弐
兄と殿下、そして例の彼女が王宮に入っていく背を見送り、しばらく――――…。
「何か来る。サーフ、あんたちょっと外出なさい」
調薬師であるエレイェンがぽつりと呟いたと思ったら手元ですり潰していた物を奪うように取り、オレを外に放り出す。といってもそこは薬草園である。大きなドーム状の建物だからか、中は草や花がそこかしこに咲いていて穏やかな風景である。しかし、普段と違って頭上からひしひしと風を感じる。
《ねぇ、ワン、ここ? 中見えないよ》
外からギューギュー、と不平を言う声と共に頭に直接響く声が同時に聴こえる。
(彼女の“竜”?)
それは聞き覚えのある幼い“竜”の声。
次にノイズ混じりでワンと呼ばれた金竜の声が肯定を返した。
《呼んだら来てくれるかな? でも、吠えたら『迷惑』なんでしょ? レナが言ってた》
レナ、とは“竜”と一緒にいた女性を指すのだろう。人間の常識をあえて教える竜はほぼいない。
それに彼女が意識を取り戻すまでの間、切なそうに彼女の名前を繰り返し呼びかけていたのを聴いていたので自然と彼女の名前を覚えてしまった。
(とりあえず、薬草園から出ないと。それにしても、彼女の“竜”はどうして兄さんじゃなくてオレを探しているんだろう?)
竜は人間の常識が通じない。もっと言うなら人間相手ならほぼ待つことは無い。それが信頼できる人なら話は別だが、言葉を交わしたことも少ししかない自分のことを待つとは思えない。
このままでは、薬草園を踏み潰されかねないし、“竜”が機転を効かせたとしても薬草園の出入口から顔を突っ込むぐらいしか思いつかない。それは幼竜の餌の取り方だが、竜が出来るのはそれぐらいしかない。
もれなく薬草園の出入口が崩壊する未来しか見えない。
急いでサーフが薬草園の外に出ると、王宮との渡り廊下にあたるのだが、開けた場所で今、一柱の“竜”が空から降りてきたところだった。サーフの被っていたフードが煽られる。
“竜”はサーフを見つけると、ご機嫌に喉を鳴らした。
《ワン、ボク呼んでないのに出てきてくれたよ!? 凄いね、凄いね、ここの人!》
無邪気な声で頭上で滞空している金の竜に知らせている。
思いのほか竜同士で打ち解けているらしい。
(でも、『幹竜』相手にここまで無邪気になれるということは“彼”も―――…)
“彼”がこちらに来ようとしているのを見て、考えている場合では無いと思い直し“彼”の方へ向かう。
「こんにちは“彼女の竜”。自分のことを探していたようだけど、どうか、されましたか?」
《あ、うん。でも、その皮被ったままじゃダメだよ。脱いで》
(―――皮?)
“竜”はヌッ、と首を伸ばしサーフの被っていたフードを器用に下ろす。
突然のことに驚き、サーフはもう一度フードを被せようと手を上げたが、間近に“竜”が留まり瞳を覗きこまれた。
《わぁ! お空の色二つもある! やっぱり見間違えじゃ無かったんだ!》
隠していたオッドアイを見られ、気が気ではなかったが、そこはさすがの竜で、人の事情は知らないと言わんばかりに興味津々に見つめている。
サーフは非常に居た堪れないが、好意的に見てくれている相手にも失礼なのでフードを被り直すのは思いとどまることにした。
《綺麗なお空の人、ボクお礼を言いに来たの。ボクの声、聴こえてる?》
「(お空の人?)―――はい、あなたの声は、聴こえます」
《わぁ~!『竜のお兄さん』と一緒だ。凄いね、ボクたちの声が聴こえるなんて》
そういえば、黒髪の彼女もサーフの兄のことを『竜のお兄さん』と言っていた。ちらりとディランからも彼女の呼び方をあの“竜”も嬉々として使っている、と複雑そうな表情で教えてもらったことがあるが、こういうことか、とサーフは納得する。
“竜”自身から竜の『兄』と言われるのは流石に思うものがある。
「ディランは自分の兄です。兄弟で、特殊な能力を引き継いでいるので、ある程度の声は聴こえます。それで、お礼、とは…?」
《そう、お礼》
ふと居住まいを正すように首を元の位置に戻し、こちらを見据えたかと思うと、ゆっくりと地面に顔を伏せた。丁度、真正面下に“竜”の顔があるようなものだ。
「えっ」
《レナの音楽、返してくれる時に怒ってごめんね。眠たかったのもあったけど、レナの、どっかにやるんだと思っちゃって》
―――“竜”が、頭を下げている。
目の前のことに愕然とするサーフに目の前の“竜”は続ける。
《それと、レナを助けてくれてありがとう。キミでしょ? レナをなおしてくれたの》
「い、え…、オレはその、手伝いで…」
《そうなの? でも定期的に診にきてくれたのはキミだから、キミに『ありがとう』あげるの》
そう言うと、長い首を後ろに回し、次にこちらに向き直った時にはその口に編みかごいっぱいに入っているコスモスの花が携えられていた。
《一人ひとりにお礼を言うのがヒトの常識ってレナが言ってた。君にもあげるけど、レナを助けてくれた人に分け分けしてあげて》
「もしかして“あなた”が、一人ひとりに渡そうと…?」
《うぅん、レナには内緒。いっぱい採れちゃった。レナ以外の人、キミしか覚えてないのに》
カゴはね、ヒトが落としてたのもらった。と続けて喋る“竜”にサーフは戸惑いが隠せない。
もう少し詳しく訊くと、贈り物の花は一輪ずつ、と彼女と約束していたこと。それなのに、採ろうとしたら根っこからごっそり採れてしまったことを教えてくれた。
基本的に竜は花は採るものではなく、その場でかぶる。
花の原型を留める為にはそれなりに気を遣わなければならないが、今回は久しぶりに植物を採ろうと思ったから力加減がわからず根こそぎ採れてしまった、ということだった。
《一人にこんなにいっぱいあげたらレナに叱られちゃうから皆で分け分けして》
お礼をしたい気持ちはあるようだが、自分と他の人にあげる理由は証拠隠滅の可能性が垣間見えてしまった。
いいや、そんなことより彼女はどのようにこの“竜”にそんなことを教えたのだろうか。
《レナのはね、ボクと同じ色のお花あげるの。お星様みたいでしょ。レナの髪、夜空みたいだから、お星様飾ってもらうの》
そうして見せてくれたのは一輪の桔梗の花だ。通常のものより、紅みが強い種だ。
今の目の前の“竜”はこの色よりもう少し青みがある。彼女の言う通り“竜”の鱗の色が落ちているということは本当のことのようだ。
《ダメだよ、コレはレナのだから》
じっ、と見ていたことで“竜”は隠すようにまた後ろに首を回した。
こっちがキミの、と言うように花籠を渡される。
「あ、ありがとう、ございます。他の人にも、渡します」
ありがとうって言っといてね、とまで言付ける“竜”に少し笑みが零れる。
「あの、さっきの花。魔法、かけましょうか?」
《魔法? 何の?》
「枯れにくくする、魔法です」
《そんなのあるの? やってやって!》
先程の警戒したような口調から一転して、またこちらに花を持ってくる素早さは目を見張るものだった。
やはりよくよく見れば萎れてきている。
手をかざし、詠唱すると、茎の部分から花弁に向かって白い光が宿っていく。
「できました。少し、時間は要るけど、一旦、水と光が、花に栄養を巡らせてくれる。ある程度、循環してくれるようにしたから、長持ち、します」
《ホント?! レナ、綺麗なの好きって言ってたから喜ぶと思う! ありがとう、綺麗な空の人!》
“竜”は今度は花弁が見えるように咥えたまま、こちらを見据えて喉を鳴らした。
《あのね、レナがね、お礼を言うなら目を見ていいなさいって言ってたの。もう終わったからその皮、被ってもいいよ》
“彼”のいう皮というのはどうやらフードのことらしい。別に革製ではないのだが、奇妙な表現をする“竜”である。
お言葉に甘えてそっとフードを被りなおすと、また頭の中に言葉が響く。
《顔見えないからそれイヤだけど、ヒトのイヤがることはしないってレナと約束してるから我慢する…。エラいでしょ?》
卵から孵って約半年。本当なら“彼”はまだまだ幼竜の域である。
幼い口調とはいえ、ここまで素直にヒトの、しかも契約者ではないヒトの言うことを守るというのは珍しい。
フード越しにまじまじと“竜”を見つめると褒めて、と期待している眼差しを向けられていることに気づく。
「あ、はい…。あなたは、賢い、と思います」
返答に琥珀の瞳を見開き、次に満足そうに目を細めた。
《えへへ、褒めてもらうの嬉しい。レナはボクのこと賢いなんて言わないけど。優しい気持ち、一緒》
彼女のことを思い出しているのがありありと伝わってくる。
「“あなた”は、本当に彼女のことが好きなんですね」
《うん、キミも好きになっていいよ! レナは優しいんだ!》
意外な言葉にサーフは目を瞬かせる。
基本的に竜は心を許した者を独占したがる。彼女が瀕死の状況に置かれたことによって、治療が済んだ後に囲いこんだことがその様子を物語っている。
「それでは、あなたが困るのでは…?」
《なんで?》
なんで?
これまた竜から聞いた事のない言葉にフードの下で目を瞬かせる。
《レナはね、ボクと契約してくれないの。レナは弱いし、すぐ死んじゃうからダメって》
それは彼女が何者かに追われていることを前提としていたからだ。“竜”を探している連中に見つかっても“彼”だけは助かるように、彼女は考えていたのだろう。
「今は、この場所に保護されています。今なら彼女は、了承するのでは、ないでしょうか」
《ううん、レナとは契約できないの。約束だから》
「そう、ですか…」
彼女の意思が強いなら仕方がない。周りから言われて【契約】は結ぶものでは無い。それはこの“竜”もわかっているのだろう。
《でもね、レナはボクの大切なの。キミも大切にしてね》
「はい、あなた方が過ごしやすいようできることはさせてもらいます」
喜んで頷くかと思いきや、目の前の“竜”は意外にもじっ、とこちらを見据えた。
少し首を傾げているような…?
しかし“彼”は不意に目線を王宮の方へ向けた。
《レナ、まだかなぁ…》
「もうそろそろひと段落するのではないでしょうか。さっき、セバスチャンが茶葉をもらいに来ていたので」
セバスチャンは王太子殿下のお目付け役の執事である。わざわざこの薬草園に茶葉をもらいに来るのには理由がある。以前、師匠であるエレイェンに王太子殿下の集中力や気力が向上する為のブレンドはないか、と相談しているのを聞いてしまったので、これから追い込みをかける為の準備を始めている頃だと予想できる。
《ホント? じゃあ、もうそろそろ行こうっと!》
「あ、兄さんから聞いているかもしれないけれど、彼女はまだ疲労持ちなので、あまり勢いよく行くのはオススメしません」
《わかった! ありがとう~!》
元気よく返事をし、歩き出した。
こちらと、周りに咲いている花への配慮だろうか。距離を確かめるようにこちらを見やった後、真上に旋回するように羽ばたいた。
金の竜と合流し、そのまま王宮の方へ翔んでいく。
「―――そういえば、彼女を案内するのを任されてたんだった。これ、配り終わるかな…」
籠から根も花もはみ出しているコスモスの花を眺め、先程まで作業をしていた薬草園の作業場へ足を向けた。
二時間後、彼女の案内のため裏庭へと出向くと、寝ている彼女の髪に紫の花を挿しては落としを繰り返し、上手くいかなかったのか消沈している“彼”に出会うことになる。