肆
着替えをしてから、城から出て来ると玄関にあたる出口に通せんぼをするかのように“彼”が座っていた。
「―――“君”、邪魔」
思っていたことが口からついて出てしまった。
“彼”はこちらに背を向けていたようで私の声が届いたのか尻尾が動き、身を起こしてこちらに振り返った。
「着替えてきたから、そこどいて。出られない」
扉から顔だけ入れようとしているのを察し、先に声を掛ける。背後をおろそかにするなんて、“彼”は野生を忘れてしまったのだろうか。そんな危惧が頭をよぎる。
少々気落ちした様子でゆっくりと後退して出口を開けてくれた“彼”に続くように外に出ると、衛兵さんが細く息を吐きだしているのが聞こえた。
こんな大きな生き物がすぐそばにいたら、緊張もするだろうに。それでも役目を怠らず、その場を守っていたのだから凄いものだ。
さすがに初対面で「ご苦労様です」なんて言う勇気はなかったので、“彼”に向き直って「あけてくれてありがとう」と伝えておいた。
―――キュー…!
落ち込んでいたのが嘘のように、すぐに機嫌が上昇した様子で顔をこっちに押し付けてきた。こちらはお礼を言ってすぐに歩き出そうとしていたから完全に不意打ちだった。「うっ、」と低い声が出てしまい、脚がよろめいたがなんとか踏みとどまった。
なおも顔を押し付けて来る“彼”にこのままでは進まないな、と感じ、撫でながら出口から離れる。
そうすると“彼”も顔ごと一緒に動くことになるので自然と出口が開けて、ようやく後ろにいた人たちが出ることができた。
正直、“彼”の図体がでかいので出口の様子は見えないが、多分、みんな出ることができただろう。
それでも“彼”は離れない。本当に、目覚めてからスキンシップの嵐が凄い。
「“君”、そんなに甘えただった…?」
「匂い付けだろ」
いつの間にか近くに来ていた竜のお兄さんが端的に言ってきた。
「匂い付け…?」
「竜は、所有物や大切なものは自分の匂いをつけて周りをけん制するんだ。だから、着替えたあんたに自分の匂い付けしてんだろ」
「……大切…」
ふと蘇ったのは夢の中で誰かと交わした言葉。
『君の大切なコさ』
『大切…。思い出せないのだけど、それって本当に大切…?』
『思い出せないんじゃない。それは君が置いて行こうとしてるから出て来ないだけだ』
暗闇の中で、男性なのか女性なのかわからない声が教えてくれていた。
「―――――…そう…」
置いて行こうとした。私の大切なコ…。
「――――そう、か…」
それは、”彼”だったか―――…。
撫でる手が止めて、正面の竜の顔を見つめる。
心地よさそうに喉を鳴らしていたが撫でられていないことに気付いたようで、ゆっくりと目を開いて顔を離した“彼”は一途にこちらを見つめ返す。
「“君”、そんなに私のこと好きだったの?」
夕陽が光り輝くような綺麗な瞳を細めて、すぐさまうんうん、と嬉しそうに頷かれてしまった。予想以上に素直な反応に胸がくすぐったい。
「そっか…。私も、“君”が大切だったみたい。だから、こっちに来ようと思ったのかもしれないね」
こちらの世界を選んだことに、後悔はない。―――あの時が、私の運命の分岐点だったのだと今しみじみと感じた。
その少しの郷愁が声音に混じってしまったのか、“彼”は何か物言いたそうに私の顔を覗き込むようにまた顔を押し付けてきた。
匂い付けはもう充分だろうに。それでもこうして触れたがるのは、幼いころからの癖のようなものだろう。そして、私もこの温かいふれあいは安心する。
「―――ありがとう。さぁ、もう食事にしよう。“君”には早く元気になってもらわないと」
“彼”の陰に隠れてしまっていた先程の男女―――女性の方から夫婦だと教えてもらった―――が見える位置に移動し、目礼する。
「お待たせしました。私も“彼”もひとまず落ち着きました」
着替えの時も一緒にいてくれた女性の方は微笑んで頷いてくれた。その隣の男性が一歩踏み出し、「君には聞きたいことがある」と宣言される。
「竜のお兄さんから訊いてることでも、なんでも。答えられるものは答えます」
「竜のお兄さんってやめろ」
「私は困らないから別にいい」
「お前、いくつだ」
どうしてあっちの男性ではなく、竜のお兄さんから先に質問されているのだろう。
「16」
「は?」
「16」
「16!?」
そこまで驚かれることだろうか。
竜のお兄さんだけでなく、正面の夫婦も驚いている。ついでに、出入り口のところにいる衛兵さんも驚いている。
「竜のお兄さんは25歳っぽいね」
「23だ」
「よかったね。上に見られるでしょ。まぁ、適当にキリが良いと思って言ってみたのだけれど。ところで、なんで歳を訊くの?」
「歳を明かしてもオレに対する態度は変わらないんだな」
「……」
言われてみれば、五つ以上は離れているのだ。もとの世界だったら確実に私は敬語を使っている。
「…ごめんなさい。“彼”を助けてくれようとしていたからなんとなく近い存在だと思っていました。改めます」
「―――…」
引かれた。口角が引きつっている様子を見るとなんとも言えない気持ちになる。態度を改めようと思った矢先に、こんな反応を返されるとは想定外だ。
「さぁ、立ったままでは足も疲れてしまうでしょう。あなたは起きたばかりなのですから。あちらに新しく机と椅子を用意しました。行きましょう」
女性が穏やかに先導してくれた。向かう先には、先程の私が使っていた机と椅子はなく、正式な晩餐会のような机と椅子が用意されていた。ついでに、私が寝ていたであろうベッドもなくなっていた。
椅子には、一人もうすでに誰か腰かけていた。
きらびやかな衣装に身を包んだ金髪の男性だった。お茶には手をつけず、足を組んでふん反り返っているはずなのに、その姿さえ上品だ。
「待っていたよ」
「…殿下、どうしてこんなところへ」
女性の隣にいる男性が困惑をにじませた声音で言った言葉に耳を疑った。
―――殿下…?
ということは、このお城の人。しかも、上の人。
一瞬、頭が真っ白になったが、よくよく考えてみればここはお城だ。前の男性と女性はそういえば金色の竜に乗ってやってきた。だから、来客側だ。竜のお兄さんも、以前聞いた話が本当ならこのお城の人じゃない。
目の前に腰かけているこの人こそが、この土地の所有者―――。
「私は今回の事件の最高責任者でもある。説明は私からもするのが筋だろう?」
「はぁ…」
こちらからしたら誠実な感じを受けるが、男性陣が頭を抱えるようにため息を漏らしたのが聞こえて、ちょっと性格に難がある人なのかな、と予想する。そう思っている間に、金髪の彼は立ち上がり、こちらに向かって膝をついた。
「君は、『紫紺』の竜の“友だち”、のようだね。今回は我が国の問題に巻き込んでしまって申し訳なかった」
胸に手を当てて、真摯に謝られてしまった。私の目の前で謝罪しているから、私に向けてなのはわかった。
「あなたの国の問題はよくわからない。けど、その謝罪は必要ないと思う。…思います」
自分の考えを巡らせながら言葉にしていこうとしてつい敬語が抜けた。
慌てて言い直したが、目の前の麗人はあっけにとられた様子でこちらを見上げていた。それよりも、私はすぐに後ろにいる“彼”に振り向く。
「『紫紺』…。ねぇ“君”、早く食べないと。鱗の色が落ちてるって。他の人から見てもわかるみたい。脱皮できるぐらい栄養をとらないと、空を飛べなくなるよ」
私の言葉に“彼”は急に話の矛先が自分に向いたのがわかったようで、気まずそうに視線を外された。
心なしか、近くの金色の竜の陰に隠れようとしているように見えるのは私だけだろうか。
「竜の鱗の色って、落ちるものなのか…?」
「まぁ、そういう種族もいるっていうのは文献にあるが…オレもあの竜に関してはあの色しか見たことがない」
「“彼”はもともと紅みのある紫の鱗なんです。今は青みがかっているけれど。栄養をしっかりとって、気持ちも安定したら徐々に鱗の色がちゃんと戻ってくると思…います」
危うくまた敬語を抜かしてしまうところだった。別に気にしていなさそうな雰囲気を感じるが、これ以上はさすがに失礼だろう。金の髪の人に向き直って私も膝をつく。
「ここで静養させてもらえて、感謝しています。ありがとうございます。私のことは別にいいから、“彼”をはやく元気にしてあげたいんです。だから、ひとまず“彼”に食事をさせてあげたいんですけど…」
「あぁ、すまない。女性に膝をつかせるなんて…」
「私、無一文なんです」
金の髪の人がこちらに手を差し伸べてくれたところだったが、言っておかなければいけないことがあるので見て見ぬふりをした。
「お世話になっている上でとても図々しいのですが、私が回復するまで“彼”と私の食事を融通して頂けないでしょうか」
沈黙がおりた。
白けたような空気を肌で感じた。
居たたまれないが、筋は通さなければならない。
「“彼”はもう自分の食べるものを取って来れる。でも、私に気を遣ってくれているみたいで。私も体調が戻り次第、城下にも降りて稼ぎに行くつもりはしているのですが、今は思うように動けていなくて…」
「お前は目覚めたばかりだからあと最低三日は休まないといけないぞ」
だから…、と続けようとしたところで竜のお兄さんの補足が入る。
「…そんなにかからないと思うけど。あと一日、というか、明日の夕方には出ていくつもりはしていたのだけど」
「それは無謀だろ」
「無謀…」
いつもの感覚までとはいかなくても身体を動かしていたらなんとなくいけると思っていたのだが。いや、こういうところが無謀なのかもしれない。
「とりあえず、あんたは立て。殿下がわざわざ膝をついているところでつき直すヤツがあるか」
「今は私がお願いする立場なのだけど」
「外で、病み上がりが、することが問題なんだよ。こんなところアイツに見られたらオレが怒られるだろ」
「ふふっ、そうだな。せっかく治療した者をひざまずかせていると知れたら私も叱られてしまうな。そういうことだ、この手をとってくれないか?」
あえて無視していた手を、もう一度見つめてからゆっくりと手をとって立たせてもらう。
しゃがむ時はなんともなかったのに、立った時に不意に視界がぶれた。
グッ、と身体を固くしたのが伝わってしまったようで『大丈夫か?』と顔を覗き込まれてしまった。
「…大丈夫。ごめんなさい」
今のはすぐに立たなければならないと思ってまっすぐに立った私が悪かった。体育の先生に言われたことを今更ながら思い出す。
「しゃがんだ姿勢から立つときはお腹を見ながらゆっくりと、だったのに。こういう状況なんてなかったから柄にもなく緊張していたようです」
「…緊張…?」
「だから“君”も心配しなくていいよ」
ぽつりと竜の兄さんから零された一言は頭にひっかかったが、身を乗り出さんばかりにこちらに首を伸ばした“彼”にも伝えておく。
それでも気遣わし気にこちらを見つめてくる“彼”に笑いかけると、殿下と呼ばれていた青年が私と“彼”を見つめて宣言してくれた。
「食事だけでなく、あなた方の生活の保障はさせてもらうよ。事の発端は私の国の事情が絡んでいたことだからね。詳しくは食事をしながら話をしよう」
各々席に着き、食事が運ばれてくる。食べやすい消化のいいものを用意されている。他の人たちのものはもっと芸術的であれでお腹が膨れるのだろうか、と心配になる量が運ばれていた。
『いただきます』の代わりにここでは祈りを捧げるようだ。殿下たちの見様見真似で祈りのポーズをしてから殿下が先に食べるのを待つ。
「………」
「………?」
いつまで待っても食べない様子から、全員が一点に視線を向けていることに気付き、私もその視線の後を追う。
視線の先は―――“彼”だ。
“彼”も視線が集中していることを感じたのかやや戸惑っている雰囲気を出した。
「………?」
ついでに言うと、“彼”の前には大きなフルーツがたくさん積まれている。ブドウやリンゴが網籠に溢れんばかりだ。季節の旬のものは私の世界と一緒なのかな、となんとなく思っていると、黒髪の男性(夫の方)が口を開いた。
「ワンが言うにはその竜は、彼女が食べてから食べさせてもらっていたようだ」
少々どよめくような空気を感じたが沈黙を保っていると、金の竜がリンゴを咥えて“彼”に渡した。差し出された時に私の顔を見てきた“彼”によくわからないながらも適当に頷いたら意を決したように金の竜の咥えているリンゴにかじりついた。
小気味いい咀嚼音の後、嬉しそうに喉を鳴らす様子を見守ってしばらく。ようやく殿下がスプーンを手に取った。全員が食事をし始め、私もゆっくりとスープを嚥下していく。
着替えている時もうっすらと思っていたが、身体中どこか気怠い。でも、それが気にならないくらいスープが美味しい。
この世界に来てからこんなに美味しいものを食べたのは初めてかもしれない。感動を胸に飲み続けているとグッ、グッ、と傍らから声を掛けられた。
「―――あぁ、ごめん。うん、美味しいよ。“君”もどうぞ」
柔らかいパンにスープを浸し“彼”の口に入れる。バクン、と僅かな風が口を閉じた時に出てくるがもう慣れてしまっている。
目を細めて機嫌よく食べているから、“彼”もお気に召したのだろう。
「このパン自体も甘みがあるから食べやすいね。スープに付けたから歯に付きやすいだろうけど、後で歯磨きは手伝うよ」
基本的に“彼”は歯で食いちぎって呑み込む食べ方をする。奥歯で噛むことは噛むが人間よりも咀嚼に重きは置いていないようだ。舌も口内でくるくる回すような動きを見たことがないのでスープに浸された少量のパンなど歯の間に挟まったら自分では取れないだろう。そんなものを与えるのもどうかな、と思いながらも、甘えた声を出されたら別にいいかなと考え直してしまう。
何が嬉しかったのか“彼”は、もう一回、とご機嫌に口を開けてくる。私もパンを一口頂いたところでもう一度“彼”にパンを与える。私が咀嚼している間に“彼”もフンフン、言いながら味わう。
“彼”が檻の中にいる間の一人の食事と、今この瞬間を比べたらそれはもう味わい深さが断然に違う。
美味しいねぇ、としみじみ言いながら食べ進めていると、ふと喋っている声が自分たちしか聞こえないと気づき、正面を見る。
そこには、呆然とこちらを見つめる彼らがいた。
「…………」
「……うるさくして、すみませんでした…」
とても恥ずかしい。久しぶりの食事でテンションも上がっていたことを自覚する。病人でももうちょっと静かに食事をするだろうに。
「あぁ…いや、そういうふうに竜と食べる者を見たことがなかったものでつい…こちらこそ不躾に見つめてすまなかった」
そういう謝られ方をするとなんと返事をしたらいいかわからなくなるから困る。
何が彼らに引っかかったのか明確にわからなくて、口ごもっていると竜のお兄さんが口を開いてくれた。
「それはあんたの食事だろ。さっきから見てたら竜に食べさせすぎじゃないか。竜にとってオレたちの食事は嗜好品なんだ。あんたはあんたで栄養取らねぇと」
「え、嗜好品…?」
―――ギュギュッ
「……今のは聞かなかったことにしてくれ」
何やら不満そうな鳴き声を“彼”が出したな、と思った次に、竜のお兄さんがあえてそう言ったので確信を抱いた。
「へぇ、嗜好品…」
―――ギュギュ、
「まだまだたくさんあるから、君たちのペースで食べてくれたまえ。それが今、君たちにとって良いことだろうから」
殿下がにこやかに伝えてくれ、慌てていた“彼”の様子が一変して嬉しそうな声を出した。
良くぞ言ってくれた!みたいな表情に、私は後で竜のお兄さんに“彼”の本当の食事を訊こうと心に決めたのだった。




