死の罠の人命救助2
燐光の中に浮かぶ小山のような影。
それに牛の角が生えているのが見える。だが……。
「……動かないな……」
「……なんか変じゃない?」
「……あれ、倒れてるのか? 岩か何かに寄りかかって……」
「……見つけたのは行き倒れた冒険者じゃなくて行き倒れた怪物ってわけ?」
俺達は足音を忍ばせる。
獣臭が強まってきた。
「……でかいな。普通じゃない」
「……不死身のミノタウロスってこいつのことかしら?」
「多分、な」
「ちゃんと死んでる?」
「この切り刻まれた体でまだ生きてるなら、肉屋に出荷された牛肉だってまだ生きてるって言えるだろうよ。……にしても、なんて切り口だ。どうやったらこんな化け物を……」
「この傷は魔法によるものじゃなさそうね。戦士系の一党が袋だたきにして殺したのかしら」
「……いや、たぶん、これは全部同じ武器によるものだ。恐ろしい切れ味の刀で……しかし一体、誰が……?」
「ちょっと……! こっち来て……!」
「どうした?」
「いたわよ! 死にかけの冒険者! 危ないかも。意識が無い」
「酷い出血だ……太ももの傷が深い。いたのは彼女だけか?」
「そうみたいね。他に倒れている冒険者はいないみたい」
「……この曲刀……もしかして、彼女がこれを? でも、なんで気付かなかったんだ?」
「え? 何が?」
「クモ、お前の魔法だよ。さっき、精神感応では誰も引っかからなかったんだろう?」
「ええ、それは確か。助けを求める声は拾えなかった。だから、ここには誰も居るはずがないのに……」
「それにしても、彼女の仲間は死にかけの彼女をここに置いてどこへ行ったんだ? 見捨てて先に進んだのか?」
「……この装束……そうか、だからなのね……」
「どうした、クモ?」
「わかったのよ。あたしの魔法でこの子に気付けなかった理由」
「ほう? それは一体どういう……いや、それはともかくこの女、はやく寺院まで連れていかないと手遅れになりそうだ。おい、お前、大丈夫か?」
「ちょっと、あまり揺らさない方が……」
と、死んだミノタウロスの傍に倒れていた少女が身動ぎした。
銀色の髪が揺れる。
「……やめよ……盗みは大きな罪なれば……」
「盗み? 勘違いしないでくれ、俺達はお前の装備や所持品を漁りに来たわけじゃない。助けに来たんだ」
「……だから……命を盗む者には報いがあると言っている……」
「うん? 何を言っているんだ?」
「サトシ、この子は死の女神の信徒……いや、多分、申し子と呼ばれる階層に属しているんだと思う」
「死の女神の申し子? それは死の女神を信じる僧侶みたいなものか?」
「もっと希少な存在よ。そして、彼女は自分を助けるなって言ってるの」
「はあ?」
と、死の女神の申し子が呻く。
「……命は全てあるべき場所へ帰る……我が命は最早死の女神の物だ……なのにそれを妨げるは死の女神への冒涜……貴様はその報いを受けるだろう……」
「いや、ちょっと待ってくれ。俺達はお前を助けようとしてるだけだ。なのに……助かりたくないのか? 自殺志願者?」
「自殺とは少し違うわね」
「クモ、どういう事なんだ? 何か知っているのか?」
「聞いたことがあるの。死の女神の申し子の教えを。人が戦いで深手を負ったり大病を患ったとき、その命が尽きるか生きながらえるかはその人次第。運命に委ねてその結果を受け入れるんだって」
「うん? 運命とは……?」
「大怪我をしても、元々助かる運命なら治療せずとも助かるし、死ぬのならそういう定め……死の女神がそう決めていたってこと。そんな運命に、神ならざる人が助けようとか救おうとかの意志を介在させるのはただの傲慢で、そんな余地は無い、っていう考え方なの」
「それってつまり、目の前で誰かが死にかけていても手を出さずにただ見守るって事か? 運を天に任せて?」
「ええ、そうね。彼女達は死の運命に人の手を加えること、すなわち治療などを試みて死を遠ざけようとするのは、死の女神の元へ命を返すのを妨げる背信行為だと考えるのよ」
「癒やしを受けないし、受けさせない!? だって……助かるのに!?」
「多分……この子は死の女神の申し子として、死を当然の物として受け入れているの。命とは結局、全て死の女神の物。だから、死に抗うこと、つまり助けを求めて治癒の奇跡を受けることは、死の女神の所有物である命を女神から盗む行為に他ならない。そう考えるから、命を盗むなって言うんだと思う」
「……宗教上の理由で延命拒否するのか、彼女は」
「だから、さっきあたしの魔法で捉えられなかった。なぜなら、彼女は死に際して助けを求めていなかったから。助けの声を拾おうとしていたあたしの精神感応には引っかからない」
「……この瞬間も誰かが必死で生きようとしているのに、彼女は助けを求めないで死のうとしてる……」
「サトシ、この子は助けを拒んでいる。なら、あたし達は別の死にかけ冒険者を探しに行かないと……」
「いいや、こいつをアバン神の寺院へ連れていこう」
「わかってるの? 彼女は死の女神の申し子なのよ? その意に反して彼女を救ったら、きっと面倒なことになる。恨みを買うわ。死の女神そのものから呪われるかもしれない」
「……でも、目の前で死にかけている人を見て、見捨てていけるわけないだろう!? 死なせたくないんだ!」
「……また、あんたの独りよがり? 目の前の命を助けたいって、それで……あたしの目はどうなった?」
「あれは……これとは別だろう? 敵を殺さないんじゃなくて、瀕死の冒険者を助けたいってことで……」
「敵を殺したくない。おまけに死を望む者の願いも聞かず、死なせたくもない……あんたは本当にどうしようもない疫病神の無能よ! 何でそんな了見で冒険者になんかなろうと思ったの!? 敵は殺すし味方は死なせる。そんなの子供だってできることなのに、どうしてあんたは……! 命を何だと思ってるの? 自分だけは命のやり取りから超越して、他人の命を自分の望み通りに好き勝手に生かせるご立派な神様のつもり!?」
「命は大切なんだ! 俺の世界では、皆そうだったんだ……!」
「そう。そうね、大切な命だものね。あんたの妹の命も大切でしょう? あんたの妹はまだどこかで助けを求めて必死に生きようとしている。そうなんでしょ?」
「ああ! サトリは俺の助けを待ってる、俺にはわかる!」
「でも、この子は死を受け入れようとしている。あんたはこの子がこのまま死ぬのを見過ごして、それを受け入れてしまうのが嫌なのよ」
「当然だろう? 助かる命を救わないなんて……」
「いいえ、あんたはそうすることで妹の死もまた受け入れてしまうような気がして嫌なのよ! でも、よく考えて! あんたが思い込もうとしているのは幻なんだって。正直、あんたの妹はもう……あんただって本当は……」
「……こんなことをべらべら喋っている間にも彼女は死にかけてる。無駄話で時間を無駄にするのはもう止めだ。俺は彼女を助ける。それだけだ」
「これだけ言ってもあんたは……。いいわ、警告はしたからね。絶対厄介なことになるんだから」
と、死の女神の申し子が小さく、囁いた。
俺は聞き取れない。耳を近づける。
「何だ? 何か言っておきたいことがあるのか?」
「……貴様……」
「なに? あ、いや、無理に喋るな」
「……貴様の顔は決して忘れぬ……死の女神から命を盗む者……必ず報いを……」
「……そうか。わかった」