ラスティラルフ
朝目が覚めてカーテンを捲られて起きた。
優しい朝日が視界に入り、私は眩しさに目を細める。ベッドの上に小さなテーブルを置き、淹れたてのお茶を飲みながら、側に立つミレーリットに今日の予定を聞いた。
「シオン様、本日はわたくしとお勉強をして頂きます。昼食後、医師がやってきますので健康診断を。その後また勉強をし、夕食後はレオナルド様との会合の予定が御座います」
「わかりました」
お茶を一杯飲んで目が冴えてきたら、顔を洗い、身を清めて着替える。
髪を結って着付けをしてくれるのは、初日から同じなのは栗色の髪の少女だけだ。少女はエリーゼといった。
淡いエメラルドグリーンのドレスに身を包み込むと、鏡を私の前に置いた。
「如何ですか? シオン様」
「え……え?」
目を見開いた。
ガッと鏡を掴んで中の私を見つめる。
……な、なにこれ? どうなってるの!?
「エリーゼ、あの、これは特殊な鏡ですか? その、若々しく見えるとかちょっと美化して写るというか」
「いえ、普通の鏡ですが……」
きょとんとしているエリーゼは嘘を言っていない。周りにいる下働きも戸惑っていた。
その視線に居た堪れなくなって再び鏡に視線を戻すと、そこには若返った私がいた。
白くてもちもちした肌と丸い黒い目。二十歳の大人の顔だったはずなのに、子どもらしい丸みを持つ少女になっていた。十二〜十三歳くらいだろうか。元々小柄の方だったのだが、確かに言われてみれば胸も肩幅も小さくなっている。
「え? え?」
「シオン様、如何されましたか?」
ミレーリットが心配そうに私を見た。
私は気が動転していてパクパクと口を開閉させるだけだ。
これまで着替えさせて貰った時、何度か鏡を前に置かれたけど、それどころじゃなくて自分の姿なんて全く見ていなかった。
……なんで!? 違う世界に来た弊害? これ、元に戻るの?
驚きの変化に軽いパニックだ。
けれど「若返ってる」なんて馬鹿げた事言えない。異世界人がどのような扱いを受けることになるのか定かでないのだから、これ以上変な生物認定されてしまったら困る。
私は必死に気持ちを抑え何度か深呼吸をした後、「なんでもありません。その、顔の傷に驚いてしまって」と誤魔化した。
するとミレーリットは眉尻を下げて私を見つめ、「女性ですものね……顔に傷が残ると困りますもの」と案じてくれた。
ミレーリットは机の上にいくつかの本を置いた。
皮装丁の厚みのある大きな本は、紙が羊皮紙だった。初めて見る羊皮紙に、原料が動物なんだよな、と思って触れるのを躊躇う。
「ミレーリットさん」
「シオン様、ミレーリットです」
「……ごめんなさい。ミレーリット、この世界は羊皮紙しかないの?」
「いいえ。羊皮紙より安価な植物紙が御座います。けれど、歴史書は古い物が多く、羊皮紙のものが殆どなのです」
ミレーリットは淡々と話しながら、私の前の本を開いた。
古い本の臭いがして、私は顔を顰める。少し苦手。
「シオン様はまず、この国の一般的な理をお伝えしようと思うのですが、よろしいでしょうか?」
「はい、お願いします」
「畏まりました」
ミレーリットは目次を辿り、そのページをエリーゼに手伝って貰いながら開いた。
知らない字の羅列に私は目を瞬く。音として発せられる言葉は理解出来ても、文字は読めないらしい。
「あの、ミレーリット。私、文字が読めないです」
「……そうですか。わかりました。午後には準備をしておくので、午前はお話をして、午後は字の勉強をしましょう」
ミレーリットか一瞬想定外な顔をしたが、すぐににっこり微笑んで本へ視線を向けた。
「この世界を創世した、クルレインアルジャーノンの事は聞きましたね?」
「はい。そして力を与えられた四つの神々と、光の神、闇の神の存在は聞きました」
「結構で御座います。その世界では、その神々が持つ四つの力、火、水、風、土を、四大元素魔法といいます」
「光と闇を入れて、六つではなくてですか?」
「光と闇は特殊なのです。また歴史を学ぶときにお教え致しましょう」
さらりと流し、ミレーリットは杖を持った。
白く真っ直ぐな杖は美しく、何で出来ているんだろうと私は小首を傾げた。
「わたくし達の体には魔力と呼ばれるものが流れており、世界中至る所にあるクルレギアと呼ばれる力を自分の魔力を使って変化させ魔法として発動します。……このように。オリート」
ミレーリットがそう唱えた途端、彼女の握る杖から小さな火が灯った。ふっと息を吹き付けると、火は消えて、何事もなかったようになくなる。
「凄い……」
「オリートは初級魔法なので、魔力のある者なら誰でも出来ますよ。兎も角、この世界には魔法がありふれています。その魔力の量は王の素質のある王族が一番高く、次に貴族です。平民は殆ど魔力を持ちません」
「強い魔力を持つ平民はいないのですか?」
「稀に現れますが、魔法を発動する為の道具がないので余程器用な者でない限り魔法は使えません。道具がなく、魔法を使えるのは伝説の初代王くらいでしょう」
ラスティラルフの初代王、ジルヴァーサルト王くらいだ、とミレーリットは子供に言うように私に微笑みかける。
「魔法を使うのには、クルレギアと自分の魔力が必要なので、魔力が多い方が魔法をたくさん使えます。けれど、クルレギアを使うのには神の加護が必要なのです。ですから、魔力がたくさんあっても神々の加護がなければクルレギアはあまり得られず魔法をたくさん使う事は出来ません。逆に、神々の加護が沢山あるとクルレギアが扱いやすくなり、少ない魔力で魔法を発動させることが出来るのですよ」
宗教色が強いな、なんて思っていたけど、生活にここまで影響しているなら、そりゃ神々を信仰するよな、と思った。
そして、魔法が使えるファンタジーな世界だと知って、私はそわそわと浮き足立つ。
私もやってみたい。
「魔法の話はここら辺に致しましょうか。次はラスティラルフの事ですね。まずは王族、その国を統べる最も高貴な方々です。シオン様はレオナルド様をご存知ですね」
「はい」
「王族、次に公爵家などの上級貴族、中級貴族、下級貴族、そして平民ですね。貴族階級はとても重要なことで御座います。こちらも後日歴史と共に詳しくお勉強しましょう」
平民のことは詳しく説明しないミレーリットに、私は厚い身分差を感じた。私は平民ですけど、とは口が裂けても言えなさそうだ。
「それから、神殿ですね。初代王ジルヴァーサルトの側近であった教皇、イーノックが残したとされる聖書が奉られており、神の意志がある場所で御座います」
「あの、神の意志って……?」
「水盤で御座います、シオン様。月の光が満ちる夜、水盤に光の文字が浮かび上がるのが神の意志。教会の者はそれを本に記し、公開しているのです」
夜に浮かび、朝日が昇ると光の文字は消えてしまうらしい。
……なにそれ、見てみたい!
「ミレーリット、神の意志を見ることはできますか?」
「神の意志は王族と許された神職者、一部の上級貴族のみが直接見ることが出来ます。ですが、神の意志は真夜中で、いつ訪れるのかわからないのです。そう簡単に見ることは出来ませんよ」
「そうですか……」
肩を落とす私にミレーリットは苦笑して、「でも、きっと美しいのでしょうね」と期待に胸馳せる声を洩らした。
私達が神秘的な光景を想像して話し合っていると、後ろから侍女が声をかけてきた。
「もうすぐお医者様がいらっしゃいます」
「まあ。ではシオン様、お勉強は一旦終了に致しましょう」
机の上を整え、私達も準備をする。
程なくして医者がやってきた。医師は女性で、私に挨拶をした後、許可を得て私に触れた。
手首、首筋に触れて、目を見る。そして、なにやら掌に収まるサイズの楕円形の道具を取り出し私の胸の中心にあてた。
色がゆっくり様々な色に変化していき、そこがじんわりと温かくなってくる。
医師はハッとしてすぐに道具を話した。その目は揺れている。
「……測れません」
「え?」
「魔力が測れないのです」
その場にいた全員が驚いた顔をした。
けれど、私は「そうだろうな」と内心思った。私はこの世界の住人じゃない。ここが魔力がある世界だとしても、私はそんなものない世界で生まれたのだ。場所が変わったといって、突然得体の知れない力が得られるわけがない。
……使ってみたかったな、魔法。
「……レオナルド様に相談してみます。この事はご内密に」
「畏まりました」
「それで、体調の方は?」
「脈は正常ですし、精神的な面が大きいかと。突然の環境変化は負担でしたでしょうし、心が落ち着くまま安泰にお過ごし下さいませ」
ミレーリットは難しい顔で私と道具を見つめていた。医師達は私に労りの言葉をかけてから部屋を出て行って、私が顔を覗き込むと、すぐに明るい笑顔を浮かべた。
すぐに昼食の準備が始められる。
テーブルクロスの上にはカトラリーが並べられ、カートから一品ずつ運ばれてきた。
完全に食が細いという印象を与えてしまっている私の皿には少量の料理が乗っている。
それでも全部は食べられなくて、味の濃い肉料理や臭みがあった魚介料理は残してしまった。
それでも、昨日よりは食べれている。少しずつ胃が回復している証拠だろう。
食後のデザートというクッキーを一つ摘んで満足げに空を見た。
「シオン様、食後は文字の練習を致しましょう」
「お願い致します」
穏やかなティータイムを過ごした後は文字の練習だ。
困ったことに、文字も違えば数字も違った。文字は間違えることがないけど、ぼんやりしていたら数字は書き間違えてしまいそうだ。
それでも、この国の文字はひらがな、カタカナ、漢字がある日本語のように複雑なものでなかったので、早く覚えれそうだ。
紙は随分普及したけどまだ高価らしく、練習には木札が用意されていて、私は何度も何度も木の板に書いて、埋まったら削ってまた書く。手が疲れたら神様の名前を唱和しながら暗記していった。
その時、ミレーリットは神様と眷属の成り立ちを話してくれたけど、神話ってよくわからない話が多いな、と思った。
何度も書いていると、ある程度文字を覚えた気がする。明日になったら忘れてしまいそうだから、復習は必須だ。
文字の練習を終えると夕食の時間になった。
今日の昼食の様子を見て考えたのか、夕食はどれも食べやすくて完食出来た。
エリーゼが嬉しそうに笑っていたのが可愛い。
夕食を取った後、ゆっくり休憩をしてからレオナルド王子の元へ向かうことになった。身を整えて、護衛の後ろをぞろぞろと歩く。
その時頭の中に魔法の事が過ぎって、私はミレーリットに顔を向けた。
「ラスティラルフのテイルヴァーンであるレオナルド様は火の属性が一番強いのですか?」
「ええ、そうです。ですが、レオナルド様は神の愛子なので全属性です」
「属性……ですか?」
「はい。属性が高ければ高いほどクルレギアの恩恵
を受けることができ、より高度な魔法を扱えるようになります。オリートのような初級魔法は属性がなくても使えますが、更に強い魔法を発動するには属性が必須となります」
属性を測るというのは、今日の午前に医者が持ってきた楕円形の道具のことだろうか。
魔法の話をしているとすぐに部屋に着いた。護衛が扉を開けた入室を促す。
私は教えられた通りの挨拶をして、部屋に足を踏み入れた。
この国のあれやこれ。
魔法が使えるファンタジーな世界です。