アーノルドの初恋と十冊の本
数日後、ヒルベルトは皇帝よりの正式な同意書を仁に渡す。これで仁は今回の戦争処理を無事終えて王国に帰還できるのであるが、いよいよ帰還するというとき1人王国に派遣されることが決まりこの者も一緒に王国に連れていくことになった。その人物は・・・・もちろんタルタリアである。
仁が帝都の貴重本を閲覧した翌日。タルタリアは皇帝に謁見し、強引にザールサス行きをねじ込んだようである。それも半ば強引に。さすがのヒルベルトも引き気味だったようだが、一応タルタリアの申し分も一理あり、正式に派遣されることが決まった。
その派遣理由は、王国の初代国王が記した本の写本を依頼する、というものであった。だが、タルタリアの真の目的は賢者の書いたという本がどのような物なのかを見たい、という実に個人的な欲求からであった。
軽く約束してしまった仁は断ることもできず、他の使節団の者たちに了承を得てタルタリアを王国へ連れていくことになってしまった。
王国への帰路、慰霊碑に再び立ち寄り両国の英霊にこの王国と帝国の同意がなされたことを報告する。その一部始終を正確に記録しようとするタルタリア。
数日後、一行は無事王都に到着する。
仁はすぐに王城へ行き今回の合意についてアーベルほか重臣の前で報告する。アーベルは同意に至ったことを仁に感謝し、仁にこの帝国側から受け取った金の使い道を仁に聞いた。そこで、
「今後王国にとっては優秀な人材を確保することが大事となるでしょうから、学校を作ってはいかがでしょうか?貴族も平民も関係なく優秀であれば学べる、そういう学び舎があってよいと思います。」
と提案した。この案を良しとしたアーベルはさっそく対応を宰相に任せるのであった。
また、仁はタルタリアの要望をアーベルに伝え、しばらくの間タルタリアには王城で滞在することになった。
仁は久しぶりにアルフレッドの館の自分の部屋に入った。久々の我が部屋である、ふぅ~っと一息ついていた。そんなころを見計らったかのようにノックの音がする。
入室を許可するとアーノルドであった。久々にアーノルドの顔を見た仁だが、あの戦のあとからしばらくぎくしゃくしていた。
「どうしたんだい?」
と形式的にアーノルドに声をかけ反応を見る。
「・・・・お願いが・・・あります。」
何だがモジモジする子の姿を見て、うっかりフフっと笑ってしまう仁。
「いや、ごめん。バカにしたつもりじゃない。なんだかちょっと意外だったからさ。で、アーノルドのお願いとは?」
そういうと、アーノルドは手に持っていた本を仁の机に置き、
「・・・以前父さんから書いてもらった本・・・・です。もっと父さんの知識を・・・知りたい・・・です。」
そう顔を少し赤らめて言う。
仁は、なるほど誰かにそうしろと言われたか、と感じながら。
「アーノルド、そうかい。分かったよ、これからアーノルドのために本を書くことにしよう。それにしても、フフ。よく勇気を出したね。」
そう言ってアーノルドを励ました。アーノルドは内心を見透かされたようで恥ずかしがりながら、頭を下げいそいそと部屋から出ていったのであった。
数日後、宰相からの知らせがあり、仁は王城内の宰相の執務室へと向かう。そこで、学校開設の素案を聞くことになる。まず、13歳以上の王国の民である。次に、試験を課すこと。次に、期間は4年間とし、2年ごとに中間試験と卒業試験を課す。学費は無料にする、というものであった。
教師は王国内の貴族の中から選ばれる予定である。そして、その教員の中に当然仁の名前も入っているということであったが、仁はかたくなに辞退した。ただ、外部講師として時々様子をみる、程度の協力はするということで一応の決着がついた。
こうして、正式に一か月後全国に学校令が発布され、半年後に第1回の入学試験が実施されることになった。
また、タルタリアの申し出は了承され一部ではあるが写本を作ることになった。以前に仁が読んだときついでにこの世界の言葉に書き直したものを王家が保管してあり、それを書写するのに2か月ほどかかるということなので、タルタリアにはその間王都の図書館を自由に出入りする許可も併せて認めるということであった。
宰相との懇談を終えて以後は、仁に何らかの仕事が来ることがほぼなかったので、アーノルドに頼まれていた本を書くことにした。
最終的には、集合論、線形代数学、微分積分学、幾何学、抽象代数学、常微分方程式、偏微分方程式、力学、基礎科学、基礎生物学、の10冊を書き上げたが、1冊が出来上がる度にアーノルドに渡していたらアーノルドはその本をほんの数日で読み上げてしまい。
ついには書き上げるのが先か、読み上げるのが先か、親子の壮絶な競争に発展した。父親の意地もあり、深夜遅くまで執筆に取り組む仁。
そしてこの決着が終るのにほぼ二か月を要し、そのころ仁は目の下に真っ黒なクマをつくる羽目になったのだが、一方のアーノルドはいつもの変わらず喜々として仁の本を読みふけるのであった。
後世この本は〝賢者の十冊〟と言われる伝説の本となる。当時これを読み得たのがアーノルドしかおらず、ある事件が原因でこれらの本が王国から消失されてしまったのだ。この本が存在した事実を唯一後世に残したのは、かのタルタリアが帝国で記した〝賢者列伝〟の中にほんの1行記載があったからである。
仁とアーノルドのこの壮絶で一方的な勝負が決着を見たころ、タルタリアが依頼していた写本が完成した。タルタリアはその写本を手に仁が住むアルフレッドの邸宅に向かった。邸宅の庭でお茶を飲む仁とアーノルド。そこにタルタリアが現れた。
「賢者様、お久しぶりでございます。タルタリアでございます。お願いしておりました写本が完成いたしましたのでご挨拶に参りました。」
「あぁ、それはよかった。おぉそうだ、息子のアーノルドです。」
そう言ってアーノルドを紹介する仁。そのときである。アーノルドが目を見開いてタルタリアを見つめている。うん?、と思う仁。だが、この父親いろいろ世間に口を出すわりに決定的に足りない部分がある。それは、恋愛感情に全くと言っていいほど無関心であり、無感応なのだ。
いつもと様子が違うアーノルドに不思議だなぁとは思うが、それがアーノルドの初恋だなどと気の利いたことを全く思わない仁。
「おや、アーノルドどうしたんだ。そんなに突っ立ったままで。ご挨拶をなさい。」
そういうと、カクカクした動きであいさつまがいの動きをするアーノルド。それを見てタルタリアはクスクスと笑う。
今日は写本が完成したことを知らせに来たタルタリアは後日仁の書いた本というのを拝見したい、というので。ならばアーノルドをタルタリアのところに行かせると伝えた。仁としてはおそらく自分以上に本の内容を理解をしている息子の方が適任だと判断した。
それだけでしかなかったのだが、多感な時期に到達したアーノルドはタルタリアに会えることがうれしいようで翌日からすぐに行くと返事をした。
これから数日間アーノルドはタルタリアのもとに通うことになる。毎日嬉しそうに王城に向かうアーノルドを見送る仁、不思議でならなかった・・・。
だが、仁はアーノルドに大事なことを伝えそびれていたのであった。それは・・・・タルタリアがお・と・こであることを・・・・。
以前、帝都でタルタリアを鑑定したとき仁が驚いていたのは、タルタリアが見た目のかわいらしい女の子であったからではない、男であったことに驚いたのであった。
なぜこの紛らわしいことが起きたかというと、これまた帝国のいわくある伝統のためである。帝国の史書館が保有する資料の中には帝国にとって貴重なものも少なくない。歴代の館長の中には男性も女性もいたが、その中には大事な情報を恋愛感情から漏らす者が少なからずいた。
そこで時の皇帝は、史書館長を去勢した男性に限り就任させることにして情報漏洩を予防することにしたのだ。これ以降、確かに漏洩することがなくなったこともこの伝統が今まで続いている原因でもある。
アーノルドが家でなにやら宙を眺めてぼーっとしていたとき、仁がうっかりとこのことを思い出したかのように言ってしまった。その瞬間、アーノルドはこの世の終わりとばかり突っ伏してしまう。
いたいけな青年のはかなき初恋は、こうして散りゆくのであった・・・・。
以後アーノルドは学問にのめり込む様になり、この数年後に隻腕の小賢者と言われるまでになる。
この出来事の一部始終を聞きつけたアルフレッドとダミアンは、伯爵邸の一室で声を漏らさないように・・・
「くっ、フフッ、ダミアン笑っちゃいけないブッ!」
「アルフレッド様こそ、フフ、笑ってブッ・・・おいでですブッ!」
大人からしてみれば、失恋は常にほろ苦い思い出である。ただ、アーノルドの場合は少しその刺激が強すぎた。この二人がこうしてお互い密かに笑っているのは、失恋の理由が意外であったのもあるが、あのアーノルドがこと恋愛に感情を向いたという意外性の方が大きかった。何よりアーノルドの成長が垣間見れてうれしいというのがむしろ本心であった。
二人は本格的にアーノルドの嫁探しを開始するのだが、アーノルドが無事伴侶を得るのは小賢者と言われ始めてさらに数年後の話である。




