第16話 学びの日々
「『こんにちは、ガランさん。ボクはアッシュです』」
「『こんにちは、アシュリーンさん。オレはガランです』」
「またオレって言ったよ!」
「アッシュだってボクって言った!」
夕食後、ガランの部屋で二人は復習に励んでいる。
ガランはジローデンの提案を受け、ソウジュに留まることを決めた。ひとまずは雪解けの春まで。
ジローデンは二人にまず、アーシア共通語の言葉と文字、精霊魔法について学ばせることとした。アッシュにも有用だからだ。そしてアッシュにはクラックスらベテラン狩人を師とし弓を、ガランには自らが師となり槍を教える。午前は座学を、午後は弓と槍の体術、精霊魔法の実技に充てた。
「オレ、ずっと『オレ』って言ってきたし……。やっぱすぐには難しいね」
「そだよねぇ〜。ボクもなんだか恥ずかしくってさ。大人ぶってるみたいで」
二人は書きつけた紙を床に置き、揃ってガランのベッドへ凭れる。
「でも覚えたら爺ちゃんの銘板、読めるから頑張るんだ!」
ガランはジローデンから、旅立ちが決まるまで祖父の銘板を見ることを禁じられていた。目標にしたほうが励みになると教えられたのだ。ガランも他人に読んでもらうより自身で読みたい、と素直に受け止めていた。銘板は大事に手ぬぐいで包み、遺灰の壺を入れた小箱と共に仕舞ってある。
「槍の方、どう? ボク、結構当てれるようになったよ!」
「いいなぁ。オレ、すぐ振り回しちゃって。ピッケルじゃ駄目なのかなぁ……」
得意気なアッシュの表情とは対象的に、ガランはしょんぼり眉で部屋の片隅に置いてあるピッケルを見る。
「ボクらが追いかけられた魔物、さ。早かったじゃん?」
「早かった」
頭の中で何か思い出してるのか、アッシュは天井を見上げながら続ける。
「向かってくる猪なんかも早いんだ〜。ピッケルで上とか横から狙っても、振り回したら多分、当てるの難しいと思う」
「ジローデン先生にも『突いたほうが当たる』って言われた……」
「でも、ま! ガランは足も早いし、すぐ上手くなるよ!」
「アッシュは当てれるからいいよね……。オレも身を守るためにやるけど」
「頑張ろガラン! ――あ、そうだ!」
そう言ってアッシュが勢いよく身体を起こす。
「何?」
「族長から、母さんを説得して来いって言われてたんだけど、ガランも一緒に行く?」
アッシュは説得する内容は言わず、ガランにそう提案する。
「違う地区だっけ。行ってもいいなら行きたいかも!」
「じゃあ明日、ジローデン先生に聞いてみよう。明日はアレもあるし」
「アレって?」
「蒸し風呂! 明日から使えるんだ〜。薪の乾燥小屋の整理手伝ったからさ! 最後の方だけど明日使っていいんだよ!」
ソウジュでは炭を焼くときの余熱を利用して、春と秋の二シーズンだけ蒸し風呂が開かれる。冬の備蓄を兼ね、来年炉窯で使う炭を準備する時期に入った。火の工房の焼窯の裏の小屋に戸が立てられ、明日から炭を焼くと知らせがあったのだ。里の皆も楽しみにしている。
ただし順番制で時間の指定もあり、毎日は利用できない上、一度に入れるのは四人までと狭い。ちなみに工房は真冬には基本稼働しない。薪不足になる懸念もあるからだ。
「よくわかんないけど、明日になればわかるか」
集落に蒸し風呂がなかったガランは首を傾げるが、アッシュが嬉しそうな顔をしているので、きっと面白いことなのだろうと自分も楽しみにすることにした。
翌日。アッシュは、北門での修練を早めに終えると、リリアンらを革作業所に迎えに行き、火の工房へと向かっていた。母に合いに行く許可は既に得ている。三日後だ。
その頃ガランは火の工房の裏で、剣の素振りならぬ槍の素扱きを黙々と行っていた。槍を両手で持って左手を前で構え、右手で突く。逆に右手を前にして左手で突く。左右の反復を延々と続けられるだけの手の厚みは、既に鍛冶で出来上がっている。それがなければ半刻と持たず手の皮が剥けただろう。
ジローデンはガランのその動きを時折修正していく。
「では今の動きと同じように、扱くのではなく、両手で槍をしっかりと持って、突いてみてください」
「はい!」
ガランは元気良く返事を返し、勢いよく両手で突いてみるが、途端に動きが悪くなる。穂先がブレ、身体が泳ぐ。
「ああ……」
「情けない声を出してはいけません。体の動かし方さえ掴めれば突けるようになります。左前の時は手首と右肘の角度も重要です。左手が前にある分、右肘を伸ばしすぎれば穂先は踊るものです」
「はい……」
「まずはゆっくり、槍を真っ直ぐ動かすことを意識することです。勢いをつけるのは体の動きを知ったその後で。……さて、リリアン達も来たようです。終わりましょう」
実はアッシュら三人は少し前に到着していた。ガランの修練をこっそり覗いていたのだ。
「はい! ジローデン先生、ありがとうございました!」
「はい。ではまた明日」
ジローデンは微笑みを浮かべガランに告げると、リリアンらに右手を上げ、工房の表へと向かった。
「「ジローデン先生また明日!」」
ガランとアッシュはジローデンに手を振る。
「ガラン、頑張ってるみたいね」
ロビンが笑顔でそう言うと、洗面桶を持ったリリアンも告げる。
「カッコ良かったわよガラン。じゃあ蒸し風呂、行きましょう」
「はい!」
四人はそのまま工房裏を半周する形で最裏手へと回る。角を曲がると、まるで通路を塞ぐように衝立てが立っていた。衝立てには手ぬぐいが掛かっている。
それを見てリリアンが皆に告げた。
「ちょっと早かったみたい。座って待ちましょう」
見れば、建物を背に座れるように簡素な長椅子が置いてある。腰を下ろすと会話をする間もなく、衝立てから手ぬぐいが取られ、ずらした衝立てから男女四人が現れる。
「あら、お待たせ。どうぞごゆっくりね」
女性の一人がリリアンらに挨拶を告げ、リリアンも返す
「平気よ。今来たところなの」
そして男性がガランを見て声をかけた。
「やあ坊主。ゆっくり楽しめよ。のぼせないようにな!」
そういって意味深な笑みを浮かべ、右手の親指を立てた。途端に一緒にいた女性達から頭を叩かれ、スネを蹴られる男性。
ガランは訳が解らず、曖昧に頷くに留めた。それは賢明な判断だったと数年経てば気付くことになるだろう。なるはずだ。
リリアンのみが苦笑いし、右手を上げ、四人と別れる。
衝立て内には、板がすのこ状に引かれた脱衣場と、湧き水を貯めた水汲み場があった。水汲み場周辺は井戸の洗い場のように石が敷き詰められており、柄杓まで用意してある。
リリアンは衝立てを戻すと、手ぬぐいをそこに掛ける。利用中の印だ。そして洗面桶から布を取り出し、皆に配る。
「ガラン。これに着替えて」
ガランは渡された布を広げてみる。身体の幅より少し広く、身の丈ほど長さの中央に切込みが入った布。よく見れば左右の端にそれぞれ二本ずつ紐が伸びている。
「切れてるとこに頭入れて、体の横で紐を結ぶんだよ!」
アッシュがそう説明を添える。
「なるほど! わかった!」
ガランが納得すると皆も着替え始めた。
リリアンは二児の母。ロビンは双子の兄がいる。アッシュは前世が男性の記憶を持つ。皆、ある意味で異性の身体を知っている。知らないのはガランのみ。若干の違和感を覚えつつ着替え始めるガランだったが、何故か憚られる気がして皆に背を向ける。
「あら。ガランの背中ってすごいのね」
ガランの背中を見たロビンが思わずつぶやく。
「あ、これ?」
ガランは己の背中を振り返るように目を遣り、ロビンに応える。
「これ、鬣って言うんだって! 珍しいってじいちゃんが言ってた!」
ガランの背には、うなじから背の中央にかけ、逆三角形を引き伸ばしたかのように柔らかな産毛が生えていた。
「へぇ~。なんかカッコ良いね!」
アッシュが着替えながらも感想を伝える。
「さて、いよいよね! じゃあ入りましょ。中で使い方を教えるわ」
着替え終わったリリアンの宣言で中に入る四人。
「うわ、暑っつい!」
ガランは思わず声に出す。鍛冶場の熱気とは違い、中は蒸気で満たされ蒸し暑い。左右に並んだ長椅子に、焼窯に近い奥にリリアンとロビンが座り、リリアンの横にガラン、ロビンの隣にアッシュと続く。
「これが蒸し風呂!」
アッシュが笑みを浮かべそう告げる。
「へぇ……。窯の後ろをこうやって使うのか」
ガランは小屋の中、あちこちを見渡す。白い漆喰で厚く塗られた窯の中央が台状に出っ張り、その上に石がいくつか並んでいる。左奥には水の入った長桶が、部屋の中央には砂が敷き詰められた桶が置いてあった。
「さてさて。ではもう少し」
リリアンは長椅子の下から火ばさみを取り出し、窯の上の石を一つ掴むと砂の入った桶に入れる。砂は湿気っていたのか、ジュウという音と共に蒸気を上げる。途端に上がる熱気。
「おぉ……! 割れないんだね、この石」
ガランは鍛冶場の経験から熱した石に水気が飛ぶと、割れたり爆ぜたりすることを知っていた。しばらく観察し、自身が汗まみれになっていることに気付く。蒸気の湿気と汗で、身に着けた布が身体に張り付いてくる。
「汗が出てきたら体を擦ると良いわ。垢がよく落ちるの」
リリアンはそう言いながら自身の腕や首元を手のひらで擦り、身に着けた布の隙間にも手を入れる。なるほどとガランも体を擦ってみた。これは確かに気持ちがいい。四人それぞれ体を擦る。皆、気持ち良さそうに笑顔が溢れた。
「次だよ次! 身体も熱くなったところで外の水場だ! ガランも来て!」
アッシュに手を引かれ、外に出る。アッシュは早速柄杓で水を掬い、身体へ掛けて垢を流す。もちろんガランも真似をする。水の冷たさが火照った身体に心地良い。
「これを繰り返すんだ〜」
布を身体に張り付かせ、またも小屋に入る二人。入れ替わりでリリアンとロビンも水を浴びる。張り付く布が体のラインを浮かび上がらせることをまるで気にしない。
しばし四人は蒸し風呂を堪能し、帰宅の途につく。
「いやぁ〜。『整う』ねぇ〜」
アッシュのしみじみとした言葉を聞きながら歩くガランであった。
お読みいただいてありがとうございます。
サウナといえば「整う」ですよね。




