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ガランとアッシュの旅路  作者: 玲 枌九郎
第一章 国境を越えて —大ウルラス山脈編—
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第2話 臆病なドワーフ

 ガランが集落を出発して三日。

 山脈の裾野を埋め尽くす森林帯は、人の侵入を阻むかのように時に獣が、時に植物や地形がその行く手を遮る。

 順調に進む事ができたのは森の一部、いわゆる里山と呼ばれる地域までだった。山の入口に向かう登山道など、自然の山には存在しない。その影響でガランは自分が進むべき方角ではなく、進みやすい方へと遠回りをしていた。もちろん本人は気付いてなどいない。


 ガランは登山の経験は皆無だが、集落での経験で小動物や小型の鳥類を罠を使って狩ることはできる。猪や鹿の成獣を単独で仕留めた経験はなく、仮に仕留められたとしても解体技術もない。ガランは大型の獣を発見してもすぐにその場を離れるか、息を殺してやり過ごしていた。


 そして今。ガランは森の気配に違和感を覚えていた。小動物の気配もなく鳴き声すら聞こえない。静かすぎると感じていた。


「何か変だな。小さい奴らが……いない?」


 ガランは立ち止まって、ピッケルの剣先を包む鞘を外した。ピッケルはツルハシのように片側は尖り、反対側はクワのような平刃が付いている。右手でピッケルを構え、警戒しながら周囲を見渡す。ピッケルはもう一本、腰のベルトにも差してある。

 注意深く何度か視線を彷徨わせ、発見した。直線距離にして約十メートル程の場所に一頭の狼。藪を背後に身を低くして狼もガランを伺っていた。


「やっぱり。群れだったら……」


 ガランは狼に視界に収めながら、さらに周囲を警戒する。

 素早く視線を動かすが他の個体は見当たらない。だが自身の背後までは確認できていない。ガランもそれは不味いと思い、左右を素早く確認して背後を守れそうな木を探す。


「太いのはあの木かな」


 左手やや後方に太めの幹が目に止まり、そこに移動することに決めた。ガランは慎重に動いたつもりだったが、すぐに狼が反応した。伏せた姿勢から身を起こし、ゆっくりと右へ動いたのだ。


 ガランは思わずピッケルを狼に向ける。すると、狼は剣先を嫌がるように方向を変える。距離は詰めてこない。それはピッケルを武器として認識している知恵の現れでもあった。

 ガランは相手の警戒を逆手に取ることを思いつき、ピッケルをゆっくり振りかぶる。


「グルゥゥ……」


 ここにきて初めて、狼が小さく唸って一歩飛び退く。その隙に左後方の木の幹の背中を預けることができた。とはいえ背負子を挟んでいるため安心感は少ない。


「ふう。これだけなのに、疲れる」


 緊張状態は疲労感を増す。緊張が力みを生み、余計な力みで体が固くなっているのだ。


「爺ちゃんたちみたいに上手くいかない。でもやらなきゃ……」


 狼との距離は変わってないはずだが、素早く逃げる為に少しでも緊張した筋肉をほぐしたいとガランは考えた。戦う選択肢など、最初からからない。ガランは狼の動きを視界に収めたまま、ゆっくりと足首を左右交互に回す。ブーツでやや左右の動きは阻害されるが、前後の動きは問題はない。次は膝だ。軽く曲げ伸ばして少しでも緊張を解く。


「どっちに逃げようか……。後ろは警戒が確実じゃないからちょっと怖いな。右の方が開けてるけど、障害物がないし追いつかれるのは確実だよね。そうなると左――うん?」


 左の視線の先は所々に藪が広がっていたが、ある事に気付いた。確認のために素早く右側に視線を移す。


「……やっぱりそうだ」


 左側は右側に比べ、見える地面が高い。傾斜があるのだ。斜面になっている左が山側と見当を付けた。


「決めた。どうせウルラスを登るんだ、左に行く」


 ガランは息を整えながら動きをシミュレートする。見たところ狼は回り込もうとする動きが多い。こちらのピッケルが気になるのか、全然前に出てこないのだ。ならば一度右へ行くと見せかければ恐らく狼も右へと回り込むだろう。右足を踏み込んで地を蹴って左へ。ガランの考えは決まった。


「行くぞ!」


 ガランはシミュレーション通りに右足を踏み出そうと足を踏み出したそのとき。狼は予測と違う動きを見せた。距離を詰めるべく前進してきたのだ。ガランは既に右足を踏み出しており、急には止まれない。そのままよろよろと右へ進み、ピッケルを振り回すが当然当たらない。

 ガランは無我夢中だった。本能がそうさせたのかもしれない。


「ガアアアァーー!」


 ガランは吼えた。狼より先に。さらにもう一度吼える。


「ガアアアァーー!」


 驚いた狼が跳ねるように後ろに下がる。ガランは尚もピッケルを振り回しながら左側に反転。今度こそ逃走の開始だ。

 視界に入る森の中、障害物となる木を避け、少々の藪は無視してピッケルを振り回しながら走る。


 狼は追ってきてるだろうかと右後方に振り向く。狼はいない。視線を前に戻す。大丈夫、障害物はない。今度は左後方に振り向く。やっぱりいない。でも走る足は止めない。怖いから、恐ろしいから。

 斜面の傾斜がきつくなってきたが、ガランはそのまま走り続ける。走って斜面を登る。もう一度右後方を見る。狼はいない。左後方も見る。やっぱりいない。どこまで走れば安全なのか、息が切れそうだが全く判断がつかない。


 だんだん視界が広くなった気がして、急いで左右に視線を泳がせる。岩場があった。大きな岩でもあれば高さが稼げるかもしれない。少し進路を変え、岩場に向かう。

 岩場に近づくと、ちょっとした高さのある崖だった。登れなくはない。すぐさま岩の飛び出た箇所を手がかり、足がかりとしながら登る。岩場には多少慣れてるが、もう息が続かない。


 しっかり立てそうな岩を見つけ、ようやくそこでひと息つく。座ることも、荷を降ろすことも出来ない狭い足場。背負子の下にピッケルを立て、支えさせて休む。

 ガランはザックから水袋を取り出しガブガブと飲んだ。美味い。爺ちゃんたちが飲んでた酒もこんな感じだったんだろうかとふと思う。


「少し休んだら……水場探しかな」


 そう言ってもうひと口水を口に含んで水袋をザックに仕舞う。ついでに干し肉を取り出し、腰のナイフを抜いてひと切れ切り落とすと口に咥えた。


「まだ全然日が高い……もうひと頑張りだね」


 干し肉を咥えたままピッケルを手に、今度はゆっくりと岩場を登る。狼から逃げ切れた安堵感に包まれていた。


◇ ◇ ◇


 それから十日が過ぎた。あれから危険な獣に出会うこともなく、ガランは今、大ウルラス山脈に連なる名も無い山の尾根を歩いている。低い山はすでに三つ越えており、振り返ればその尾根も見えるだろう。


 今歩いている尾根は右が北東、左が南西の筈だが北東の眺めは麓の森林地帯が見えるのみ。南西側もまだまだウルラス山脈の険しい山々が連なっていて先が見通せない。段々と低木が目立ち始めたこの尾根を、もう少し高地に登ればセミュエン王国の平野部が見えるはずである。


 しっかりとした足取りで歩くガラン。ドワーフ族にしては身長がやや高く、体格はドワーフにしてはやや頼りないものの、バランスの良いスリムな体型をしていた。体格も本格的に鉄を打ち始めればもっと太く、逞しくなっていくだろうとの話は聞かされていた。ドワーフ族は成人年齢の前後五年ずつが一般的な成長期であり、成人の平均身長は約一六〇センチで成人年齢は三〇歳。ガランは今まさに成長期を迎えたところだ。


 ガランの目下の悩みは、まだ髭が生えてこないことにあった。

 ドワーフ族は髭を伸ばすのは当然として、髭はきちんと手入れするからこそ見た目が良いと判断されていた。髭にはこだわるドワーフ族である。ガランも当然それは知っており、看取ってきた爺さんたちにも(はなむけ)として葬儀の前には髭だけはきっちり整えてやり、見送ってきた。


 いくつもの別れを経験したせいか、ガランは年数より大人びた顔立ちをしている。顎のラインは髭こそ無いものの、子供らしいふくよかさは抜けている。全体的に掘りが深く、鼻筋も通っていた。眉もやはりドワーフの血を感じさせるほど濃く、太い。

 瞳はブラウン、今は旅の汚れで髪色もブラウンに見えてしまうが、本来は赤毛である。髪も本来は腰まで伸ばし、きっちり三つ編みにするのがドワーフ流である。

 そんな汚れた髪を気にしたのか、ふとガランはつぶやいた。


「あぁー水浴びしたいー。あと腹減ったぁー」


 ガランは食糧も悩んでいた。実際はまだザックの中に干し肉も残っており、塩漬け肉も樽に入れたまま手つかずである。

 しかし道中なるべく狩りや採取で腹を満たし、所持している食糧はある程度長期保存できることから取っておきたい気持ちが強い。


「やっぱ尾根伝いは歩きやすいし安全だけど、水場もないし生き物が少ないよ……」


 凛々しく見えた眉もしょんぼり下がっては台無しである。

 周囲を見渡しながら食べられそうな野草を探すが、詳しい植生を知らないガランが見つけることは難しかった。

 ふと、繁みの奥に動く影が視界に入った。ヤマリスである。拳ほどのサイズだが、その大半は尻尾であり、実際の可食部は少ない。


「あいつ食べれそう……。すばしっこいかな?」


 ガランは一旦足を止め、ヤマリスを確保するべく観察することにした。茂みになった低木の枝から枝へ、忙しく動くヤマリスは、その手に赤い実を掴むと口に入れ、頬袋に詰め込む。

 ガランは低木に赤い実がついてるのを何度も見かけていた。寝床に選んだ大岩の窪みの近くに、同じ物と思われる木の実を見つけて食べてみたのだ。残念ながら渋みが強く、とても食べられるものではなかったが。その観察のおかげか、発見はあった。

 今まで、くくり罠を仕掛けるときは地面に近い場所に仕掛けていたのだが、木の枝を渡るヤマリスなら枝の間に罠をしかければ良さそうだと思ったのである。


 ガランは午後、日が傾き始める前に寝床を探す必要があった。必要であれば沢や湧き水を探し水も確保しなければならない。優先順位はまず水、次に寝床である。

 寝床が確保できたら、周辺にくくり罠を十箇所ほど仕掛け、暗くなる前に夕飯と用足しを済ませていた。

 夜は早めに休み、翌日は早朝に罠を回収して獲物の下処理と調理を済ませる。不要な部位を廃棄して立ち去ることで、次の寝床に獲物の血の匂いを残さないよう心がけていた。夕飯は直火で温め直す程度である。


「今日の夕方に試してみよっと」


 ガランは観察を止め、木の実が付いた枝ごとへし折り、背負子の網に挿していく。そしてそこでもはたと気付いた。


「もしかして……。葉っぱで隠せば寝床も少しは目立たなくなるんじゃ?」


 ガランは、すごい発見をしたとばかりに、自慢気に枝を網に挿す。


「こんなもんかな。いい場所あったら少し休憩にしよう」


 上機嫌でピッケルを突きながら歩き出した。周辺を警戒しながら歩く姿も様になってきた。

 不意に、遠くから木を切り倒すときに聞こえる、破砕音が聞こえた。方角は恐らく右側の斜面から。


 ドドーン……


 大木か、細木であれば複数本同時に倒したような、大きな音がした。こだまが響いて重なって聞こえたのだろうか。誰かが木を切っているのだろうか。

 ガランは確認すべきか、危険と判断し左斜面に逃げ込むか一瞬悩んだ。しかし好奇心には勝てず、音が発生したであろう方角を探すことにした。


 木の根元にしゃがみ込み、幹を抱え込みながら周囲を見渡して、視線を上下左右に向ける。そして見つけた。枝葉に遮られて全体はわからないが、かなり遠くの木々の間を動くものがいた。遠すぎて比較できないが、恐らく人間ではない。黒っぽい大きな動物だと思ったが、それでも大き過ぎる気がした。


「魔物……?」


 ガランは思わずつぶやいた。そしてその自分自身のつぶやきを耳にし、ドクンと心臓が跳ねた。

 北の大森林には魔物が湧く。その大森林とこの地は森で繋がっている。忘れていた訳では無い。実際に見たことが無かっただけ。出会ったことがないのは単なる偶然。運が良かっただけ。

 ガランは一瞬で色々な考えが頭に浮かんだが、言葉にできる単語は一つしか無かった。


「ヤバい……。ヤバいヤバいヤバい! ヤバいよ! ヤバいよ!」


 そうつぶやきながらも、遠くの魔物らしきものから目が離せない。山を登ってきたらと考えただけで恐ろしかったが、山裾の森へ帰っていくかもしれない、と根拠のない願望もあった。少しでも登ってくる気配があれば、例え転がり落ちてでも左の斜面に飛び込もう。そう決心して魔物の姿を目で追う。


 その数瞬後。魔物周辺の枯れ草が舞った。いや、枯れ草だけでない。まだ青い木の葉や、枯れ枝まで舞っている。そう気付いた時には羽ばたきのような音も聞こえ、不意に魔物は舞い上がった。


「もしかして、鳥の魔物……。あんな、大きな、鳥の……魔物……」


 ガランは立ち上がって魔物の姿を見つめる。先程より小さく見えるのは恐らく東へ向かって飛んでいるからだろう。

 ガランはもう休憩どころではなくなった。一刻も早くウルラス山脈を抜けなければ。尾根の左側、南西方向に少しでも進まなければと気持ちが逸る。


「左に降りよう」


 自分に言い聞かせるように声に出し、歩みを進めるガランであった。

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― 新着の感想 ―
細かい描写で、ガラン君の気持ちがひしひしと伝わってきます。 敵わない敵を前にした時の緊張感って、まさにやばい!ですよね。 無事に進んでいけるのかドキドキです!
[良い点] 細かい心情描写は良いと思います。 [気になる点] このエピソード、伏線や今後の展開への事前通告が含まれて無いのであれば、5行で終わる内容だと思います。 あと、この主人公がドワーフである必要…
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