見える。
それを見る二人の男もまた、小さく頷く。
「あ、ボス発見〜。皆ここだここ〜! 悪徳商人を破産させるぞ〜!」
そこに合流するデミトリらキャラバンメンバー達。サガットとトーリオ、カミーラやトーリーもいる。
「誰が悪徳商人だ! 人聞きの悪い! さぁ食って食って、飲もう飲もう!」
皆の笑顔の中、ガランもアッシュも大いに楽しんだ。
酒は二人共飲まなかったが肉や野菜の串焼きを平らげ、串の山を築いていく。
粒の並んだモロコシを一列、口だけでどっちが早く綺麗に食べれるか競争となり、それを見てなぜか異様に盛り上がるドワーフたち。
今回はカミーラも絡むことなくゆっくりと飲み、時折デミトリが会話の邪魔にならぬ音色で静かに笛を奏でる。
ヒトもエルフもドワーフも。種族など関係なくジョッキを重ね、楽しい時間が過ぎ、皆宿へと戻ることとなった。
その帰り際、ブラウドがガランに告げる。
「ガラン、さっきの話に出た――秘伝と竜脈について知ってる者に心当たりがある。明日朝に紹介状を宿に届けよう」
「あ、ありがとう!」
「ん。ここにいる間にまた顔を出してくれ」
「うん、わかった。また――」
手を振って別れようとしたガランの背をブラウドが右手で引き寄せた。
「ガラン、俺達ドワーフの男同士の去り際はこうして胸を合わせるんだ」
ガランの耳元でブラウドが告げ、右手で背を叩く。お互いの逞しさを確かめ合い、次に会う時まで忘れぬためであろうか。
「わかった。教えてくれてありがとう」
ガランも真似してブラウドの背を二度叩き、離れた。
翌日。朝食を終え、キャラバンメンバーが配送の支度をしている所に二組の来客があった。
一人はガランへ。ブラウドからの紹介状を携えた使いの少年。
そしてもう一組はキャラバンに。衛兵長ザビウスとその部下二名、そこに冒険者リョウガとクリスも同行していた。
ガランは筒状に丸められた革を少年から受け取った。使い古された何かの当て革だろうが、中の紹介状が汚れたり傷まないよう気配りされたのがガランにも伝わる。
「ありがと! ブラウドさんにもありがとうって伝えて。――あ、これ食べながら帰りなよ」
ガランはポーチから燻製肉を取り出し、少年に手渡した。
少年は早速口に入れてひと噛みし、目を丸くする。
「……美味しい。お兄ちゃんありがとう」
少年が顔を綻ばせながら出ていくのを、ガランは手を振って見送った。そこにリョウガの声が掛かる。
「……美味いのか?」
「そりゃ美味しいよ! ボクらの特製だもん。ね〜?」
「だねー」
自慢げに同意し合うガランとアッシュ。
「リョウガ、後にしてくれないか? 先ずは隊商と話がしたい」
ザビウスの宣言で告げられた話は一同を十分に驚かせた。
――エルフを攫った者が出た、と。




