その男、王子様
お腹を鳴らした私を見て、すぐに食事を用意してくれた。
テーブルの上には消化に優しい野菜スープとパンが並べられている。
私はゆっくり口をつけた。塩と野菜の旨味だけのシンプルな味付けだけど、胃に優しくて沁みる。
たくさん食べたかったけど、二日間完全に絶食状態だった胃は多くは受け入れられなかったようで、スープを飲み、パンを一口食べたところで限界だった。
「あの、お体の具合でも……?」
「あ、いや、平気です」
「そうですか。よければこちらの椅子に。お日様が当たって気持ちいいですよ」
心配そうに覗き込む少女に、私は愛想笑いを浮かべて頷く。
カトラリーを片付けていく女達を一瞥し、私は先程王子と呼ばれた男と共に座っていた窓辺の席に座る。
ふう、と息をついて窓の外を見る。見えるのは空と芝生。それ以外は何も見えなくて、私は頬杖をついて静かに見下ろした。
ふと顔を見上げると、栗色の髪の少女と目があった。
緩やかに微笑む少女に、私はゆっくり口を開いた。
「少し、質問しても?」
「はい。どうぞ」
「先程の男性は?」
「ラスティラルフのテイルヴァーンで在らせられる、レオナルド・ノア・ヘイワード様です。現国王、シャワリンツェ・ヘイワード国王の第二王子でいらっしゃいます」
……ラスティラルフのテイルヴァーン?
よくわからない単語が並ぶが、祠で聞いた名と同じだ。私を使って呪い殺すつもりだった相手は、あの金髪の麗人らしい。
……でも、偽りの王なんて言い方をしていたから、てっきり王様を呪い殺すんだと思ってた。なのに、なぜ第二王子? 第一王子は?
そんな疑問を口には出さず、私は質問を続ける。
少女の口から語られたのは、ここはラスティラルフという国で、今私がいるのは城の離宮らしい。今は使われておらず、かつては後宮だったそうだ。
罪人ではないが、得体の知れない私を解放できず、とりあえず最低限無礼にならないよう配慮された結果だと思う。
「ラスティラルフのテイルヴァーンとはどういう意味ですか?」
「テイルヴァーンはこの世界を創世された全ての祖であり絶対の王、クルレインアルジャーノンがこのラスティラルフに与えた四つの力の一つのことです。火の神 テイルヴァーン、水の神 ナウカリスタ、風の神 プラマライナッセ、土の神 ライゼファント。あと二つ、光の神 メビユライネーツと闇の神 ベントゼンターナーがあるんですけど、そちらは今は置いておきましょう」
パチパチ、と瞬きをした。
急に宗教らしき話が出てきて私は目が点になる。
多くの固有名詞が出てきて既に覚えられていないのだが、少女は「えーと」と呟いて、頭の中で思い出しながら更に言葉を続ける。
「その四つの神の眷属は……ちょっと忘れちゃったのですみません。えっと、レオナルド様はテイルヴァーンの加護を受けて生まれた神の愛子なのです。ですから、挨拶の時にあのように呼びます」
「え? 愛子かどうかわかるの……?」
「はい。王宮神殿にある"神の意思"にお告げがあるのです。レオナルド様のお告げがあってからはないのですけれど、その前は確か30年前だったと思います」
頭がパンクしそうだ。
神の意思ってなに? 神のお告げってなに? そう聞きたいけれど、私以外特に不思議そうな表情は見せていないので、この世界は神を信仰し、神の存在を信じているのだろう。
私はその辺りのファンタジーさを考えるのをやめることにした。今いっぺんに言われても覚えられない。
兎に角、レオナルド王子は王族の中でも特に特別な存在ということは分かった。
前のお告げがあったのが30年前だというのだから、第一王子は愛子ではないのかもしれない。いや、神の意思は愛子を告げるだけのものではないかも知れないので、そうなるとよりレオナルド王子の存在は特異なものになる。
そう考えると、あの女が呪い殺そうとした相手がレオナルド王子でも納得かも知れない。いや、それでもやっぱりわからないけど。
数回、瞬きをして頭の中を整理する。
そもそもあの女は誰なのか。レオナルド王子とどういう関係なのか。この国の情勢はどうなのか。あの女の企みはなんなのか。これからどうなるのか。私は帰れるのか。帰れるにしても、どうやって帰るのか。
考えたところで情報が少なすぎる。疑問ばかりが溢れて、不安になるだけだ。
私は胸の前で腕をクロスして、ぎゅっと二の腕を抱えるように掴んだ。
この世界に来た時に着ていた服もなく、知らない世界と知らない言葉。
恐怖が襲ってきて、不安で、怖くて、悲しくて、家族に会いたくて、私は静かに目を閉じた。
……ここはどこなの? 早く帰して。
その日は夕食も喉を通らず、私は布団に包まって就寝した。
浅い眠りの中、何度も恐怖に目が覚めて、その度に寝汗をびっしりかいた額を殴ってまた眠る。それを何度も繰り返して、漸く眠れたのは日が昇り始めた夜明けだった。
寝不足のまま起き上がり、朝食も喉を通らなかったので温かいお茶だけを飲んだ。
呆然とする私を気にせず、女達はテキパキと身支度を整え、ずっと同じ部屋にいる。
監視されているのだな、と思った。けれどそんなことはどうでもいい。
帰るための方法はわからないけど、なにか手掛かりがあるかもしれないし、一度あの森に行ってみたい。もう嫌だけど、あの祠も確認して、あの女と共にいた人達にも話を聞かなければ。
……そういえば、昨日、レオナルド王子が、少ないが召喚できる王族がいると言っていたっけ。
多大な力がいるから行わないし、異世界人が来たのは何百年ぶりと言っていたけど、つまりは不可能ではないということだ。
ラスティラルフのテイルヴァーンといわれる神の愛子である彼なら、私を元の世界に戻すことも出来るのではないだろうか。
がたり、と席を立った。
真っ直ぐ扉へ向かうと、護衛の男が進路を塞いだ。
「どうされましたか?」
「レオナルド王子に話があります」
「レオナルド様は御多忙でいらっしゃいます。時間を整えておられるのでお待ち下さい」
王子は忙しい。そりゃそうだな、と納得する。
けれど気が焦っていて、私は酷く悲しい気持ちになった。ゆっくりとした足取りで椅子に座る。この部屋にずっと閉じこもっていた為か足が覚束ない。
はあ、と落ち着くように何度も深呼吸を繰り返した。
レオナルド王子と会うことになったのは、その日の夕食後だった。
レオナルド王子が離宮にやってくるのかと思っていたが、私が城に向かうことになった。
夕食を少し食べた後身支度を整え、馬車に乗って移動する。
少しして、馬車から降りて城へ入る。沢山の護衛に囲まれているのはなんだか不思議な感じがして、とある一室の前にやってくると護衛は散り散りになった。
一人の男が扉を開ける。
恭しく首を垂れ、挨拶をする周りに合わせて私も頭を下げた。
入室が許可されると、私は一人で部屋の中へ進む。中には椅子に腰掛けるレオナルド王子と、昨日共にいた男性の三、それから昨日私の部屋で世話をしてくれていた女性が一人いた。
促されて、お茶が用意されているテーブルを挟んで座る。
レオナルド王子は一口お茶を飲んだ。
「体調は?あまり食事を摂っていないと聞いた」
「大丈夫です。少し、寝不足で」
「そうか。明日、念の為医者を呼ぼう」
王子が左後ろにいる青い髪の男を一瞥すると、こくりと頷いた。
「君が異世界の民だというのは信じよう」
「え?」
「今朝、神のお告げがあった。……少し内容と違うので君だと断定は出来ないが、異世界からこの世界にやってきた人物がいると記されてあったと神殿から報せがあったのだ」
今日存在を知ったばかりの神のお告げがあったらしい。内容があやふやなので私自身も判断できないが、一先ず私の話を信じ、受け入れる事にしたそうだ。
「君の話を聞き、調査をしている。犯人を特定できるほどの物証はないが、あの地下室を見れば君の証言が正しいことはわかる」
苦笑するレオナルド王子の前を見て、私は地下室を思い出し身震いした。
後ろに控えている三人も、険しい顔をしている。
「君の事は私が保護しよう。呪い殺されては堪らんからな。態々異世界から贄を連れてこなければならなかったのだ、そう易々と次の贄が見つかるとは思えん。君をこちらで守る事は自衛にも繋がる」
だから、私は王宮に連れてこられた。
私は彼らの話を聞いて、お茶を飲んだ。彼らは私の話を聞き、今日教えてもらった話をする。当たり障りのないもののようで、どれも彼らが欲しかったものではなかったらしい。
それから祠での話を聞かれた。
私は聞いたこと、見たことを全て話す。女の特徴を言うと、四人は顔を合わせて顰めた。
一通り話終わると、レオナルド王子は「そうか」と呟いた。
「ところで、あの周辺を捜索していると、突然結界が破れたんだ。なにか知らないか?」
「え? 貴方達が破ったんじゃないんですか?」
結界を破ったと思われる時、女は明らかに焦っていた。そして、私を運べないと判断して悔しそうに隠し通路から逃げたのだ。
「これも調べなければな。シオン、遅くまですまない。最後に側近を紹介をしてもいいか?」
「はい」
レオナルド王子は側近に目配せをし、青髪の男が私を見た。薄茶色の瞳を細め一度ゆっくり瞬きをした。
「書士をしております、コーネリアスです。お見知りおきを」
「シオンです、よろしくお願い致します」
隣へ目を配ると、その隣にいた男が私を見た。淡い藤色の髪をゆったりと結んだ色男。
その色気ダダ漏れの様子に私はごくりと生唾を飲んだ。
「お初にお目にかかります。同じく書士をしております、カーレスと申します」
挨拶を終えると、さっと目を逸らされた。
気を取り直してその隣へ視線を向ける。臙脂色の髪の男は私ににっこりと白い歯を見せた。
「ヒューバートと申します。ラスティラルフ正騎士団、副団長であり、レオナルド様の護衛を務めております」
その言葉通り、ヒューバートはガタイの良い体つきをしていた。背が高く、筋肉質でしっかりしている。それは鎧の上からもわかるほどで、私は感嘆の息を吐いた。
最後は女性だ。私と目が合うとにこりと柔和な笑みを浮かべて、女性が跪いた。胸の前で指をクロスさせ、口を開く。
「書士をしております、ミレーリットと申します。本日付でシオン様の側近となりました。よろしくお願い致します」
手を左右に悠々と広げ、ゆっくりと頭を下げた。
これがこの世界の挨拶のようだ。私もしようとしたらすぐに止められた。これは下の者が上にする者で、上の者が下の者にするものではないらしい。
「君は主になったのだ。やめろ」
呆れた顔をしているレオナルド王子に、私は困った顔を向けた。急に言われても対応できない。
今日の紹介は私のことを気遣って少人数での話し合いにしていたらしい。また後日紹介すると言って、今日の話し合いはお開きになった。
「シオン様。わたくし、レオナルド様から教育係を承っておりますの。この国こと、この世界のこと、明日から覚えていきましょう」
にっこり微笑む少女に、私は頷いた。
話をした部屋からはそう離れておらず、私は新しい寝室にやってきた。
数人いる侍女達に世話をされて身を清め、「良い夢を」と天蓋の付いた所謂お姫様ベッドに入れられた。シャッとカーテンを閉められるとそこはもう真っ暗になる。
今日も家に帰れなかったと溜息をついた。
……私、レオナルド王子に帰り方聞くの忘れてるじゃん。
今更気づいたけどもう遅い。また明日、ミレーリットに聞いてみよう。私は頭から布団を被って、身を縮めて眠りについた。
シオン、横文字のオンパレードに静かにパニック。
そして、助けてくれたイケメンは王子様でした。