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竜の守り人  作者: 姫野 釉月
1章
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 竜が、捕まった。

 一緒に逃げるように、旅をしていた矢先だった。多分、あともうちょっとでその旅は一つの終わりを迎えるはずだった。しかし、黒い檻の中で竜は眠りについた。


「まだ、起きないんだね…」


 黒い檻の中に、紫の竜が居る。身体に首を沿わすように丸くなって竜は瞳を閉じて、小さく息をしている。私は、いつもと変わらない様子にぽつりと言葉が零れた。

 “彼”が眠りについてかれこれ二ヶ月だ。食事も摂らず、その綺麗な瞳を開けることもなく、“彼”はずっと眠り続けている。

 この檻は家屋の二階に届くか届かないかの大きさで、ヒトから見たらワンルームくらいの広さだ。そこで眠っている様子は窮屈そうでもなく、むしろぴったりなサイズだと言うように見える。だがしかし、一緒に旅をしている時にぐんぐん成長していたことを思い出すと、二ヶ月もの間全く大きくなっていない目の前の竜を見ると心配しかない。


「いつ、起きるつもりなの…?」


 暗い洞窟の中で問いかける声は、むなしく消えた。


「まぁ、あなた!こんなじめじめしたところにまだいらしたの?」


 洞窟の中だというのに、甲高い声がさらに耳につく。

 ゆっくりと後ろを振り向くと、洞窟には似つかわしくないドレスとヒールでこちらに歩み出そうとしている淑女が居た。


「姫様。また様子見、ですか」


「ええ、そうよ。だって、この竜は今わたくしのモノですもの。何かあったら困るでしょう? この旅路ももう半分。いきなり目覚めて逃げられたらたまったものじゃありませんわ」


 あ、そう…と零れそうになる言葉を必死に飲み込む。

 綺麗にウェーブがかかっている金髪を靡かせて、彼女は檻のもとに歩み寄る。勝気な翡翠の瞳を満足そうに細めて、目の前の竜を見下ろす。


「ふふっ、この竜をお見せすればきっとあの方もきっと振り向いてくれる。そう思うでしょう?グレイグ?」


 後半の言葉は一緒に洞窟に入ってきた従者に向けられたものだ。「はい、姫様」と従順な返答を返し、頭を下げる様子に思わず眉根が寄ってしまう。来るたびにその一連の流れを見せられるこちらの身にもなってほしい。まるで『シンデレラ』の義母と鏡のやり取りのようで、見ていてむなしくなる。

 姫様は外見はそれはもう美しい。一目見た時に、あら美人さん、と思ったのは本当だが、性格が歪んでいてどうにも綺麗に見えなくなってしまった。まぁ、私はと言えばただの雑草だが。根性だけはある根なし草だ。張り合うつもりはない。ただただ悲しくなるからこの話はやめよう。

 従者も従者で姫様の言葉をすべて受け止めるだけで仕事が出来るのか出来ないのか、それとも姫様の機嫌取りだけの付き人なのか判断に苦しむぐらいに彼女に従順だ。あなたは物を考えて返答しているか?と疑問に思う場面は数知れず。私にそう思われたら終わりだと思う、と他人事ながら心配してしまう。


 ―――目の前の竜は、私と一緒に旅をしていた。“彼”の家族を探していた矢先だった。


 こんな檻のせいで足止めを食らうことになり、たまたまこの檻を見つけた貴族である姫様が『これが、竜! わたくしのものにふさわしい!』となって勝手に自分のものと豪語し、あまつさえ好意を寄せている相手に贈ると言い出したのだから。

 何を言い出すんだ、と思わない方が無理というのに、彼女の従者は彼女を止めるどころか肯定して彼女の行動を助長したのだ。

 尻に敷かれるのにもほどがある。いや、結婚されてないからこの言葉は誤解を生むので決して口には出さないが。


「いいこと、この竜に何かあったらあなたもただでは済みませんわよ」


 これもいつものことだ。一目見ただけで何事もない、と決めつけるのもいかがなものかと思う。この竜は、食事も摂ってないし、成長もしていないのに。もう問題はありありである。姫様の懸想している相手にこの竜を届けるために始めた旅だが、その中で“彼”の食事の費用も用意していなかったのに、こうも堂々と言われると呆れて物が言えない。


「ちょっと!聞いているの!?」


「聞こえてます、叫ばないで。“彼”がかわいそう」


「…! このッ!!」


 バシンッ、と音が響いた。持っていた扇子で頬を叩かれたのだと理解してから、ジンジンと頬が熱を持ったような感じがした。


「わたくしに口答えするなんていい度胸ですこと。これだから下賤の者はイヤですわ」


「そう…。気は済んだ?慣れない旅路でイライラするのもわかるけど。そんな姿を好きな人に見られたら幻滅されるよ。今から怒りを抑える術を意識しといた方がいいんじゃない」


「!?本当にあなたって失礼ですわ!!」


「年上の言葉もたまには役に立つよ」


 姫様の年齢なんて知らないけど。心の面が幼いから私が年上でもいいと思う。

 あまりにも私が減らず口をたたくから姫様は従者を伴ってそのまま洞窟の外に出ていった。野営はイヤだとごねた結果、街にちゃっかり宿をとっているようだから、いまからそちらに向かうのだろう。

 その間、この洞窟には護衛をつけているのかいないのか。この前、用を足しに行ったときはそんな人影は近くにいなかったから、あの姫様は本当に何も考えていないんだな、と思ったのも記憶に新しい。


「さぁ、今日は何を歌おうか…」


 彼女たちが姿を消したのを見届けてから、“彼”に向き直る。


 朝と昼は一緒に旅を楽しんで、夜は歌を歌ってのんびりとした時間を過ごす。それはこの竜が卵の時から繰り返していたことだ。

 聞きなれた曲なら尻尾を振ったり、身体を揺らしてリズムに乗ったりしてくれた。新しい曲を歌うときょとんとした表情になってじぃっ、と見て聞いてくれていた。

 腕に収まるぐらいの大きさが、日に日にゴールデンリトリバーのように逞しくなり、今では六畳ぐらいの大きさになった。しかし、歌を聴く姿は変わらなかった。


 ―――今は、静かに眠っているだけ。


 その事実が、ただただ悲しくてやるせない。夜の空気は、その想いに引きずられやすい。何度も何度も、この竜がこの檻に入る瞬間を思い出す。


 ―――なんであの時、強く止めなかったのだろう。


 何度も何度も。“あの時”を後悔する。でも、もうそれは過ぎた過去だ。今からのことを考えないといけない。でも、チャンスをうかがっていても実行に移すのは難しい。だって、この檻の鍵を持っているのはあの姫様なのだから。そしてその鍵がどんな形なのか、彼女はどこに持っているのか私は知らない。

 ついつい沈んでしまう気持ちを奮い立たせるためにも、一つひとつの夜をこうして歌って紛らわす。

 少しでも、この竜に届いていたらいいのにな。あわよくばこの歌で目覚めてくれないだろうか。そんな非現実的なことを思ったことも何度かある。しかし、“彼”は目覚めない。

 一曲歌い終わるごとに“彼”の瞳が見えないことにまた落ち込んでしまう。


「―――君は今、何を視ているんだろうね」


 夢を渡っているのか。それとも、過去に想いを馳せてその瞬間を何度も体験しているのだろうか。それとも、眠っている間は本当の“無”なのだろうか。


 それは“彼”にしかわからないこと。


 依然と反応が返ってこない姿を見る度に心が痛む。

 ぽっかりと胸に穴が空いたような、むなしい風が身体をすり抜ける感覚がずっとしていてイヤな感じだ。

 呼吸を繰り返している様子は見てとれるので、生きていることがただただ安心につながる。


 ―――これから行く先で、“彼”は本当に目覚めるのだろうか。


 生きていることに安堵しては、そんな不安が胸を焦がす。


 ―――早く、起きてほしい。


「あんた、何者(なにもん)だ」


 そろそろ私も眠ろうか、と膝に顔をうずめた瞬間だった。

 全身黒い服に身を包んだ青年がこちらを見下ろしていた。しかし髪は白銀で黒い服と対照的な外見で驚いた。姿を隠す必要がないのだろうか。耳の赤いピアスが灯の明かりで光を反射させた。瞳は空を模したような蒼だった。顔は整っていて正直タイプではあるのだが、いかんせん目つきが鋭く、誰何(すいか)された声に違わずかなり非友好的な眼差しを向けられている。


 ―――そっちこそどちら様?


 反射的に思った問いかけはさすがにこの状況ではマズいかと思い直して喉奥に戻した。

 予想はしていたが、本当にこの竜に対して護衛はつけていなかったんだな、とより一層姫様に残念な気持ちを抱く。

 むしろ、今までこのような事態にならなかったのが不思議なのだ。今更か、と内心諦めの気持ちが芽生える。

 だって、見知らぬ男性と洞窟の中だ。シチュエーション的にもこれほど最悪なものはない。


 ―――私の人生もここで終わりか…?


 儚い人生が垣間見えてもここで折れるわけにはいかない。すぐに立ち上がって檻の前にさりげなく歩み出し、彼の視界から竜を遮る。

 まぁ、竜が六畳分の大きさなのでそこはかとなく無意味な感じはするが。


「私は“彼”の友だち。あなたは誰?」


「はッ、“友だち”ね…。こんな檻の中に入れて大層な考えだ」


 あ、コイツ嫌いなタイプだ。そう直感する。顔は好みなのに残念だ。

 私の質問に答えないあたり、私なんかに名乗らなくてもいいと思われたことを察した。それは彼が私より格上であることの証明でもあるようだった。

 彼が質問の主導権を握っていることを肌身に感じた。


「この竜は何故目覚めないんだ」


「知らない、私が知りたい」


「あんた、この竜の“友だち”なんだろ?」


 なんか知ってること話せやコラ、という副音声が聞こえたような気がした。

 この短い問答で彼に対して見えてきたのは、私とこの竜の関係性を知らず、姫様にも関係していないということ。


 ―――まさか、他国の人?


 姫様が懸想している相手の人も他国の人、と訊いている。国名はわざわざ覚えていないからわかないが、姫様に忠誠を誓っているわけでもなく、こうして竜について探りを入れているということは、そういうことだろう。姫様が懸想している相手の国のスパイか、それとも全く違う国のスパイか。そうでなければ、こんな洞窟に、こんな旅の準備も何も持っていない人は現れない。


「“友だち”が檻の中に閉じ込められてる。だから一緒に来てる。それは、おかしいこと?」


「ほぅ、じゃあ、あんたはこの竜がなんでココにいるのか『知らない』ってことか」


 ―――今のは、どちらの意味だろう?

 この竜が檻の中に入った経緯を知っているかどうかの問いかけだろうか。それとも今から向かっている先を知っているかいないかの確認だろうか。一応、前者で答えておくことにする。


「この竜は、檻に入ってからしばらくして眠ったの。私は『そこは明らかに危ないからやめときなさい』って言ったのに」


「竜が…? 自分から…?」


 そこで初めて彼の表情があどけなく見えた。目を見開いて、先程の威圧的な表情がなりを潜めた。

 そして次の瞬間、私の言っていることが嘘と思っている表情に変わった。確かに、今の言い方だと『この竜おバカ説』が出てきてしまうが、かなしいかな、事実である。私はホントに止めたのだ。それでも、反抗期の息子よろしく不遜な顔をしてこの竜は檻に自ら入ったのだ。間抜けと言われても何も言い返しようがない。


「そんなはずはない。この竜は身体こそ小さいものの、魔力はしっかり持っている。理性も知性も芽生えてきて、オレ達と同じようにモノを考える年齢になっているはずだ。こんな檻に自ら入るなど…」


「あなた、竜について詳しいね。何者?」


 切り込むようにまた同じことを訊ねると彼は口を噤んでしまった。

 “彼”を一目見ただけでそこまでの推察を語れる人は、姫様側には一切いなかった。だから、私に折檻しようとした人たちに「この竜が目覚めた時にはあなたたちにこの竜をけしかけます」と適当な脅しを言うと関わろうとする人は居なくなった。姫様は頭がアレなので、今日みたいなことはするが。


「……」


 二回目も言わない、か―――…。


「言えないならいいよ。今のあなたも、この檻を開けることなんて出来ないんでしょ」


 あえて断定形で言うと、彼は不愉快そうに眉根をしかめた。

 しかし、それ以上は何も言わず、その場を後にした。そこは潔いな、と少し好感は持てたが、すぐに意識は竜に戻る。


 この竜を目覚めさせることは、まだ無理のようだ―――。




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