参
暗い空間の向こうに、光があった。
洞窟の先にあるような、そんな光のようだった。
しばらく呆然として、辺りを見渡してみてもその光しか見つからなかった。
とりあえず光を目指そうと腰を上げる。
一体どれだけボーッとしていたのだろう。
体を動かしているはずなのに、なんだか自分の体じゃないような違和感があった。
光のもとへは案外早く辿り着いた。光の先に道があるわけではなく、ただただ拳大くらいの光がその場に浮いていただけだった。
そっと、光にふれようとした時だ。
(―――?)
遠い暗闇の向こうから、“音”が聴こえた。遠くから反響して、わずかにこちらに届く、そんな“音”だった。
よく気づけたな、と思えるぐらい小さな“音”。けれど、まるでこちらに何かを訴えかけるような響きだと思った。よくよく耳を澄ましてみてもそれは言葉になっていないはずなのに―――。
―――行かないで、と言われているようだった。
(―――変なの…)
この光が、私の還る場所なのに。
多分、きっと、そう―――。これで、楽になれるのに。
あの“音”は、何を求めているんだろう。私は、何も持っていないのに。
もう何も、ないのに―――。
『行ってしまうのかい?』
知らない声がはっきりと訊ねてきた。遠くの“音”と、違う声―――。私は答える。
「うん、もう終わったから」
『そうかな』
「そうだよ」
『でも、呼んでいるよ』
「…誰が?」
『君の大切なコさ』
「大切…」
当たり前のように言われた言葉に、霞がかった頭で考える。でも、考えるまでもなかった。
「思い出せないのだけど、それって本当に大切…?」
『思い出せないんじゃない。それは君が置いて行こうとしてるから出て来ないだけだ』
「…よく、わからない」
置いて行こうとしてるだって…?
この手には、もう何もないのに。
あんなに、呼んでくれているのに。
大切だったら忘れない。一緒に持っていく。―――それが、“大切”じゃないのか。
『君はひねくれ者だもの』
「なんで今けなされたの」
『真実だよ。図星だろ?』
「違う」
『でも、心は正直だ』
声の言うとおりだった。
気付くと、目の前の光がだんだんと細くなっていっている。光にふれようとしていた手はいつの間にか身体の横に戻っていた。
(あっちが、私の世界だったんだけどな…)
確かに求めていた。還りたかった場所のはずなのに。
段々と消えていく光に、後戻りは出来ないのだと知らしめるように周りの闇が濃くなっていく。
それなのに、―――胸の中は穏やかだった。
(あぁ…、そうか―――これは、“彼”が…)
目を閉じて、闇に身を任せる。
―――喜んでる“鳴き声”が、聴こえた。
✤ ✤ ✤
ふわり、と風が頬を撫でた。少し眼を開けたらわずかな光が頭上から差し込んでいるのを感じた。視界が少しぼやけたが、瞬きを繰り返すと鮮明に見えてくる。これは、翼―――?
ズシ、と何かがこするような引きずった音がした。次いで、暗闇は去って行き、眩いばかりの光が身体全体を当てた。
(眩し―――…)
開いた目をキュッ、と閉じていると、光は程よく遮られた。少しずつ目を開けると、紫の鱗と金色の瞳が視界に映りこんだ。
「―――エ…ル」
声が、出ない。だが、“彼”には伝わったのだろう。ほのかに瞳を見開いて、確かめるようにペロッ、と舌で頬をなめられた。
完全に眠気も去った。だが、身体が重い。右はなんだか動かしにくそうだ。でも、このまま反応を返さないままだと“彼”が止まらない。身体が動かしにくいのに、涎まみれになるわけにはいかない。少しの危機感が芽生え、必死に左手を伸ばしてみる。左は案外動くじゃないか。根性を振り絞ろうと思っていたわりに肩透かしを食らった心境になりながら“彼”の鼻先にふれる。
「…ぃた…か」
―――起きたのか。やっと、起きたのか。
やっと見られた金の瞳。心配げに鳴らされる声。手から伝わる温かい温度。どれも、私が願っていたものだ。
「……か、た…」
―――よかった。本当によかった。
紫の翼が、光を反射している。どうやら、日光を遮るために翼を屋根代わりにしていてくれたようだった。
しばらく撫でて、少し疲れたのもあって左手を元の位置に戻すともっとして、と言わんばかりに鼻先を押し付けられた。
―――キュー! キュー! キュッ!
まるで産まれた時のような高音を出す目の前の竜に一気に力が抜けた。思い返されるのは、ヨタヨタ動くトカゲが卵から出てきたところ。あの時は翼も小さかった。果物を煮ている鍋に入ろうとしたり、進むところが見えていなかったように壁に当たったりしていた頃も思い出して、フッ、と思わず鼻から息が出た。
「―――起きたか」
しばらく鱗を撫でて、ついでにもう一度微睡んでいると、ポフッ、と軽やかな音を立てて誰かが上から降りてきた。
そこでようやく、私はベッドのような柔らかい布団の上にいるのだとわかった。そして、降りてきた彼に視点を合わせると、少しホッとしたような表情を見せていた。
せめて靴は脱いでほしかった。そう思っても、声はハキハキと出てくれないようなので、賢く黙って見つめてみる。
「起きたんなら、降りてもらうぞ。水、飲むだろ」
ぜひ、欲しい。ゆっくりと身体を起こしていくと、驚くほど身体が鈍っている感覚がした。筋肉が軋むような、体内で重力が発生したかのような、今までで体感したことのない現象がこの身に起こっている、とひしひしと感じた。
右肩がチリチリと痛むので、左を軸にして起き上がろうと考えた。うつ伏せになろうとしたところで、竜のお兄さんが目の前まで来た。白いシーツに土足が目立つ。その足の裏の土、このシーツに相応しくないんですけど。
「鈍い」
寝起きです、と文句が頭に浮かんだ瞬間に、背中に暖かい感触がふれ、そして―――。
「うぐ…っ」
突然の腹部の圧迫感に呻き声がもれる。
重い荷物を持つように片手で持ち上げられたようだった。
手足がぶらん、と降りているからか、ゾンビにもなったような気分だ。
竜のお兄さん、人との接し方を知らないのだろうか。
ままならない現状に、そんなことをつい思ってしまう。
その後、竜のお兄さんはシーツから”エル”を跳び超え、芝生が綺麗な地面に降り立った。
この人、人間を捨てたのかな、と思える所業に呆然とする。
「おい、もう一回寝ようとするな」
驚いていただけなのだが。
近くにあった椅子に座らされ、竜のお兄さんをガン見していたつもりだったのだが、そんな誤解を生むような目つきをしているとでも言うのだろうか。
深く椅子に腰かけ、差し出されたカップを受けとる。利き手ではない左手で受け取ってしまったからか、ぶるぶると震える手で、大体の水をこぼしてしまう。右手を添えて、こくこくと少しずつ飲む。
(水、おいしい…)
水を飲むたびに、乾いた身体に潤いが回るようだった。
一気に飲みたいところだが、絶対にむせる。服も水をこぼしてしまったから濡れているが、今は水分補給が第一だ。
唇からこぼれた水のあとを、竜のお兄さんが新しい水をいれなおしたカップを差し出す前に口元をぬぐってくれる。
意外と優しい手つきで、最近人にこんな甲斐甲斐しく世話をされたことがなかったので「うっ、」と変な声が出た。
「ゆっくり、飲めるだけ飲め。急がなくていい」
その言葉に、少し急いていた気持ちが落ち着く。少しずつ、手の感覚も取り戻してきたようだった。だが、右肩がやはり痛む。
カップに口をつけながら、ぼやけた頭の中で記憶にある最後を思い出す。
(“彼”が外にいるということは、あの檻は壊れたのだろうか)
ひたすら…ただひたすら、あの檻をなくすことを思っていた。
何かが身体の中から抜けていく感じと共に、意識も終わったような気がする。
―――ギュッ、ギュッ
竜のお兄さんの後ろからこちらを見つめる“彼”と目が合うと、どこか心配そうな声を出された。
(鱗が、まだ少し青い…?)
“彼”の鱗は、もう少し紅みのある紫ではなかっただろうか。ふと疑問に思ってからしばらく―――。
「“エル”、おいで」
人間でいうきょとん、とした顔といえばいいのだろうか。
そんな表情で、のしのしこちらに近づいてきた“彼”は頭をわざわざ下げて、下からこちらを見るようにしていた。
上目遣いなんて、叱った時以来だな。私、今から怒ると思われてるの?
鼻先を撫でて、トントン、と口元を手のひらで軽くたたく。
「ちゃんと、食べた?」
その質問に驚いたように“彼”が身を引いた。
ついで、ふるふる、と凄い勢いで首を振り出し、さらに足を退いていく。
「なんで食べないの。鱗の色が褪せてる。そこまで我慢するものじゃないでしょ」
責めるつもりもないのに、自然と口調が硬くなってしまう。せっかく檻から出たのに、あまり食べてないってどういうことだ。自分が倒れていたとはいえ、自分の食い扶持くらいどうにかしないでどうする。
少々、説教じみた思いが芽生えるが、「ギャッ、ギャッ」と妙に怯えさえも見せる“彼”の様子にようやく違和感を覚える。
「ちなみに訊くが、何を食べたと聞いてるんだ?」
竜の兄さんが“彼”の様子を見つめてからこちらに向き直って眉根を寄せて問いかけてきた。
「何か食べられるもの」
「『人間』って言ってんじゃないだろうな」
「それはない」
そもそもそれは『食べ物』と教えていない。
「『竜に、人の血を覚えさせてはならない』―――それは、“彼”にもきつく伝えてるから。その約束を破ったらそれは許せないことだから、そうだったら怒る、けど…」
視線をもう一度“彼”に向けると首を横に勢いよく振っている。
イヤイヤ、と駄々をこねている時の仕草と一緒だが、必死さが伝わってくるから『人間は食べてないよ』ということでいいようだ。
「もしかして、私が『人間を食べたか』って訊いたように思ったの?」
確認のように問いかければ、うんうん、と頷き返された。
いくら襲われたからと言って仕返しに初対面の人を食べたかどうかなんて訊かない。とんだサイコパスじゃないか。耐えきれないため息が細く口から出て来る。
げんなりしたところで、“彼”が恐る恐るといったようにもう一度近寄ってきた。
甘えるような高い声を出して、鼻先をカップを持っている手に寄せて来る。
「…身体が大きくなっても、そういうところは変わらないね、“君”は」
鼻先から顎の方へと手を持っていき、トントン、と軽くたたく。
大きな口を遠慮がちに開けたところを認めて、“彼”の口の中にカップを傾ける。
新しく入れてもらった水ではあるが、明らかに“彼”に対しては少なすぎる。それでも水が入ったところで“彼”は満足そうに眼を細めた。
「これだけじゃ足りないでしょ。“君”も食べておいで」
しばらくここにいると思うから、と続けて伝えると、“彼”はゆっくりと動いて―――私の座っている椅子に取り巻くように身を寄せて座ってしまった。
(―――違うんだけど)
動いたと思ったのに、なんでココに居座る気なんだろう。私のことよりも自身の健康管理をなんとかしてほしいのに。
「あんたのことが心配なんだろ。なんせ、右肩の傷は塞がってきているとはいえ、竜からしたら血の匂いはプンプンするんだ。他の竜も過敏に察知しちまって興味本位であんたを襲うかもしれないからな」
「あぁ、だから右肩、ちょっと痛むんだ…。忘れてた」
「痛みの記憶って結構残ると思うんだけどな。なんでそんなケロッとしてんだ、あんた」
「ただでさえ栄養不足だったのに、檻から出たにも関わらずあまり食べてない“彼”のほうが衝撃だったから、かな」
「おかしいな。俺を非難してるようにしか聞こえない」
「そう? まぁ、“彼”が自分で決めたんだったらそれでいいんじゃない。私的には良くないけど」
「どっちだ」
「責任は“彼”にあるってことを言いたかっただけ。目覚めて自分より元気ない人に会ったらあなたもわかるんじゃない」
椅子のひじ掛けに顎を乗せ、安定感がそこまでなかったのかすぐに降りて顔を伏せてしまった“彼”をなんとはなしに見つめる。
「もうちょっと動けるようになったら“彼”に食べ物をあげたいのだけど。私のお金、どこにいったか知らない?」
「あんた、ココがどこだかわかってないようだな。安心しろ、この城であんたらは保護の対象だ。食糧なんて無償に決まってるだろ」
「…城…?」
今まで“彼”と竜のお兄さんしか見ていなかったが、ようやく正面を向いて後ろにそびえたつ建物を見つめる。白亜の城、という単語が咄嗟に思い浮かぶ。綺麗な白で統一された壁、円筒のような部分も見える。それらの屋根は紫に近い青だ。紺青の旗がはためいている。最近、どこかで見たことがあるな、と霞がかった記憶を呼び起こしていく。
(―――もしかして、あの城?)
姫様一行と目指していた城だろうか、ここは。名前は憶えていないが、外観には見覚えがあった。あの時も大きいと思っていたが、現地にいるとより大きさを感じる。一体何人中にはいるのだろうか。
「…でっか…」
「なんで第一声がそれなんだ」
「慣れない場所だなって実感がわいてきた。早くお暇したい」
「あんた、旅してたくせにインドアなのか?」
「普通に生きてたらこんなところにいるわけないからね。食べ物が無償なんてそんな…タダほど怖いものはないんだよ、竜のお兄さん金銭感覚大丈夫?」
「どうしてその流れでオレの金銭感覚の話に飛ぶんだ。お前が心配してるのは後々要求される見返りの心配だろうが」
「…そっか。そっちか」
「まぁ、その竜があんたに心を許してるんだったらその心配は杞憂なんじゃないか」
「“彼”は私の『モノ』じゃない。私の受けた世話は私が返すのが道理だから、今は関係ないよ」
「…なんつーか、損な性格してんな、あんた」
今度はこちらに向かってため息をつかれた。
もう一度注いでくれた水を飲んでようやく一息つく。
すると、何かに反応したように“彼”が立ち上がった。首を巡らせ、丁度私の後方へ鳴き声をあげた。
―――ギュァァァァァ!
―――グワァァァァァ!
遠方から返ってくる鳴き声―――知らない声だ。声の方へ振り仰ぐと、金の竜が空で滞空しており、ゆっくりと地面に降りたとうとしている。
「ご到着か…」
“彼”よりも大きい個体で、きらめく宝石のように光を弾いている鱗がとても綺麗だった。大きく広げられた翼幕もヴェールがひらめくような優雅さがある。
こちらから距離を置いて着地してくれたのもあって、残り風が穏やかだ。“彼”のように勢いに任せて着地するのをばかり見ていたからこんな静かな着陸があるのか、と感心する。
―――返ってきた声は、あの竜か。
色が違うのはもちろんだが、遠目から見ても“彼”とは種類が違うのだとわかった。
“彼”も面長でその顔の延長線上に角が生えているが、目の前に新たに来た竜はトナカイのように角が横に広がっている。前足も、細い印象を抱く。ズシズシ、と重々しい音はするものの、その歩き方はモデルが歩いてくるような淑やかさが感じられる。
“彼”が迎えるように金色の竜の前に立ち、見上げたことでその差は歴然だった。
“彼”よりも一回りも大きいその竜は、後ろをむいて座って見せた。
金色の竜から二人の人物が降りて来る。
(―――竜に、乗ってきた…?)
そんなファンタジーなことが…、と少々驚いていたら、金色の竜は“彼”に首を伸ばし、頬を当てて挨拶をしていた。“彼”も喜んで受け入れている。近所の大好きなお姉ちゃんに会ったときのような表情をしていそうだ。嬉しそうな鳴き声が耳に心地いい。
「竜には、会えてたんだ…」
胸のつっかえが緩むような、安堵が胸に広がる。
親し気にしている姿がほほえましい。
あぁ、なんだ―――…。
「要らなかった、かもしれないな…」
二柱の竜を夢中で見つめていたからか、もうそばまで来ていた二人の人に気付かなかった。
「よかった、起きて―――…」
軽やかで綺麗な声―――“彼”の鳴き声の合間に聞こえた声に振り向くと、鮮やかな茶髪が視界に映る。次いで、大きく見開いた翡翠の瞳がこちらを凝視している。
「た、大変! 服が濡れて…これでは風邪をひいてしまうわ。ディラン様、どうしてこのままにしているのですか!」
「水を飲み終わったら着替えてもらおうとは思ってた」
「もうカップの中はカラですよ! あなたも、向こうを向いていていください!」
最後に掛けられたのは一緒に来ていた男性だった。こちらは青みがかった黒の髪で、久方ぶりに見た黒色に心が動くものがあった。だが、顔は外国の人のように彫りが深くて『あぁ、やっぱり違うな』と思わされた。
女性は急いで着ていたマントを脱いでこちらに羽織らせて、前に寄せ、翡翠のバッチで前を留めた。
「冷えは万病のもと。あなたは特に目覚めたばかりだから、ちょっとのことでも気を付けてあげなくちゃ。一緒にお城の中に入って着替えたいのだけれど、あなたの竜に許可を取ってもらってもいいかしら?」
「…許可…?」
自分のことを着替えさせたいから城の中に入りたい、ということはなんとなくわかったのだが、竜の許可とは一体何なのか。
むしろ、あの城の中に足を踏み入れてもいいか訊ねるのは私ではないのだろうか。
「城に入らなくても、着替えさえあれば…そういえば、私の服は…?」
「あぁ、それなら捨てたぞ」
何食わぬ顔をして答えたのは竜のお兄さんだ。即答と言えるほどに早い答えに思考が固まる。
「捨てた…?」
「治療の時、あんな砂まみれだと危ないし、ぼろぼろだったからな。まぁ、オレの弟が捨てといたって言ってたのを後から聞いただけだが」
「竜のお兄さん、兄弟いたんだ…」
「気にするところはそこか?」
「服がなかったら、借りるしかないか…無粋なことを尋ねますが、おいくらぐらいするんでしょうか」
「今は金銭の心配より自分の身体を心配してください!」
綺麗なお姉さんに叱られた。
「いいですか、“あなたの竜”は今、あなたが意識のなかった時もずっとあなたのそばを片時も離れませんでした。あなたが目覚めてくれるか心配で、ずっとそばにいたんです。その人がお城に入って姿が見えなくなってしまったら竜は混乱して建物を壊してしまうかもしれません」
そんなに?と思いはしたが今は賢く黙って続きを聞く。
「だから、あなたにはあの竜から許可を取ってもらう必要があるんです」
「あの、でも、着替えがなくて…」
「それはこちらで用意していますから、大丈夫です」
全然大丈夫じゃないんだけど。さっきおいくらですか?という質問にも明確な答えが返ってきていないから少し不安である。だが、自分の服はとうに捨てられたと判明した今、ここで恐縮するのもおかしい。ここは賢く彼女の言う通りにした方がよさそうだ。
自分の母親より若いからか、怒ってもこの人かわいい、と少し感嘆していると、彼女は後ろを振り向いて男性に呼び掛けた。
「あなた、ワンからも“彼”に訊いてみてください。それか、彼女が尋ねやすいように、こちらに来てもらってください」
「そうだな」
まだこちらを見ないようにしている律儀な彼は、竜たちに顔を向けた。
彼は何も言葉を発していないのに、金の竜はこちらに視線を向け、ついで“彼”に何かを話すように視線を合わせた。そうして、二柱そろってこちらに歩みを進めだした。
竜からしたらすぐの距離ではあったが、“彼”はこちらに来るなり、すりすりと頬を寄せた。
目覚めてからの“彼”のスキンシップが留まることを知らない。
眉間のところを撫でると満足そうに眼を細めつつ、ゆっくりと顔を上げ、何か言うことあるんでしょ?、という眼差しが返される。
「ちょっと着替えてくる。濡れてしまってこのままじゃまた倒れるからって。あの城の中に入るけど…“君”はどうする?」
―――グッ、グッ
まるでここで待ってるから行ってこい、とでも言うように首を城の方へ向けて頷いた。顎で示すようになって、なんだか偉そうだな、と思ったのは心の中に留めておく。
「私からしたら、“君”には食事をしてほしいんだけどね…」
―――ギュ~
またもや鼻先を擦りつけられた。小言だとバレたのだろうか。あまり体幹に力が入っていないのもあってグイグイ押されるたびに椅子の肘置きに身体が寄ってしまって少々痛い。
「わかった。戻ったら一緒に食べよう。ここで待ってて」
鼻先を押し返すついでに撫でておだてると“彼”は満足そうに顔を離した。
フンッ、と言うようなスンッ、という音が“彼”の鼻から聞こえて、思わず見上げる。
「その不遜な態度、誰に似たんだろうね」
着替えに行くだけなのに、まるで僕が説得しました、というような誇らしげな表情が少々憎たらしい。
「どう考えてもあんただろ」
「私は民族的にもうちょっと謙虚なんだけど」
「そういうとこだぞ」
ちょっと、意味が分からなかった。




