02.剣道大会
高らかに笛の音が聞こえた。
審判の白い旗が上がった。
白線で蹲踞した勝者の顔には、嬉しさは無かった。
-全国中学生剣道大会 個人決勝戦-
史上初の3連覇を成し遂げた亜錬は、着替え室で男に呼ばれた。
「北川君だね。私は大会事務局の者だ。着替えたらちょっと来てほしいところがあるんだ」
「はぁ、」
「外で待ってるから、早めに頼むよ」
そう言って、男は部屋を出ていった。
亜錬がドアを開けると、男は携帯で誰かと話していた。
「お待たせしました」
「帰るとこ悪いね。こっちだ、ついてきてくれ」
男はある部屋の前で立ち止まり、扉をノックした。
「総理、大会運営の山下です」
「いいぞ、入ってくれ」
「えっ、総理?」
男がドアを開けると、部屋の奥のソファーに座っているのは、間違いなく内閣総理大臣、その人であった。狭い部屋の中にスーツを着た複数の男達が立っていて、鋭い眼光で亜錬を睨んでいる。腰のベルト付近に、拳銃がチラリと見えた。
内閣総理大臣、伊藤司。
ネットニュースでよく見るその人は、突き出たお腹でハゲていた。
動画で見たまんまだ。
「北川君!凄いよ、大会三連覇!いやー、見事という他ない。素晴らしいよ、ワッハッハ」
伊藤総理は立ち上がると、優勝した亜錬の肩を何度も叩いた。
しかし、急に顔を近づけて耳打ちする。
(今日は精細を欠いていたね。相手が袴を踏んでバランスを崩さなかったら、勝負の行方はわからんかったよ)
亜錬はぎょっとした目で、総理を見た。
総理はニンマリしながら言った。
(こう見えて、私は五段なんだよ)
この男の言う通りだ。
今日の決勝戦は、負けてもおかしくない薄氷の勝利だった。
夢にうなされて朝起きたダメージが、そのまま残った戦いだった。
伊藤総理は、大の剣道好き。多忙なスケジュールを調整して、中学、高校、社会人の個人決勝戦だけは毎年欠かさず会場に見に来ていた。
ましてや、今日の全中個人戦は史上初の3連覇がかかった一戦。
見に来ないはずがない。そして、期待通りの一本で優勝を決めたヒーローに、どうしても会いたくなったということのようだ。
「あっ、ありがとう・・・ございます」
「まー、とにかく座ってくれ」
ソファーに座った亜錬の前に、湯気の立つコーヒーが置かれた。
「高校は決まったのかね?」
「家の近くにある高校に、」
「無論、剣道部はあるんだろうな?」
総理は、少し怖い顔になっていた。
「ええ、一応あります」
「そうか、そうか、それを聞いて安心したよ。高校生になった君の雄姿を大会で見れないなど、あり得ないことだからな」
アレンは角砂糖を入れてかき混ぜ、熱いコーヒーを一口飲んだ。
「高校はレベルが違いますから、」
「何を言うか。君は10年、いや100年に一人の逸材だ。君に勝てる高校生など、私の知る限り存在しないよ。ワッハッハッ」
ドアが開けられ、腕章してカメラを持った男が入ってきた。
「北川君、わしと記念撮影をしてくれんか。官庁向けの広報誌に載るそうだ」
気乗りしない亜錬を立たせ、壁際で総理とアレンは並んで記念撮影をした。
すぐにカメラからSDカードが取り出され、テーブルに置いてあるノートパソコンに入れられた。
「確認してもらえますか?」
腕章の男がパソコンを開け、電源を入れて何やら操作すると、今撮影した写真が画面に出た。
「なにを確認すればいいんでしょうか?」
「自分の顔をよく見て、気になるところがあれば言ってください。こちらで修正しますから」
言われるまま、パソコンの画面を覗き込んだ。
不機嫌そうな顔をした自分が写っている。
対して、総理は自然な満面の笑み。一瞬でこの顔とは、さすがに撮影慣れしている。
「こんな顔でよければ、僕は問題ありませんが」
「そうですか、わかりました」
腕章の男はすぐにパタンとパソコンを閉じ、手に持って部屋を出ていった。
「総理、そろそろお時間です」
部屋の隅にいた眼鏡の男が、総理に声をかけた。
「うむ、」
総理は立ち上がると、
「じゃ北川君、私はこれで失礼するよ」
そう言い残して、総理と部屋にいた数人の男達はドアの向こうに消えた。
大会運営の山下は、いつのまにかいなくなっている。
さっきまで大勢いた部屋は、あっという間に亜錬一人になった。
静寂が一気に部屋を包み込む。
「ふぅ、」
小さくため息をつくと、飲みかけのコーヒーカップを残したまま亜錬は部屋を出た。