8「俺、バカだけど、先生だからよ」
「俺も、全部が分かってるわけじゃないんですけど……」
後日。
部活の時間にキバルから呼び出された馨は、彼に事のあらましを説明していた。兄は全身打撲で入院、チーム黒槍の連中の何人かが警察に引っ張られた――それだけしか今の彼は知らない筈であるからである。
「最初におかしくなったのは、黒槍の幹部である岸部浩輔だそうです」
「あの金髪ツンツン頭の男か?」
「はい。あの見た目ですけど、結構慎重派で保守的な考えの人間だったらしくて。自分から、危ない道に首突っ込んだりするようなタイプじゃなかったらしいんですよ。ましてや、ドラッグと言えば尚更に」
他の二チームと違い、黒槍では恒常的にドラッグが蔓延していたらしい。依存性が強いものから、オヤツ感覚で楽しめてしまうものまで。その殆どが脱法ドラッグの類だった。それとは別に覚醒剤や大麻、シンナーを吸っていた奴も数人いたとかいないとか。
要するに、突然性格が変わったり、言動がやや過激になる人間がいることそのものはなんらおかしなことではなかったという。ただ、岸部は元々臆病な方で、強いドラッグにはほとんど手を出していなかったとのこと。それが、最近になって突然明るくなり、テンションも高い性格になり、髪も染めて素行が派手になったそうだ。彼の新しい性格を面白がった数人の取り巻きと共に、黒槍の上層部の意思も無視して好き勝手な行動が目立っていたのだという。
その彼が、どこからか仕入れてきたという“ドロイド・マージン”という薬。それが安価でありながら弾けるようにトリップできるということから、彼を中心に一部のメンバーで流行し、他の幹部や頭にも収拾がつかないような状況になっていたというのだ。
おまけに、彼は他のチーム・蒼天山の幹部である狭霧誠にまでそれを勧めて仲間に引きずり込んでいた。狭霧誠は安価なその薬を相当な高値で売り付けられており、しかも酷い中毒者に落ちたせいで凄まじい借金を背負わされていたという。
チーム内のもめごとというだけなら、浩輔一人にケジメをつけさせれば済んだこと。が、それが敵対しているチームの幹部を巻き込んだともなれば大問題である。一体どう始末をつけるのか、黒槍の幹部会で話合っていた最中――今回の事件が起きたというのだ。
「兄貴はめっちゃ喧嘩強いんです。普通に戦ったら、あんな奴らに負けたりなんかしない。多分その時は、薬とお酒でべろんべろんにされてたせいで、まともに喧嘩ができなかったんじゃないかなって話で……」
借金を返せなくなった狭霧誠を、四人がかりでリンチして監禁。金を調達するために弟の馨を呼び出して――というのが事の真相であるらしい。
「ドロイド・マージンね……露骨なネーミングだな」
ぼそっと意味深に呟くキバル。
「それで、その捕まった連中と兄貴はどんな具合なんだ?」
「それが、不思議なんですよ。なんかドラッグを使われてたのも使ってたのも間違いないしそういう痕跡もあるのに……兄貴の体内から、何の違法薬物も検出されなくて。ていうか、岸部浩輔もそれは同じだったらしくて。しかも……全員が、ここ最近の記憶を全然覚えてないっていうんですよ。兄貴に至っては、ドラッグにハマった以前に、岸部浩輔と会った記憶もないとか言う始末で。何なんですかね、あれ」
「マジか。そりゃ不思議だな」
「あ、ちなみに岸部浩輔、股間が結構イタいことになってらしいんですけど、やったの先生ですか?」
「う」
ものすごい勢いで、キバルが視線を逸らした。まあその態度が答えのようなものだろう。先生の脚力でキックされたらそりゃ怪我もするよな、と馨は思う。気の毒だが、正当防衛なのだからどうしようもないだろう。本人が何も覚えていなかったとしても、兄を捕まえてボコって監禁していたのは事実なのだから。
「……俺だって、やりたかなかったよ」
グラウンドのベンチに腰を下ろし、がっくりと項垂れるキバル。
「ほらよく言うだろ、痴漢や変質者は股間キックするのが有効だぞって。理屈はわかるが、あれはやる方も勇気がいる。だって自分の足にこう……こう、あのむにっとしたおぞましい感触がダイレクトに伝わるんだぜ?ズボンごしだったからまだよかったけど、あれが裸の変質者だったりしたら余計無理だろ、まじきもいだろ。しかも俺も男なもんだからその痛みもリアルに想像できてよりしんどいというか自分の股間も痛くなるような気がするというか相手が悪いのはわかってるんだけどものすごいごめんなさいごめんなさいすみませんって気持ちになるというかもうほんとしんどいというか、なんで少年漫画とかで敵が互いの股間を狙わないのかめっちゃ分かるというか、な!?」
「……とりあえず、めっちゃしんどい経験だったってことはわかりました」
元々喋るのが嫌いではない印象のキバルだが、ここまで早口にまくし立ててくるのは初めてである。よっぽどトラウマを刻んでしまったらしい、と思うと同情しかない。ましてや、自分がピンチになったせいで彼が助けに来る羽目になったのだから、尚更である。
「その、先生」
カーン!と甲高い音が響く。野球部が練習する場所も、同じグラウンド内にある。ヒットでも打ったらしい。いいぞー!という教師らしき男性の声がセットで響き渡る。実に平和で、のどかな光景だ。あんなことがあった後だとは思えないほどに。
「改めて、お礼言わせてください。本当に、ありがとうございます」
ぺこり、と頭を下げると。すぐに頭をくしゃっと撫でられた。気にすんなよ、という明るい声が頭上から降ってくる。
「教え子を体張って守るのが先生の仕事だ。俺は体育の先生だからな、特にみんなの盾になって守るのは当たり前のことだ。気にするな」
「よくあの場所がわかりましたよね。先生が元ヤンだったことと関係があるんですか?」
「あー……まあそんなとこだな」
キバルが、学生時代に相当ヤンチャしていたのはみんなが知っていることである。本人から不良の世界に足を踏み入れたわけではなく、目つきが悪い外見からガンつけていると誤解されてやたら不良に絡まれ続け、それをぶちのめしていたら地元の古参チームにスカウトされてしまったという流れであったらしい。今はそのチームは解散しているらしいが、そのツテやコネはまだあっちこっちに残っているのだろう。そこから今の“不良抗争の力関係”や“不良達がたまり場にしている場所”などの情報を得ていてもなんらおかしくはあるまい。
不良だの、ギャングだのと聞けば、良いイメージを持たない人間が圧倒的多数だろう。だが、半グレと呼ばれるほど悪質な行為に及んでいるわけでもなく、少しマナー違反にバイクを走りまわしたり、喧嘩を繰り返してしまったりといった程度の組織であることも少なくない。実際、蒼天山も不良の一角と数えられてはいるが、やっていてることは精々“売られた喧嘩を買う”ことと“揃いの蒼を纏って町を練り歩く”くらいなものである。
学校という枠組みの中でうまくやっていくことができず、結果学校の外に居場所を見出して“不良”と呼ばれる生徒になってしまう少年少女も少なくはない。そしてそんな彼ら彼女らにとっては、世間一般にあまり認められないギャングチームこそ、かけがえのない居場所の一つだったりもするのだ。何が善で何が悪かなど、簡単に一つの基準だけで図れるものではないのである。
何よりどんな場所であれ、真の友を得られて今でも繋がっているというのなら――その絆は間違いなく、かけがえのないものなのだろう。キバルのことを煙たく思う人間もいると思っているが、“だからこそ”そんな過去の繋がりをも自分の糧にして教師として生きていくキバルをカッコイイと思う人間もいるのだ。馨もまた、そんな生徒の一人なのである。
「社会のルールから外れちまったり、決まった枠組みの中に収まれなかった奴らを不良って言うのもわかる。犯罪はやったらダメだし、迷惑だって感じるのも当然っちゃ当然だ。でもな。そんな場所があるからこそ、そいつなりに頑張って生きていけるんだって奴もいるんだよな。みんながみんな、人と同じことができて、同じだけ頑張って成果を上げられるわけじゃないんだからよ」
だからよ、とキバルは言う。
「俺はどんな場所でも、そいつが“本当の友達”を見つけて、“幸せ”になってくれればそれが一番だって思うんだ。狭霧、お前にもいるだろ?そんな友達が」
「……はい」
「先生の言うことや、学校のルール、法律。そういうもんの中に、どうしても納得できないことがあったら……俺に話してくれよ。俺、バカだけど、先生だからよ。バカなりに真剣に考えて答えを返してやる。兄貴に憧れるのはわかるが、不良の世界ってのはお前が思っているよりも“大変”なもんだからなぁ……」
「……そう、なんでしょうね」
今回の一件で、いろいろと身に染みてわかったことがある。
自分が見たものが全てではない。悪い人間ばかりではない。それでも、不良の世界には怖い人もたくさんいる。いくら兄の強さに憧れていても、安易に飛び込んでいっていいものではないのだ、と。
『此処まで一人で兄貴助けに来る勇気を持つ奴が、弱いわけねぇ。そもそも本当に弱い奴てのは、力がない奴のことじゃない。自分の弱さを認める勇気がねぇ奴のことを言うんだ。お前はそれがある。臆病者でもなんでもねぇよ』
キバルが言っていた言葉を、脳内で反芻する。
強さとは、ただ拳で戦うだけを言うわけではない。もっと大事な強さが他にはあるのだと、そう己も信じていいのだろうか。
いつか自分も、彼のように強くなれる日が来ると、そのために頑張ってみてもいいのだろうか。
「……また何かわかったら、話してくれや。兄貴の見舞いにも行きたいしな」
よし、とキバルは立ち上がる。今はみんながドリブル練習をしている中、二人で抜けさせて貰って話をさせてもらったのだ。そろそろ次の練習に以降する時間だろう。
「お前の兄貴が、お前そっくりの顔で助かったぜ!兄貴の顔知らなかったからなー俺。見分けつかなかったらどうしようと思ってた」
「昔から言われます。俺達、どっちもじいちゃんにそっくりらしくて」
「マジか!はっはっは」
あの先生、と。馨は尋ねかけて――言葉を飲み込んだ。
実は、キバルにまだ一つだけ言っていないことがある。それは、キバルが大立ち回りをしたあの日。一度建物の外にまで連れ出された馨だったが、どうしても心配になってすぐにホールまで戻ってきてしまっていたということである。
ようするに。通路の影からずっと見ていたのだ――キバルが“魔法少女”に変身するところも、魔法らしき力で敵をやっつけるところも、浩輔の後ろから飛び出してくるオバケのような存在も。
――いろいろ訊きたいことはあるけど……これ、言わない方がいいやつだよね?先生、誰にもバレてないと思ってるだろうし、というかバレたくないだろうし。
いくら女体化したとはいえ、中年男の自分が変身して魔法少女になって戦った、なんて。本人からすれば、黒歴史以外の何物でもないだろう。ましてや、教え子には一番見られたくない、知られたくないものであるはずである。
――し、しばらく黙ってよう、うん。先生が憤死しかねないし……。
「おい、どうした狭霧。話終わったから、お前も参加していいぞ?」
「は、はい、ソウデスネ……」
「?」
何も知らないであろうキバルは。今日も元気に明るく、おっさん教師をやっている。