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壊れかけの世界で第二の人生を  作者: ひいこ
第一章
2/22

謎の麗人

 



 力一杯足を上げて、台の上のボウルを蹴り落とした。

 ボウルの中に溜まった闇は石畳に流れ出て、シュウウと煙を上げて瞬く間に蒸発していく。


「お前……! なんてことを」


 女がキッと睨んで思い切り私の頰を平手打ちする。バチンと音が響いて私は倒れ込んだ。

 熱を持って頰が痛む。ジンジンとして感覚がなくなっていき、口の中は血の味が滲んだ。

 痛い。怖い。つらい。

 でも負けられない。平手打ちのおかげで口の拘束が緩んだ。私は大きく空気を吸った。


「助けてー!」


 緩んだ口布の狭間から悲鳴をあげた。

 誰か、お願い、届いて。


「無駄だ」


 女は私の髪を掴む。叫んだところで誰も助けには来ないのだと、目が伝えてくる。


「ここはわたくしの結界で隠された秘密の神殿だ。外からは姿形も見えず、お前の声も届かぬ」

「離して!」


 バタバタと暴れて女の足を蹴った。髪から手が離され、女はギロリと私を睨む。


「貴方は誰? どうしてこんなことするの? 私を家に帰して!」

「……贄を傷付けたくはないが、不愉快だ。黙らせよう」


 よろりと立ち上がった女の目がギラギラと憎悪に塗れ、私の腹を思い切り蹴飛ばした。

 胃から胃液が逆流する気持ち悪さと痛みに襲われ、激しく咳き込んだ。

 再び髪を掴まれ、強制的に顔を上げさせられる。ギリギリと頭皮が痛んで、私の目に涙が滲んだ。潤む視界の中、美しい女の顔は悪魔のように歪み、短剣の先を私に向けて振り下した。


「いやー!」


 痛みが降ってくることを想像して、大きく叫んだ。が、その剣は私に刺さることはなく、寸前のところでピタリと止まった。

 ピクリと肩を震わせて、女は階段へ視線を向けた。


「何故、ここが……」


 女は先ほどの悪魔のような笑みを消して、明らかに狼狽えていた。表情にはじんわりと焦りを滲ませている。

 集中させて地上へ耳を澄ませると、何か物音がする。たくさんの人の気配。何が起こっているのだろう。

 女は私の側を離れて、忌々しげに舌打ちをした。

 ベールに身を包んだ女は苦々しげに私を一瞥し、そして、別の隠し通路へと去っていった。


「地下通路があります!」


 階段の上から男の声がする。

 貴金属の擦れる音と共に数人がこちらへ降りてくる足音が聞こえてきた。


 ……今度はなに?一体誰?


 四人の鎧を纏った男。そのうちの一人は私を見つけるなり口布を完全に取り除いた。他の男も部屋を物色している。


「おい、大丈夫か」

「逃げられたようです」

「なんだ、ここは……」


 同時に話すから、声が重なってよく聞こえない。

 一人の男が他の男達に指示を下し、それを実行していく。皆、呪いの準備をしていた部屋を見ては、堪らず恐怖によって後退りしていた。

 男が近付いてくる。膝をついて、横たわる私の頰を手で撫でた。叩かれて熱く痛む頰に、冷たい手が気持ちいい。

 薄らする視界に、さらりと靡く金髪が目に入った。険しい切れ長の瞳が、私を見ている。


「しっかりするんだ」


 男の言葉にこくりと頷いた。

 私は涙を頰に流しながら、朧げな中、男に抱きかかえられて意識が暗転した。






 また、私は気絶していたらしい。


 次に目が覚めると広く白い天井があった。

 きょろりと目を動かすと、私は白いベッドの上に寝かされているのだと気付いた。

 手足の拘束は解かれており、頰は腫れているけれど、口の中はもう血の味はしなかった。

 手当をしてくれたのだろうか。服も先程のひらひらした薄手のドレスのようなものではなく、柔らかい絹のような素材のワンピースになっている。


 ゆっくりと上体を起こす。

 窓の外からは青い空が見えた。まだ日中だ、よかった。

 ぼんやりと外を眺めていると、一人の女性が近づいてきた。扉の側に控えていた護衛の男達も、私のそばへやってくる。


「目が覚められたのですね。お加減はいかがですか?」


 こちらを見つめる栗色の髪の少女。

 私は話そうとしたけど、ヒュッと息が喉から零れただけだった。

 慌てたように少女は私に水を手渡したので、私はそれを受け取ってゆっくり飲む。

 カラカラに乾いた喉に水分が行き届いて、私は小さく息をついた。


「大丈夫、です」


 声が出て、私も含むその場の者全員がホッとした顔を浮かべた。護衛の男達はなにか話をして、一人が外へ出て行った。

 少女は心配そうに私を見つめて、またもう一杯水を注いで渡した。


「もう二日眠り続けていたのですよ」

「ふ、二日!?」


 なんと、日が明るいからその日のうちに目が覚めたのだと思っていたが、そんなに日が経っていたらしい。

 私は驚愕に目を瞬いていると、心配そうに、けれど安堵を滲ませて少女は微笑んだ。


「医者によると毒を受けているわけでもないし、原因不明だったのです」


 私は水を飲みながら考える。

 この世界に喚ばれた弊害かなにかだろうか。医者にわからないことが、私に分かるわけがないのでスルーしておく。

 二杯目の水を飲み終えた頃、先程出て行った護衛が二人の女を連れ帰って来た。


「後程、謁見が御座います。身支度を整えてください」


 男達は部屋から出て行き、テキパキと女達が動き始めた。

 ぼんやりとしていると身ぐるみを剥がれ、水を被せられ、身を清められていく。私が戸惑いを見せていると、水を入れてくれた栗色の髪の少女は綺麗に髪を整える終えると、扉の前に待機していた男達へ声をかけた。

 すると、「え!?」と声がしたかと思えば、少女はおろおろした顔で部屋に入ってきた。


「こちらにいらっしゃるそうです」

「まあ」

「ではお茶の手配を」


 慌ただしく動き回り、女達はパタパタと動き出す。ふわんとお茶の匂いがした。

 戸惑っていると、私は床に跪くよう言われた。今から王子が来るからと。

 私は訳がわからないまま、言われた通りに膝を折って扉を見つめる。そしたら頭を下げて胸の前で手を合わせるように言われた。

 指をクロスさせ握る。視線は足元に、首を少し傾け下ろした。


 少しして、トントンと扉を叩く音がした。護衛の男が入ってきて、扉が全開される。

 私は目を微かに動かして、扉の足元へ視線を向けた。複数人の足が見える。数人の男が入ってきて、私の斜め前にいた女は口を開いた。


「ラスティラルフのテイルヴァーン、レオナルド王子。シフマルートの祝福があらんことを」


 両手をゆったりと左右に広げ、女はまた胸の前で指を結んだ。


 ……レオナルド?


 私はその名を書いて眉を顰める。

 神殿で聞いた名前。女が言っていた、呪い殺したい相手の名前。


「顔を上げよ」


 男の声がして、私は周りの様子を伺いながら顔を上げた。目の前の男と目が合う。じっと私を見下ろしている若草色の瞳。意識が切れる前に見た、綺麗な男がそこにいた。


「体調はどうだ?」

「え? ……あ、大丈夫、です」


 そうか、と微笑んだ男はそれはもう絶世の美形だった。

 さらりと真っ直ぐな金髪を靡かせて、男は口を開く。

 私は男に促され、女達が用意していたテーブルへ座る。目の前にはお茶が準備されていて、湯気が上がっていた。

 男の右手がスッと動いた。何人か部屋から捌けて、男の側に二人の男が立ち、私の後ろにも男と女が一人ずつ立った。

 悠々とした動作で一口お茶を飲んで、男は私を見つめる。


「其方は何者だ? 何故あの場にいた?」


 柔和な表情が締まった。空気が少しピンと張り詰める。

 きっとこのように手厚い対応を受けているのだから、敵だとは思われていないようだが、私は得体の知れない人物。用心するのは当たり前だろう。


「……女性に、この世界に連れて来られたんです。多分。あの人がそう話してて」

「ん? どういうことだ」

「私は違う世界から来ました。あの、だから、ここがどこだかよくわかってなくて」


 ここまで言って、異世界から来たなんていう必要なかったかな、と思った。なるべく正直に敵意がないことをわかってもらえるようにと思ったけど、変なやつだと思われたらどうしよう。というか、問答無用で差別……もとい、処分の対象だったら今度こそ殺されるかも。


 ちら、と不安に思いながら視線を男に向けたら、目の前の男が緑の瞳を見開いて驚いていた。いや、後ろの男も、私の後ろも全員だ。


 やってしまった、と目を瞑った。もういやだ。帰りたい。


「……異世界人なのか?」


 伺うように尋ねられて、戸惑いながら頷くと、衝撃は受けているものの無いことではないらしく、彼は一つ息をついて話を進めた。


「呼び出されて、この世界に来たんだな?」

「はい」

「誰に呼び出された?」

「名前はわかりません。でも、薄い金髪の、青い目をした綺麗な女性です」


 そう言うと、男は後ろの男達に目配せし目で語り合った後、鎧を纏っていた男達と女達が部屋から捌ける。

 部屋の中には私と目の前の男達三人だけになり、突然の緊張した空気にゴクリと喉を鳴らした。


「他になにか言っていたか?」


 あの場面を思い出した。ついさっきまで、私は命の危機にあったと思うと手が震える。

 頰はやっぱりまだ痛い。


「正すって言ってた。穢れを消すって」

「正す?」

「偽りの王、と言っていました。口を塞がれて聞いてるだけだったので、深くはわかりません」

「他には?」

「あと、レオナルドを、消し去ると。そのために私が生贄として必要なのだと……」


 小さな声で伝えた。

 目の前で男は先程よりも大きな驚きを見せ、すぐに神妙な表情になった。


「それが事実なら危険だな。おい、カーレスを呼べ」


 男は眉間に皺を寄せたまま、部屋の扉へと向かい、人を呼んだ。

 私の世話をしてくれた人だろうか、部屋の外にいた女性に指示を下して、男はすぐに私の元へ戻ってきた。


「其方は連れてこられたと言ったな。目が覚めた場所はどこだ」

「森の中の水の中。あの建物の近くの」

「ああ、池だな」


 納得したように息を吐いて、男は私を見た。緑の瞳が探るように私を見ている。

 私の真偽を確かめているようだ。


「この世界ではかなり数少なくはあるが、召喚の力を持った皇族がいるんだ。多大な力がいるので使わないがな。……異世界人がやってくるのはもう何百年ぶりだ」


 初めて会った、と感想を述べる男に私は苦笑する。

 物凄く低い確率と確率がぶつかり合ってたまたま呼ばれたのが私らしい。この奇跡の重なりに心底吐き気がする。かといってこの世界に呼ばれなければ、私は車に轢かれてTHE ENDで、今頃天国にいる羽目になっていた。

 どっちもどっちではあるが、現状呼ばれてすぐ命の危険に晒されたので、この場合の奇跡は悪い方の奇跡だ。

 今だって、助かったもののここが安全な保証はどこにもない。目の前の男だって何者かわからないのだから。


「名はなんだ?」

新野詩音(あらのしおん)。詩音、です」

「シオンだな。さっきはあの祠の調査中だったんだ。君を助けられてよかった」


 人当たりの良い笑みを浮かべて、そう言った。男は名前を名乗らなかった。

 王族というものは無闇に人に名乗ったりしないのだろうか。それとも、異世界人だからと単にはぐらかされたのか。

 けれど高貴な身分というのは嘘ではないのだろう。今使っているベッドや部屋の装飾は美しく、目の前の男の身なりも良い。


「あの、助けてくれてありがとうございました」


 気になることは沢山あるが、まずはお礼を言っておこう。彼の認識でも助けたと思っているならば、私はすぐには殺されないだろう。一先ずは安心だろうか。


 さっきまで殺されかけてぶるぶると震えていたのに、生きていると分かった途端自分を守ろうとする神経の図太さだけに呆れる。

 いつ死んでも良い、なんて言いながら、今この状況で生き延びる方法を考えている。

 こんなにも冷静に考えることが出来たのかと自分に驚いた。

 深く息を吐く私を一瞥し、男は淡々と口を開いた。


「悪いが貴方の身柄はここで保護させてもらう。縛るつもりはないが、外には出せない。悪いようにはしないから少し我慢してくれ」

「え」


 そう言って、戸惑う私を置いて男は立ち上がり、部屋の扉を開けて出て行く。

 ドア越しに話し声が聞こえ、やがてその声の主達は離れていってしまった。


 なんてこった。全く説明をしてくれない。それに何一つ今私が置かれている状況がわからない。


 ……助かったと思ったのに実は監禁状態? どういうこと?


 ぐるぐると顰めっ面で考え事をしていると、入れ違いに入ってきた栗色の髪の少女が体調を気遣ってくれた。

 落ち着きますよ、と手渡された淹れたての紅茶を受け取って、ああそういえば喉が渇いたななんて思いながら、不安を流し込むように私は一気に飲み干した。


 一先ず、先程の男のおかげで一命は取り留めた。

 外傷も特にはないし、すぐ殺される様子も今のところない。目の前の女人々も丁寧だし、男が王子だと言うのも他の人の対応を見て間違いなさそうだ。


 私はごくりとお茶を飲んで息を吐いた。

 一難去ってまた一難。私は自分のお腹に手を当ててヒリヒリ痛む下っ腹から少し手を上にずらした。


 ……お腹すいた。




異世界転生ではなく異世界転移です。

主人公、死んでませんでした。

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