「悪の総大将よ、早よ改心なされ」と「悪に与(くみ)している皆様、弱みを握られて仕方なくでも進んで与したのだとしても、最後の最後、九分九厘の所でお裏切り下さい。その裏切りが世界を救うかも知れません」
1.
「二二は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらはす代となれる」
『ひふみ神示 第一巻 上つ巻』第一帖より
――― 解説&所感 ―――
ひふみ神示の冒頭の言葉です。二二は富士ですが、不二でもあり夫婦でもあります。夫婦円満、皆仲良くが、ひふみ神示の神様が望まれる事です。
2.
「金(きん)では治まらん、悪神の悪では治まらん、ここまで申してもまだ判らんか、金では治まらん、悪の総大将も其の事知って居て、金で、きんで世をつぶす計画ざぞ、判ってゐる守護神殿 早う改心結構ぞ」
『ひふみ神示 第二十巻 んめの巻(ウメの巻)』第二十六帖より
――― 解説&所感 ―――
金(きん)とは、金融の事でしょうか?。
とある大銀行が破綻しましたが、その規模はリーマンショックを超えるとか、超えないとか。
”何かとてつもないもの”が動き出したようですが、私達は”大難が小難”になる事を願う、祈る他ありません。
3.
「悪の総大将は奥にかくれて御座るのぞ。一の大将と二の大将とが大喧嘩すると見せかけて、世界をワヤにする仕組、もう九分通り出来てゐるのぢゃ」
『ひふみ神示 第二十六巻 黒鉄の巻(クロガネの巻) 』第十四帖より
――― 解説&所感 ―――
悪の総大将、第二弾です。
この凶事を『御用の悪』(文末のひふみ神示 紹介の11.を参照)として活かすなら。軍備の強化ではなく、交戦権の放棄が正解になります。
但し、ひふみ神示は七ないし八通りに読めるらしく、また「取り違い禁物ぞ」とありますから、意味の取り違いには”要注意”です。
4.
「この大峠を越してから大いなるタメシがあるぞ、人の心のむつかしさ計り知れん程であるなれど、見て御座れ、見事なこと致して見せるぞ」
『五十黙示録 第一巻 扶桑之巻(ひふみ神示 第三十二巻に相当)』第六帖より
――― 解説&所感 ―――
仮に、マスク着用の義務期間を大峠の一つと仮定します(実際に大峠である根拠は『全くありません』。あくまでも『仮定です』。また、大峠も一つとは限りません)
その場合、『着用が義務でなくなった、これからの期間』が大いなる試しになります。
私見では、着用が義務でなくなっただけで、依然としてその危険性は残ったままなので、マスクの着用は続けるべきかとは思います。
状況は何ら、変わっていないのです。
ただ、これを機に、これを境に、かかる危険性を忘れ去ってしまう人が出るでしょう。
余り、好きな物言いではないのですが”箍が外れる”というものです。
その結果、着用する派としない派と人々が分断される(←「人の心のむつかしさ計り知れん程」)かも知れませんが、いがみ合ってはなりません。
「神と獣と分けると申してあるのはこのことぞ。何事も洗濯第一」
神に通じる心(霊)を取り戻せないと、獣になってしまうのかも知れません。
「先づそなたの中にゐるけだものを言向け合さねばならんぞ。よく話し、教へ、導かねばならん。けものを人間と同じにしようとしてはならん。けものはけものとして導かねばならん」
おそらく、全ての人に神の部分と獣(けだもの)の部分があるのだと思います。神の部分だけの人、獣の部分だけの人はいないと云うことです。
そして、神ではなく獣の部分が優位になると、獣(けもの)に分類されてしまうのです。
今までの宗教では、獣(けもの)は殺されてしまいます。しかし、ここからが「ひふみ神示」の本領発揮、素晴しいところです。
「けものはけものとして導かねばならん」からの
「上も下も天地そろうてよくなりて世界中の臣民、けものまで安心して暮らせる新の世に致すのざぞ、取り違へするなよ」です。
どうですか、皆様。私がくどくど説明しなくても、その素晴しさは十分伝わった事と思います。
なぜなら、万物には神に通じる心(霊)があり、皆様全員にもそれがあるからです。
そして、上記の言葉にある素晴しき新たな世をつくるのは、神様だけではありません。
神と、神に通じる心(霊)を取り戻した人、『神人(かみひと)共に』なのです。
そのためには、より多くの人がひふみ神示を理解する必要があります。
5.
「薬飲んで毒死せんように致しくれよ、薬は毒、毒は薬ぢゃ、大峠にも登りと下りとあるぞ、馬鹿正直ならん、頭の体操、ヘソの体操大切ぞ」
『五十黙示録 第七巻 五葉之巻(ひふみ神示 第三十八巻に相当)』第七帖より
――― 解説&所感 ―――
大峠にも登りと下りがあるのだそうです。
薬と毒に関しては、よく判りません。参考として、他の言葉を載せておきます。
「その人その人によって、食物や食べ方が少しづつ違ふ。身体に合わんもの食べても何もならん。かえって毒となるぞ。薬、毒となることあると気つけてあろうが」
これは、直接的には食べ物ですが、何らかの密意が込められている気がします。
「人民は早合点、我よしで神示よむから皆心が出て了ふて、誠知らしたこと毒とならん様 気つけておくぞ。薬のんで毒死せん様に気付けよ」
ここでは、ひふみ神示により知らされた真実(薬)を取り違える事により、読んだ者にとっての毒にならないようにと警告しています。
6.
「何も知らん臣民に、知らんこと知らすのざから、疑ふは無理ないなれど、曇りとれば、すぐうつる、もとの種もってゐるのざから、早うこの神示読んで洗濯して呉れよ、どんな大峠でも楽に越せるのざぞ、神の道は無理ない道ざと知らしてあろが」
『ひふみ神示 第八巻 磐戸(一八十)の巻 』第十七帖より
――― 解説&所感 ―――
知らんこと知らすとは、ひふみ神示により明かされる事を意味します。
もとの種もっているとは、人も全員が神の子(文末のひふみ神示 紹介の5.を参照)であり、故に全員が『神に通じる心(霊)』を持つ事を意味しています。
洗濯してくれよとは、その前の「知らんこと知らすのざから、疑ふは無理ないなれど、曇りとれば、すぐうつる」に掛かっています。
「知らなかった事だから疑うのは無理ないが、懐疑心ではなく素直な心(←曇りとれば)でひふみ神示を読めば、神に通ずる(←すぐうつる)」、
神に通ずるのは、それは皆様がもとの種(→神に通じる心(霊))を元々持っていたからに他なりません。
そして、神に通じれば「どんな大峠でも楽に越せるのざぞ」となるのです。
あらすじにて、
「ひふみ神示を読む事により、神に通じる心(霊)を取り戻すことです。そして、より多くの人がそれを取り戻す事により、混沌としている今の世の中を乗り切る、とても大きな鍵になると私は見ています」
と述べましたが、その事を6.の言葉が見事に表しています。
7.
「ひふみゆらゆら。
ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。
ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。ひふみゆらゆら。」
『ひふみ神示 第二十六巻 黒鉄の巻(クロガネの巻) 』第三十九帖より
――― 解説&所感 ―――
ひふみ神言です。
「ひふみゆらゆらと一回二回三回となへまつれよ、蘇るぞ」
ひふみゆらゆらと一回二回三回と、計六回唱へると心の病が治るのだそうです。
「一二三の食物に病無いと申してあろがな、一二三の食べ方は一二三唱(十七)へながら噛むのざぞ、四十七回噛んでから呑むのざぞ、これが一二三の食べ方頂き方ざぞ。神に供へてから此の一二三の食べ方すれば何んな病でも治るのざぞ、皆の者に広く知らしてやれよ。心の病は一二三唱へる事に依りて治り、肉体の病は四十七回噛む事に依りて治るのざぞ」
食べる時は四十七回噛んでから呑むと、肉体の病が治るのだそうです。
「一たべよ、二たべよ、食べるには噛むことぞ、噛むとはかみざぞ、神にそなへてからかむのざぞ、かめばかむほど神となるぞ、神国ぞ、神ながらの国ぞ。かみながら仕事してもよいぞ」
(ᐢ ᵕ ᐢ)。
8.
「悪の総大将よ、早よ改心なされ、悪の神々よ、早よ改心結構であるぞ。いくら焦りてあがいても神国の仕組は判りはせんぞ。悪とは申せ大将になる身魂、改心すれば、今度は何時迄も結構になるのぞ」
『ひふみ神示 第十一巻 松の巻 』第十四帖より
――― 解説&所感 ―――
悪の総大将、第三弾です。
悪の総大将でも、心からの改心であれば「許してよき方に廻してやるぞ」なのだそうです。
『御用の悪』(文末のひふみ神示 紹介の11.を参照)として活かす事が、全ての世界・全てのものをお生みになられた大神様(紹介の5.を参照)の御旨です。
「悪に与している皆様、弱みを握られて仕方なくでも進んで与したのだとしても、最後の最後、九分九厘の所でお裏切り下さい。その裏切りが世界を救うかも知れません」
上記のものは、ひふみ神示そのものではなく、私の直感です。
ひふみ神示の「残る一厘は悪の中に隠してあるぞ」から連想したのですが、見当違いの可能性が高いです。
そして、悪の総大将なら、いつ改心しても良いのでしょうが、悪に与する者が裏切る事はた易いことではないのと、前述の残り一厘から九分九厘の所でとしたのです。
悪の総大将でも悪に与する者でも、全員救われる事が大神様の御旨だと思いますので……
最後に、「大難を小難に……」とひふみ神示の紹介を載せておきます。
※「大難を小難に」は、あくまでも参考意見としてお読み下さい
――― 大難を小難に…… 抜粋 ―――
神に通じる心(霊)を取り戻すことにより、”大難を小難にまつりかへる”のです。
そして、神に通じる心(霊)を取り戻すには、様々な方法があると思いますが、やはり『ひふみ神示』を読むことをお奨めします(ᐢ ᵕ ᐢ)。
なぜなら、こんなに素敵な神々様が登場するのですから(ᐢ ᵕ ᐢ)。
最後に、大難を小難にする、ヒントになる様な文言を紹介します。
「大難を小難にすること出来るのざぞ。神も泥海は真っ平ぞ、臣民喜ぶほど神うれしきことないのざぞ」
「神示で知らしただけで得心して改心出来れば大難は小難となるのぢゃ、やらねばならん、戦は碁、将棋、位の戦ですむのぢゃ、人民の心次第、行ひ次第で空まで変ると申してあろがな、この道理よく心得なさりて、神の申すこと判らいでも、無理と思ふ事も貫きて下されよ、これがマコトぢゃ」
ありがとうございます。
――― 大難を小難に…… 抜粋 終 ―――
――― ひふみ神示 紹介 ―――
ウィットと慈愛にとても富まれだ神様がおろされた『ひふみ神示』について、
解説&私なりの解釈(以下の帳に沿うことを旨とした)で考察した内容を記します。
「わるき言葉は言ってはならんぞ。言葉はよき事のために神が与へてゐるのざから忘れん様にな」 『ひふみ神示 第二巻 下つ巻』第五帖より
1.神様からのお告げを書き留めたのが『日月神示』で、これは数字や記号が多く含まれていたのでそれを解読して、人にも読める様にしてものが『ひふみ神示』
2.お告げをされたのは天之日津久神様と言って、記紀(『古事記』『日本書紀』)で語られている神様
3.神様曰く、神示は七ないし八通りに読めるらしい
4.『全てのものに神様が宿る』(日本古来の神道と同様)、それで身体の中心には神様がいて、『ひふみ神示』ではもっと大きな存在として大神様がいる
5.大神様は天の大神・元津神・スの神様と呼ばれていて、全ての世界・全てのものをお生みになられた→故に人も全員が神の子
6.全ての世界は神示では三千世界と表され、それを三つに大別したものが三界(神、幽、現)。人は現界に属する
7.大神様は、子供である人が喜ぶこと・幸せになることが最大の喜び。そして、人が常により良く成長することを望まれている
8、人からは全知全能に見える大神様も、実は成長しつづけている
9、神も、人も、世界も、宇宙も、総てがいつまでも未完成→全てが永遠に成長しつづける→すべては唯々、より良くなっていく
10.人の最大の使命はすべてを受け入れ、それを丸く(良くなる様に)収めること→全てを活かす。そして、人が常により良く成長すること
11.神様は人の世でいう処の悪も存在を許し、愛されている→極論すると、悪が1つも無ければ良くなり様もない?
「悪があってもならぬが、悪が働かねばならない」→神示における『御用の悪』→悪を認識して良くなる様にする(反面教師?として活用)
「外道の悪 殺すでないぞ。抱き参らすから消えるのであるぞ」←悪を認識して良くなる様にする
「三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の、平和を求め願ひしも、それははかなき水の泡、悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪は益々ふへるのみ、悪殺すてふ其のことが、悪そのものと知らざるや」→悪を殺さず、悪を活かして良くなる様にする?
12.神様は。悪をにくむと悪になってしまい道から外れて(→外道)しまうので、そうならない様に気をつけ皆で仲良くする事を望まれている
「悪にくむこと悪ぢゃ。善にくむより尚悪い」
「悪憎むでないぞ、憎むと善でなくなるぞ」
「悪にくむは外道の善」
「調和乱すが悪ぞ」
「悉くの行為が批判され、賞罰されねばならぬと考える地上人的思念は、以上述べた神の意志、行為、弥栄と離れたものである」
「みなが仲よう相談なされよ。相談結構ぢゃなあ。相談して、悪いことは気つけ合って進んで下されよ」
「皆仲よう相談して悪き事は気付け合ってやりて下され、それがまつりであるぞ」
――― ひふみ神示 紹介 終 ―――
「神に通じる心(霊)を取り戻すには~『ひふみ神示』を読むことをお奨めします」とありますが、それは原文の『ひふみ神示』を指しています(お読み下さいと奨めている『ひふみ神示』は全てがそうです)。
ひふみ神示では、神に通じる心を1文字の特殊記号で表しており、拙作のものでは全ての特殊記号が抜けているからです。
※原文の『ひふみ神示』は、Web検索で「 ひふみ神示 全文 」で見つかると思います。